天神記(二)





17、 御所よ、さらば




寛平8年(西暦896年)。

6月30日、宇多帝の最愛の妃といわれた
胤子(推定35才)が、急死した。
3日前、気分がすぐれず寝こんだと思ったら、今日突然に…
報告を聞いた時平は、単なる病死とは思えなかった。
文徳帝の時のように…

文徳帝は、暗殺された疑いの濃い帝である。
「我が一族ながら、汚すぎる…」
この御所に、汚らわしい暗殺者が潜んでいる…
裏で糸を引いているのは、恐らく尚司の伯母・淑子。

よし、それならば… こちらにも考えがある。
「気にくわない奴らだが… 太岐口(たきぐち)の
手の者を、ここに置くか」
時平は初めて、自分から吉田神社の太岐口獣心のもとへ、
相談に行った。


胤子は、山科の小野陵に葬られた。
小野小町の邸の近くである。
まだ12才の敦仁親王は、泣きじゃくっていた。


「私が皇子の母親になるそうです… 
皇子も気の毒だし、私は構わないのですが」
温子が、敦仁親王の養母になるという発表があった。
養母といっても、あくまで形式だけであり、
実際は乳母や養育係が世話をする。

温子は男子を産まずして、皇太子の母親となった。
血はつながってないものの、摂関家は強引に
次期天皇の外戚となったのである。
おりしも、宇多帝が「そろそろ譲位しようか…」と
思案している矢先のできごとだった。



9月22日、またしても衝撃が御所を走った。
「宮さま! お聞きになりましたか、皇太后さまが…」
「こうなっては、もうどうしようもない… 
伯母さまはやりすぎです…」
温子は、あきらめ顔である。

陽成上皇の母、皇太后・高子(55才)が廃位となったのである。
以前より東光寺の座主・善祐との密通が囁かれていたが、
今年に入って「妊娠した」との噂が広まり、ついに帝が
処断することとなった。
(結局、妊娠はデマだったが)
兄の基経が生きていれば、かばってやれたかもしれないが…

廃位ということは、ただの一般人・藤原高子に戻ったということ。
父も兄も夫もいない今、高子には生活の糧すらない。
相手の善祐は、伊豆に流されることになった。

「でも私は、高子さまの生き方、いいと思いますけどねえ〜
世間の目をかえりみず、ただ己の愛を貫く… 
なんて、カッコいいじゃないですか」
「伊勢ったら、人の家のことだと思って! 
親類の身にもなりなさい」

「業平さまとの恋もステキですよね〜 そうだ… 
物語でも書こうかな、お2人の恋物語。
でも物語って書いたことないし、歌とちがって難しそうだなあ…
歌? そうだ! 歌を織り交ぜて、歌物語みたいにすれば…」
新しいアイデアが、むくむくと湧いてくる。

「(-_-#) 伊勢… 物語なんか書いて我が一族の恥を
さらすようなら、お前を縛り上げて、鳥辺野の死体
置き場に転がしておきますが?」
「え… そんな…」
「どうしても書きたければ、業平さまの話だけにしなさい。
うちの親族を出すの禁止!」
「(´3`)ケチ…」



寛平9年(西暦897年)。

そろそろ夏が来るかなという頃、帝は譲位の意志を表明した。
妃や女房たちも御所を出て、皆バラバラになる。
温子は、伊勢の手を握りしめ、
「いっしょに来てくれますね?」

「来いとおっしゃるなら」
うれしそうに、伊勢は答える。
「でも… 帝はいかがされるのでしょうか」
「いずれ、ご出家なさるようです。そのための
御寺(仁和寺)もありますし」

帝が出家してしまえば、今26才の温子は、
この若さで後家も同然の身になる。
しかも皇后なので、再婚も許されない。
それでも高子のように恋をする人もいるが、
当然スキャンダルとなる。

「宮さま… ちょっと、お寂しいですね…」
「お前がいてくれれば、それでよい」
にっこり微笑む温子に、伊勢は頬を染めるのだった。



7月3日、13才の敦仁親王は元服し、
そのまま践祚(せんそ)した。
(践祚とは、天皇の位を受け継ぐこと)
第60代・醍醐(だいご)天皇である。
同時に宇多帝は退位して、上皇となる。

この6月、時平は大納言に、道真は権大納言に叙任していた。
(「権(ごん)」がついてるのは、「大納言のポストはふさがってる
けど、特別にもう1人追加しちゃうよー」という意味)

さらに、年少の帝が誕生したことにより、
2人は「内覧」という役職も任される。
内覧とは、大臣から帝に or 帝から大臣に渡される文書を、
先に見てチェックする仕事で、天皇のサポート役である。
2人が任命されたが、宇多上皇は、できれば
道真だけにしたかったようだ。

上皇は、若い天皇を呼んで、よく言い含めた。
「時平は、代々功のある藤原摂関家の者だが、いまひとつ
出来が悪くてな… 時平に政治を勉強させるため、補佐役
として道真をつけてある。道真を先生と思って、意見して
くれることは、何でも聞くように。逆に、時平の言うことは
そのまま鵜呑みにするな。必ず、道真に相談するよう」

上皇の思惑は、自分は離れた場所から、道真というリモコンを
使い、この少年天皇をロボットのように操ることにあった。
しかし、上皇は知らない… 
醍醐帝が、道真より時平に親しみを感じていることを。

帝はすぐに、上皇の言葉を時平に伝えた。
「そうですか、そのようなことを… 道真を師と思えと…」
時平は、かつてない危機感を感じた。
道真と上皇の絆は、思っていたよりはるかに強い。

今のところ上皇は、時平にもそれなりの地位を与えてくれている。
だが、いずれ政治の実権は道真の手に握られるだろう。
なんとかしなければ…



温子たちが、御所を去る日が来た。
伊勢は弘徽殿の壁に、たおやかな、しかし
力強い筆の運びで歌を書きつけた。

別るれど あひも惜しまぬ ももしきを 
見ざらむことや なにか悲しき

(ももしき=御所)
「別れを惜しんでもくれない御所なんか
追い出されても、なんか悲しいことある?」

「(゚ロ゚")伊勢… なんてことを…」
温子は、頭がクラクラしてきた。
長年住み慣れた場所とはいえ、ここは御所、つまり皇居である。
皇居の壁に、悪たれのような歌を落書きするとは…
しかも皇族ならまだしも、伊勢は女房、単なる使用人ではないか。

「フン、いいじゃないですか。御所には
いろいろと言いたいことが…」
「よくありません! だれか、濡れ雑巾を」
その時、上皇が突然、フラッと入ってきた。

温子がアワアワしていると、上皇は壁の歌をしげしげと見て、
「ほう…」
と、感心する。
「筆とすずりを、これへ」
伊勢の歌の横に、スラスラと返歌を書いた。

身ひとつに あらぬばかりを おしなべて 
ゆきめぐりても などか見ざらむ

「そう思っているのは、お前だけではないぞ。皆がいつの日か、
巡り会って再会できないことがあろうか」

別れの日、旅立ちの日にふさわしい歌である。
伊勢は自慢の歌を、これまた秀歌で返されたので、ちょうど
渾身のパスをフォワードが見事にゴールを決めてくれたような
スッキリした気分になった。
御所であったいろいろなことも、水に流していいような気がした。


温子&伊勢の新たな住まいは、東五条院。
この辺りは後に、壬生(みぶ)と呼ばれるようになり、
新撰組の駐屯地となる。
近藤勇が、愛人と寝ている芹沢鴨を斬り殺した
八木家は、ここからすぐ。

8月27日、温子は皇太夫人(こうたいぶにん)に冊立。



この年から新たに、「滝口武者(たきぐち の むしゃ)」と
呼ばれる護衛の兵士が、内裏に置かれるようになった。
帝の居館である清涼殿を警備するのが職務であり、
特別に武器を帯びて宮中に入ることを許された。

創設された当初は、吉田神社の神人たちが務めていたらしい。
(後に、貴族の家来の中から、武芸に優れたものが
推挙され武者となる制度ができる。)



9月、道真は比叡山に参詣した。
深い森の中、人も近寄らぬ荒れた僧坊「法性坊
(ほうしょうぼう)」に、その男はいた。
「尊意どの… お久しぶりです」
「これはこれは、菅大臣。おなつかしい」

髭面に総髪を伸ばした、たくましい、男くさい面構え。
かつて愛宕山の太郎坊天狗の襲来の折、道真を
かばって強烈なパンチを食らい、そのまま天狗に
拉致されてしまった、少年僧・尊意。
フラッと比叡山に戻ってきたのは、昨年のことである。

現在32才、太郎坊天狗のもとで厳しい修行を積み、
すさまじい法力の持ち主になっていた。
このごろは「法性坊尊意」とか、「比叡山次郎坊天狗」
などと呼ばれている。
2人は再会を喜び合い、道真は3日ほど滞在して、
尊意から密教の講義を受けた。
その後も、尊意が都に降りてくる度に道真は
会いに行って、教えを乞うようになる。

道真VS尊意。
2人の宿命の対決まで、あと12年…