天神記(三)





1、 破滅へのカウントダウン




昌泰2年(西暦899年)、第60代・醍醐(だいご)天皇の御世。

2月14日、藤原時平(29)は左大臣に、
菅原道真(55)は右大臣に就任。
日本政界のトップに、両雄並び立つ。
若き醍醐帝(15)は時平を慕い、その背後で帝を操らんとする
宇多上皇(33)は、道真に全幅の信頼を置いていた。


道真は、時平から敵視されてることに気づいていたが、
基経より頼まれていたことでもあるし、時平をなんとか
して良い大臣にしようと、心を砕いていた。
しかし… 時平には、ほとほと手を焼く。
すぐ感情的になって大声を出すし、無茶な
ことを部下に押しつけることも多い。

今日もまた、激しい口調でわめき散らして、
朝議がストップしている。
「困ったものだな…」
道真のため息を聞きつけた、とある書記官。
「私にお任せください、右大臣」

名も無き勇者である。
書記官は、書類の束をもって時平に近づくと、
「左大臣、これに目を通して下さいますよう」
書類を渡そうとした、その時。

ぷりっ ぷりぷり〜

かわいい屁が、書記官の尻から漏れた。
一瞬、あたりがシ〜ンとなる。
「ぷ…」
書類を受け取る時平の手が、ぷるぷる震えている。

「o(≧▽≦*)oo(*≧▽≦)oギャハハハッハハハッハッハッハッハ」
時平は10分ほど笑い転げたあげく、
「だ、だめだ、仕事にならん! 右大臣、後はたのむ」
そう言い残すと、涙を流しながら出て行った。

こうして、道真はようやく朝議を進めることができた。
これが、日本史上名高い「屁こき事件」である。
試験にも出るので、「ヤー! く、苦しい屁が出ちゃう
(899年、屁こき事件)」と覚えよう。
これと似たようなできごとで、「はみチン事件」というのもある。


10月24日、宇多上皇は仁和寺で出家、「法皇」という
新しい称号を用いるようになる。
これ以前にも、上皇が出家する例はあるが、「法皇」を
名乗るのは宇多法皇が初めてだそうだ。



昌泰3年(西暦900年)、いよいよ9世紀最後の年である。

3月12日、藤原高藤(たかふじ、63才)が没した。
宇多帝の最愛の妃・胤子の父であり、例の
無断外泊を親に怒られた人である。
内大臣に出世したばかりで、その祝いの
宴が済んだ直後だった。
人生とは、ほんとうに一瞬先は闇である。


5月23日、文徳帝の妃・染殿后(そめどの の きさい)こと
明子(あきらけいこ、めいし)が72才で没。
真済の悪霊に取り憑かれたのは、はるか昔の話である。
最後まで、誰とも知れぬ思い人を待ち続けたという。


7月、宇多法皇が吉野の金峯山寺に御行。
プロレスラーのような聖宝が出迎え、接待する。
かつて山上ヶ岳に棲んでいた大蛇の、八寸(21センチ)も
ある頭蓋骨を取り出して見せ、法皇を驚かせた。



9月10日、清涼殿では菊見の宴が催された。
道真は、醍醐帝の前で「秋思(しゅうし)」という
タイトルの詩を吟じた。

丞相度年幾楽思
(じょうしょう としをわたりて いくたびか らくしす)

大臣となって永い間、幾たびか楽しい
思いをさせていただきました。

今宵触物自然悲
(こよい ものにふれて しぜんに かなしむ)

ですが今夜、何かを見たり聞いたりするたびに、
自然に悲しさがこみ上げてきます。

声寒絡緯風吹処
(こえはさむし らくい かぜふくのところ)

絡緯(こおろぎ)が寒々しく鳴いている… 風の吹くところで。

落葉梧桐雨打時
(ははおつ ごどう あめうつのとき)

梧桐(あおぎり)の葉が落ちる… 雨に打たれる時。

君富春秋臣漸老
(きみは しゅんじゅうに とませたまい しん ようやくおゆ)

帝はまだこれから、幾たびもの春と秋をお迎えになる、
しかし、私はめっきり老いてしまいました。

恩無涯岸報尚遅
(おんは がいがんなく むくゆること なおおそし)

帝から受けた御恩は限りないというのに、
御恩に報いるには時間が足りません。

不知此意何安慰
(しらず このい なんの あんいぞ)

どうすれば、この心を安らかにできるのか、わかりません。

酌酒聴琴又詠詩
(さけをくみ ことをきき また しをえいず)

ただ酒を飲み、琴を聴き、詩を詠むしかありません。

若い帝はこの詩に感動し、涙を流した。
そして道真に、「恩賜(おんし)の御衣」を賜る。
恩賜とは天皇からのプレゼントのことで、
高級な衣類をいただいたのだろう。


一方、時平は焦りを感じた。
目の上のたんこぶの道真を、排除する妙案が
浮かばないというのに、唯一の味方と思って
いる帝まで、道真に丸めこまれるとは…

「根黒寺の者と、会ってみますか?」
伯母で尚司の淑子(よしこ)が、時平の
心の内を見抜いたかのように、囁いた。
「根黒寺…」
時平の目に、ギラついた光が宿った。

かつて彼が忌み嫌った、藤原摂関家の
陰謀を代行する、闇の請負人。
奴らが内裏に侵入できないよう、滝口の武者を
置いたのではなかったか。
その根黒寺を、この俺が使うだと…?
「今宵、鳥辺野(とりべの)で… 待ちなさるがよい」
淑子の言葉は、悪魔の囁きだった。


その夜、なじみの女のもとへ通うように見せかけ、
時平は鳥辺野に向かった。
鳥辺野とは、清水寺に近い葬送の地。
この頃、庶民には墓は無く、死体を粗大ゴミ
のように、鳥辺野に投げ捨てていた。

カラスに肉をついばまれ、すっかり白く
なった骸の散らばる中を、時平は歩く。
薄気味悪いが、時平は豪胆な男だった。
が、さすがの彼も、その瞬間凍りついた…
白骨が、突然起き上がったのである。

「骨阿闍梨(ほねあじゃり)でございます… 
いつか必ず、御用を受けたまわる時が
来ると、信じておりました」
時平は激しい嫌悪を感じながらも、
「1度だけだ… 1度だけ、働いてもらいたい」



10月11日、三善清行(みよし の きよつら)が突然、
道真を訪ねてきた。
少年時代からの学問のライバルであり、道真に
差をつけられ、試験で落とされたことも。
53才の今、清行は文章博士になっていた。

「来年は辛酉(かのととり、しんゆう)、天命の
革まる年と言われています。
それに合わせて、元号も変えたらどうでしょう」
「そうですな」
道真はいぶかしんだ。
こいつ、そんなことを言いにわざわざ来たのか?

「そういう年だし、菅丞相、あなたも… 引退されてはいかがか」
「何?」
「あなたも右大臣まで昇りつめた。人臣として、これ以上は
望めない栄達を手にした。ここら辺で満足して、
残りの人生を楽しんで過ごしたらどうかと…」

「清行。お前のくだらん妬み癖は、昔から変わらんな… 
俺は実力で、今の地位を手にした。
お前との間に、埋めようのない差が開いたのは、実力の結果だ」
「どう思われようと構わんですが、来年は辛酉革命の年、
大きな変革の起こる年! これを機に、ぜひ丞相も」
「くどい!」

清行は朝廷の不穏な空気を、感じ取っていたのである。
もしかしたら道真を陥れる陰謀について、
具体的に何か知っていたかもしれない。
それを知って、黙っていられる男ではなかった。
たとえ過去に道真に対し、恨みがあろうとも…
清行、いい奴である。

しかし道真は、相変わらず空気の読めない男であった。
そして、悲劇の幕は上がる。



延喜(えんぎ)元年(西暦901年)。
魔の10世紀が始まる。

1月7日。
宇多上皇の第3皇子、今年16才の斎世(ときよ)親王は
下鴨神社へ詣でた帰り、加茂川の堤で、ウキウキしな
がら人を待っていた。
「宮さま、まもなく参りますですよ」
優しそうな若者、牛追の桜丸が囁く。

しかし、本物の桜丸は、とうに鳥辺野で
骨と化しているのであった。
やがて、桜丸の妻に連れられ、美しく成長した
菅原家の養女、苅屋(かりや)がやって来た。
麗しき起爆装置・苅屋を、皇子は牛車の中へ招き入れた。

カウント・ゼロ。