天神記(二)





10、 初恋




寛平元年(西暦889年)。

水ぬるむ春、北の国へと帰っていく雁(かり)の
群れを、伊勢は眺めていた。

春霞 たつを見すてて ゆく雁は 
花なき里に すみやならへる

(せっかく霞のように桜が一面に咲こうとしているのに、
雁たちはそれを見捨てて北の国へ旅立ってしまった… 
彼らは、花のない里に住み慣れているのかしら)

「伊勢、すばらしいです><」
このころになると、温子はすっかり
伊勢のファンになっている。
ふだんは気が強くて自信過剰、過激な言動も
多い伊勢だが、歌は知的で優美、繊細。

温子だけではない。
伊勢の他にも温子に仕える女房らがいるが、
皆いちように伊勢に心を奪われている。
歌は天才、書も達人、筝(そう=琴の
ような和楽器)の演奏もうまい。
とくに伊勢の好んで使う丸まった草書体は、
女房仲間の間に広まりつつあった。


さてある日、伊勢は下鴨(しもがも)神社に詣でた。
ちなみに「かも神社」は上下に分かれていて、
それぞれ「上賀茂神社」「下鴨神社」というが、
作者も今気づいたが、「かも」の字が違うので
要注意だ。
どちらもユネスコ世界遺産である。

下鴨神社 公式サイト 
http://www.shimogamo-jinja.or.jp/

伊勢は車で出かけたのだが、
この時代の車と言えば牛車。
パワーは1牛力、四脚駆動のフロント縦置き
エンジン、最高速度は時速5km。
女房の乗る車は、屋根を檳榔(びろう)の
葉を細かく裂いたものでふいてある。
温子のお供でなく、ひとり(運転手はいるが)
での外出は久々のこと。

参拝を済ませ、パーキング(車寄せ)に
止めてある牛車に乗りこもうとしていると、
1人の男が走りよって、声をかけてきた。

伊勢はあわてて車に入って簾を下ろすと、
物見窓から男を見る。
(げ… こいつ、平中じゃん…)

「ハーイ、美しい方。君は確か、
弘徽殿の女御さまの…」
甘いマスクだがバカっぽいこの男は、プレイボーイで
有名な平貞文(たいら の さだふみ)。
3人兄弟の真ん中なので「平中」と呼ばれる。

「平中物語」の主人公であり、おそらく日本で
最初にカーセックスを敢行した人物。
どのような状況だったかというと…

愛人の車の中で夜通し契りあった後、
朝になり女は家に帰りたいのだが、
平中は車から降りてくれない。
女は家がどこか知られたくないので、
「早く降りてよ」とイライラするが、

ことならば 明かしはててよ 衣手に 
ふれる涙の 色も見すべく

(どうせここまで来たんだからさ、すっかり夜が明ける
までいようよ、ついでに家がどこなのかも明かしてよ。
僕の袖にふりかかった君の涙の色が見えるようにさ)

平中はこのように詠んで、女を困らせたという。

伊勢もこの話を聞いていたので、絶対に
車の中へ入れないよう、固くガードしつつ、
「早く、車をお出し!」
と運転手(牛飼い)をせかす。

「ま、待ってください!」
平中はあわててサラサラと紙に何か書くと、
車の簾のすき間から押しこんだ。

動き始めた牛車の中で、伊勢がそれを広げると、
「今はな隠れそ、いとよく見てき
(隠れなくてもいいよ、君の顔はよく見ちゃったから)」
とだけ書いてある。
さすがに、歌にする余裕はなかったらしい。
伊勢も、紙と筆を取り出すと

そらめをぞ 君はみたらし 川の水 
あさしやふかし それは我かは

(そらめ=目の錯覚。みたらし=「見たらしい」と
「御手洗(みたらし)川」をかけたシャレ)

※御手洗川は下鴨神社の境内を流れる川で、その近所の
茶屋で作った団子が有名な「みたらし団子」。

「目の錯覚じゃないの? それは
ほんとうに私だったのかしら?」
というような歌を書いて、車の外に投げた。

追いかけてきた平中がそれを拾うところ
まで見届け、伊勢は座り直した。
「あーやだやだ。ああいう図々しい男は」
とっさに、このようなシャレのきいた歌を作る
頭の回転の速さはさすがである。


御所に戻った伊勢が、温子に報告をすると
「おや。せっかく恋人ができる、
良い機会でありましたのに」
これほどの才女、これほどの美女でありながら、
伊勢はいまだに彼氏がいない。

「私にふさわしくないですから」
かつての小町もそうだが、伊勢もプライドが高く、
男に求めるハードルが高い。

「では、どういう男性が良いのです? 
誰か心に思う方はいないのですか?」
伊勢は温子をチラッと見ると顔を赤らめ、うつむいた。
「んん? 誰かいるのですね?」

温子は好奇心100%全開、御座所から身を乗り出すと、
赤くなった伊勢の頬を、つんつんと突いて、
「今、私の方を見ましたね? 
ということは… 私の身内?」
「やめてくださいまし><」
強情な伊勢はこの後、半年ほど口を割らなかった。



そのころ、関白基経の妹・高子(48)は、
善祐(ぜんにゅう)という10才以上も
年下の僧侶と、密会していた。
(数え48というと満47くらいだから、
川島なお美が結婚した年といっしょか)

高子は数年前、自分の別荘を東光寺という
真言宗の寺に改装している。
(現在の平安神宮の近く、岡崎神社のあたり)
善祐は東光寺の座主であり、ダンディーと
評判の渋い僧だった。

かつて人形のようだった高子も、さすがに年は
隠せなくなったが、その肌といい艶やかな髪と
いい、まだまだ写真集が出せるくらいの美しさだ。
何かといっしょに過ごす時間が多いこの美男と美女は、
いつしか肌を重ねる関係になっていたのである。

2人のスキャンダラスな関係は、やがて
人々の噂に上るようになった。
左京二条にある二条院で高子といっしょに暮らして
いる妙子だけは、高子を応援していたが、藤原
摂関家の人々は、皆いちように眉をひそめる。

特に基経は、高子の頬を打ち、手を切るよう強く迫ったが、
「世間の下衆な噂など、すぐに消えましょう」
高子は表情ひとつ、変えることはなかったのである。



翌、寛平2年(西暦890年)。

4月、今度は上賀茂神社の「賀茂祭」でのこと。
これは京都3大祭りのひとつ、
「葵祭」として現在も続いている。

上賀茂神社 公式サイト 
http://www.kamigamojinja.jp/

伊勢は温子の供をして競べ馬(くらべうま)
を見物、エキサイトしていたが、ふと気が
つくと温子の車がそばにない。

代わりに、見覚えのある高級車が横に並んだ。
(やられた…)
伊勢は、思わず顔が赤くなった。

「楽しんでいらっしゃるようですね。あなたの
お元気な声が、そこまで聞こえましたよ」
「…お、お、お恥ずかしいことでございます…」
「姉… いや、弘徽殿の女御さまより、
あなたのことは常々…」
いつも気の強い伊勢が、今日ばかりは
何も言えず黙ってしまった。

御所に戻ると、
「宮さま、ひどうございます。
私を置いてお帰りになるなど…」
しかし、温子はニコニコしながら
「何か文(ふみ)などあるのでしたら、預かりますよ」

伊勢は真っ赤な顔でうつむいていたが、
やがて意を決し、紙と筆を取り出すと

ほととぎす はつかなる音を 聞きそめて 
あらぬもそれと おぼめかれつつ

(ほととぎすの遠いかすかな声のような、
あなたのお声をを初めて聞いて以来…
何を耳にしても、あなたの声に聞こえて
しまう私は、どうすればいいのでしょう)

「誠におそれ多いことでございますが… 
お言葉に甘えて、これを…」
「はい、仲平に渡しておきますから。
そのかわり、読んでいい?」
「絶対ダメッ!!」

伊勢の初恋の相手は、温子の弟…
藤原仲平(なかひら)、この年16才。
ドロドロした藤原摂関家で育ったとは思えない
ほど、おっとりした優しい顔立ちの貴公子。

温子の仲立ちで始まったこの交際だが、
仲平の方も秘かに伊勢を想っていたので、
両想いだったわけである。
初めての文のやり取りをしてまもなく、仲平が
伊勢の局(つぼね=部屋)を訪れた。

「私… この夜のこと、決して忘れない…」
伊勢は、仲平の腕の中で幸せをかみしめていた。
ほんの束の間の幸福であるとも知らずに…



さらに、この年は以下のようなできごとがあった。

まず温子が、女の子を出産。
宇多帝の第一皇女となる、均子(きんし、
又は、まさこ)内親王である。
男子でないと聞いた時の、関白基経の
落胆は大きかった。
実は基経、昨年から体調の異変を感じ、今回の
出産に最後の望みを託していたのだ。

ショックのあまり基経が倒れたという噂を聞き、温子は
泣きたくなったが、まるで自分の娘が生まれたかの
ように喜ぶ伊勢の姿を見て、癒された。
伊勢は後に、均子の養育係に任命される。


陽成上皇の妃・「雲の絶間」妙子も、第1皇子
となる元良(もとよし)親王を出産。
後に色好みの歌人として名をなす皇子で、百人一首に

わびぬれば 今はたおなじ 難波なる 
みをつくしても あはむとぞ思ふ


という歌が採られている。


八重が、温子の兄・時平の目に止まり、
女房としてスカウトされた。

「八重さん、私を見捨てていく気?」
「ここも少々、あきてきましたしね… 
それに今のお嬢様には、仲平さまも
温子さまもいるでしょう」


12月14日、基経は病のため太政大臣を辞し、
関白のみ続けることに。

そして菅原道真、任期を終え讃岐(さぬき)より帰還。