天神記(三)





2、 車引(くるまびき)




延喜元年(西暦901年)、1月25日。

何も知らない道真が出仕すると、
時平が、帝の宣命を読み上げた。
「右大臣・菅原道真! この者、低い身分から大臣に昇り、
己の分もわきまえず、宇多法皇を惑わして、政治を私しよう
と企んだ。法によって処罰するところであるが、温情により、
太宰権帥(だざいのごんのそつ)に任ずる」

ぽかんとする道真に対し、時平は言葉を添え、
「帝はお怒りだぞ… あれほど怒ってらっしゃるのは、初めて見た」
「理由を言ってください、左大臣!」

「帝を廃し、斎世親王を擁立しようと企んだな? 
法皇に、そんな進言をしていたという報告が、帝の耳に入った」
「でたらめだ!」
「先だって、斎世親王があなたの娘御を妻にされたが… 
親王が帝になれば、あなたは外戚ということになるな」

道真は言葉に詰まった。
確かに、どこで知り合ったのか不明だが、
親王が苅屋を妻に所望してきた。
そして確かに、醍醐帝に代わって斎世親王が
帝になればいいなあ、と思った。
法皇も、そのようなことを匂わした。

「しかし、断じて帝を廃そうなどとは!」
「大宰府(だざいふ)までは長旅だ。すぐに
帰宅して、仕度をされるが良い」
時平は勝利の笑みを満面に浮かべ、道真を見下ろした。
道真の足元で、世界が崩れ落ちていった。


大宰府(だざいふ)、それは筑前(ちくぜん)の
国(=福岡県)に設けられた、九州一帯の行政、
及び外交と防衛を統括する役所である。
かつて大陸との交流が華やかだったころは、
「遠の朝廷(とおのみかど)」と呼ばれるほど、
権限と重要性のある役所だった。
朝鮮半島で唐と新羅(しらぎ)の連合軍に敗れた時は、
日本防衛の最前線として、緊張に包まれたこともある。

しかし今、もっぱら都から厄介払いされた人間を
受け入れる、「窓際族の吹き溜まり」と化していた。
長官は大宰帥(だざいのそち)というが、主に親王が
任命される名誉職で、実際に九州まで派遣されるのは、
次官に当たる太宰権帥(だざいのごんのそつ)だった。

つまり「大宰府に行け」ということは、上司に肩をポンと叩かれ、
「お前、もういらないから」と言われたのと同じ。
エリートとして出世街道を昇りつめた道真は、
今まさに転落したのである。


宇多法皇は、このニュースを聞きつけるや、
ただちに御所に駆けつけ、
「帝に面会したい」
敦仁(あつひと)め、何を勝手な真似を… 
お前は、私の指示通りにしておればよいのだ…
しかし、意外な答が返ってきた。

「お帰りいただきますように、と… 
帝はただ今、ご多忙でおられます」
蔵人頭(くろうど の とう)の藤原菅根(すがね)という者が、
冷たく立ちはだかる。
「なんと… 敦仁が、この私に!? 逆らおうというのか?」


道真の邸・白梅殿では、集まった一族の者や
使用人たちが、悲嘆にくれていた。
「案ずるな… 法皇がなんとかして下さる… 
きっと、帝の誤解を解いて下さる」
破門されたかつての門弟、武部源蔵(たけべ
の げんぞう)も姿を見せた。
「先生、このたびは…」

「源蔵、お前は破門の身。だれがこの家の
門をくぐることを許した?」
「お許しください、イヤな噂を聞いたもので… 
左大臣が、菅原一門を根絶やしにしようと企んでいると…」
「なんと! 時平が?」

「お願いがあります、先生。嫡孫の雅視(まさみ)さまを
私に預からせてください。万が一の時は、私が先生から
伝授された筆法の奥義を、雅視さまにお伝えします。
そうすれば、菅原流の筆法は絶えることなく、後の世に」
道真や、長男の高視(たかみ)が殺されるだろう
と想定しての提案だった。

そこまで、事態は切迫しているのか… 道真は、目まいがした。
その時。
「大変です! お邸の周りを兵士たちが!」
もはや、迷っている猶予はない。

妻の宣来子(のぶきこ)と長男の高視は、
7才の雅視に、牛追いの衣装を着せた。
源蔵の牛車を引いてきた、本物の牛追いの
少年には邸に残ってもらい、雅視が見事に
牛追を演じきって、源蔵とともに邸から脱出。

取り囲んだ兵士たちは、牛車の中は入念に
改めたが、牛追いには気が回らない。
ふだんから牛追いを始め、周りの人間をよく観察して
いたのだろう、雅視の演技は堂に入っている。
(さすがは先生のお孫さん… 
知力、胆力に並々ならぬものがある…)
心中、いたく感心する源蔵であった。


(敦仁… お前…)
宇多法皇は、建礼門の前に終日立ちつくしていたが、
夜になり仕方なく仁和寺へと戻った。
操り人形とばかり思っていた17才の帝の、想定外の反乱だった。


翌日26日には、平安京周辺の主要な関所が封鎖された。
そして27日から、「菅原狩り」が始まった。
当時の官僚の約半数が道真の門弟で占められていたというが、
その主だった者から、次々と左遷が言い渡されたのである。
菅原一門のクーデターを封じるためか、
都の辻々に、兵士の姿があった。

長男・高視も土佐に流されることになった。
(他3人の息子も流刑)
さらに、嫡孫の雅視を比叡山に預けて
出家させるよう、通達が来た。
しかし、兵士たちが邸内を捜索しても雅視の姿は見えず、
家の者たちは、「神隠しにあった」で押し通した。

今回の火元になった斎世親王も、道真の
娘を妻にしたということで非難を受けた。
やむを得ず苅屋を離縁し、父のいる仁和寺で出家することに。
(出家した親王は、法親王(ほっしんのう)と言う。)
真寂(しんじゃく)と名を変えた法親王は、
修行に励んで残りの一生を過ごす。



1月28日、吉田神社の前で、菅原家の牛追い・梅王丸は、
弟の桜丸とバッタリ出会った。
梅王丸は興奮しており、斎世親王に苅屋を
引き合わせた桜丸を、激しく責める。
桜丸は責任を感じ、涙をこぼすが… もとより、本物ではない。
これは根黒衆(ネグロス)・無顔の、「変身」した姿である。

「今さら悔いたところで、どうにもならぬ。
こうなった以上は、俺を手伝え」
「何をする気なんだ、兄さん?」
「もうじき、時平の牛車がここに到着する… 奴を、ブッ殺すのよ」
ふところから、短刀を取り出した。

「兄さん… そ、それは…」
そう言ってる間に、豪勢な牛車がやってきた。
「来やがったな… やいやいやい、ちょっと止まれ、そこな車」
しかし時平の車を引いているのは、もう1人の弟、松王丸。

「そこをどけ、下郎」
「何ッ 下郎だと? お前の実の兄に向かい、
下郎とは、待て。待ちやがれ!」
兄と対照的にクールな松王丸は、護身用に
持ち歩いている鉄扇を手に、
「命知らずの暴れ者め…」

何ごとかと集まってきた見物人たちに、
「いずれの方々もお構いあるな。兄弟とはいえ、1つではない。
松王丸の忠義の働き、お目にかけん… 松王が引くこの車、
止められるものなら、止めてみやがれェェ」

梅王丸が、ドスで突きかかった。
松王丸の鉄扇がそれを弾き、火花が散る。

その時、時平が牛車から姿を現した。
「うるさいぞ、お前ら! このクソ虫どもが!」
梅王丸は、眼前の憎き仇に向かい、切りかかろうとする… 
が、体が動かない。
時平のすさまじい眼光に、射すくめられていた。

そのスキをついて、鉄扇が梅王丸の手首を打つ… 
骨の折れる音がした。
「ぐわッ」
ドスを取り落とし、うずくまる兄を、桜丸が支えた。
「いったん引くんだ、兄さん!」

逃げていく2人の兄弟を見送りながら、松王丸は
「ご命令とあらば、追いかけて討ちますが」
「その必要はない。お前の忠誠は、しかと見届けた」

時平が牛車に戻ると、右目に眼帯をした
神人が駆けつけてきた。
「ちょっとちょっと! 境内で喧嘩は困りますぞ」
「獣心… 道真の孫の行方がわからない… 探してくれないか」
獣心は、声をひそめ
「孫をどうする?」

今の時平は、魔に憑かれているようだった。
「あの一族は、この国に災いをもたらす… 滅ぼさねばならない」
やや離れたところで、松王丸はこのやり取りを聞いていたが…



1月29日、奈良から白太夫(しらたゆう)が到着した。
白梅殿は兵士が取り囲んでいるので、菅原家の
所領となっている桑原(くわばら)という土地の
農家に、3人の息子を呼び集めた。

まず最初にやって来たのは、松王丸である。
時平に忠誠を誓い、菅原家に仇なす自分を
勘当してくれるよう、父に申し出た。
白太夫はこれを認め、松王丸は去った。

次に、梅王丸が青い顔をして現れた。
「親父! 桜丸が、こんなものを残して…」
父に渡したのは、桜丸の残した遺書だった。

苅屋を斎世親王に引き合わせた責任を取り、誰も
いないところで、あの世に旅立つと記してあった。
白太夫は、唇を噛み締める。
1度に、息子が2人も去っていってしまった…

「親父… 俺も、丞相といっしょに大宰府まで行こうと思う」
道真はすでに丞相(大臣)ではないが、
身内の者は皆、そう呼んでいる。
「それはならぬ。お前は都に残り、丞相のご家族と、ついでに
桜丸の嫁さんを守るんだ。九州へは、わしが行こう」

白太夫は、ただ1人残った息子の肩を抱いた。
「梅王、これが今生の別れぞ!」
これは単なる左遷では済まない。
時平は、道真の命も狙ってくるはずだ。
恐らくは、その跡取りの命も…