天神記(一)
9、 応天門(おうてんもん)炎上
貞観5年(西暦863年)。
菅原道真が文章生(もんじょうせい)となって、
早1年が過ぎた。
漢文と取っ組み合う毎日である。
ある夏の日、親戚の葬儀があって、大学の休みを取り、
摂津(せっつ)の国まで旅をした。
その帰り、大将軍社という社に参拝したところ、
ちょうど夏祭りの日で、神官たちが神輿(みこし)を
かついでいるところに出くわした。
暑い夏の日で、見物に出てる村人の中には、着物の
裾をもち上げ、素足を見せてる女たちもいる。
都では考えられないワイルドさだ。
なんて、はしたない… と思いつつも、道真19才、
エッチなことに人一倍関心をもつお年頃。
その頭に、たちまち妄想が広がった。
着物をたくし上げ、素足をさらした若い娘たち。
そんな娘たちが集団で、神輿をかついで練り歩いたら…
「娘神輿か。お前、スキモノだな」
いきなり話しかけられ、道真は飛び上がった。
見ると、道に寝転がってる乞食がいる。
「かなえてやってもいいが… すぐには難しいな」
道真は、顔を真っ赤にして
「な、何を言ってるんだ! 何者だ、お前は?」
乞食の分際で、なれなれしい奴… しかし、
「神さまだけど」
鼻毛を抜きながら、乞食は答えた。
「お前が神?」
道真は、鼻で笑った。
「なら、ひとつ言っておく。俺は自分の願いを
かなえるのに、誰の力も借りない。
神だろうが、仏だろうがな。
俺は自分の能力だけでのし上がり、いずれ天下に
号令する男になる… 100年に1人の大天才、
それがこの菅原道真だ。覚えておけ!」
吐き捨てると、足早に歩き去った。
乞食は、ちょっと嬉しそうな顔で、その後姿を見送る。
「いい感じのバカだな… 何か、使い道があるかもしれん」
道真には、とうてい想像できないことで
あったが、この大将軍社が後に、自分を
祀る大阪天満宮になろうとは…
今歩いているこの道が、日本一の長さを誇る、
天神橋筋商店街になろうとは…
そして、彼の夢想した「ギャル神輿」が
この道を練り歩くのは、1118年後の
昭和56年(西暦1981年)からである。
大阪天満宮 公式サイト
http://www.tenjinsan.com/
翌、貞観6年(西暦864年)、1月14日。
比叡山延暦寺。
71才になる円仁は、熱病にかかった体を横たえていた。
悪夢を見ていた。
そこは、かつて円仁が捕らえられていた、
忌まわしき纐纈城(こうけつじょう)。
死んだはずの道士、李終南(りしゅうなん)の
爬虫類のような、ぬらりとしたひょろ長い姿が、
目の前に立っていた。
この城の主であり、皇帝を洗脳し、
仏教を弾圧させた黒幕である。
首に、すさまじい傷跡が残っていた。
「円仁よ… 汝が呼び出した魔神のせいで、唐土を
道教王国にせんとする我が野望は潰え去った…
言え! あれは、いかなる魔神か?」
「し、知らん… あの時は、『名も知らぬ異国の魔神よ』と、
祈ったのだ… そなたこそ、唐の道士ならば、
あの魔神に心当たりがあるのではないか?」
道士は首を横に振った。
「あれは… 唐の魔神ではない」
「なんと…」
李終南は、気味の悪い目で円仁を見つめた。
「ならば、よい… まず、汝から血祭りにして、
我が恨み晴らしてくれよう」
「ま、待て!」
「汝が、1番恐れている者の姿をまとってな…」
目の前に、頭骨が盛り上がった不思議な
面相の僧侶… 円珍の姿があった。
「円仁さま… いつまでも生きて
いられると、邪魔でしょうがない」
円仁は、うろたえた。
「円珍… 私は比叡山を、君に
譲ってもよいと思っている!」
「言われるまでもなく、私のもの…」
円珍の細めた目の中で、異常が起きていた。
左右の瞳が、激しく振動しているのだ。
振眼(しんがん)… 超能力が発動する前兆である。
「黄不動尊! 出でませい!」
隆起した頭蓋から、オオオーンと雄叫びながら、
黄金の巨人が飛び出した。
「やはり比叡山を乗っ取るつもりだったか! この若造が!」
円仁の温和な顔が、怒りで真っ赤に膨れ上がった。
「地獄巡り、ゆけえぇい! 等活(とうかつ)
地獄・鉄磑所(てつがいしょ)!」
しかし、円仁が召喚した地獄の獄卒も、罪人を
ミンチにする鋼鉄の臼も、全て黄金の巨人が、
ハンマーのような拳で粉砕してしまった。
「あなたの法力など、この程度のもの…
お逝きなさい、円仁!」
巨人が、円仁の体をつかみ上げ、真っ二つに引き裂いた。
悪夢から目覚めた時、すでに
円仁の体は衰弱しきっていた。
弟子を呼び寄せると、細々とした遺言を託した後、
「円珍を決して、座主(ざす)にしてはならん」
と言い残し… 姿を消した。
そばに控えていた者の証言だと、
「清浄な仏堂を、死で汚すのは良くないから」
と言って、止めるのもきかずフラフラ出て行ったという。
弟子たちがあわてて捜索、華芳峰という峰で、
円仁の草鞋(わらじ)のみ発見された。
遺体はとうとう見つからず、仕方ないので
草鞋を華芳峰に葬ることになった。
葬儀の後、4代目の天台座主(てんだいざす)には、
円珍ではなく、円仁の高弟・安慧(あんえ)が就任。
2年後の貞観8年(西暦867年)には、朝廷より円仁に
「慈覚大師」の諡号(しごう)が贈られる。
後に、出羽の立石寺(山寺)の霊窟に、
円仁の遺体が安置されている…
という噂が流れた。(実際に、それらしい
遺骸も発見されたらしい。)
が、真相は不明。
円仁入滅の翌年、貞観7年(西暦865年)、7月。
唐から、大規模な貿易船団が博多に到着。
商人たちに混じって、道服を着たひょろ長い男が上陸した。
首に、すさまじい傷跡がある。
復讐の鬼、李終南(りしゅうなん)。
日本人にしきりと、「コブのある神」に
ついて、聞いて回っている。
翌年、貞観8年(西暦866年)、閏(うるう)3月10日。
道真は、大学寮で講義を受けていた。
大学寮の所在地は、現代の京都でいうと二条城
の南西、押小路通りが千本通りに出るあたり。
平安時代の千本通りは、平安京のメインストリート、
朱雀大路(すざくおおじ)であった。
ふと、コゲ臭いな… と感じた時、
「火事だ!」
「大内裏(だいだいり)が燃えてる!」
たちまち騒然となり、学生たちは朱雀大路に飛び出した。
すぐ目の前は、大内裏=官庁エリア
の入口、朱雀門(すざくもん)。
千本通りの、中京中学校と弥生会館が
向かい合うあたりである。
激しい黒煙が、朱雀門の向こうから立ち昇っていた。
野次馬が、朱雀門に殺到する。
その波に、道真も飲みこまれていた…
というより人を押し分け、現場へと、まっしぐらに走っていた。
燃えているのは、朝堂院(ちょうどういん)の
正門である応天門(おうてんもん)。
現在の、ファミリーマートのあたりであろうか。
「おお…」
なんという、すさまじい業火であろう。
しかし、こちら側は風上になっているので、
炎も煙も届かない。
野次馬の中には、ドサクサにまぎれて、
逃げてきた女官に抱きつく者もいる。
(放火…?)
瞬間的に、道真はひらめいた。
(だとしたら、犯人は野次馬の中に、まぎれているかも…)
それは、天才的な頭脳をもった者だけに
可能な、稲妻のような推理。
(犯人は女官に抱きついてみたかった…
そのために、放火を…)
ちょうどその時、女官の一団が泣きわめきながら
通り過ぎたので、自分もとりあえず、抱きついてみた。
そうしている内に、弓を手にした兵士たちが
駆けつけ、野次馬を追い払った。
道真もハローワークのあたりまで退避、
遠巻きに煙を眺める。
大変なことになったと思いつつも、どこか胸が
ドキドキ興奮するのを抑えられず、青春時代の
思い出のひとつとなった…
なんて、のんきなことを言っている場合ではない。
しばらくして、左大臣の源信(みなもと の まこと)が、
放火事件の黒幕であるとの内部告発があり、
兵士たちが邸を包囲する。
邸内の女たちは、パニック状態になり泣き叫ぶ。
源信は、源氏第1号と言われる。
父は嵯峨(さが)天皇。
皇族から臣下に下り、「源」の姓を賜った。
源信の家系を、「嵯峨源氏」と呼ぶ。
武士の棟梁となる源頼朝(よりとも)や義経(よしつね)は、
清和天皇から出た「清和源氏」なので、系統が異なる。
これほどの名門を誇る源信が、内裏に
放火するとは、どういうことなのか?
告発したのは、以前から源信と敵対関係
にある、大納言の伴善男(とも の よしお)。
こちらも、古代より皇室の近衛兵のような役割を
務めた名家、大伴(おおとも)氏の末裔である。
「もともと応天門は、平安京の建設時に、
我ら大伴氏が造営した門であります。
左大臣は私に対する恨みから、我が一族の
誇りである応天門を燃やしたのです。
また、自らが天皇になれなかったことで、
朝廷に対する恨みもありましょう」
伴善男は背が低く、小太りでがに股、
目がくぼみ、額が禿げ上がり、残酷で、
優雅さのかけらもない男だったという。
「これで俺も、右大臣くらいまでは、繰り上がるな…」
この先に待ち受ける落とし穴も
知らずに、彼はほくそ笑んでいた。