天神記(一)





14、 外道人(げどうにん)




嘉祥(かしょう)2年(西暦849年)、新春。

大和の国、室生寺 (むろうじ)のか細い五重塔の前に、
生後3ヶ月くらいの男の子が捨てられていた。
余談だが、この塔は屋外にある木造五重塔
としては、日本最小の塔である。

この寺は女人高野(にょにんこうや)と呼ばれ、
女性に優しい寺である。
真言宗本家の高野山は女人禁制であり、
参詣できない女性は、この寺をめざす。

そんな寺だから、事情があって
育てられない子を託していく。
男の子は「安梅(あんばい)」と名づけられ、
この寺で育てられることになった。

室生寺 公式サイト http://www.murouji.or.jp/

はじめは寺の雑用係として働き、やがて学問を
教わるようになり、10年後の貞観元年
(西暦859年)には、正式に出家。
賢くて心優しい少年であり、住職も将来に大いに期待した。


余談だがこの年、京の都では、大納言の
安倍安仁(あべ の やすひと)が死亡。
前年、文徳天皇の陵墓を選定する際、地神(つち の かみ)
を怒らせて追いかけられ、陰陽師の滋岳川人(しげおか の
かわひと)に救ってもらったことがあった。
しかし、やはり逃れられなかったのか。
地神の祟りで死んだと、もっぱらの噂だった。



安梅の人生が狂ってきたのは、その3年後、
東寺に派遣されてからである。
東寺は弘仁14年(西暦823年)に、空海が
嵯峨天皇より下賜(かし)されて以来、真言宗の
京都本部道場のようなポジションにあった。
安梅はその優秀さを見こまれ、15才という
若さで東寺に「留学」することになったのだ。

東寺 観光サイト http://www.pref.kyoto.jp/isan/kyouou.html

「安梅… くれぐれも女には気をつけろよ」
前年に真言宗のエリート真済が怨霊となり、皇太后
明子に取り憑くというおぞましい事件があり、
東寺の関係者はショックを受けていた。

なにしろ真済は、神護寺住職の他にも、
東寺の長者も務めている。
先輩たちの忠告も、実にもっともだったが…
若い男に「女に気をつけろ」と言っても、それは難しい。


貞観6年(西暦864年)、安梅17才。
穀倉院(こくそういん)の役人、伴世継(とも の よつぎ)の
妻の家に出入りするようになっていた。

はじめは体調不良を訴える妻のために、加持祈祷や、
針治療などを施してやっていた。
針による治療は、遣隋使・遣唐使によって中国から
もたらされた最新医学であり、安梅は室生寺の
住職より、みっちりと仕こまれている。

やがて、長期出張の多い夫の留守の間、体をもて余す
ようになった若い妻が安梅を誘惑しはじめ、
2人は深い仲になってしまう。
「あの人を殺して…」
それは、魔性のささやきだった。

だが、どうしたわけか、殺害計画は全て見抜かれていた。
密告した者がいたのだろうか…?
安梅は、世継の前に引き出された。
「お前ら… できてたな」
すさまじい眼で、世継は安梅を見下ろす。

人妻と不倫していたとはいえ、安梅も
まだ17才の純情な若者。
泣きながら世継の足にすがりつくと、
「お願いです! 私と奥様の仲を
許してください! 奥様を私に…」

「バカ野郎! それが人の女房と
チチクり合ってた野郎の言うことか!」
安梅を、思いきり蹴り飛ばす世継。

今度は、妻が世継にしがみついてきた。
「許して、あなた! あの男が… 
私を無理やり手ごめにして…
言うこときかないと殺すって…」
妻に指さされ、安梅はただ、あんぐりと
口を開けるばかりであった。


安梅は、夜の都をさまよっていた。
凍てつくような風が吹いていたが、体の中には
激しい怒りの火が燃え盛っている。
(あの女… 許せねえ…)
ふところには、血抜き用の太い針が1本、隠してあった。

伴世継は、陰陽師・弓削是雄(ゆげ の これお)の
占いのおかげで命拾いしたわいと、
安心しきって酒を飲んでいた。
そこへ安梅が乱入、首筋を針で一刺し。

そのままの勢いで、世継の妻の家に走り、
のしかかって心臓を一突き。

一晩に2人の人間を殺め、東寺にも帰らず、そのまま
逐電した安梅は、不気味な男に拾われることになる。


その男もやはり、僧の姿をしていた。
だが頭巾を取ると、眼の落ちくぼんだ、
ドクロとしか思えない顔が現れた。

「拙僧は、死河山根黒寺の骨阿闍梨(ほねあじゃり)である。
おぬし… 人殺しの才があるな」
ドクロは黄色い歯を剥き出し、
ぞっとするような笑いを浮かべた。

骨阿闍梨は、根黒寺における「営業部門」を担当している。
都をうろつき回っては、殺しや陰謀の
「注文主」を見つけ出し、交渉する。
「骨」に呪殺の祈祷を依頼すれば、
どんな憎い相手もたちどころに…
というのが、都の貴族の間に広まっている噂だった。

「ご依頼あれば、おそれながら、
たとえ帝でも呪いたてまつらん…」

実際には呪殺ではなく、「骨」の背後にいる
「根黒衆(ネグロス)」が仕事をするわけだが、
根黒寺子飼いの根黒衆の他にも、殺しの
下請けを行う外注業者がいた。
これを「外道人」と呼ぶ。

安梅のように、子供のころから根黒寺で訓練や洗脳教育を
受けて育ってない人間は、正式な根黒衆のメンバーには
なれず、くず仕事を請け負う外道人となるしかない。
「骨」の下には他にも、主に偵察や尾行、使い走りの
仕事をする「死人烏(しびとがらす)」、
「骨」の護衛をする、腕っぷしの強い「業苦(ごうく)」
といった外道人たちがいた。

「外道人は業の深い稼業じゃ。妻をめとってはならず、
子も作ってはならず、他人と関わりをもってもいかん。
わしのもってくる仕事を断ることは、許されぬ。
が、掟さえ守れば、役人から守ってやるし、
じゅうぶん贅沢もさせてやる」

安梅は外道人となる前から、
すでに外道に堕ちていたのだ。
「そんな俺には、似合いの稼業のようだ…」
安梅の瞳に、暗い炎が燃え上がった。


余談だが、この年、富士山が大噴火。
この時流れ出た溶岩が固まり、現在の青木ヶ原樹海となった。



安梅は、1年ほど骨阿闍梨の下で訓練を受けた後、
外道人としてデビュー、経験を積んでいった。
そして、貞観10年(西暦868年)の2月。
安梅21才、かつて経験のない大仕事が回ってきた。


応天門事件の後、かつての大納言・伴善男
(とも の よしお)は、伊豆の吉奈温泉
(よしなおんせん)に流されていた。

天城湯ヶ島温泉郷 公式サイト 
http://www.amagigoe.jp/index.html

良房・基経父子と組んで、源信(みなもと の まこと)を
ハメるつもりが一転、自身が陥れられてしまった。
が、しかし伴氏(大伴氏)はかつて、物部氏と
並んで強大な軍事力を誇った氏族。
このまま、藤原一族につぶされてなるものか…

伊豆にいながらも、善男は全国の伴氏と連絡を取り、
クーデター計画の準備を進めていた。
しかし、それは良房に察知されていたのである…

今回の大仕事には、外道人チームの他に、根黒寺から
送られてきた火善坊という男も合流。
吃音の癖がある以外は全く特徴のない、
会ったこともすぐ忘れてしまいそうな男である。

「お、お俺は生江恒山(いくえ の こうざん)一家の
方をやるが… あ、足をひっぱるなよ」
外道人チームを鋭い眼で見回すと、
火善坊は闇に消えていった。

「けっ なんだい、いばりやがって」
毒づく「死人烏」は、俳優で例れば秋野太作に似ている。
「よしな。あちらさんは、いわば本家の嫡男、
こっちは妾(めかけ)の子みたいなもんだ」
さとす「業苦」は、俳優でいえば芦屋雁之助
のような、温厚そうな男。
「けっ 殺しに、本家も妾もあるかい」

安梅は、フッと苦みばしった笑みを浮かべた。
いつしか外道人仲間の2人とは、
気心が通じるようになっている。
「行くぜ… 仕事の腕で、あいつを黙らせるんだ。
それが俺たち外道人よ」

ぱらら〜 ぱっぱっぱぱりららぱ〜ぱりら〜
余談だが、「パチンコ必殺仕事人」のCMで
流れてる曲は、本来「仕事人」ではなく
「必殺仕掛人」の殺しのテーマである。

屋根裏を蜘蛛の巣にまみれながら、
安梅と死人烏が進んでいく。
事前に死人烏が、間取りを調べてあった。
「ここですぜ、安梅さん…」
屋根板を外すと、眼下では、伴善男が女とまぐわっていた。
安梅は針袋をまさぐり、1本の針を
選びとると、口にくわえる。

闇の中、音もなく降り立つ安梅。
そっと几帳をずらすと、一心不乱に女に
のしかかっている善男の首筋に…
スッ…と針を押しこむ。

善男の体が一瞬ピクリとした後、ぐったりと力を失ったので、
女は善男が果てたのだろうと考えた。
その時、邸が大揺れに揺れ出した… 

伊豆で地震は珍しいことではない。
が、いきなり震度4くらいの揺れが襲ったので、
女はびっくりして外に飛び出した。

実は地震ではなく、業苦が邸の柱を
フルパワーで揺さぶっていたのである。
騒ぎにまぎれて、安梅と死人烏は無事に脱出した。


一方そのころ、家人の生江恒山の家では…
「て… てめえは… 大宅鷹取(おおやけ の たかとり)!」
恒山は腰を抜かし、後ずさっていく。
すでに妻と子供は当身を食らい、失神している。

火善坊は荒縄で、恒山の首を締め上げた。
「お、お前が蹴り飛ばした、あの子供な… 
ひ、ひ拾った子だが、かわいそうなことをした…
り、り、立派な根黒衆に育ててやったものを…」
恒山がぐったりすると、油をまいて、火をつけた。



こうして大仕事をかたづけた安梅たちは、
その後も、さまざまな殺しをこなしていく。
殺しては虚無感に襲われ、酒を飲み、
女を抱いて、憂さを晴らす。
そして、また殺し… そんな荒野をさまようが如き人生が続き、
寛平(かんぴょう)7年(西暦895年)、安梅48才。

安梅は、初めて掟を破った。
たまたま出会った、盲目の旅芸人の
女を愛してしまったのである。
若いころ人妻にのめりこんで道を踏み外して以来、
女は抱くけれども、決して女に心を許したことのない
安梅であったが、ついにやってしまった。

上司の骨阿闍梨に隠れて女を囲い、
翌年には子供も生まれた。
「人の命を食らって生きてきたこの俺が、
新しい命の親になるなんてよ…」
元気な男の子を抱きながら、安梅は不思議な気持ちになる。

束の間の幸せ… であった。
妻と子と過ごす数年間、安梅はかつて味わったことのない
安らぎを噛みしめていた… そして、破滅の刻は来る。



54才になった延喜(えんぎ)元年(西暦901年)、
次男が生まれるが、この時、盲目の妻は
産褥熱で亡くなってしまう。
子供たちを、自らの手で育てねばならなくなった安梅だが、
秘密の家庭生活がついに、骨阿闍梨の知るところとなる。

「おぬしは掟を破った… 本来ならば、
死をもって償うところである」
2人の子供は、根黒衆によって連れ去られた。
「子供を返してくれえー!」
子供を追って、都のはるか南の原野まで来たが、
八篠ヶ池という池のあたりで見失ってしまう。

「太郎… 次郎…」
池のほとりで、安梅は崩れ折れた。
そんな安梅を見下ろす、骨阿闍梨の不気味な
瞳には、わずかに光るものがあった。

「おぬしの魂は、すでに死んでおる… 死んだ者は殺せぬ」
はじめから事情を知っていて、安梅の子育てに協力
してきた死人烏と業苦も、非常の掟に涙を流す。


そこへ通りかかったのが、大宰府へ
流される途中の菅原道真である。
「事情はわからぬが、気の毒に…」

落ちていた木切れを拾い、手早く2つの像を彫った。
「これを子供と思い… 子供の無事と健康を祈るがいい」
死人烏と業苦は、子供の像を祀る
祠(ほこら)を建ててやった。

安梅は、この祠を守って一生を終え、
死して後は江戸時代に転生。
闇の稼業の「仕掛人」として、もう1回似たような人生を
送ることになるとは、まことに因果な宿命というしかない。

道真が彫った像を祀った祠は、後に長岡天満宮となる。
ここが必殺シリーズのロケ地と
なったのも、また宿命であろう。
シリーズ第1作「必殺仕掛人」第1話で八篠ヶ池が
登場して以来、池に浮かぶ「錦水亭」の座敷が、
女性との密会シーンなどにたびたび使用された。

長岡天満宮 公式サイト 
http://www.nagaokatenmangu.or.jp/


さらわれた2人の子供は、「安仁(あんにん)」
「安珍(あんちん)」と名づけられ、
根黒寺で育てられることになった。
この2人の業の深い生涯については、
第1章「安珍と清姫」をご覧くださいますよう。



<追記>
この原稿を見直している平成20年10月5日、
緒形拳さんが亡くなりました。
作者は昔、映画「必殺仕掛人・春雪仕掛針」を見て、
緒形拳は実際に人を殺した経験があって、刑務所に
入っていたにちがいないと信じてしまいました(笑)
もちろんそんなわけありませんが、
それくらいの神演技だったのです。
人を殺そうとする時の、あの目が…

肝臓癌に冒されているのを隠して最後の仕事にのぞみ、
やり遂げてから肝臓が破裂して亡くなられたそうですね。
まさに「必殺役者人」です… ご冥福をお祈りいたします。