天神記(一)





12、 金岡(かなおか)




貞観11年(西暦869年)、5月。

九州の行政を司る大宰府(だざいふ)
政庁は、騒然としていた。
この22日、新羅(しらぎ)からやってきた
海賊団が博多津を襲撃、港に集積された
年貢(絹や綿)を掠奪したのだ。
「韓寇(かんこう)」と呼ばれる、朝鮮半島国家の
こうした海賊行為は、九州や日本海沿岸に、
たびたび被害を与えている。


「大宰府の弱腰外交はなっとらん! 
俺が大宰府におればなあ」
と息巻いてるのは、秀才との評判が
高い菅原道真、25才。
「さすがは菅秀才、見識が高い」
周囲には、おべんちゃらを使う
連中も集まるようになってきた。

それを、妬ましげに見ている1人の男。
少年時代と変わらぬ四角い
老け顔の、道真のライバル…
と、自分では思っている、三善清行
(みよし の きよつら)である。

彼もまた官吏をめざしていたが、この時点で
道真に大きく差をつけられている。
まだ、文章生にすらなっていない。
その下の擬文章生、略して擬生(ぎしょう)である。
「あいつんとこは代々文章博士だし、
コネもあるし、いいよなあ…」
ぼやきながら、宿舎でゴロゴロする清行であった。


翌年、貞観12年(西暦870年)。

官吏になるための国家試験、「方略試
(ほうりゃくし)」に、道真が合格。
200年間で65人しか合格しな
かったという、超難関試験らしい。
さすが、受験の神様…
自称ライバルの清行は、大ショックである。



さて、この日。
道真は、友人の紀長谷雄(き の はせお)とともに、
大学寮からほど近い、神泉苑(しんせんえん)の
方向にブラブラ歩いていた。

「あんたすごいな、菅秀才。いやー、ほんとすごいわ」
長谷雄は道真と同じ年で、まだ擬文章生。
清行とちがい、ライバル意識などまったくなく、
道真を純粋に尊敬している。

ややぽっちゃりとした、お坊ちゃんタイプの
ちゃらちゃらした男で、徹夜双六と
色事が大好きな遊び人。
しかし、その外見に反して、頭脳の
方はかなり優秀なのである。

「金岡卿を誘って、祝い酒といこうぜ」
神泉苑は、皇室や上流貴族が宴を催すための禁苑、
すなわち、一般人立入り禁止の庭園である。
しかし道真と長谷雄は、2年前から庭園のリニューアル
工事を監修している、絵師の巨勢金岡(こせ の かなおか)
という人物と知り合い、たまにこっそりと
中に入れてもらったりしていた。

神泉苑 公式サイト http://www.shinsenen.org/

門番に、金岡を呼び出してもらう。
今年40才になる金岡は、やや疲れた表情で出てきた。
「やあ、君たちか…」
上品な髭を垂らした、哲学者風の容貌。
しかし、この外見に反して、中身は意外に
若いというか、子供っぽいところがあり、
道真たちと年の差を感じさせない。


かつて、紀州(和歌山県)の藤白坂というところで、
土地の子供と絵の描き比べをしたことがある。
なんと、子供の方が上手かった。
金岡はかんしゃくを起こして、筆を
松の木の根元に投げ捨てた。
(この松を、「筆捨松」という。)

「お、上手いねえ。おじさん、負けちゃったな」
とでも言って、頭をなでてやればすむ話を、子供と
本気で勝負していたのだから、おとな気ない。

「金岡が子供に負けた」
という噂が都に伝わると、体裁が悪いので、
「あの子供は、熊野権現(くまのごげん)の
化身だったんですよ」
などと、口からでまかせを吐いた。

そんな金岡だが、画家として日本史に名前が
登場する最初の人物(たぶん)であり、
「日本画の太祖」と呼ばれる。
中国からの影響を脱し、日本画の様式を
確立したと言われるが、残念なことに、
作品が1点も現存していない。

また、庭園作家としても、名前が残る
最初の人物である。(たぶん)
京都の大覚寺に、金岡の組んだ石組みが
わずかに残っているらしい。


「(^o^)/方略試に受かりました。
酒でも、ごちそうしてください」
能天気に声をかける道真に対し、金岡は
うーむうーむと唸るばかりである。

「庭の方が、煮詰まってるんじゃないすか?」
と、長谷雄が心配そうにたずねる。
「そういう時は気分転換に、徹夜で
双六するのが一番ですよ」

「教養豊かで頭脳明晰な君らなら、
なんとかできるかもしれんな…」
金岡は、2人をじっと見つめ、
「入りたまえ」

「ここ数日… 幽霊馬が暴れてるのをご存知か」
道真は試験の結果が気になって、世間のニュース
どころではなかったが、長谷雄が詳しく知っていた。

「最近、市外の田畑を荒しているという、アイツですね…
追いかけてもスーッと消えてしまうし、
矢を射かけても、すり抜けてしまう」
「なにっ そんな物の怪が出没していたのか?」
「でも、それがどうしたんですか、金岡卿?」

2人を連れて金岡は、大池に面した乾臨閣
(けんりんかく)という建物に入る。
「これをどう思う?」
そこには屏風に描かれた、躍動感
あふれる白馬の絵があった。

2人は、この絵と初対面ではない。
半年くらい前、完成の直後に、
鑑賞させてもらったことがある。
「まさか、これが屏風から抜け出た、なんて…」

「ここの部分を見るんだ」
金岡が指さしたのは、馬の足元。
泥で汚れたように、黒ずんでいた。

「はて… 前に見た時は、もっと白かったっけ…?」
「金岡卿が自分で塗ったんじゃないですか?」
「ちがう! 断じて、そんなことはしていない!」

金岡は、本気で悩んでいるようだった。
「私の描いた馬が、絵から抜け出て悪さをしてるなんて…
もし人に知られたら、描いた私がどんな罰を受けるか…」

「なるほど。それで我々の知恵を借りたいと」
「何か妙案でもあるかい、菅秀才?」
道真は、屏風の前に進み出た。

ブスッブスッと、屏風に指を突き刺す。
「ひーッ な、何を…」
金岡が、失神しそうになる。
「これで、この馬もおとなしくなりますよ」

馬の両目が潰されていた… 
というか、穴が開けられていた。
「私の絵が…」
がっくりとへたりこむ金岡を残し、青年2人は外に出る。

「秀才とはとても思えない、荒っぽさだな…」
長谷雄はあきれていたが、
道真はさわやかな面持ち。
「画龍点晴(がりょうてんせい)の反対だよ、長谷雄」

昔の中国で、どこかの偉い人が龍の絵を描き、
最後に瞳を書きこむと、龍は絵から抜け出して、
天に昇っていったという。
その反対、つまり瞳を潰して、絵から
出てこないようにしたのだ。

実際、幽霊馬はそれっきり現れなくなった。
そして、金岡の絵師としての評判は、
さらに高まったのである。



翌年、貞観13年(西暦871年)。

応天門が再建されたこの年、道真&長谷雄コンビは、
金岡とばったり遭遇した。
「幽霊馬事件」以来だが… 
金岡の姿は、変わり果てていた。

「菅秀才、あのブツブツ言ってるキ○ガイみたいの…
金岡卿じゃね?」
「うわ、ほんとだ! 着物もはだけて、
下着丸出しではないか…」
とりあえず捕まえて、人気のないところに連れこむ。

「なんですと〜 恋の病?」
恋に狂ったあまり、狂人のように
洛中をさまよっていたという。
いい年して、困ったおっさんだ… 
という表情を2人で浮かべていると、

「まさか菅秀才、あんた… あの人の目をブスッと潰して、
ほら、こんなに醜くなりましたー 恋の病もさめたでしょー 
なんて、やる気じゃなかろうな?」
まだ屏風の件を、根にもってるらしい金岡である。

「まさか! 色の道のことは、長谷雄にまかすよ」
「相手は、どこの人?」
先だって、改修途中の神泉苑を、
皇室の方々が見学に来た。
その時、皇后・高子(たかいこ)さまの
御顔を、ちらっと見てしまい…

「皇后ってあんた! 無理に決まってるでしょ!」
「あ〜 わしも真済法師みたいに、怨霊になろうかな〜」
などと言い出す始末で、困った2人は、
金岡に妻がいることを思い出し、妻の
家に行って、洗いざらいぶちまけた。


妻は、金岡を家に連れ戻すと、
「あなたね… 女の美しさなんてものはね、
化粧しだいなんですよ」
「化粧?」
「そうですよ! さ、ここに化粧筆があります。
あなた、絵は得意でしょ? 私を塗ってみてくださいな。
あなたの腕にかかれば、私だって皇后さまに
負けないくらい、きれいになるんだから」

「よーし… やってみるか」
金岡は筆を取り、妻の顔に白粉や紅を塗り始めた。

そして… 1時間ほど、ぬりぬりしていたろうか。
金岡は筆を置き、妻の顔をじっと見つめた。


「ヒィ━━━━:(((゙゚'Д゚';))):━━━━━━ッ」