天神記(二)
7、 阿衡事件(あこうじけん)
仁和3年(西暦887年)、8月。
都の真東、吉田山に鎮座する吉田神社に、
神職の中臣
霊道(なかとみ の たまみち)
が戻ってきた。
病床の山蔭の邸へ、見舞いに行っていたのだ。
山蔭は、藤原氏の氏神である奈良の春日神社
(現在の春日大社)の祭神をこの吉田山に勧請し、
吉田神社を創建したスポンサーである。
おかげで都に住む藤原氏たちは、わざわざ奈良に
行かなくとも氏神さまに参拝できるようになり、
大いに助かっていた。
神社は霊道をはじめ、春日からの単身赴任、もしくは
移住してきたスタッフによって運営されており、
まさしく「春日神社・京都支局」であった。
霊道の牛車には、いく人かの武装した
「神人(じにん)」が従っていた。
神人とは、神社のガードマン兼雑用係である。
先頭のリーダーらしき男が、大あくびをした。
身長は185センチほど、たくましく引き締まった体つき。
深く掘りこまれた、日焼けした男らしい顔だち。
右目が不自由なのか、黒い眼帯をしている。
「俺は京の都に出て3年になるが、いまだに
鹿どもがいないと、寂しくてかなわん」
と、残った左目を少年のように輝かせて言う。
「鹿ども」とは、春日神社の境内に生息する
鹿たちで、奈良の名物である。
この時代、まだ鹿せんべいはない。
国の天然記念物 奈良の鹿
公式サイト http://naradeer.com/index.htm
参道で、頭巾をかぶった不気味な
男が待ちかまえていた。
「太岐口(たきぐち)さま…
良いネタをお持ちしましたぞ」
眼帯の男は、ピクッとした。
「骨か…」
主の霊道が邸の玄関に入るのを見届け、
2人は吉田山の山道を登る。
「骨阿闍梨(ほねあじゃり)…
ここには来るなと言ったはずだ。
お前から情報を買うつもりはない、とも言った」
「そうおっしゃらずに。あなたの手下より、
私どもの方が早耳ですぞ… ッと!」
電光の剣がきらめき、「骨」は
かろうじて樹上に逃れていた。
身につけていた頭巾は、2つに切り裂かれている。
「お前ら根黒寺の… 正体も目的も
ハッキリせんのが気にくわん。
国政を司る貴人らと深く関わって
おるのは、もっと気にくわん」
男の左目からは、すさまじい殺気が放たれている。
骸骨のようなおぞましい顔をさらけだし、
「骨」は枝の上で笑った。
「私は、あなたのお役に立ちたいだけですのに…
よろしい、今回は無料で結構。
……帝が倒れましたぞ」
「!!」
一瞬動揺したスキに、「骨」は消えていた。
眼帯の男は剣を収め、苦々しい顔をする。
「宮中の、相当奥深くまで入りこんでおるようだな…」
高齢の帝が突然倒れ、8月26日に崩御。
基経は次の帝として、光孝天皇の第7皇子、
源定省(みなもと の さだみ)を選んだ。
「あれ? 姓をもらったら帝になれないって…」
率直に不満を口にしたのは、同じ
「源」の姓をもつ源融である。
「前例がなければ、これを最初の例とすればよい。
それに、これは前(さき)の帝のご意向でもあります」
「(∵)そう…」
基経にこう言われると、返す言葉もない融であった。
こうして、11月7日に定省親王は、
第59代・宇多(うだ)天皇として即位。
御年21才、英明にして人柄もうるわしい、
歴代の帝の中でも屈指の好男子である。
しかし、いったん臣下となって姓を賜った皇子の即位に、
「あれはかつて、私に仕えた者ではないか」
陽成上皇はこう言って、小ばかにしたという。
帝は、正式に文書を送って基経を関白に任命した。
今回が、正式な関白の最初となるらしい。
(887母泣く関白正式に)
884年の時は、あくまでも天皇が私的に大政を
基経に委任した(884母よ喜べ関白就任)
=事実上の関白ということで、たいへん
まぎらわしいが、注意してもらいたい。
ところが、その基経に送った文書が、
大問題を引き起こす。
「阿衡(あこう)の任を以って卿の任とせよ」
という一文があった。
「阿衡」とは何か。
中国の殷(いん)王朝が成立したころ、
というと紀元前1600年ごろ。
料理人から大臣に出世した、伊尹(いいん)
という優れた政治家がいた。
この伊尹が最終的に「阿衡」という役職について、
殷の湯王を補佐したという。
なので「阿衡」とは、「王様を補佐する
一番偉い大臣」みたいな感じだろう。
例の一文は「関白の職とは、阿衡の職
みたいなものだから、よろしくたのむよ」
というような意味になる。
この文書を帝に代わって代筆したのは、橘広相
(たちばな の ひろみ)という学者。
だが、ここにもう1人、藤原佐世(すけよ)
という学者がいて、
「阿衡という役職は、位は高いけど実権のない、
名誉職みたいなもんですよ。つまりこの文書は、
関白さまにもう隠居しろってことだと思いますよ」
こういういやらしい告げ口を、基経にしたのである。
基経はヘソを曲げて出仕を拒否、
あらゆる政務をボイコット。
「どうせ私は阿衡ですから。仕事しなくてもいいんでしょう」
さらに、基経のご機嫌をうかがう取り巻きたちも、
いっしょになってボイコットを始め…
国政が停止して、日本は大変なことになってしまった。
即位したばかりの帝は青くなって、使者を送り、
「誤解だから、機嫌を直してほしい」
と伝えるが、基経はとりあわない。
むしろ、ニンマリとして
「帝め… 真っ青になっておるわ…」
新しい帝にショックを与えて、自分のいいなりに
させようという魂胆みえみえである。
基経の邸を訪れた男は、吉田神社の、
あの眼帯をした神人のリーダーだった。
「来たか… 通せ」
基経の顔に緊張が走り、常にもまして険しくなる。
「春日の。そろそろ姿を見せるころと思っていた」
「あんたが今やってることの、釈明を聞こうか」
基経は息を深く吸いこむと、一気に言葉を吐き出した。
「あの帝は、必要以上に英明におわす。
藤原氏を必要としておられないばかりか、
我らを排除しようと画策しておられる…
我らが御盾(みたて)とも知りたまわずに!
我らは帝から離れたてまつるわけにはまいらぬ。
かしこくも帝にからみつき参らせ、御盾となり、
お守りつかまつる。そのためには手段を選ばず…
そうであったな?」
「春日には、しかと伝えおこう」
「春日が邪と判断すれば、あんたが
俺を斬るというわけか?」
眼帯の男はニヤリとして、
「ここまで横暴な臣下は蘇我馬子以来だからな。
斬るのは楽しいだろうよ」
基経は鋭い目で見返し、両者の間に火花が散る。
「ところで… 根黒寺の者が、
だいぶ出入りしてるようだが」
「便利だから使っているだけだ。
根黒寺の仕事は確かだよ…
何か不満があるのか? 皇室をお守りする
ためなら、手段は問わないはずだが?
それとも、あんたら春日の飼い犬が、
替わりに汚い仕事をやってくれるのか?」
「それを言われると、つらいな」
「それに奴らとのつき合いは、今に始まった
ことではない。200年以上遡ることだ。
奴らは、我らが皇室にからみつくように、
この藤原家にからみついている」
気にくわんな… 眼帯の男は渋い顔をした。
だが気にくわなくとも、春日が許可を
しているなら、俺にはどうしようもない。
1ヶ月ほどして、男は春日からの通達を伝えに来た。
またしても気にくわないことだが、
春日は基経のやり方を認めた。
「長い目で見て、皇室をお守りするのに有益」
という判断だった。
基経は、勝ち誇ったように、ニンマリとする。
年が明け、仁和4年(西暦888年)。
4月、帝は源融をリーダーとして、学者たちに
「阿衡」という言葉の意味を調査させた。
本当に、実権のない名誉職なのか。
しかし、融のようなヘタレが基経の
意に逆らえるわけがなく、
「(∵)そうみたいですよ…」
ろくに調べもしないうちに、結論が出た。
「ウソです! どんな書物を見ても、
そんなことは書いてない!」
執筆責任者である橘広相は、必死に反論する。
帝も、広相を信頼している。
だが…
6月、帝は無念の思いで、先の文書を
取り消し、広相を役職から罷免した。
しかし基経は、なおも執拗に主張する。
「広相の無知と無礼のせいで、国が混乱した。
遠流に処するべきである!」
広相の無実を知っている帝は、ほとほと困りきった。
「どうすればよいのだ…」
その時、ヒーローがさっそうと現れたのである。
10月、讃岐にいるはずの菅原道真が、
突如都に帰ってきた。
義父・島田忠臣の手紙で、この騒動を知ったのだ。
「いいかげんにしたらどうです!!
阿衡の論議にはもうウンザリですよ!!」
そして基経に対し、以下のような手紙をつきつけた。
「ちょっとした言葉の解釈の違いで学者が
処罰されるようでは、学問が廃れる!
それに橘広相は、たいへん功績のある学者である!
これ以上処罰にこだわると、関白どの
のためになりませんぞ!」
評判の学者とはいえ、道真はまだ一介の国司である。
それが関白に向かい、堂々と
このような意見を突きつける。
基経は、いたく感心した。
そして、「阿衡」のことはこれっきり、
水に流したのである。