天神記(一)





4、 黄不動(きふどう)




天長(てんちょう)8年(西暦831年)、
第53代・淳和(じゅんな)天皇の御世。

都の鬼門(北東)にそびえる比叡山(ひえいざん)。
そこに、日本天台宗の開祖・最澄(さいちょう)が
延暦寺(えんりゃくじ)を開いたのは延暦7年
(西暦788年)というから、43年前のことである。

比叡山延暦寺 公式サイト
http://www.hieizan.or.jp/

その境内の大部分が滋賀県にあるのに、「京都の文化財」
として、ユネスコ世界遺産に登録されてしまった。
滋賀県民の無念さは、察するに余りある。

昔、作者の知り合いの滋賀県民は
「琵琶湖から京都に流れる水道をせき止めれば、
奴ら(京都市民)干上がっちまいますよ。ウヘヘヘ」
と、言っていたものだが…

さて、この年。
比叡山において受戒(じゅかい)した者は、その後12年間、
比叡山から出てはならない、という法が定められた。
「受戒」とは、国家公認の正式な僧になる儀式を受けること。
この時代、僧になるには国家資格が必要であった。

12年間山から下りず、ひたすら修行に打ちこむ
「十二年籠山行(ろうざんぎょう)」。
これは、かなり厳しい。
あの円仁ですら、6年しかやってない。

しかし、ここに1人、変わりダネがいた。
「12年も山に籠もっておってええんか… 
人里に下りなくてもええのか。うれしい! 
俺、山大好き。人ごみ出ると、頭痛がするねん」
頭骨の盛り上がった、異様なおむすび型の頭をもつ見習い僧。
この年、18才。

讃岐(さぬき=香川県)から上京した彼が、
比叡山に入門したのは2年前。
なんと、最澄のライバル空海の親戚にあたる若者であった。
どうして空海の開いた高野山に入門せず、こちらに来たのか…

それだけでも皆の注目を集めるのに十分で
あったが、そのうえ、その奇怪な容貌。
しかも頭脳優秀、体力抜群、山歩きが3度の飯より好き。
幼いころから幻視を見ることが多く、霊能力にも
素質があるという噂であった。


そして翌年、天長9年(西暦832年)。

おむすび頭の若者は、この年の選抜試験に最優秀で合格。
1年に2人しか許されない、受戒の権利を勝ち取った。
入山して3年目、19才の春である。


さらに翌年、天長10年(西暦833年)。

ついに、老師より戒を受ける。
この時点で国家公認のオフィシャルな
僧侶となり、「円珍」の名を授かった。
そしていよいよ、12年に及ぶ山篭りに入る… 
が、山好きの円珍にとって、オタが秋葉原で暮らすが如し。


承和2年(西暦835年)、
第54代・仁明(にんみょう)天皇の御世。

山篭りに入り、早くも2年が過ぎた。
世間とは何の関りももたない毎日だが、
ショッキングなニュースを耳にする。
親戚に当たる空海が、高野山で没したのだ。

日本宗教史上最大の巨人、真言宗の開祖・空海。
不死身かと思われた彼も、ついに病魔に屈し、
時の砂が尽きたのだ…

弟子たちは、空海は決して死んでおらず、姿を変え、
高野山内を巡っておられるのだ、と主張している。
そして時々、生まれ故郷の四国へと帰り、四国一円の
88ヶ所の真言宗の寺を回っておられるのだと…

そしてこの年、大先輩の円仁が遣唐使の
メンバーに選ばれている。



承和5年(西暦838年)。

山篭りは、5年を超えた。
ハレー彗星が出現、円仁がようやく唐に渡ったこの年…
近づくものとていない比叡山の深い谷間で、
円珍は信じられないものを見た。
「か… 怪物や…」

それは10mを超える、山のような怪獣… 
猪のようにも見えるが、後ろ足で直立している。
「ゴギャアアアアアアッ ゴンギャアアアア」
怪獣は戦っていた… やはり10m以上ある、半裸の巨人と。

巨人の肌は黄金に輝き、髪はアフロ
ヘアー、しかも口元に牙がある。
オオオーン、オオーンと激しくいなないて、
怪獣にチョップやパンチを叩きこむ。

巨人が怪獣を投げ飛ばした時… 
そこには、腰を抜かした円珍がいた。
「うわあああああああっ」
怪物の下敷きになり、意識が真っ暗に…

「私は、仏の国から来た黄不動明王… 
地獄から逃げた魔獣を追って地上に来たが、
君を巻き添えにしてしまったようだ… すまない」

夢を見ているのか、キラキラした空間に円珍は横たわっていた。
頭の横に、例の黄金の巨人が立っている。

「私の命を、君にあげよう… 君が危機に
おちいった時には、必ず私が現れる」
オオオーンと叫んで巨人は光となり、
円珍の頭部に吸いこまれた…

「はうわっ う? うーん、夢か… 
なんやドえらいモン見たわ」

山中の洞窟で目を覚ました円珍は、とりあえず
記憶を頼りに、巨人の姿をスケッチする。
これを後日、本職の絵師に描き直させたのが、
現在も伝わる国宝「黄不動尊画像」である。

現代の心理学で解釈すれば、「怪獣」は円珍の
心の底に潜む感情・願望・野望。
「黄金の巨人」は、それを押さえこむ理性・知性・叡智。

実は、「怪獣」となって出現するほど大きな野心が、
円珍の中に目覚めつつあった。
目覚めたきっかけは、円仁の渡唐である。

「世間と関わるの嫌い。一生山に籠もって、修行だけしてたい」
そう思って生きてきた円珍だったが、
円仁の話を聞き、しだいに
「俺も唐に行ってみたい… 唐で勉強して、自分なりの
天台宗、自分なりの密教を、完成させてみたい…」
そんな気持ちが、湧き上がってきたのである。

しかし、円珍はそれを押さえこんだ。
山篭りは、まだ7年も残っている。
だが、押さえれば押さえるほど、怪獣はひんぱんに現れ、
黄金の巨人と激しくバトルを繰り広げるのであった。



承和12年(西暦845年)。

山篭りは終わった。
思えば、あっという間の12年だった。
唐への思いを振り切るように、
他の山で、さらに修行を続ける。

まず、南に下って大和(やまと)の国(=奈良県)、
大峯山(おおみねさん)へ。
世界遺産に指定された今日でも、
なお女人禁制の聖地である。

しかし、崖から宙吊りになって心を
無にしても、やはり唐が気になる。
(円仁さま、今ごろ、どうしておられるやろな…)
その時、円珍の目の前の空間に、
不気味な映像が浮かび上がった。

暗い大きな建物… 内部では、僧侶が
天井からロープで逆さ吊りにされている。
首から血が雫となって、真下に
置いてある甕に、落ちていく。
円珍は震え上がり、円仁の身を案じた。


さらに南、熊野へ映った。
「大斎原(おおゆのはら)」では、
飛び交う無数の魂を見た。

那智の大滝に打たれていると、
またしても「黄不動」が現れた。
滝に打たれる円珍を守ろうと、両手で
落ちてくる水を受け止める。
日に日に、幻視がひどくなっていくようだ。


翌、承和13年(西暦846年)。

比叡山に戻った、ある晩の夢。
肩に猿をのせた老人が現れ、
「唐へ行け」と強く命じる。
比叡山のふもとにある日吉大社の神、
比叡山の地主神だという。

目が覚めると、円珍の心はスッキリしていた。
「山の神さまが行けいうんなら、しゃーないな」
目標は定まった。
円珍は、33才になっていた。

この日から、円珍は唐へ渡る手づるを
求めて、走り回ることになる。
遣唐使は、しばらくない。(というか、もうない)
他の手段を探さなければならない。



仁寿(にんじゅ)元年(西暦851年)、
第55代・文徳(もんとく)天皇の御世。

渡唐の決意から、5年がたった。
ようやく、右大臣・藤原良房(ふじわら の よしふさ)
という大物が、円珍のスポンサーについてくれた。
後は、唐へ渡る商人の船を待つだけである。



さて、この年…
4年前、「雅楽頭(うたのかみ)」に任ぜられた尾張浜主だが、
「体力の衰え」を理由に職を辞し、田舎に引きこもった。
119才という年齢を考えれば、誰も不思議に思わない。

だが実際は、「体力の衰え」どころの話ではなかった。
体が、腐り始めていたのである。
「人魚の肉」の効果が切れてきた
のだろうと、容易に察しはついた。

尾張浜主は最近になってから、新しい舞の形、
新しい芸のありようが、ぼんやりと
見えてきたところであった。
そんな時に、時の砂が尽きてしま
おうとは、なんたる無情…

いや、常人の倍の寿命を生かして
もらったことは、よく承知している。
しかし今、絶対に死ねないこの時に… 
せめて、あと半年でも…
すでに見えなくなった両眼からは、無念の涙が
あふれ、寝床を濡らすのであった。

せめて自分のおぞましい死に様は、
決して人に見られないよう…
見られたら、自分の舞にまで、
おぞましいイメージがまとわりつく。

人に気づかれないよう、ひっそりと
死んでいかねばならない。
尾張浜主の美しい舞は、永遠に
生き続けなければならない。

すべての痛み、苦しみ、悲しみは、その美しさの
裏の秘め事とするのだ… 
そう、「秘すれば花」…
今この瞬間、尾張浜主は「美の奥義」のヒントをつかんだ。
命の灯が消えんとする、この瞬間…

「秘すれば花」

必ず、もう1度、生まれてこなければ。
今度こそ、この「美の奥義」を極めなければ。

「必ず…」
口走った時、尾張浜主は『根の国』の住人になっていた。
空を見上げると、巨大な月に吸い込まれそうな気がした。