天神記(一)





11、 補陀洛渡海(ふだらくとかい)




貞観10年(西暦868年)、4月。

天台座主の安慧(あんえ)が没し、ついに5代目の
座主として、円珍が招かれることになった。
もはや、円珍以外の人材はいなかった。

以後100年ほど、比叡山において
円珍派(智証派)が主流になる。
円仁派(慈覚派)は不満をかかえながら、じっと耐える。
日本宗教戦争の火薬庫となって、
爆発する時を待ちながら…



そして11月、紀の国(=和歌山県)、那智の浜。
ここに、天台宗の補陀洛山寺(ふだらくさんじ)がある。

この寺で本日、宗教的狂気ともいうべき、すさまじい
パフォーマンスが行われようとしていた。
演じるのは、熱烈な円仁の信奉者
であった慶龍(けいりゅう)上人。
このタイミングでこれを行うのは、円珍の天台座主
就任に対する抗議の意味もあるにちがいない。

浜に、小舟が泊っていた。
船上に小さな小屋があり、
その四方に鳥居が立っている。
「渡海船」である。

慶龍上人が乗りこんで小屋に入ると、ただ1つの
出入り口は板でふさがれ、釘が打ちつけられた。
そして特別に雇われた漁船が、
沖まで渡海船を曳いていく。
沖に出たら、切り離される予定だ。
その後、渡海船がどうなるのか、誰にもわからない。

いや、誰もがわかっている、と言うべきだろう。
海が荒れて転覆すれば、そのまま船は棺桶になり、
転覆しなければ、船の中でミイラになるだけである。
水も食料も一切、積んでいないのだから。

海を渡って、チベットのポタラ山(補陀洛山)に
行くのだと、慶龍上人は言っていた。
補陀洛渡海(ふだらくとかい)。
海の上の即身成仏。
江戸時代までに、補陀洛山寺から
25人の渡海者が出たという。


冷たい北風の吹きつける浜で、沈む夕陽の中、
沖に消えゆく棺桶船を見ている1人の女がいた。
少女のようにも、成熟しているよう
にも見える、不思議な女。
気だるいアンニュイな光が、その瞳にある。

「いいなあ… 私もあんな小舟で、
流されて遠くへ行きたい…
寝てる間に浄土に行けたら、楽だろうなあ…」

そのつぶやきを耳にした1人の旅人が、
振り返って女を見た。
爬虫類のようにヌラリとした、ひょろ長い
僧形の男で、首にすさまじい傷跡がある。
「あの娘…」

女の体から、ヒカリゴケのような不思議な
輝きが漏れているのを、李終南
(りしゅうなん)は見逃さなかった。
修行を積んだ道士の目だけに
見える、妖しい輝きである。

「そこの娘… 生きることに疲れたのか?」
女は、振り返って李終南を見た。
「じゅうぶん、生きましたから… もう、飽きたんです」
李終南は、ニヤリとして
「そうだろう。人魚の肉を食えば、
イヤというほど生きるハメになる」

女は目を、やや見開いた。
「へえ… 名のある坊さまのようですね… 
それとも、陰陽師(おんみょうじ)ってやつですか?」
「私は唐の羅浮山(らふざん)で修行した、
李終南という。人魚の肉は、まだあるのか?」

「全部食べてしまいました。
それより、えらい道士さまなら…」
ブラックホールのような黒い瞳が、
李終南をまっすぐに見て、
「私を殺してくれませんか? どうやっても、死ねなくて…」
サラリと言う。

李終南は、仙道は人の寿命を延ばすために
あること、ムダな殺生を行うためではないこと、
いずれ時が来れば人魚の肉の効果もなくなり、
イヤでも死ぬことになること… を説いた。
「それより、どうやって人魚の肉を
手に入れたのか、話してくれないか」

女は、面倒くさそうにため息をつくと、語り始めた。
女の名は「八重(やえ)」。
それは延暦(えんりゃく)19年(西暦800年)、
今から68年前のこと。


若狭(わかさ)の国(=福井県西部)の、
とある漁村に、八重は暮らしていた。
当時18才、育ち盛りのためか、娘のくせに大食いだった。

ある日、父親が庄屋さんの家の集まりから帰った時、
「お土産にもらった」
と言って、赤黒い肉を差し出した。
日本海で取れる魚は白身が多いので、
「へー珍しい。これが噂に聞く鯨の肉かな?」

ちょうど腹が空いていたので、肉を鍋で
煮込んで、1人で食ってしまった。


ここまで聞いて、李終南は呆れていた。
「いやしいな…」
「それが、ひどく不味かったんです… 
全部食べたんですけどね」


あまりに不味くて腹が立ち、
「何の肉ですか」
と、父を問い詰めた。
「珍しい肉だ」
としか、庄屋さんは言わなかったらしい。

八重は、父を連れて庄屋の家まで
押しかけ、事情を聞いた。
庄屋がすまなそうに話すには、国府のある
小浜(おばま)の町に出かけた時、ふとした
ことで手に入れた、「人魚の肉」だという。
「ふとしたことって、なんですか」


日本海に面した小浜の町で、庄屋は
異国の道士と知り合った。
顔面イボで覆われた不気味な男だったが、お互い
ギャンブル好きでウマがあい、何日もともに、
双六(すごろく)に興じることになった。
この時代の双六とは、今でいうバックギャモンに近い。

そしてある日、道士の家で、とてつもなく
気色悪い物を見せられた。
「ちゅいに、できゅました… わだしの作った人魚ぢぇすね」
どこが人魚なのかと、ツッコミを入れたくなる
ようなソレは、全長30センチくらいの、
手足のない胎児のミイラだった。

道教の秘術を駆使して生み出した、人造人魚。
その材料は、胎児の死体、ジュゴンの干し肉、
乾燥フナムシ、そして最も重要にして、最も
入手困難な材料… それが「カギムシ」。

カギムシとは、一見角の生えたムカデや毛虫のようだが、
節足動物とは種族を異にする、「有爪動物門」に属する
ただ1種の動物だ。
「バージェス・モンスター」と呼ばれる、カナダの
バージェス頁岩から多数化石が発見された、
カンブリア時代の摩訶不思議な生物たち、
その直径の子孫にあたる。

現在、南半球にしか棲息しないカギムシを、
どのように入手したのか。
しかし「長寿」を作り出す素材として、これ以上
ふさわしい生物はあるまい。
鶴は千年、亀は万年、カギムシは5億1500万年、
恐竜より古い生物の子孫なのだから。

ともかく、そうして作り上げた「人魚」だが、
道士は自分が食べる前に、他の人間で
人体実験したい様子だった。
1/3ほど切り取って、庄屋に差し出す。
「どうじょ」

どうじょと言われても、こんな気持ち悪い男から、
おぞましい材料で作ったグロテスクな生物の肉を
もらっても、たとえ本当に寿命が延びるにしても、
口に入れるのはごめんだった。
実際、寿命が延びるどころか、たちまち
死んでしまうだろうと庄屋は考えた。

しかし断りきれず、ふところに入れて持ち帰り、
村で皆にふるまったわけである。
後で調べたところでは、肉をもらった村人は大部分、
気味悪く思って、廃棄処分にしていたらしい。
ただ1人、ありがたく持って帰ったのが、八重の父だった。

「父さまのバカバカバカバカ」
「勝手に食ってしまうお前こそバカバカバカバカバカ」

だが、後の祭りである。
幸い、八重の体には何の異常もなかった… が。
10年後にはまったく年をとって
いないことが、ハッキリした。

「俺も、あの肉を食っておくんだった!」
と、後悔する村人もいたが、時が流れ、
父も死に、庄屋も死に、八重の夫も、
子供たちも先立っていった。
そのころにはすっかり、化け物を見る
ような目で見られている八重。
いたたまれずに村を出たのが6年前、80歳の時である。


「まさか、あの男が… 日本に来ていたのか…」
李終南は、心当たりがある様子である。
「人魚を作ったという道士、お知り合いなのですか?」
「同じ羅浮山で修行していた、胡人(西アジア人)の
道士に似ているようだ。邪道に堕ちた男で、
修行の途中で追放されたんだが…」

八重に向き直ると、励ますように、
「だが心配するな。まがい物の人魚なら、
効果もそう長くない。ま、せいぜい… 
7、800年というところだろう」

八重は、あんぐりと口を開け、
「800年!!!」
「何か1つの道に打ちこんでいれば、
800年など、あっという間だ。
私について道士の修行でもするか?」

プイッと、八重は顔をそむけた。
「めんどくさ…」
李終南は、皮肉な笑いを浮かべると、
背を向けて歩き去った。



翌年、貞観11年(西暦869年)、春。

伊賀と伊勢の国境に近い、貧しい山あいの村。
かつて基経の仕事を請け負い、応天門に
放火した根黒寺の僧・火善坊は、生まれた
ばかりの赤子を抱いていた。
村の女を犯して、産ませた子である。

火鉢から焼けた炭をつかみとると、赤子の顔に押し当てる。
耳が破れるような、叫び声が響く。
「ち、父を恨むなよ… こ、こ、この顔が、おぬしの
や役に立つ、ど、道具となるのだ…
生まれ持った皮と肉を焼き払い、猪の皮で
作った肉面をかぶせる…
これがうまく、おぬしの顔に張り付けば…」

我が子の焼け爛れた顔を、冷徹に見下ろしながら、
「お、おぬしを、無顔(むがん)と命名する」