天神記(三)





3、 道明寺(どうみょうじ)




1月30日、松王丸は配下の者を引き連れ、
北へ向かう街道をのし歩いていた。
先日、兄の梅王丸から時平を守った忠義を買われ、
牛追いから舎人(とねり)に出世。
舎人とは、貴人に仕える雑用係である。
松王丸の使命は、逃亡した道真の孫・雅視を
探し出すことにあった。

都の北方、鞍馬山よりさらに北、芹生(せりょう)の里、
武部源蔵の私塾。
ここに、雅視はかくまわれていた。
「武部先生! 左大臣の舎人どもが、こちらに向かってきます!」
源蔵は、苦しい立場に追いこまれた。

大恩ある道真先生のためなら、たとえ左大臣であろうと
刃向かうつもりだが、あまりに無力すぎる… どうしたものか…
「先生、何かありましたか?」

声をかけてきたのは、昨日入門したばかりの
小太郎という少年だった。
どことなく品の良い、賢そうな子で、年恰好は
ちょうど雅視と同じくらいである。
ちょうど雅視と同じくらい…

源蔵の目に、狂気の光が宿っていた。
「ゆ… 許せ、小太郎…」
妻の戸浪は、夫のやろうとしていることを察して、蒼白になった。


塾の門のところで、松王丸が呼ばわった。
「菅原道真が嫡孫、雅視を出していただこうか!」
しかし、返事がない。
「隠し立てするなら、踏みこんで家捜しするが?」

「お、お待ちを…」
上ずった声がして、しばらくすると、源蔵が出てきた。
手に、桶を下げている。

「雅視は、確かに当方で預かっておりました… 
ご安心ください。大罪人・菅原道真が孫… 
我々で、手打ちにいたしましてございます!」
桶の中から、子供の生首を取り出した。

「なんと…」
まだ血のしたたる温かい生首を、松王丸は受け取った。
手下たちは、さすがに青ざめている。

「舎人さま、これで左大臣も、お喜びいただけると思います。
どうか我々には罪が及ばぬよう、取り計らっては
いただけないでしょうか…?」
卑屈に腰をかがめ、源蔵がおもねる。

「俺の父は菅家に長年仕えていたゆえ、
雅視の顔は一二度見たことはある」
という松王丸の言葉に、源蔵はギクリとした。
そういえば、すっかり成長していたので気がつかなかったが、
この舎人… 少年のころ、邸で見たような気もしなくもない。

松王丸は、しげしげと首を眺める。
源蔵の首筋を、冷や汗が流れた。
後ろで戸浪が心配そうに見ている。

「うむ、これは確かに雅視である」
首を桶に戻すと、手下に渡し
「お前ら、これをすぐに左大臣にお届けしろ」
源蔵たち夫婦は、思わず汗をぬぐった。

手下どもが去っていった後、松王丸は改まって、
「源蔵どの… あの子供の最期の様子… 
どんなものか、お聞かせ願えませんか?」
夫婦は顔を見合わせ、いぶかしんだ。
口ごもる夫に代わり、戸浪が語り始めた。

「結局、夫は手が震えて、刀を握れなくて… 
私が代わりに、やりました。
不思議なことに… あの子、斬られる直前に、
にっこりと笑いまして…」
どうしたことか、松王丸の口から低い笑いがもれる。
「笑いましたか… 奥方、にっこり笑ったとおっしゃいましたか」

夫婦は、顔を見合わせた。
松王丸は、笑いながら泣いていた。
「でかした奴… なんという、けなげな奴… 親の私になりかわり、
大恩ある丞相のお役に立ちましたわい… 小太郎よ…… 
では、御免くだされ」

松王丸の去った後、夫婦は悟った。
雅視を助けるため、全てあの男が仕組んだことだったのだと…
この私塾は後に、道真を祀る「勢竜天満宮」となった。


2月1日。
菅原道真が、大宰府に発つ日が来た。
頼みにしていた法皇は、ついに帝に会うことかなわず、
空しく道真を見送るしかなかった。
同時に、もはや自分が政治に口出しできない立場に
いることを、思い知らされる。
時代は今や、醍醐帝と時平のものになっていた。
藤原摂関家の支配体制が、再び帰ってきたのである。

白梅殿では、梅が満開だった。
牛車に乗りこむ時、道真は梅の木を見上げ、あの有名な…
日本人ならぜひ知っておきたい、あの歌を詠んだのである。

東風(こち)吹かば 匂いおこせよ 梅の花 
主(あるじ)なしとて 春な忘れそ

(な忘れそ=忘れるでない。 「な<動詞>そ」で、禁止命令文)


妻の宣来子や娘たちを都に残し、道真は、いく人かの門下生と
従者を連れ、護送の役人にともなわれ出発した。
その道中において、食べ物、水、馬、宿、いかなる便宜も
計ってはならないという通達が、諸国に出ていた。

ただ大宰府へ向かう途中、河内の国(=大阪府)にある
菅原家の先祖、土師(はじ)氏の所領に立ち寄ることは
特別に許された。
応神天皇陵の近くに、土師氏の氏寺、
道明寺(どうみょうじ)がある。
(現在の道明寺天満宮)

この寺の尼が、餅米を粉にひいたものが道明寺粉。
(つぶつぶした桜餅のことを「道明寺」というが、
道明寺粉を材料にしている。)
2月2日、道真が到着した時、伯母の覚寿(かくじゅ)は、
ちょうどこの粉を作っている最中だった。

寺には一足先に、武部源蔵に連れられた雅視と、
斎世親王から離縁された苅屋がいた。
覚寿はまず、手をついて深々と道真に頭を下げる。
「この度は私の娘の不始末で、丞相の身にこのような災いが…
おわびのしようもございません」

覚寿は苅屋の実の母であり、仏門に入るため
娘を菅原家に養女に出したのである。
「せめて、娘をきつく折檻(せっかん)せねば、気がすみませぬ」
杖を取ると、苅屋に向かい
「このうつけが! 親不孝者!」
バシバシと、思い切り叩き始めた。

「お許しください!」
苅屋は突っ伏して、大泣きする。
道真も、覚寿を止めないわけにはいかなかったが、
「お止めくださるな! 娘を殺して、私も自害いたします!」

この覚寿という尼さんは気難しいだけでなく、役者が
演じるのが難しい老婆役のベスト3に入るそうな。
すったもんだの末、苅屋は髪を下ろし、
母同様、尼になることを誓った。

苅屋が下がると、道真は改まった顔で覚寿に向き直り、
「これを… 形見として、取っておいていただきたいのです」
取り出したのは、すずり・くし・鏡・小刀・ベルトといった
愛用品の数々。
「形見とは… そんな… 丞相さま…」
覚寿は、ボロボロと涙をこぼす。

覚寿が受け取ったこれらの品々は、現在まで道明寺天満宮に
伝わり、「菅公遺品」として、国宝に指定されている。
このうち特に注目なのが「ベルト」で、まさしく
現代の我々が使う、洋風のベルトである。
しかもシルバーの飾りがついた、アメリカンテイストの
ベルトで、ジーンズやブーツにも似合いそう…
こんなのが平安時代にあったなんてビックリです。
道明寺天満宮 公式サイト 
http://www.domyojitenmangu.com/index.shtml


翌朝、まだ暗いうちに鶏が鳴いた。
一番鶏が鳴いたら出発する決まりなので、
道真一行は仕度を整える。
しかし、雅視少年だけは、
「こんな時間に… おかしいぞ」
実際、夜明けまではまだ2時間はあった。

道真は玄関で、武部源蔵や覚寿・苅屋と
涙ながらに別れを惜しんでいた。
門の前で護送の役人たちが、早くしてくれと、せかしてくる。
月は出ておらず、役人のもつ松明が唯一の明かりだ。

少し離れた草むらから、男が出てきた。
「あー スッキリした…」
役人の1人が、草むらで用を足していた… そんな風に見える。
男は、門前で出発を待つ一団に、まぎれていった。

早すぎる鳴き声の正体を探ろうと、裏口からこっそり
出てきた雅視少年は、たまたまそれを見てしまった。
そして、遠い松明の火が反射する男の目に、
何かぞっとするものを感じた。
(恐ろしいことが起こる… おじいさまが危ない…)
そんな気がしてならない。

勇気を出して草むらに入り、先ほど男が
屈みこんでいた辺りを探ってみる。
何かにつまづいた… こみ上げてくる恐怖を、グッと抑える。
手で探ってみると、人間の… 男の死体だった。
しかも、着物を脱がされている。

苅屋があまりにも泣きじゃくって、道真を離さないので、
役人が1人玄関まで来て
「もう、よろしいでしょう。さ、お車へ…」
無理矢理、道真を引っぱっていった。
その手の中には、太い針が隠されている。

根黒寺の無顔であった。
外道人・安梅よりレクチャーを受けた、針の技。
(ここへ来る途中、その安梅にバッタリ出会ったのは驚きだが…
→長岡天満宮の創始、天神記(一)「外道人」参照)

道真が牛車に乗りこむ瞬間、手を貸すふりをして、
わきの下から心臓に針を打ちこむ…
今日の昼頃、牛車の中で死んでいる道真が発見されるであろう…
しかし、外傷はまったく見当たらず、心臓発作にしか見えない…
そんな手はずだった。

物かげから、雅視はそれを見ていた。
役人に化けた恐ろしい男が、おじいさまの手を引いている!
しかし、大声を出して助けを呼ぶことはできない。
雅視は芹生の里で死んだことになっており、
役人に見つかるとまずいからである。

「どうしよう…」
雅視を逃がすために、同い年の少年が1人、命を捧げている。
その犠牲を無駄にはできない。
かといって、このままではおじいさまが危ない…

雅視は、決意を固めた