天神記(一)





8、 契り(ちぎり)




真済が初めて、明子の祈祷のため染殿に上がったのは、
仁寿(にんじゅ)3年(西暦853年)のことである。
真済54才、明子25才、父子以上の開きがあった。

明子は御簾の中で、意味不明な言葉を
つぶやきながら、髪を振り乱していた。
「源顕定(みなもと の あきさだ)が、
魔羅(まら)を丸出しにしておる!」

もちろん、御簾越しなので顔は見えない。
しかし真済は、美しい声で卑猥なことばを叫ぶ
そのシルエットに、ぞくぞくするものを感じた。

やがて、真済の祈祷で明子は正気になり、それ以来、
しばしば真済は染殿に呼ばれるようになった。
真済の祈祷は、常に効果てきめんであり、帰り際には
いつも、御簾越しに、自分を見つめる視線を感じた。

やがて真済は世間の噂で、明子の境遇を
知り、深い同情を抱くようになる。
なんとかして、さしあげたい…


そんな時、文徳天皇が病に倒れた。
天安(てんなん)2年(西暦858年)のことである。
危篤状態の帝の病魔を調伏する、
重大な任務が真済に回ってきた。

必死に祈祷を捧げる真済。
そばの御簾の奥から、覚えのある香りが漂ってきた。
明子さまも、いらっしゃってる…

その時、一陣の風が吹いて、御簾をめくり上げた。
真済の目のすみに、これまで見たこともない、
はかなく淡い美貌の女人が映った。
ほんの一瞬のできごとだったが、真済の心に積もり
積もっていた明子への思いに、一気に火がついた。
59才という年齢になっても、人は本物の恋をするのである。

と、同時に。
眼前の御簾の中で、高熱にうなされている帝に対し、
おそれ多くも、憎しみの情が湧いてきたのである。
1つには、恋した女性の夫に対する嫉妬。
1つには、明子を大切にせず、不幸にしたことに対する怒り。

こうなると、祈祷に身が入ろうはずもなかった。
脂汗をしたたらせ、必死に感情を抑えようとしたが、
心の中では爆発する恋慕の情と、
憎しみが渦を巻いていた。


翌日、帝は崩御。
真済は世間の非難を浴び、信用を全てなくした。
これまで築きあげてきたエリート人生の
全てが、崩壊したのである。

だが真済は、そんなことはまったく眼中になかった。
未亡人となった明子を、我が妻としたい。
そんな大それた、狂気の野望に取りつかれたのである。

もちろん皇太后となった明子を、妻になどできるわけがない。
だが、密教の法力をもってすれば、不可能はないはず…!
真済は狂ったように高雄山中をさまよい、
雑草をかじりながら、激しい祈祷に打ちこんだ。
「明子さまを我が妻にしてくだされえェッ!!」

そしてある日、几帳の中で明子を犯す夢を見た。

それにしても神護寺という寺は、後年出てくる
文覚(もんがく)といい、この真済といい、
恋に狂った住職が出る、因果な寺である。
(文覚は、人妻に恋してストーカーのようにつきまとい、夫を
殺そうとして、まちがえて妻の方を殺してしまった… という人)

神護寺 観光サイト 
http://www.webtown-kyoto.com/cgi/websys.cgi?SM=spot&ID=9 

山中で死んでいる真済が発見されたのは、貞観2年(西暦860年)、
2月25日のことであった。



貞観3年(西暦861年)、初冬。
染殿の庭に、紅い葉はすっかり落ちていた。
この日、1人の法師が門前に立った。
「比叡山の相応(そうおう)、まかりこしました」

太い眉、ごつい体、ゴリラのような毛深い法師。
円仁の高弟・相応、この時31才。
後に、「千日回峰行(せんにちかいほうぎょう)」という、
比叡山名物の苦行を編み出す人である。

明子はちらっと相応を見て、いやだな… と思った。
生理的に、受けつけないタイプの男だった。
それに比べて、生前の真済さまは…


夜… 護摩壇をしつらえ、幻夢のように
燃え上がる炎の中、相応は祈祷を始めた。
野太い、腹の底に響くような力強い声で、
聞く者に、これならどんな物の怪も退散
するだろうと、思わせるものがあった。
(こんな強そうな坊さまは、見たことがない…)
(怨霊だろうとなんだろうと、こりゃ勝ち目ないわ)

しかし、明子にとっては拷問だった。
(だれか、この下品な祈祷を止めさせて… 
真済さま… 助けて、真済さま…)
耳をふさいで必死に耐えていると、
そっと肩を抱く者があった。

「明子さま… 真済は、ここに」
見上げると、なつかしい、知的で
優しい真済のまなざしがあった。
明子の頬を、涙が流れた。
「お待ちしておりました…」

2人は、抱き合った。
永遠とも思える数秒。
もはや、相応の声も聞こえなかった。

「これしか、方法がなかった… あなたを愛するために、
死んで怨霊となるしかなかったのです…」
「もう、地位も名誉も命もいりません… 
何もいらない… ただ、抱いてほしい…」

御簾の中、2人は結ばれた。


相応は、室温がこころもち低下し、
湿度がやや上がったのを感じた。
霊の出現に伴う現象である。
(来たか…)

この邸に来る前。
相応は不動明王を拝し、この手強い怨霊を調伏する
方法について、導きを賜るよう祈っていた。
すると、夢の中に不動明王が現れ… 相応に背を向けた。
「我(不動明王)の呪法では、この怨霊を調伏できぬ…」

「なんですと?」
「なぜなら真済もまた、生前は我が呪法に深く
通じた高僧。いかなる呪も通用しないだろう」
「では、どうすれば…」

「ひとつだけ方法がある。最強の明王、大威徳夜叉明王
(だいいとくやしゃみょうおう)の呪法なら、あるいは… 
真済もまだ知らぬはずだ」


そして今、最強明王の秘術を使う時が来た。
相応は何気なく祈祷を続け、いったんひと呼吸つくと、
おもむろに両手で印を結ぶ。
「臨(りん)兵(ぴょう)闘(とう)者(しゃ)皆(かい)
陣(じん)列(れつ)前(ぜん)行(ぎょう)!」

裂帛の気合とともに唱える「九字」に、周りに
控えていた者たちは、飛び上がる。
後に忍者が使用し、漫画やアニメでもおなじみの「九字」。
道教に起源をもつ呪法で、密教とともに日本に入ってきた。
最後の2文字が「在・前」でなく、「前・行」と
なってるのが天台宗バージョンである。

相応は、弾丸のように立ち上がると、
右手を大きく振り上げた。
くわっと指を大きく広げた右手のひらに、
「ウーン」という梵字が書いてある。

「オン・シュチリ・キャラロハ・ウン・ケン・ソワカ! 
大威徳夜叉明王、死霊降したまへ!」

左手で御簾を引きちぎると、右手を、御簾の中の空間に、
すさまじい勢いで振り下ろした。
「ウーーーーーーーーーーン!!!!!!!!!!!」

その瞬間、風が吹き荒れ、護摩の火や灯りが全て消えた。
闇が訪れる前のほんの一瞬、周りの者たちは見た。
明子の上におおいかぶさっている、
2メートルを超える異形の男を…


灯りが再びともされた時、怨霊は消え、
明子は安らかに眠っていた。
肌はしっとりと濡れ、これまで見せたことのない、
幸せそうな表情をしている。

「ご無事で何より…」
従者たちは胸をなで下ろしたが、
相応の姿を見て言葉を失くした。
あのゴリラのような体躯が、げっそりと
やせ細っているではないか。

しかも、どれだけの勢いで振り下ろしたのか、
相応の右腕は妙な曲がり方をして折れ、
眼と鼻からも血を垂らしている。
「いや、心配ご無用… これで怨霊は、2度と現れないでしょう」


相応は比叡山に戻った後、半年間
療養しなければならなかった。
明子は、ここ数ヶ月間の記憶を、まったく失くしていた。
そして相応の言うとおり、これ以後、物の怪に
悩まされることはなかったのである。



明子は、染殿の庭に、雪がしんしんと
降り積もるのを見ていた。
月が雪に反射し、あたりを幻想の世界のように照らし出す。
明子は、だれかを待っていた。
だれを待っているのかは、わからない。



翌年、貞観4年(西暦862年)、5月。

都では、菅原道真(18才)が大学寮(だいがくりょう)の
文章(もんじょう)学科にストレートで合格、文章生となる。
大学寮とは、役人を育成するための学校。
文章学科は現代でいう文学部、定員20名。
道真のキャンパスライフが、いよいよ始まったのである。

「道真、あの噂は聞いたか?」
「ああ、皇太后か… 怨霊に、や… 
やられちゃったらしいな」
こういう噂は、すぐに広まる。
講義の合間の、学生同士の雑談タイムであった。

「それで… 来もしない怨霊を、ずっと待ってるらしい」
「なんと、いじらしい…」
「怨霊… よっぽど、良かったんだな」
「誰か、怨霊のふりして忍んでいけよ」

しかし道真はもはや、雑談の輪に加わっていなかった。
怨霊となった真済は、その後どうなったのか。
もう2度と、2人が出会うことはないのか…
そんなことを、しんみりと考えていた。



染殿が紅く染まる季節が、またやって来た。
明子は相変わらず、来るはずのない誰かを待っていた。

手のひらにのせた1枚の紅い葉を、じっと見下ろす。
それは、庭から拾ったものではない。
あの記憶をなくした夜、寝床に落ちていたのである。

涙がひとつぶ、手のひらの紅葉に落ちた。
そんな明子を、従者たちは不憫に思いながらも、
ただ見守るしかなかった。

そしてまた、年が明ける。