天神記(三)





7、 通りゃんせ




その男がつけているのは、「蘭陵王(らんりょうおう)」の面だった。
蘭陵王とは北斉(ほくせい)の武将で、あまりにも武将
らしからぬ麗しい顔立ちのため、獰猛怪悪な面をかぶり、
部下の士気を鼓舞、敵をひるませたという。

この王の武勇伝をテーマにした舞を日本に輸入し、
和風に改作したのは、106才で唐に渡った雅楽師・
尾張浜主(おわり の はまぬし)。
(ベトナムからの渡来僧が伝えたという説もある)
中国では、すでにこの頃から陵王の舞は廃れ始め、
ついには消滅してしまう。
日本の雅楽にのみ残された、古代の舞である。

「丞相の命を取ると申すか? 身の程知らずなことだ」
白太夫が、手にした弓に矢をつがえる。
白太夫は武者ではないが、武術の訓練も豊富に積んでいる。

「そこな翁よ、まあ待て。冥土の土産に
舞をひとさし舞ってやろう」
男は短刀と鉄扇を手にしたまま、優雅に陵王を舞った。
その姿を見て、白太夫の目に熱いものがこみ上げる。
まさしく、父子の別れのはなむけであった。

舞が終わる。
「では… 参る」
仮面の男は、両手の武器を構える。
白太夫はじりじりと退がり、両者の距離は30mほどか。

蘭陵王が大地を蹴って、猛然と突っこんでくる。
白太夫の放った矢を、鉄扇が弾き飛ばす。
素早く第2矢をつがえる白太夫、これを外せば後はない。

「その首、もらった!」
短刀が、飛んでくる矢を払った。
「な…」
陵王の仮面が割れ… 松王丸の額に、矢が突き立っている。

確かに、矢は払ったはずだが…
2本の矢を同時につがえて射る、秘術だった。
「お前には教えていない技だ、松王」
「さすがです、父上…」

倒れる松王丸を抱きとめる父。
「お前も、このままでは左大臣に忠義が立つまい。
丞相は無理でも、せめてこの年寄りの首を土産にせい」
松王丸の手に握られた短刀で、自らの首をかっ切った。


山を降りてきた道真は、この惨劇を目の当たりにし、立ちつくす。
道真を守って死んだ白太夫はもちろん、
松王丸も不憫でならなかった。
時平への忠義と、父への孝の板ばさみで、
さぞや苦悩したことだろう。
道真の孫の身代わりに、己の息子を犠牲にしたとも聞いた。

そもそも、松王丸が時平の牛追いに就職した時、
まだ道真と時平の対立はなかった。
父子とも、まさか敵同士になろうとは、このような最期を
むかえようとは、夢にも思わなかったにちがいない。

2人の遺体は観世音寺に葬られ、松王丸が残した
蘭陵王の面は、修復して観世音寺に寄贈された。
今に伝わる重要文化財の陵王面がそれである… 
かもしれない。
後に北野天満宮境内に、白太夫を祀る「白太夫社」が作られた。

それにしても時平の、なんと執拗に刺客を差し向けることよ…
これまでに犠牲者は、白太夫、松王丸、その子・小太郎、
桜丸、武部夫妻、門弟2人。
女としての幸せを失った苅屋もまた、犠牲者であろう。
「おのれ時平… きさまだけは絶対許さんッ!」



都府楼からほど近い場所での事件だったので、役人たちの
知るところとなり、白太夫父子の悲劇は、都にも伝わった。
「そろそろ… 菅丞相にちょっかい出すのは、
やめにしといたらどうです」

都では何ヶ月も日照りが続いていたのだが、
今は大雨が降っている。
醍醐寺のプロレスラーのようなごつい高僧、聖宝が
「孔雀経法」という秘法を行い、雨を呼んだのである。

「でないと、恨みが… ただごとでなくなりますぞ」
「恨み? フフン、道真ごときが、俺を恨んで何ができる」
聖宝の忠告を、時平は鼻で笑った。

「人の恨みを甘く見ないことですな。
恨みを残して死ねば、怨霊となる」
「………」
さすがの時平も少しは気になったのか、それからしばらくして、
腹心の藤原清貫(きよつら)を宇佐八幡宮へ使者に送り、その
ついでに、大宰府に立ち寄って道真の様子を見てくるよう命じた。



そのころ、大宰府では。
幼い隈麿が風邪をこじらせ、あっけなく死んでしまった。
道真は、自分が殺してしまったようなものだと、己を責めた。
自身も、無理な山ごもりがたたって、体をこわしていた。
さらに、いつまた襲ってくるかわからない刺客の影に
おびえ、神経をすり減らす毎日。


道真は、もう何度目かわからないが、またしても
塀に挟まれた細い小道を行く夢を見た。
今回は、隈麿の遺体を抱えている。

通りゃんせ 通りゃんせ
ここは冥府の細道じゃ 地獄の亡者の細道じゃ


「ちっと通して下しゃんせ」

御用のないもの 通しゃせぬ

「この子の七つの弔いに 供養を頼みに参ります」

行きはよいよい 帰りはこわい
こわいながらも 通りゃんせ 通りゃんせ



しばらくして、今度は紅姫が、床から生えていた
怪しいキノコをかじって中毒死した。
道真の精神は、さらに追いつめられた。
現在、榎社に「隈麿の墓」と「紅姫の供養塔」が残っている。

ちょうど、都から到着した藤原清貫があいさつに来たが、
「時平の送った刺客に決まっておる!」
門を固く閉ざし、会おうともしなかった。



秋になると、道真は久々に外出… 
といっても、邸から15分ほどの距離だが、
観世音寺に出かけ、隈麿と紅姫のために、
お経をあげてもらった。
読経の途中で、道真は激しく咳きこんだ。
胸を、ひどく病んでいたのである。
(俺の命も、そう長くはないな…)

「ところで菅丞相、この寺には、血生臭い話が
伝わるのをご存知か」
話しかけてきたのは、頬に大きなコブのある、年老いた僧である。
「玄ム(げんぼう)僧正のことですか」

玄ムとは、奈良時代の僧である。
帝に気に入られ、大いに出世して、ついには
時の政権で重要な役割を担うようになった。
だが、それを邪魔に思う藤原家によって、
大宰府の観世音寺に左遷されてしまう。
(なんだ、俺といっしょではないか)

無精ひげの生え、ゲッソリ頬のこけた
道真の顔を、老僧は見つめた。
「この寺に左遷された僧正は、翌年、恐ろしい
奇怪な死に方をなさるのです」
「知ってます… 全身バラバラになって、
空から降ってきたんですよね」
「しかも、首だけが消えていた…」

首だけはなぜか、遠く離れた奈良の東大寺付近で
見つかったのである。
ミステリーの大家、島田荘司先生もビックリの猟奇的殺人だが、
21世紀の現在となっては、その真相は知りようもない。

首の発見された場所は後に、頭塔(ずとう)と呼ばれる
ピラミッド状の塚が建てられた。
作者は奈良に旅行したしたさい、この頭塔のすぐ近くを
通りながら、うっかり見過ごしてしまった。
新薬師寺から奈良町へ歩く途中にあるので、
行く予定の人は要チェックだ。
近くには、玄ムの創建した福智院もある。

福智院 公式サイト http://www.fukuchiin-nanto.com/
頭塔 http://www.fukuchiin-nanto.com/zuto.html

「では、それが藤原広嗣(ひろつぐ)の怨霊の仕業と
いうのも、聞いておられましょうや」
藤原広嗣は、玄ム一派の策謀により大宰府に左遷された人物。
大宰府から、玄ムを重んずる朝廷を批判、玄ムの排除を訴えた。
しかし聞き入られず反乱を起こし、佐賀県の唐津で処刑される。
玄ム自身が大宰府に流されるのは、その5年後である。

「広嗣の怨霊が、玄ム僧正を八つ裂きにしたと言われ
てるようですが、バカらしい。僧正を邪魔に思う人間が、
刺客を送りこんだに決まってますよ。
それをごまかすため、怨霊なんてでっち上げを…」
「あなたも、せいぜいお気をつけなさるがよい」

道真は、ハッとした。
考えてみれば、菅原一門の繁栄の陰で、
職を失ったり落ちぶれたりした家も多い。
道真を憎む人間なら、掃いて捨てるほどいるだろう。
「俺を殺した後、怨霊話をでっち上げるネタには、
困らないってわけか…」

おのれ、時平… ちくしょう、一体どうすれば…
コブのある老僧は、そんな道真の胸の内を
見透かすように言った。
「あなたが、先に怨霊になってしまえばよい」
「は?」

「ここだけの話ですが… 密教の秘法、『怨霊遷化』に
よって、あなたは… でっち上げではない、本物の
怨霊になることができる」
道真は、狂気と正気が激しくせめぎあう目で、僧を見つめた。
「まさか… この私が、怨霊など… ありえません」
「もし、その気があるなら、いつでも来なされ。
ただし、命を失う前にな」


その夜、またしても「通りゃんせ」の夢を見た。
そして道をふさいでいる2人の幼子が、隈麿と紅姫
であることに、初めて気がついた。



冬が来た。
妻の宣来子が自殺したという知らせが、都から届いた。
「あの男に嫁いだばかりに、こんな悲惨な目にあった… 
あの男が憎い、憎い…」
そんなことを口走り、うつ状態になっていたという。

「そうか… そういうことか、時平… 宣来子の怨霊が、
俺を八つ裂きにするのか… そういう筋書きか! 
すまぬ、宣来子… お前をこんな目に…」
道真はすでに、寝床から起き上がれない体になっていた。
もはや時平に復讐する方法は、1つしかない。

「なってやるか… 怨霊に……」