天神記(二)





4、 雷神不動(らいじんふどう)




妙子はこの場で出家して、鳴神に師事するという。
そのため、黒雲坊と白雲坊は下山して、
剃刀(かみそり)と法衣を調達することに。

すさまじい脚力で山を下る2人の前に、
ふもとの雲ヶ畑の集落が見えてくる。
この集落は、都を流れる賀茂川の上流にあるため、
住人は水を汚さないよう、気を使って暮らしている。
死者が出ても、決して埋葬しない。
持越(もちこし)峠を越えて、となりの真弓の集落に
死体をもちこんで葬式を出すという。

集落の入口に、小さな居酒屋が見えた。
店の前の床机に1人の老人が腰かけ、酒を飲んでいる。
黒雲坊と白雲坊は、ふいに立ち止まった。
かすかに、体が震えている。

「白雲坊… お前はすぐに戻って、先生に報告しろ…
俺はなんとか、先生が来るまで奴を引き止める」
「わ、わかりました… それにしても、
まさかこんなところで…」
若い白雲坊はきびすを返し、ただちに山へ戻る。

黒雲坊は、なにげない風を装って、
老人のとなりに腰を下ろした。
「あるじ、わしも一杯もらおうか」
店の中に声をかけるが、返答がない。

「誰もおりゃせんよ… 店も酒も、
私の作り出した幻影なのでな」
黒雲坊は、恐怖に凍りついた目で、
となりの老人を見た。
その頬には、大きなコブが垂れ下がっている…
「しかし、私の生み出す幻の酒は、飲めば酔える。
私の生み出す剣で斬られれば、死ぬ」

「き、きさま…」
「おぬしの師匠が、私を探しておるようだが… 
はて、とんと覚えがない。
鳴神、鳴神… どこで会ったのかな?」

「先生の命を奪っておいて、シラを切るか!」
「私が奪った命など、千や二千できかないでな… 
しかし、お前の言いぐさだと、鳴神とやらは、
死んでもなお生きてるほどの術者らしい。
それほどの者となると、私が倒した
敵の中でも幾人もおらんな…」

コブ老人は、指を折った。
「まず、ブッダ」
「あ、あんた釈迦牟尼(しゃかむに)を殺したのか!?」

老人は、まじまじと黒雲坊を見つめた。
「おぬし… なかなか、良い体をしておるな」


そのころ、岩尾山の滝壺のお堂では。
2人きりになったとたん、鳴神は
ガバッと妙子を抱きしめ、
「もうよいっ 私は還俗(げんぞく)するッ 
妻になってくれい!」
「鳴神さま、着物をぜんぶ脱いで… 
ケモノになりましょう…」

鳴神は生まれて初めて、1匹の獣となって
女の体を貪った。
妙子はそれを、優しく受け止め… 
ているように見せかけ、その実、
鳴神をなぶって精力を絞り尽くした。

「女の体とは、こ、これほどまでに… うっ」
「あう… 鳴神さま… 滝壺に張ってある
縄と壺は、なんなのです…?」
「あれは、龍神があの中に… フーッ か、体が
バラバラになりそうじゃ」
「らめっ! もっとです鳴神さま! 
もっとしてくれなくちゃイヤ!」

恐ろしく濃密な30分の後、すっかり果てた鳴神は、
日干しのように転がっていた。
妙子も消耗していたが、若いので
まだ体力が残っている。

「お水をくんで参ります… その後で、もう1回…」
と言い残し、滝壺へ降りていった。

小刀で縄を切ると、壺を岩に叩きつけ、粉々に…
その瞬間、妙子はハッとした。

雨が降っている。
「降り始めた」のではなく、すでに
以前から降っていたのだ。
まるで立ったまま夢を見ていて、壺が割れた瞬間、
目が覚めたようだった。

妙子は知る由もないが、壺は龍神を封じこめて
いたのはではなく、人々が雨を認識する能力を
狂わせていたのである。

考えているヒマはない。
妙子は、ふもとに向かって走り出した。
さよなら、鳴神上人。
あの坊やか、おじさんの方だったら、
もっと楽しい体験になったんだけれど。


鳴神は、しばらく意識もうろうとしていたが、
やがて雨の音に気がついた。
そして、全てを悟る… あの女……!
「この俺を、ここまでコケにしてくれるとは…」

生涯で、初めて狂った女だった。
それなのに…
かつて経験したことのない怒りが、
鳴神の肉体に変化をもたらす。

ひょろりとやせていた体がムクムクと
膨れ上がり、一気に筋肉の塊と化す。
目が釣りあがり、隈取のような
異様な模様が浮かび上がる。
「変身… 雷神不動!! 
ライジイイイイイィィン!!!!」

落雷が光った。
お堂の屋根を突き破り、鳴神を直撃。
肉の焼ける異臭と煙が立ちこめ、鳴神は
蛇のように、柱にからみついて立ち上がる。
総髪はアフロヘアーとなり、黒い炎の
ような模様が全身を覆う。

「よし我、破戒の上からは、生きながら鳴る
雷(いかずち)となって、かの女を追っかけ
んに、なんじょうかたきことあらん!」

最終戦闘形態「雷神不動」に進化した鳴神は、
すさまじいパワーでお堂の壁を突き破ると、
妙子を追い、山をかけ下った。
このお堂は、現在の岩屋不動志明院である。

岩屋不動 観光サイト
http://www.kadode.com/simyouin.htm


鳴神の足腰はしばらく立つまい… 
とタカをくくっていた妙子だが、
背後から迫る異様な気配に振り返ると、
思わず悲鳴を上げた。
アフロヘアーと異様なメイクのマッチョな巨人が、
猪のような勢いで迫ってくるではないか!

雷鳴のような雄叫びが、山を揺り動かす。
思わず耳をふさいだ妙子は、濡れた岩に
足を滑らせ転倒。
足首をくじいてしまった。

そこへ、白雲坊がふもとから、かけ上がってきた。
「どうした! 何があった?」
「白雲坊さま、助けて!」
転がるようにすがりつく妙子。

白雲坊も、マッチョ怪人の姿を
目にすると、印を組み
「破邪結界! 人外のもの、これより
先進むことあたわず!」
法力のバリヤーを張ったが、

「このタワケがッ 師匠がわからんのか!」
バシッと高圧電流が弾けるような音と、肉の
焦げる匂いとともに、張り飛ばされた。

鳴神、いや、雷神不動は妙子を岩場に押さえつけた。
その体には相当の静電気が蓄積してあるらしく、
つかまれた腕からスタンガンのように
電流ショックが流れつづけ、

「あがっ… ぐううっ!」
妙子の体が弛緩し、白目をむく。
「この場で犯しながら焼き殺してくれるわ!」
すさまじい放電を放つ股間の肉棒を、
むき出しにする雷神不動。

「お待ちください!」
白雲坊が決死のタックルをかまし、
妙子から引き離す。

「きさま、なぜ邪魔をする! 龍神結界が
破られたのがわからんかッ」
「それどころではありません! コブが… コブの男が…」
一瞬にして、雷神不動は氷のように静かになった。
「……いたのか?」

「黒雲坊が… 黒雲坊が1人で…」
泣き出しそうになる白雲坊を制して、
「待て。誰か来る」
いつの間にか、霧が立ちこめている。

霧の中から、黒雲坊が現れた。
白雲坊はホッとして、
「黒雲坊! 無事でよかっ…」
黒雲坊の頬には、大きなコブが垂れ下がっていた。

雷神不動は、1本の角を取り出した。 
鹿の角のように、先が2又に分かれている。
「宝貝(ぱおぺえ)… 天上一角!」

それを額に装着すると、血管のような
根が生え、固定される。
たちまち新しい感覚が開かれ、脳に
膨大な情報がギュンギュン流れこむ。

まず、周囲の霧の分析データ。
(幻影であり、生きている精神エネルギー)
天上から見下ろした岩屋山の地形と、
自分たちの現在位置のナビゲーション。
そして… 目の前の敵に関する、あらゆるデータ。
コブ男に関する情報が入ってくると同時に、
雷神不動の全身を戦慄がかけめぐる。

黒雲坊は、品のいい笑顔を浮かべた。
「おぬし、一角の弟子であったか。
そう、すでにおぬしも承知のように、
私の出身は天竺… 
何人もの高僧や道士を食らってきた…
仏教の敵であるという点は、私も
おぬしも共通なのだが…」

「それならなぜ! わざわざ唐まで来て、
私の野望を踏みにじった?
そうか… あの僧と弟子たちを利用して、
この国に混乱を…
しかし… その結果、この国には密教が深く根づいて、
仏の教えがよりいっそう広まることに… 
あんたとしては、それでもいいのか?」

「私はかつてブッダと戦い、これを殺したが、
奴の教えを殺すことはできなかった。
それならむしろ、ブッダの教団を大きくしてやろう… 
組織というものは、大きくなれば必ずや分裂し、
憎み合い殺し合い、堕落して魂を失う。
おぬしがやったように、ただ弾圧するというやりようは、
芸のない、面白みもない、美学もない、
下衆(げす)の仕業よ…」

雷神不動は、白雲坊の方に振り返ると、
「その女を連れて、ただちに逃げろ… 
お前の法力を最大限に使って飛べ!」
「私は… 先生とともに戦います!」
「世界中の術者が束になっても、かなう相手ではない! 
その女を巻き添えにするな。死ぬ前に、
いい目を見させてもらったわい」

白雲坊は泣く泣く、妙子をかかえて
絶壁から身を躍らせた。
死の覚悟を固めた雷神不動は、黒雲坊に向き直る。
「さて… 天上一角の力によって、あんたの秘密を
ここまで知ってしまったからは、この李終南の命数も
ここに尽きたり、ということでよろしいか?
…第六天の魔王、波旬(はじゅん)よ」

「いや、そうじゃないよ… 道士先生」
コブのついた黒雲坊は、苦笑した。
「あんたが死ぬ前に悔いを残さないよう、
私のことを一部、見せてあげたのだよ。
その変ちくりんな角は関係ない、私の慈悲だ」

「あまり見くびるなよ、天魔!」
高圧電流を放つ両手で、印を組む。

糞狂い 無愚流有奈不 九頭龍 
婁婁異穢 有我不奈愚流 不汰軍…
婁婁異穢の館に、死せる九頭龍、夢を見たりて待ちたもう
永劫の時の果てには、死もまた死せるさだめなれば…


コブ男は、片方の眉を上げた。
「ほう、尸条書の九頭龍(くずりゅう)経か… 
とんでもないモノを呼び出すな…
それならば、私も何か対抗する魔獣を召喚しようか… 
何がいいかな?」

太陽も出ていないのに、雷神不動の
影がどんどん伸びていく。
明らかに、人間の影ではなかった。
頭部にうごめく触手、まがまがしいカギ爪、
こうもりのような翼…

やがて影は、山肌全体を覆うほどの、
巨大なものとなった。
「大いなる九頭龍、目覚めませい!!」

コブ男も印を組み、呪言を唱えていた。
「こっくりさん、こっくりさん、
どうぞこちらにいらしてください。
大いなる九頭龍を食らいつくしてください」

山や森から湧き出した妖しい霊気が、
黒い影を覆いつくす…
姿の見えない透明な獣に、雷神不動は
生きたままむさぼり食われていた。

コブ男は、その惨劇を興味深く見つめ、
「やはり、召喚する魔物はこっくりさんが最強だな(笑)」


ところで、「第六天神社」という神社が
台東区蔵前をはじめ各地にあるが、
実は明治の神仏分離政策までは、
第六天の魔王・波旬を祀る寺だった。
キリスト教でいえば、「サタン教会」
みたいなものである…
日本人て、なんでも祀るんだなあと、
ちょっと感動しました。