天神記(一)





6、 白梅殿(はくばいでん)




貞観(じょうかん)元年(西暦859年)、
第56代・清和(せいわ)天皇の御世。

京の都のとある辻を、女物の車が流していく。
この時代の車といえば、もちろん牛車である。
この車は名高い女流家人、小野小町
(おの の こまち)の専用車であった。

「ご主人さま… 誰かついてきますが」
牛飼い童(うしかいわらわ)、つまり運転手に
当たる少年が、車の中の婦人に話しかける。

「何人?」
「1人です… いつもの、菅家のお坊ちゃん」
「1人か…」

車の中から、ため息が聞こえた。
プライドが傷ついたらしい。
すでにこの時、小町はブームの過ぎたアイドルであった。
「あっ もう1人いますよ… 見ない顔ですが」


車の20メートルほど後を、こっそりつけてくる少年。
それは、阿古(あこ)と呼ばれた菅原家の長男であった。
今年15才、元服を済ませ、道真(みちざね)と名乗る。

「おい、道真…」
心臓が飛び出るほど驚いて振り返ると、そこには
えらく四角張って老け顔の少年が立っていた。

「なんだ… 三善清行(みよし の きよつら)ではないか」
「小町のご尊顔は拝めたのか?」
清行は道真と同じ、学者の家の長男である。
どこかで、道真が小町の追っかけをしている、
という情報をつかんだらしい。

道真は、顔を真っ赤にして、
「私はそんな浮っついた気持ちで、追っかけを
してるのではない! 小町さまの歌に感銘を受け、
私の歌を添削していただこうと」

「カッコつけるなよ。お前だって小町が
どんな顔してるか、気になるんだろ?」
「お前といっしょにするな!」
2人の少年は、通りの真ん中で
取っ組み合いのケンカを始めた。


結局、小町の車も見失い、着物もボロボロにして、
道真は家に帰ってきた。
現在の住所で言うと、京都市下京区菅大臣町にあたる。

住居跡には現在、2つの神社が建つ。
南にある「菅大臣神社」は、かつて「白梅殿」と呼ばれ、
プライベートな生活空間は、こちら側にあったようだ。
北側の「北菅大臣神社」は、「紅梅殿」と呼ばれ、
道真の書斎や「菅家廊下」という名の私塾があった。

道真は藁束や弓矢のセットを取り出し、
白梅殿の庭で弓の稽古を始めた。
「学問の神様」のイメージが強い
道真だが、実は文武両道である。

15才とは思えないくらい背も高く、
筋肉もがっしり締まっていた。
ややアクが強い顔立ちだが、なかなかの好男子でもある。

「妬いてるのかい?」
藁束を次々に射抜きながら、道真は白梅に話しかけた。
彼がここまで偏愛するのは、この白梅のみであり、
紅梅殿に植えてある紅梅は、子供のころ歌に
詠んだきりで、興味を失くしてしまったようだ。

「俺は知性のある人が好きなんだ。知性があって、
美しければ、なおさら…」
白梅の枝が、ざわざわと揺れた。
それを見て、道真は笑った。

「大丈夫さ。今のところ、お前以上の美しい人に
会ったことはない。でも、見つけなくちゃ… 
人間と梅の木では、夫婦になれないからな」



そのころ。
比叡山延暦寺では、昨年唐より帰国した
円珍の行動が問題になっていた。

円珍は今、生まれ故郷の讃岐の国、
金倉寺(こんぞうじ)にいる。
ここは円珍の祖父が開いた寺であり、唐から持ち帰った
経典や法具を、全てここに運びこんでいた。

そして、その間に人を雇い、荒れ果てた
近江園城寺を修復してるらしい。
修復が済んだら、そこに移るつもりであろう。

円仁は、心を痛めていた。
愚かしい妬みや対抗意識から、大仏の首を
落としたものの、このままでは将来、
天台宗分裂という事態になりかねない。

帰ってくるとなると、うとましく思えた円珍だが、
離れていくとなると、引き止めたい。
どうしたらいいだろうか…

そうしているうち、円珍から書状が届いた。
園城寺を整備するので、そこを延暦寺の
別院として認めていただきたい。
唐から持ち帰った全ての物は、そこに収蔵する。
なぜなら、量が膨大な上、比叡山は湿気が
多いので、経典や書籍を保管する場所として、
あまり適当ではないから。

とりあえず、円珍が比叡山と手を切る
つもりではないことはわかった。
が、明らかに距離を置こうとしている。
自分が原因だろうと、円仁は思った。

それならば、私も比叡山を出よう。
ちょうど、坂東(ばんどう)や陸奥(みちのく)を回って、
天台の教えを広めながら、修行道場となる寺院を、
各地に開設したいと思っていたところだ。



近江(おうみ)の国は、現在の滋賀県である。
かつて琵琶湖は、「近つ淡江(ちかつあわうみ)」と呼ばれた。
「都から近い淡水の海」という意味だが、文字と
しては「近」と「江」が残り、読み方としては
「あわうみ」が残って、「おうみ」となった。
ちなみに、「遠つ淡江(とおつあわうみ)」は、
鰻で有名な浜名湖である。

比叡山から琵琶湖側の坂本の集落に下り、私鉄で
南に下って8つ目の駅が「三井寺駅」、ここに7世紀に
建立された古刹、園城寺(三井寺)がある。
荒れ果てていた園城寺は今、急ピッチで
リニューアル工事が進んでいる。

長等山の斜面に広がる大規模な寺域での工事を、
湖畔でのんびりと見上げている、2つの影があった。
乞食と、コブのある老人… いや、今は老人ではない。
新しい肉体を得て、中年となっている。

「円珍と円仁… いい具合に、傑出した
2人が同時代に出てきたもんだ。
竜虎相打つ時、必ず地に乱を呼ぶからな」
「しかし、その2人には今ひとつ、争う意思が
足りないようですな… こっちの寺に移って
きたとはいえ、比叡山と手を切るわけでもなし」

「あの2人に互いに敵意がなくとも、それぞれの
信奉者がいる。宗教戦争っていうのはな、教祖が
始めるわけじゃない、信者が争うんだ。
まあ、見てろ。今はまだ呼び水… 
いずれ、この国を飲みこむ激流になる」
まさしく、その通りであった。

将来、延暦寺VS三井寺の争いは、ヤクザも真っ青の
血生臭い闘争となり、都をも巻きこむことになる。
そして、その闘争から都を守るため、平家や源氏といった
武士団が介入、大いに力を伸ばし…
やがて、武士の世が到来することになる。

「ところで大仏の首だけは、いまだに
どうも、わかりかねますな」
コブをなでながら、コブ男は頭をひねる。

乞食はニヤリと、牙をむき出した。
「糸100本出せる魔風大師様でも、
あんな術は使えねえと?」

「正直、どうやって落としたのか…」
彼は、幻術にかけては世界一を自負していたが、
大仏のような人工物に対し、物理的に損傷を
与えるような技は専門外だ。
「あなたは言いましたな。全ての術は暗示、
さもなくば糸を通して行われると…」

「種を明かすとガッカリするぜ。結論を先に
言うと、お前でも簡単にできる」
「ということは、あれは幻術だと? 
しかし、首が落ちたのは現実…」

「因と果の逆転よ。逆に考えるんだ」
コブ男は、しばらく考え、
「首は、円仁が落としたのではない… たまたま落ちた…」
「もともと、作りが悪かったんだろう」

「首が落ちてから円仁は術を使った、というわけか…
大仏に対してでなく、周りの人間に対して。
偽の記憶を植えつけた… 大仏呪詛の
修法を行った記憶を… 自分の法力で
首が落ちたように、思いこませた」

乞食は、うなずいた。
「お前のように能力がありすぎると、こういう
小賢しい発想は出なくなる。しかし、能力の
ない人間の知恵ってのは、バカにできねえぞ。
魔風大師の目ですら、あざむくんだからな」
「そのようですな…」
たかが密教坊主と軽んじていたが、なかなかやりよる…

「ときに、その円仁は今どこに」
「知らねえな。もう、あいつの役目は終わった」
吐き捨てるように、乞食は言う。
「好き勝手に、のたれ死ぬがいいさ」



翌、貞観2年(西暦860年)、夏。

円仁は、陸奥(みちのく=東北地方)を旅していた。
現在の山形市にあたる山中で、座禅を組んでいる。
恐ろしいほど静かで、修行にはもってこいの山だった。
まるで、蝉の声が岩に染み入るような静けさ…

「ここに道場を建てよう…」
立石寺(りっしゃくじ)、通称「山寺(やまでら)」の創建である。
山寺観光サイト
http://www4.dewa.or.jp/yamadera/


一方、円珍は…
工事の済んだ園城寺にこもり、唐より持ち帰った
経典の読解注釈に専念している。
園城寺(三井寺) 公式サイト
http://www.shiga-miidera.or.jp/



少し時が戻り、この年の2月。

都の北西、高雄山の山中をさまよってる、
ボロボロの死にかかった法師がいた。
見る影もなくやつれ果てていたが、それはかつての
真言宗のエリ−ト、真済(しんぜい)である。
円仁とともに唐へ渡ろうとしたが、1回難破しただけで、
あっさりとあきらめてしまった、あの男。

この年61才、まもなく「死」が訪れようとしている。
そう、彼に残された「時の砂」は、
ほんのわずかだったのだが…
「めいし… めいし… だかせろ… おれのものになれ…」
岩肌にしがみつき、うわごとのように、つぶやく。

それにしても、何が真済の身に起こったのか?

「お前の望みは、なんだ?」
誰かが、真済を見下ろし立っていた。
真済はうつろな目で、声の主を見上げる。

「我は今すぐ死んで鬼となりたい… 
そして皇太后(こうたいごう)明子さまと契りあうのだ…」
明子とは、現行の天皇・清和帝の母なる人である。