天神記(二)





15、 伊勢VS道真




寛平5年(西暦893年)。

3月11日、藤原時平は中納言を、菅原道真は参議を拝命する。
※参考 大臣のランクは以下の通り
太政大臣>左大臣>右大臣>大納言>中納言
>参議>少納言>(以下略)

(やっと参議か… まだまだ俺はこんなもんじゃないのに…)
道真49才、異例な出世のスピードであるが、満足できない。
時平23才、道真を目ざわりそうに横目で見る。
(俺の1つ下か… 藤原氏でも皇族でもないくせによ…)
まさに、運命の2人であった。

2人は帝の御前を退出、廊下で道真が、時平を呼び止めた。
「中納言どの、ちょっとお話が」
「何か」
「以前、チラッと拝見したのですが… 
あなたの字です。大変な悪筆ですな」
時平は、カッと顔を赤らめた。

ワープロソフトの普及した現代ではピンとこないが、
わりと最近まで「きれいな字を書く」ことは、社会人に
要求される重要なスキルだった。
まして平安時代の貴族社会において書道は、現代における
英語以上に必須な教養であり、「字が汚い」のは致命的に
恥ずかしいことであった。

江戸時代に時平の悪筆を笑う川柳が作られるくらい、
彼の汚い字は有名であったらしい。
一方、道真はこの時代屈指の書の達人である。
「中納言になられたからには、このままでは恥ずかしい。
よろしければ、私がご教授いたしましょう」

道真は、親切で申し出たのである。
亡き基経から、時平をサポートするよう頼まれている。
しかし、時平は笑い飛ばした。

「ご好意感謝する。しかし、どうせなら伊勢に教えてもらうよ。
色好みな男なのでね、美女に教えてもらう方が、覚えがいい」
笑いながらも、時平の目の奥に殺気があった。
(おっさん、調子こいてんじゃァねえぞ… いつかぶっつぶす…)

「伊勢… ですか。そうですか… いつか私も
お会いしたいものですな」
いともたやすく、他人の敵意を買ってしまう男・道真。
またしても、破滅への大きな一歩を踏みしめたのである。



4月2日、宇多帝は最愛の妃・胤子の生んだ
敦仁(あつひと)親王(9才)を立太子する。
皇位継承予定者である「東宮(とうぐう)=皇太子」
に指名したのである。
摂関家の血がまったく流れていない敦仁が立太子された
ことにより、皇室と血縁関係を結んで権勢を強めようという、
摂関家の野望は封じられた。

「く… お上… 私を裏切るのですか…」
そういう野望を企てていた張本人、尚侍(しょうじ)の
藤原淑子(よしこ)は歯噛みした。
実は淑子は宇多帝の養母であり、宇多帝を即位させたのも、
温子を入内させたのも、すべて淑子の計画だった。

しかし、摂関家の操り人形になることを拒否する宇多帝は、
温子に男子が生まれないのをいいことに、独断で敦仁を
皇太子に立てたのである。
あせる淑子と対照的に、摂関家当主の時平は、
これでいいと考えていた。

今、帝は摂関家を邪魔に思っている。
(特に時平は嫌われている。)
摂関家はかつてのような存在感を失い、発言力も低下している。
もう1度、皇室にからみつき「御盾」とならなければならない…
それは、よくわかっている時平であった。

しかし、だからといって基経がしていたように、帝の人間性も
認めず抑えつけたり、摂関家の血の流れていない皇族を
陥れたり、そんなことはもう、やめにしたい。
敦仁親王が帝になっても、いいじゃないか。
血はつながってなくとも、俺はあの皇子と絆を作ってみせる…

ただ、これからも用心してやらないと、
皇子の身に何が起こるかわからない。
あの恐ろしい「尚侍どの」が、生きている限りは…
そんな風に考えていると、ある日、敦仁から
こっそりと相談をもちかけられた。

「私は帝になりたくない… どうしたらいいだろう、時平」
「なんですと? それはまた、いったい…」
「書だの漢詩だの、習い事ばかりで息が詰まりそうだよ… 
父は、私を操り人形にするつもりなんだ」

幼いながらも、敦仁の直感は当たっていた。
まさしく、宇多帝は息子をロボットにして、
意のままに操縦しようと考えていた。
そして時平もまた、自分の父に反発して育ったので、
敦仁の気持ちは大いに理解できた。
いつしか2人は、強い信頼関係で結ばれるようになっていく。



10月、宇多帝は、温子のいる弘徽殿(こきでん)に遊びに来た。
「これは参議の道真だよ、温子」
宇多帝は、かつて阿衡(あこう)事件のゴタゴタを収めてくれた
道真に感謝しており、その学識と詩作の才を高く買っていた。
そして、とうとうこんなところまで連れてきてしまったのである。

さすがの道真も、女性の多い空間で萎縮している。
温子も漢詩は苦手だし、難しい話をされそうな
気がして固くなっていたが、
「すばらしい漢詩をお作りになるそうですね。でも、和歌は
どうでしょう。うちには伊勢という者がおりますが」

道真は和歌も詠むし、百人一首にも入っている。
しかしこの時代、漢詩の方が和歌より格上、
と見なされていたようだ。
例えれば、漢詩はクラッシックで和歌はポップス、
みたいな感じか。

「昨年の歌合せの折り、拝見しましたよ。私にはとても詠めない、
美しい歌をお詠みになる… 唐詩のような荘重で幽玄な世界は
ないが、和歌というのも繊細な心の機微が映されていて、
なかなかに良いものですな」
その言い方に、唐のものには劣るけどね… 
みたいなニュアンスが含まれていた。

「それはどーも」
そばの几帳の陰から、よく通る声が響いた。
そこに、伊勢がいるらしい。

「道真、この書体を見てごらん。最近、女房たちの
間で流行ってるんだ」
「おお… これはまた、丸っこい…」
帝の取り出した紙の束を、道真はしげしげと見る。

「従来の仮名(万葉仮名)とちがい、女子供にも
わかりやすいですな。そう、あえて言うなら… 
平仮名とでも呼びましょうか」
「平」という字には、「わかりやすい」という意味がある。
悪意はないのだが、ちょっと小ばかにしたような
響きのある言葉だった。

スッ… と几帳がスライドし、伊勢が姿を見せた。
この時代、高貴な女性は家族や夫・恋人以外の
男性に姿を見せない慣わしである。
道真は、キッとした表情の伊勢の美しさに、思わず見とれた。
帝もはっきりと伊勢の顔を見るのは、初めてである。

「馬鹿文字って呼んでくれても、かまいませんよ」
道真をまっすぐに見つめる伊勢の目には、
明らかに怒りの色がある。
「伊勢、なんてことを><」
温子はオロオロするばかり。

「どうせ漢字に比べたら、バカの使う文字だって思って
らっしゃるんでしょう。うちの父もそうですが、学者は皆、
なんでも唐がお偉いのでしょうね。
しかし、その大唐も今や戦乱のさ中、長安の都も陥落したそう
ではありませんか。今年に入ってからも、新羅の海賊船に
肥前と肥後が襲われているし、案外に外国というのは、
野蛮なところなのではありませんか?」

伊勢が海外の事情に詳しいので、道真は驚いた。
実は最近、唐の商人が戦乱の情報を伝えてきたばかりである。
唐を世界最高の文明国として憧れてきた
道真にとって、ショックな知らせだったが…

「唐をあがめ、何でも唐のマネをする習慣は、そろそろ終わりに
しませんか? これからはもっと、この国の山や河や風の声に
耳を傾け、よその国にはない、私たちにしかできないものを作り、
慈しみ、深めていく… 
そんな時代が来ているような気がいたします」
「う……」

まさしく伊勢の言葉通り、絵においては巨勢金岡が、
舞においては尾張浜主が、料理においては藤原山蔭が、
文化の国風化を進めている時期であった。
そして、平仮名の誕生…

「(-_-#)伊勢ったらもう…」
温子の命令で、女官たちが強制的に伊勢の前に几帳を立てた。
道真が黙っているのを見て、帝は面白そうに
「ふうむ。道真が何も言い返せないとは… すごいな」



翌、寛平6年(西暦894年)、平安京遷都100周年だが、
特にイベントはない。

都では、次の遣唐使の準備が進められていた。
8月21日、菅原道真は遣唐大使に任命される。
幼い頃より、夢に見ていた唐への旅立ちであるが、しかし…
伊勢の言葉が、頭に引っかかっていた。

9月30日、道真は遣唐使中止の意見書を提出、
これが認められた。
「今の情勢では、唐に渡っても… 学ぶものは何もないでしょう」
唐はこの13年後、西暦907年に滅亡する。
そのため、前回の承和5年(西暦838年)=円仁が唐に
渡った時が、最後の遣唐使になってしまった。

(さらば、唐よ…)
生涯でただ1度の、海外に渡る機会を道真は、自ら潰した。
しかし遣唐使の廃止によって、大陸からの
文化的影響は一時的にストップ。
日本国内で熟成された新しい文化、我々が「日本的なもの」
と聞いて連想するような、和風でジャパネスクな文化が、
平安時代に花開くのである。



「伊勢… 帝がお呼びです…」
温子の顔色が暗かった。
「私たちをですか?」

「いえ、お前だけ… 今夜、1人で清涼殿に行きなさい」
「1人って… どういうことです?」
「お前は今夜、帝のご寝所に侍るのです! 
わからないのですか?」
つい大きな声を出してしまった。

伊勢は凍りついた。
温子はもちろん、伊勢を責めてどうなるもの
でもないことは承知している。
しかし、感情をコントロールできない。
今は、伊勢の顔を見るのも不快だった。
「帝が… お前に興味をもたれたのです」

男とは、残酷なものである。
伊勢は温子との間に、気まずい空気が流れるのを感じた。