天神記(一)





5、 新羅明神(しんらみょうじん)




仁寿3年(西暦853年)、7月。

40才になったこの年、唐へ渡る商船が見つかり、
ついに大海へと乗り出す円珍。
だが、しばらくすると大風が吹き、船を南へ押し流す。
「このままでは、人食い人種の島に流されるぞーッ」
このころ、沖縄の辺りに食人種が住むと考えられていたようだ。

その時… おにぎり型の円珍の頭部から、
七色の光がほとばしり…
オオオーン オオーン!!
「な、なんだッ あれはー!?」
身長10mを超す黄金の巨人「黄不動」が出現した。

「黄不動尊がおっしゃるには、この風を送りこんで
いるのは、あの雲に潜んでいる空の魔獣らしい! 
今から退治して下さるので、帆を降ろして待機しているように」
円珍の説明が終わらないうちに、巨人は空へ
舞い上がり、怪しい黒雲に飛びこんだ。

「おおっ 雲が光っている!」
指示通り帆を降ろした船員たちは、雲の上の戦いを見守る。
やがて空は静かになり、風は止んだ。

乗員乗客は1人残らず円珍を拝み、黄不動尊に
守られたこの船は絶対に沈まないと、まるで
カルト宗教の信者のように信じこんだ。
その暗示の力がきいたのか、その後は一切
災難にあわず、船は無事、唐に着いた。


円珍があせって唐へ渡ろうとせず、12年間
修行に励んだのは、誠に幸いであった。
唐で吹き荒れていた宗教弾圧の嵐はすっかり
止んでおり、以後6年間、実に順調に天台山を
含め各地を修行して回ることができたのだ。
円仁の時とは、大違いである。

唐では、おむすび型の円珍の頭が、非常に珍しがられた。
こういう形の頭骨には高い霊能力が宿っており、呪術の
道具に使うと効果バツグンであると信じられていたので、
「あなたが死んだら、頭蓋骨をゆずってくれませんか」
と、お願いされたり、実際に円珍の首を
掻き切ろうとする危ない輩も現れたりした。

修行仲間の僧たちは円珍の身を
気遣ったが、本人はカラリとして
「首を切られて呪術の材料にされるようなら、
しょせん俺も、その程度ということ」
と、笑っていたという。



翌、斉衡(さいこう)元年(西暦854年)。

そのころ、日本の比叡山では、円仁(61才)が第3代目の
「天台座主(てんだいざす)」に就任した。
天台座主とは、比叡山延暦寺を統括する役職である。

円仁は、唐にいる円珍の身を案じながらも、この20才
年下の異能の僧に、ライバル意識のような感情が
湧き上がってくるのを、押さえられなかった。

知識も経験も人望も、自分の方が勝っているだろう。
だが1つだけ、円珍に勝てないかもしれない… ものがある。
それは「法力」。
超能力と言いかえてもいいかもしれない。

「密教」とは秘密の教え… 超能力を習得、
超人となるための仏教である。
閉鎖的な教団の内部で、絶対的な力をもった師から弟子へと
伝承される、神秘主義的、呪術的、黒魔術的教義の体系。
現在、チベット文化圏と日本にしか残っていない、
世界でも特異な宗教である。

天台宗開祖の最澄は、密教の研究をしながらも、
「ふつうの仏教(顕教)」も重要と考え、「顕教」と「密教」を
半々ずつやっていくお寺として、延暦寺を開いた。
まじめで常識人だった最澄らしい、手堅い判断である。

一方、豪快で怪物型のライバル空海は、
密教100%の真言宗を開いた。
その本拠地も、都から遠く離れた高野山。
世間の俗事には一切関わらず、超能力メインで
やるという決意がムンムンである。

その結果、天台宗は密教において、つまり
超能力において、真言宗に遅れをとった。
その遅れを埋め合わせるべく、円仁は苦労して
唐に渡り、過酷な冒険をしたのであるが…

今、後発の円珍が楽々と唐に渡り、もともと才能が
ある超能力に、さらに磨きをかけている。
いくら人格や学識が評価されようとも、超能力(法力)で負けて
しまえば、密教の指導者として、誰も認めてはくれないだろう。

「私の力… 示しておかねばなるまい…」
ターゲットは… そう、あそこがいい。
同じ密教のライバルとしての高野山(真言宗)の他に、
比叡山にとって大変うとましい存在の寺があった。
それは… 奈良の東大寺。

仏教は飛鳥時代の直前に伝来した後、聖徳太子が
国教とし、国家が管理運営する、公式の宗教となった。
その統括本部が、奈良時代に作られた東大寺である。

新しい流派である密教を敵視しており、特に東大寺だけに
与えられた特権である「受戒」を、比叡山が勝手に行ってる
のは許せん! と、激しい抗議運動を行っていた。

円仁は、密かに延暦寺の幹部一同を
召集、恐ろしい発表をした。
「東大寺に仏罰を下す」
天台の力を見せつけるため、東大寺のシンボル
である大仏を、法力で攻撃する。
つまり、超能力を使ったテロである。

慄然とする幹部たちを尻目に、円仁は護摩壇(ごまだん)に
護摩火(ごまび)を焚いて、大仏を呪詛(じゅそ)する
100日間の修法(ずほう)を開始した。
赤い禍々しい煙が、堂内に立ちこめていく。



翌年、斉衡2年(西暦855年) 。

京の都では、菅原家の阿古(あこ)が、初めて漢詩を作った。
数え11才である。
「うーむ。わしって天才」

タイトルは、「月夜見梅花 (月夜に梅花を見る)」

月輝如晴雪 (月の輝きは晴れたる雪の如し)
梅花似照星 (梅花は照れる星に似たり)
可憐金鏡転 (憐れむべし金鏡転じ)
庭上玉房香 (庭上に玉房の香れるを)


3行目の「金鏡」は満月のこと。
星のような梅花とは白梅であり、この年齢で
白梅の良さがわかるとは、かなり渋い。
「まあ、天才ですから」



5月、東大寺大仏の頭部が突然落下したと、史料にある。

この年の始めごろから、首の辺りに原因不明の
亀裂が生じ、何か対処しなければと話しつつも、
ものが大仏だけに、修復費用の調達や作業準備が
並々なことでなく、つい遅れがちになっていたところ、
この5月の地震でとうとう、首がもげてしまった。
怪我人が出なかったのが、せめてもの幸いであった。

9月には、修復作業が始まった。
東大寺 公式サイト http://www.todaiji.or.jp/



3年後、天安(てんなん)2年(西暦858年)、
第56代・清和(せいわ)天皇の御世。

時の砂は、瞬く間に流れる。
円珍が唐に渡り5年以上の月日が流れ、今、彼は
唐商人の船で帰国の途についていた。

密教の真髄を我がものにした、という手応えはあった。
しかし… 円珍は、顔を曇らせた。
円仁… あの方と対立するのは
イヤだな、という思いがあった。

あの人の学んだ密教を、否定するわけではない。
しかし自分の方が運に恵まれ、より深い
境地に達することができたのだ…

その時、船員たちが騒ぐ声が届いた。
何か、ものすごいスピードで船に接近してくる!
鮫? 鯨?

海上から飛び上がったそれは、水を
撒き散らしながら甲板に着陸。
「ごきげんよう、諸君」

乗員一同、あぜんとして、その男を見つめた。
身長190センチ以上、異様に発達した筋肉、伸び放題の
髪と髭は滝のように海水を滴らせている。

ボロ布をまとっているところを見ると、
乞食のようでもあるが…
「この船が沖を通るのを見かけてな。
新羅(しらぎ)から泳いできた」

現在地点は、新羅から300kmくらい離れている。
周囲には他に、船も島も見当たらない。
「ば、化け物…」
船員たちは、パニックになりかけている。

甲板に飛び出した円珍は、
「黄不動尊! 出でませい!」
黄金の巨人を呼び出す。
オオオーンと轟くような雄叫びを上げ、黄不動は
乞食に向かい拳を振り上げる。

「糸を張るなっつーの」
乞食は、手で顔の前をサッと、
蜘蛛の巣を払うような仕草をする。
すると… 黄不動は消滅した。
まるで、始めから存在しなかったかのように。

「黄不動が…」
円珍は、立っていられないほどの衝撃を受けた。
我が法力が通じないとは…

「おい、そこの三角頭。俺はこれでも神だから、
以後それなりの礼をもって接するように」
「あ、あなたは、どういう神なのですか…? 
新羅の神ですか?」
「まあ、好きに考えろ。それよりだな…」
神と称する乞食のような男は、円珍のかたわらに腰を下ろした。

「お前が唐より持ち帰ろうとしている、ありがたいお経とか、
その他もろもろ… 比叡山には持ちこまない方がいい。
あそこには、お前のことをおもしろく思わない連中もいる」
「え」

「円仁の取り巻き連中な… お前を潰そうとしてるぞ」
「……」
円珍の心配していたことを、ズバリ核心をついてきた。

「近江(おうみ)の国に、園城寺(おんじょうじ)っていう
荒れ寺がある。あそこを修理して、持ち帰ったお経を保管しろ」
「園城寺…」

円珍は何か、運命的な響きを感じた。
「地元の連中は、三井寺(みいでら)って呼んでるらしいぜ」
それだけ言うと、乞食はゴロンと
横になって、昼寝の体勢に入った。