天神記(二)





5、 無顔(むがん)




白雲坊は妙子を抱きかかえたまま、
賀茂川に沿って一気にかけ下った。
法力(超能力)を使っているので、
すさまじい跳躍力である。

やがて、北の方に妖しい霊気が燃え上がり… 
しばらくして加茂川の水が、
血のように赤く染まった。

ここは、上賀茂神社もほど近い川べり。
白雲坊は直感的に、師の最期… 
むごたらしい最期を悟った。
「先生… おさらばです…」
力尽きたかのように、川原にへたりこむ。

声も立てずに泣いていると、腕の中の妙子が
手を伸ばし、指先で彼の涙をぬぐう。
「泣かないで…」

「あんた… 気がつい…」
「慰めてあげるから」
妙子の唇が、白雲坊の口をふさぐ。

雨の中、妙子はこの日2人目の童貞を奪った。


話を聞くと、白雲坊はかつて東大寺の見習い僧であったが、
官寺のお役所的な雰囲気になじめず、飛び出したという。
当時は、命蓮(みょうれん)という名だった。

「それではもう1度、命蓮さんに戻りなさい… 
いい方を紹介してあげます」

白雲坊改め命蓮は、都まで妙子を送り届けた。
妙子は聖宝(しょうぼう)という真言宗の高僧へ、
紹介状を書いてやった。

「どうかお元気で… 雲の絶間さま」
「キミのことは忘れないよ、命蓮さん… はい、これ」
妙な結び方をした文を渡し、妙子は消えた。

後で開いてみると、キスマークと「色即是宙
(しきそくぜちゅう)」という4文字が。
正しくはもちろん、「色即是空(しきそくぜくう)」である。
「色、すなわちこれ”ちゅう”なり… か」
命蓮は苦笑しながら、妙子との甘酸っぱい
キスの思い出を噛み締めていた。



こうして「雲の絶間」の活躍により、
旱魃は終わりを告げた。
帝とその母は、妙子に感謝し、その知謀と
勇気をほめたたえる。
ただ、基経だけが不興げだった。

「譲位していただく、せっかくの好機と思ったが… 
骨阿闍梨(ほねあじゃり)、かくなる上は、
その方らに任せるしかないようだ」
生きた骸骨のような男が、基経の前に額づいていた。

「火善坊のせがれが、ちょうど15才になりまして… 
仕事のできる年になりました」
「帝と同い年か」
「やつめ、顔がございません… 無顔と申します」
基経の背すじを、ぞっとするものが走った。


そのころ、危機が迫ってるとはまるで
気づかない帝は、妙子に甘えていた。
「なあ、絶間… どんなふうに鳴神をたぶらかしたのだ?」
「にょほほほほほほ お上には早うございます」
6才年下の少年をからかうように、片目をつぶる。



元慶7年(西暦883年)のできごとは、まだ続く。

この年、三善清行が37才で、やっと方略式に合格。
「ウワアアアアン ヽ(TДT)ノ 道真ザマーミロ」

そのころ、菅原道真は渤海(ぼっかい)国の
使者を接待、漢詩の交換などしている。



さて、年の暮れも近い内裏でのこと。
陽成帝は、源益(みなもと の すすむ)ら、
同年代の少年たちと遊んでいた。
益は、帝の乳母である紀全子(き の またこ)の息子。

庭で相撲を取っていて、力の強い帝はうっかり、
益を池に落としてしまった。
「あっ 益!」

少年の1人が、池に飛びこんで益を引き上げる。
益は、ぐったりしていた。

大人たちが、わたわたと集まってくる。
「…死んでおります」
益の首の骨が折れていた。

「そんな… バカな…」
帝はへたりこむ。
天皇が宮中で、臣下を殺す… 
まさに、前代未聞であった。


内裏のとある暗がりで、益を引き上げた少年が、
濡れた着物を脱いでいた。
両手で、顔を覆う。
中指を眼窩につっこみ、親指を頬骨に差し入れる。
ガクッ ボギッ

顔の骨格が変わった。

さらに頬を揉んで、肉づきを整えていく。
貴族の子弟の上品な顔が、たくましい
牛追いの顔に変わる。
肩と股関節を外すと、手足がグンと伸びた。
あらかじめ用意しておいた、牛追いの衣装を着こむ。
この間、わずか30秒。


妙子が牛車で高子の邸にかけつけ、報告をした。
いつも冷静な高子の顔に、さすがに動揺が走る。
「そ、その時… 益を引き上げた者がいたと言いましたね?
何者です? 今、どこにいますか?」
「さ、さあ… そこまでは聞いておりません…」

高子の瞳に、狂気の光が宿った。
「恐らく、その者が… 益を殺めたのです… 
兄の差し金でしょう」
「み、宮さま…」
妙子には、高子が我が子かわいさのあまり、
ムチャクチャ言ってるとしか思えなかった。

しかし、物陰に潜んでこの会話を盗み聞いている
牛追いの男は、高子のあまりの頭脳の冴えに、
舌を巻いた。
これ以上真相を追求されると、厄介なことになるが…
初めての大仕事なのに、なんてこったい…

高子は、妙子の手をとって立ち上がった。
「タエ、いっしょに内裏へ行きましょう。
兄と対決するのです」
ぱしっ… と、妙子が高子の頬を打つ。

この時代、決して許される行為ではない。
妙子と高子の、実の母子、実の姉妹以上の
絆があればこそ、だった。
「目を覚ましてください、宮さま。
あらがっても、どうにもなりません…
これ以上は、帝や宮さまの御身の破滅を招くかと」

高子はしばらくうつむいていたが、
「つまり… 私たちの負け、ということですね…」
涙がひとすじ、流れた。
妙子もまた、ポロポロと涙をこぼしていた。
岩尾山での命がけの活躍も、結局ムダになったのである。



翌、元慶8年(西暦884年)、2月4日。
16才の陽成帝は、強制的に廃位となった。

「次の帝についてだが…」
会議の場で、基経が口火を切ると、源融
(みなもと の とおる)が手を上げた。

「摂政どの。よかったら私がなるよ」
「あなたは源の姓をもらってるでしょう。
姓をもらったら帝にはなれません」
「(∵)そう…」

そうなのである。
日本の皇室には、現在でも姓がない。
中国の皇帝にはあったのに、
これは日本だけの特長である。

参議の藤原諸葛(もろかつ)という者が、
一同にガンを飛ばし、凄んだ。
「非常の時だ。摂政どのに従わない者は斬る!」

基経が引っ張り出してきたのは、仁明(にんみょう)帝の
第3皇子・時康(ときやす)親王。
なんと、御年55才である。
風雅な文化人で、大の相撲ファン。
即位後も、自分で炊事をしていたという庶民的なお人柄。

百人一首に、
君がため 春の野に出でて 若菜つむ 
わが衣手に 雪はふりつつ

という歌を残している。

「いやー まさか帝になれるとは、思ってもなかったよ!」
第58代・光孝(こうこう)天皇として即位した
時康親王は、基経にいたく感謝。
基経を「関白(かんぱく)」に指名、
政務の一切を任せることになる。

日本最初の関白の誕生である。
「やっぱし(884)うれぴー関白就任」と覚えるそうだ。

関白とは「関(あずか)り、白(もう)す」という意味
だそうで、天皇に対して伝えるべきことは、全て
関白がいったん「あずかり」、関白だけが天皇に
「もうしあげる」ことができる。
天皇の完全な代理人にして、最高権力者である。



さて、この年。
久々に京を訪れた奈良の学者、藤原継蔭(つぐかげ)は、
不穏な空気を感じ取った。
ひとことで言えば、秀才として名高い
菅原道真への妬み… であろうか。

学問といえば菅原家… というようなムードに対し、
他の学者たちが反発を感じ始めている。
菅原家をあまり重用しないよう嘆願する文書に、継蔭も
署名するよう学者仲間に誘われたが、断った。

今回の旅は、13才になった娘の睦月(むつき)を
連れての名所見物である。
あまり生々しい大人の世界は見せたくない。
早々に京の都を切り上げ、宇治へ下った。

ここで泊った長者の家で、不思議な女を紹介された。
「若いのに物知りで、なんでも知っている。
歌も漢詩も笛も舞も、なんでもこなす」
というが、どう見てもまだ18才くらいである。

ちょうど、年頃になった睦月の世話をする
侍女を探しているところであった。
「八重と申します」
「八重さん、それほど物知りなら、これ読める?」
睦月は、自分で書いた手習いの紙を渡した。

めったなことで驚かない八重が、おお… という顔をした。
「どこの国の文字です?」
睦月は、勝った… というようにニヤリとした。
「うちに来るなら、教えてあげる」