天神記(一)





13、 陰陽師(おんみょうじ)




貞観14年(西暦872年)、8月。

藤原基経37才、右大臣に就任、
同時に摂政の宣下を受ける。

左大臣には、源融(みなもと の とおる)が任命された。
応天門事件で犯人扱いされ、最後は
泥沼に落ちて死んだ、気の毒な源信
(みなもと の まこと)の弟である。

この時すでに51才になっていたが、ロマンスグレーの
ふんわり上品な美男子ぶりは、若いころと変わらない。
風流人で有名であり、鴨川の川原に邸が
あることから「河原左大臣」とあだ名された。
光源氏のモデルという説があるが、本当かどうか、
紫式部に聞いてみないとわからない。

文化人としては名を馳せたが、政治に向いてる
とは言いがたい、人畜無害な男。
しかも兄の信を無実の罪から救ってもらい、
藤原父子に借りがある。
今回の人事も、位は基経より上ではあるが、
単なる飾りともいえる。



そのころ基経の養父・良房は、病床についていた。
陰陽博士の滋岳川人(しげおか の かわひと)
という男が占ったところ、
「これは… 伴善男の怨霊が憑いとりますな」

髭も眉も濃い、男らしいといえば男らしいが、どこか
うさん臭い感じもする、この年推定63才の滋岳川人。
陰陽師として、日本史に名を残す最初の人物。(たぶん)

陰陽道… それは密教と並ぶ、日本の
オカルトの大きな柱である。
中国から入ってきた陰陽五行の思想、天文・暦・易など
の学問を1つにまとめ、神道・道教・密教などと、
ごねごねにブレンドしたもの。

良房は、焦点の微妙に合っていない両眼を細めて、
じっと川人を見つめた。
どうも、この男は信用できない。
14年前のあの事件の後、大納言の安倍安仁(あべ の
やすひと)は、この男をほめちぎっていたが…



14年前、天安2年(西暦858年)。
東映京都撮影所のある太秦(うずまさ)駅
から北へ1kmくらいの地点。
先だって崩御した文徳天皇の陵墓にふさわしい
場所を探すべく、大納言・安倍安仁率いる
視察団が、ウロウロ歩き回っていた。

陰陽博士である川人の他、文章博士やお偉いさんたちが、
あーでもないこーでもないと議論の末、最終的に御陵
予定地に決まった場所は、川人が占術で割り出した
「ベストなポイント」から、だいぶずれていた。

(皆さん、私の占いを軽んじておられるようだな…)
川人は、撤収の準備を始めた一行の間を歩き回りながら、
「あーあ、気の流れを乱しちゃったかもな… 
地神(つちのかみ)を怒らせちゃったかもな…」
などと、ブツブツつぶやいた。

一行は都に向かって帰途についたが、途中、
川人は安仁の車の前に進み出て、
「大納言、内密にお伝えしたいことが… 実は私、
儀式のやり方をちょっとまちがえまして… 
地神が我々を祟ろうと、追いかけてきたようです」
「なんですと〜!?」

とりあえず安仁だけ残して、他の者は先に行かせた。
「大納言と私だけ、狙われてるようです」
「なんで私が… ど、どうすればいい?」

川人は、田んぼの中に安仁を座らせると、
刈り取った稲を上からかぶせた。
「ぷーりぷりあう〜ち ぷーりぷりあうぅーち」
呪文を唱え、印を切ると、稲の上から札を貼る。
「私がいいと言うまで、動いても声を出してもなりませぬ」

静寂が訪れた。

30分ほど川人は道に腰を下ろし、
安仁を隠した稲の山を見ていた。
やがて腹ばいになると、
┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨… 
と、つぶやき始める。

だんだんとボリュームを上げていくと、人間の口から
出ているとは思えない、おおぜいの人間が
駆け抜けるような、地響きが鳴り渡った。

サウンド・エフェクト(音響効果)… 
現代の映画撮影所のすぐ近くというのが、
なんとも皮肉である。
すさまじい肺活量と、地面をスピーカー
代わりにするテクニック。
安仁は稲の中で、押しよせる地神の
大群を想像し、身震いした。

「ギュムー! 大納言と川人はどこに行った? 
この辺で車を降りたはずだが…」
「ギョエギョエギョエ… 川人が、遁甲(とんこう)の術を
使って隠したにちがいない…」
「絶対に見つけ出し、祟り殺すのだ! ギャウギャウギャウ」

とても人間が出しているとは思えない、
おぞましい声としゃべり方である。
安仁が脂汗をしたたらせ、必死に耐えていると、
やがて声と足音は遠ざかっていった。

「もう大丈夫です… 行ってしまいました」
安仁は稲の山から飛び出すと、
子供のように川人にすがりついた。
「助かったのは、私の秘術のおかげですぞ」
あたりは、すっかり暗くなっていた。

この後、御陵の位置は、川人指定の場所に決まった。



「必ずや、怨霊を退散させましょう。その折は、
私めを陰陽頭(おんみょう の かみ)に」
臆面もなく言う川人を、良房はじっと見つめた。
「いいだろう、やってみろ。だが、もし私が助からなくても…
善男の霊を道連れに、地獄に落ちてやるわ。
何人にも、基経の邪魔はさせん」

川人の悪霊祓いも効果はなく、良房は9月2日に逝った。
もちろん、陰陽頭への出世はお流れである。



翌年、貞観15年(西暦873年)。

三善清行、ついに文章生となる。
「やったよ、コレオさん! 
合格祈願の儀式、バッチリだったよ」

清行は数年前、滋岳川人の弟子である
弓削是雄(ゆげ の これお)という男と知り合い、
占いや暦法を教わるようになった。
はじめは勉強の合間の、息抜き程度の趣味だったが、
やがて試験結果を占ったり、陰陽道の神に合格を
祈願したり、本格的にはまりこむ。

「あっそー… よかったねえ、清行さん」
風采の上がらない、中年の小男。
しかし師匠の川人とはちがい、本物の
超能力をもち、占いも達人である。
是雄には、都で知らない者のない有名なエピソードがあった。


それは、9年前の貞観6年(西暦864年)、元旦。
弓削是雄は、近江(おうみ)の国の瀬田にいた。

「属星祭(星祭り)」という、古代ペルシアのミトラ教に
起源を持つ、陰陽道の行事がある。
生まれた年の干支により、北斗七星の7つの星の
どれかが自分の「属星」となり、元旦にその属星を
祭るのだが、近江国司のプライベートな属星祭に、
是雄は招かれていた。

無事に祭事も終わった、その夜。
恐ろしい悲鳴が響き渡る。
悲鳴の主は、国司の館に滞在していた穀倉院
(こくそういん)の役人、伴世継(とも の よつぎ)。
東国に出張して、封戸(ふこ=租税)を
集めに行った帰りだった。

恐ろしい夢を見たのだ、と言う。
自分の妻に殺される夢…
人騒がせな話だが、本人は青ざめて震えていた。

是雄が世継の顔を眺めると、確かに
額から不吉な赤い光が出ている。
「ほーぅ… このまま家に帰れば、まちがいなく死にますぞ」
真夜中だが、とりあえず占ってやることに。

物体とちがい、情報は時間と空間を
超えることができるのかもしれない。
占いの結果を手がかりに、是雄は
未来のヴィジョンを断片的に見た。

そのヴィジョンを世継に説明し、いくつか指示をしてから、
「あとは… あなたの運しだいだね」
あくびをしつつ、寝床にもどった。


翌日、逢坂の関を越え、世継は京の都へ戻ってきた。
「お帰りなさ…」
妻は、絶句した。
従者2名に弓をもたせ、何も言わず、
世継はズカズカと妻の家に上がりこむ。

「丑寅(うしとら=東北)の角だぞ!」
敷地内の東北の隅に、植込みがあった。
従者たちが矢をつがえ、そちらを狙って構える。
「そこにいる奴、出てこい!」

妻は、ヨロヨロとへたりこんだ。
「どうして、わかったんです…」
植込みから、刃物をもった若い僧侶が出てきた。
「待って! 殺さないでください…」

刃物を捨て、世継の足元に土下座する。
「奥方さまから… 命ぜられまして…」
世継は、妻と僧を見比べ、
「お前ら… できてたな」
うわああああ、と妻は泣き崩れた。



翌年、貞観16年(西暦874年)。

三善清行、文章得業生に合格。
「コレオさん! 陰陽道の力はすげーよ!」
「あっそー… あんたの力ですよ」

このころ道真は、「兵部少輔(ひょうぶしょうゆう)
=軍事を司る役所、兵部省(ひょうぶしょう)の次官」
となり、続いて「民部少輔(みんぶぶしょうゆう)
=税務を司る役所、民部省(みんぶしょう)の次官」
に任命されている。



この年、滋岳川人は念願の陰陽頭に就任した。
陰陽師として、最高の地位である。
だが、なんという皮肉… 
川人は死病に冒され、出仕できなくなった。
弟子の是雄が祈祷を行うが、取り憑いてる
悪霊の正体がわからない。

ある夜、川人が熱にうなされていると、その耳に…
┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨… と地響きが、飛びこんでくる。
「ん!?」
その瞬間、ろうそくの炎は消え、暗闇の中、
おおぜいの「何か」が上がりこんできた。

「やっと見つけたぞ、川人… ゴフゴフゴゴフ」
「我らの土地の、気を乱した祟りを
受けるがいい… ギョエギョエギョエ…」
「や… やめてくれええー!!!」

滋岳川人、没。