天神記(二)
14、 歌合(うたあわせ)
寛平3年(西暦891年)、夏が過ぎようというころ。
藤原仲平(17才)は有力貴族の娘、
藤原善子(よしこ)を妻にした。
伊勢(20才)とのロマンスが噂になっている渦中であるが、
父・基経の死が、仲平を厳しい現実に戻したのである。
兄弟が一丸となって、摂関家の隆盛を取り戻さなければならない。
「なぜ伊勢ではいけないのです! 伊勢の実家だって
うちと同じ、藤原北家ですよ!」
御所に参上した兄の時平(21才)を捕まえ、
温子(20才)は厳しく追求した。
かたわらで、藤原うさ子を抱いた均子内親王(2才)が
目を丸くしている。
しかしこの時代、藤原さんはたくさんいる。
主流となった藤原北家に限っても、子孫は増え、
勝ち組と負け組みに別れている。
「それでなくとも仲平はできのいい方ではない、せめて
有力者の娘でも妻につけてやらにゃ…
ご理解くださいませ、女御さま。
…伊勢には、気の毒と思いますが」
温子はポロポロと涙を流し、
「私の身内が伊勢を傷つけるなんて…
あの強気な娘があんなに…」
「でも仲平の伊勢に対する気持ちは、今でも変わらないですよ。
北の方(本妻)は無理でも、伊勢さえよかったら…」
この時代、男はもちろん、女も複数の相手が
いておかしいことはない。
正式な妻・夫は1人なので、あとは愛人ということになるが…
しかしプライドの高い伊勢にとって、
愛人の身に甘んじるなど問題外である。
「伊勢はもうおりません…」
「え?」
温子は恋人に捨てられた娘のように、袖で顔を覆った。
「帰ってしまった… 私をおいて、奈良の実家に…」
かつて、「菅原道真がいない間に、父を要職につけてみせる!」
と豪語した伊勢だが、そううまくいかなかったものの、
父・継蔭を大和守(やまとのかみ=奈良県知事)に
就任させる程度には、成功していた。
これなら継蔭も奈良から動かなくていいし、親孝行な娘がいて
よかった… なんて思っていたところ、突然娘が里帰りして、
引きこもってしまった。
しばらくたって伊勢は1通の文(ふみ)を、
几帳の間から突き出した。
「都に行く使者に、これを持たせて」
「お、おう、わかった。確かにお届けします…」
父はオロオロするばかりである。
仲平に宛てた文には、このような歌がしたためてあった。
三輪(みわ)の山 いかに待ち見む 年経(ふ)とも
たづぬる人も あらじと思へば
(三輪山の見えるこの大和で、私はどのように
お待ちしていればいいのでしょう。
どうせ何年経っても、訪ねてくる人もいないと思うけど)
この文は、時平も目にすることになった。
時平は、伊勢に同情するとともに、
好色な男だったので、そそられもした。
今までは弟の女だと思って、遠慮していたが…
秋が深まったころ、仲平は伊勢に文を送った。
政略結婚で結ばれた相手では、やはり愛情がわかないのか、
伊勢にまだ未練があるような気配である。
人すまず 荒れたるやどを 来て見れば
今ぞ木の葉は 錦おりける
(私が通わなくなってすっかり荒れ果てた家に、
久々に来てみれば今ちょうど木の葉が紅い錦を
織り上げているところでした… この紅葉のように
美しいあの方は、今どうしておられるのだろう)
紙でなく、1枚の紅葉に歌を書いた風雅な文である。
返事は、すぐに来た。
涙さへ 時雨にそひて ふるさとは
紅葉の色も 濃さまさりけり
(あなたのせいで、涙が時雨の降りしきるように止まりませんが、
ここ、私のふるさと奈良では、紅葉の色も都より濃いでしょう。
あなたのせいで流した血の涙で染まっていますからね)
恨みたっぷりの歌を見て、仲平は
((((;゚Д゚))))ガクガクプルプル したという。
翌、寛平4年(西暦892年)。
伊勢のもとに、八重から文が届いた。
「世間から忘れられた女に手紙をくれるなんて、物好きだこと」
以下のような歌が、したためてあった。
世の中は いかにやいかに 風のおとを
聞くにも今は 物や悲しき
(どうしてらっしゃいます? 風の音を聞いても
今は悲しいのでは?)
伊勢は、返事を送った。
世の中は いさともいさや 風のおとは
秋に秋そふ心地こそすれ
※いさ=さあ、どうでしょう、うーん
(さあね、どうでしょね。風の音は、秋に秋が添うような、
男に飽きられたような、そんな気分でございますよ)
しばらくして、今度は時平から文が来るようになった。
1度会いたい、と言う。
さすがに伊勢も驚いたが、時平はすでに妻子のいる身、
どうせ遊びか、本気であっても愛人の地位しか保証されない。
断りまくっていると、以下のような歌が届いた。
ひたすらに 厭(いと)ひはてぬる ものならば
吉野の山に ゆくへ知られじ
(そこまで嫌われてるのなら、吉野の山で
行方不明になってしまうからね)
伊勢は、返事を送った。
わが宿と たのむ吉野に 君し入らば
同じかざしを さしこそはせめ
※かざし=髪に挿すかざり(花の枝など)。
(私も世を捨てて、吉野に住もうと思っていましたのに。
あなたも吉野にお住まいになるなら、いっしょに
吉野の桜の枝を髪にさしましょうか)
そしてついに、時平は奈良まで来てしまった。
「約束通り、いっしょに吉野へ行って行方をくらまそうじゃないか」
その強引さに伊勢はあきれたが、藤原氏の長者がわざわざ
ここまで会いに来てくれたと思うと、悪い気はしなかった。
夜、自室まで忍んできた時平に
「参議さま… ほんとうに、奥様もお仕事も何もかも
捨てて、私と失踪する気あります?」
「もちろんだ。伊勢が行くというなら、今からでも吉野へ」
時平の目は、本気に見えた。
もちろん「見える」だけで、本気でないことはわかっていた。
だが今の伊勢にとって、そう言ってくれるだけでも、
心が満たされる気がする。
「私、山道は好きじゃないから… ここでいいや」
「そう。じゃ、ちょっと待って。すぐ戻るから」
時平は庭に出て、桜の枝を折って戻ってきた。
「ここが、私たちの吉野だ…
どこまでも逃げていこうじゃないか」
伊勢の髪に枝を挿すと、唇を重ねた。
伊勢は初めて、年上の男に身を任せた。
といっても伊勢より1つ上なだけの時平だが、経験は豊富と
見えて、仲平の時には味わったことのない快感に溺れた。
時平は、それっきり2度と現れなかった。
参議なのだから忙しいだろうし、奥さんもいるし、それ以外の
女もいるだろうし、そういう大人の事情はわかってるつもりの
伊勢だったが、わかっていても精神的なショックは大きかった。
もう何もする気がせず、毎日ただフテ寝をしていた。
(バカだバカだバカだ、私バカだ、あんな言葉を真に受けて…)
男がこうも簡単に自分に飽きてしまうという事実に、
伊勢は打ちのめされた。
もういい、男なんて本当にもういらないから、今後は一切お断り。
こうしてまた夏が過ぎ、秋が深まったころ、
温子からの使者が来た。
帝の母である班子女王(はんし にょおう)主催の、
歌合せの会が行われる。
ついては、伊勢にも参加してほしい…
バカな、どんな顔してノコノコ御所に出て行けるというのか…
笑いものになるに決まってる。けど…
恋に破れた今、私に残されたものは歌しかないのも事実。
歌だけが、私の存在価値なんだ…
行こう、と伊勢は決意した。
伊勢に与えられたテーマは「春」。
季節は冬に向かい、伊勢の心も冷たい風が
吹き荒れているというのに。
「春」「夏」「秋」「冬」それに「恋」の5つのテーマで
各20首ずつ詠まれるので、季節はずれのテーマに
当たる者がいるのは仕方ない。
構想を練りながら、伊勢は京の都に向かった。
寛平御時后宮歌合(かんぴょう の おんとき きさい
の みや うたあわせ)は、現在確認されている
歌合せの中でも、2番目に古いらしい。
御所では、仲平にも時平にも会った。
仲平は言い訳がましい言葉をダラダラと並べ、
時平は明るく「やあ」と声をかけてきた。
周囲の人々が自分を見て、ヒソヒソ話してるのが聞こえる。
歌合せでは、以下の歌を詠み、判定は伊勢の勝ちとなった。
水の面(おも)に 綾おりみだる 春雨や
山の緑を なべてそむらむ
(水のおもてに激しく綾を織るような春雨が
山をすべて緑に染め上げるのかしら)
今は激しく雨が降りしきっているが、その雨が
山の若葉を緑に染めていく…
この心象風景は、伊勢の心の春の復活だった。
歌合せ終了後、伊勢は温子に呼ばれた。
「きれいな… 伊勢らしい歌でしたよ」
久しぶりに会う温子は、懐かしくて、なんだかまぶしかった。
「宮さま… なんか、てれくさ…」
温子が、伊勢の首に抱きついてきた。
「帰ってきておくれ、伊勢… もう誰にも、お前を
傷つけさせないから。私が守ってあげるから」
「宮さま… う…」
温子にすがりつき、伊勢はわんわん泣いた。
温子さまに一生仕えよう、この人のいる場所が、
私の居場所なんだ…
そんな決意が、胸に芽生えていた。
そして翌、寛平5年(西暦893年)、正月。
伊勢、御所に帰還。