俵藤太物語
11、 辰子(たつこ)
愛妾の桔梗が、藤原秀郷(=藤太)に拉致され
殺されたという報告を辰子から聞き、
「不憫(ふびん)な…」
と一言もらしたのみで、それ以上の反応はない将門であった。
今の姿になって以来、以前ほどには桔梗に
愛情を感じていないように見える。
自室に戻った辰子は、安堵の息をついて、回想する。
確かに私も、桔梗と同じく、お館さまの体が
天国に乗っ取られた… と、最初は思った。
だが、異様な姿に成り果てた将門と接するうち、
考えが変わった。
まちがいなく、この方は将門さま… 他の誰でもない。
確かに以前とはちがうが、「別人になった」というより、
「完璧な将門になった」という方が、当たっている気がする。
もともと、将門自身が語っていたように、
彼と天国は不思議な関係だった。
生まれも身分も外見も、何もかもちがうのに、
「まるで生き別れの兄弟、というより分身、
陰と陽、欠けていた自分の片方」
2人は本来、1人の人間だったにちがいない…
1つの魂が、2つに分かれたのだ。
荒魂(あらみたま)と、和魂(にぎみたま)。
それが今、2人は、あるべき姿… 1人の人間となった。
この姿になって以来、将門は桔梗をほとんど召していない。
外見だけを見て、「乗っ取られた」と桔梗が
思いこむのも、無理なからぬことであった。
「片目と片足がきかないのは不便だが、引き換えに
鉄甲護身の術が備わった。天国は私を祟ったの
ではなく、守ってくれようとしているのだよ」
将門が聞いたところでは、天国は大和の唐笠山で、鳴神上人
という唐渡りの道士から、この術を伝授されたという。
将門が「変身」するきっかけとなった、天国の遺産「黄泉
比良坂(よもつひらさか)」だが、相変わらずただならぬ
妖気を放っているものの、「毒気」は抜けたようだった。
兵士たちの中から志願者を募り、満月の晩に、この刀を
鑑賞させる実験をしてみたが、一同その美しさに感嘆
するばかりで、体には何の異変も起きなかったのだ。
ほどなく、秀郷が兵を集めているとの情報が入った。
現在、将門の兵力は少ないものの、兵力の差が
開きすぎる前に先制攻撃をかけるべきと判断。
2月1日、将門は出陣する。
「辰子、これを鹿島神宮に奉納し、戦勝の祈願を頼む」
辰子が渡されたのは、例の「黄泉比良坂」だった。
「お任せください… お館さま、ご武運を!」
あの術がある限り、あの方が少なくとも
戦場で死ぬことはない…
そう安心していた…
はずだったが、なぜかいやな悪寒が体を走る。
「なんだろう… イヤな感じがする」
妖刀・黄泉比良坂を大事に抱え、子供たちと
侍女を引きつれ、鹿島へと旅立つ辰子。
鹿島は本来、皇室の守護者であり、今も都から来た
陰陽師チームと協力して、将門の黒幕である
怨霊・菅原道真を封じこめんと、活動している。
(天神記(四)「将門」参照)
一方では、関東を代表する有力な神社であり、
地元の武士団からの崇敬も厚い。
表面的には、将門とも対立せず、中立を装っている。
(将門を敵にすれば、地元での人気が下がる…
微妙な政治的バランス感覚)
辰子からの奉納の品もありがたく受け取り、
将門のため、祈願もする。
そこへ、戦況を伝えるニュース…
辰子にとって、悪いニュースが飛びこんできた。
将門の副将軍である藤原玄茂(はるもち)が、軽率にも
将門に無断で奇襲攻撃をかけ、まんまと秀郷に
返り討ちにされたらしい。
ただでさえ、数で負けてるのに…
このため将門軍は総崩れとなり、敗走したとのこと。
「お館さま…!!」
4人の男の子と、末の子である、昨年生まれた
ばかりの娘・楓(かえで)を抱きしめる。
将門の子供たち… この子たちを、父なし子にしないで…!!
相馬郡にある本拠地に、どうにか生還した将門と敗残兵たち。
将門は知らなかった… 藤太が、わざと将門を逃がしたことを。
そして遠目のきく兵士に、将門と影武者たちの
ようすを観察させていたこと…
「確かに1人、こめかみがグリグリ動くのがいます」
この報告に、藤太の目が光ったことを…
2月13日から14日、藤太と貞盛の連合軍は、
将門の本拠地に攻めこんだ。
全軍を率いるのは貞盛で、藤太の姿は見えない。
将門の手勢は、わずか400騎ほどしか残っていなかったが、
翌日、北からの風が強く吹き始めると、
「これだ… 神風が吹き始めたわ!! 全軍、出陣!!」
反撃に出る将門軍、風上に布陣しているので、
矢が風を受け、加速する。
対する反将門軍は、逆風に向かって射るため、矢が届かない。
鬼神と化した将門は、自ら先頭に立って、敵を撃破した。
が… 午後から、風向きが変わった。
「む? 南風か… よし、いったん撤収だ!!」
あれほどのダメージを与えたのだ、貞盛ども、
容易には態勢を立て直すこともかなうまい。
その隙に、もっと兵をかき集めなければ…
影武者の中に紛れて自陣へと引き上げる将門…
わきの茂みの中で…
全身にカモフラージュ用の葉っぱを貼りつけ、茂みと
一体化した藤太が、半弓(小型の弓)を引いていた。
弦の音、風を切る唸り。
将門の右こめかみに、矢が突き立つ…
こめかみ以外の全身は、黒く鋼鉄化していた。
まるでロボットが倒れるような金属音を立て、落馬する将門。
影武者や側近たちが、パニックになって逃走するが、
将門の唇には、なぜか…
かすかな笑みが浮かんでいた。
将門というカリスマを失った後、朝廷に叛旗を
翻した「関東独立王国」は、たちまち瓦解。
藤太は、その戦功は称えられ3月に従四位下に昇進、
11月には下野守に就任。
その後、武蔵守と鎮守府将軍にも任じられた。
「兄貴… 俺もようやく手に入れたぜ…
兄貴と同じ、鎮守府将軍の地位を…」
敬慕した藤原利仁の墓前に、報告する藤太。
「だけど、これが俺の欲しかったものなのかどうか…
俺にもわからねえ…」
俵藤太こと藤原秀郷、数々の伝説を残した人物である。
が、その生涯を一言で言い表すなら、「平将門を倒した男」
ということになるだろう。
それほど、この戦いの歴史的意義は大きかった。
将門を射抜いた矢を、藤太は亀戸香取神社に奉納。
この矢は「勝矢(かつや)」と呼ばれ、現在でも毎年5月5日に
「勝矢祭」が執り行われているんだって。
そういえば、なんか見覚えあるわ、 「勝矢」という文字に。
屋台で、味噌おでん食ったような記憶がある。
ちなみに藤太が武蔵守を勤めている間、住んでいた
邸の跡が、現在の府中市にある高安寺。
作者も今年、大國魂(おおくにたま)神社に初詣に
行ったついでに、寄ってきました。
山門が立派で、びっくりです。
門前の通りが「旧・甲州街道」で、古い道のオーラが出てます。
府中は武蔵国の国府があったところで、
大國魂神社は武蔵一の宮。
司馬先生の「燃えよ剣」の冒頭シーン、土方歳三が
潜入する「くらやみ祭り」で有名。
公式サイト http://www.ookunitamajinja.or.jp/
「勝矢祭」と同じく毎年5月5日に、「くらやみ祭り」開催してます。
さて、将門の正妻・辰子はどうなったろうか。
子供たちを連れ、親類のツテを頼って、
出羽の国へと落ちのびた。
現在の住所でいうと、秋田県仙北市の
生保内(おぼない)地区である。
辰子がこの村にたどりついた時、40才以上の
村人は皆、驚いた。
「なんと… あの辰子に瓜二つ…
まるで生まれ変わりでねえか!」
「なに? あなたさまも辰子とおっしゃいますのか。
これはまた、なんという…」
この村にかつて、もう1人の辰子がいたというのだ。
それは、田舎の村に似合わない、都会的で
モデルのような美女だったそうな。
彼女自身、自分の美しさを意識していて、よく川のほとりに
しゃがみこんでは、水面に映る己の顔に見惚れて、
「うわー たっちゃん、自分でもこわいくらい綺麗…」
などと、つぶやいていたという。
ナルシストだが、男のようにサバサバした性格で、村娘たちの
尻をさわったり、悪ふざけの好きな明るい娘であった。
ただ、時おり遠い目をして、
「都に行きたいなあ…」
と、ため息まじりに、もらすことがあったという。
ここまで聞いて辰子は、呆然となった。
将門に嫁ぐ前の、昔の自分そのままではないか…
しかも自分自身、この村に初めて入った時から、
妙なデジャヴに囚われていたのだ。
「そ、それで… その辰子は、どうなったのです?」
辰子は17才を越えたころから、悩みに取りつかれたという。
「ああ… 年を取りたくない… うちの婆さんみたいに、
シワクチャになりたくないよ… いつまでも、若くて綺麗な
たっちゃんでいたい… そうだ! 裏の観音さまに、
百夜の願掛けをしてみよう」
辰子の、必死の百日参りが始まった。
百日目の夜、朦朧となって観音さまの前に倒れて
いるところを、母親に助け起こされた。
「お、お母さま… 今、お告げがあったの!
山の中の泉に、不老不死の仙水が湧いてるそうよ!
私、今からひとっ走り、行ってくる!」
しかし母親は、そんな話に耳を貸さず、
娘を引っ張って山を下りた。
翌日、辰子は姿を消した。
例の泉を探しに、山へ入ったにちがいない…
父親が村人を集め、娘の捜索に協力を要請した、その時…
遠く北の方で、十和田湖火山が噴火した。
延喜15年(西暦915年)の、超巨大噴火である。
(天神記(四)「謎の巨大生物」参照)
生保内の村も、大地が揺れ山が崩れ、火山弾と灰が降り注ぐ。
山へ入るのは危険だと、村人たちが
辰子の家族を制止、避難した。
それっきり誰も、辰子を見た者はいないそうな…
(私は延喜16年の生まれだから、辰子さんが
死んで転生したのだとすれば…)
つじつまが合わないこともない… と、辰子は考える。
「その後、しばらくして… ここから近い田沢湖で、巨大な蛇の
ような竜のような怪物を目撃したという情報が入ってきまして…」
辰子の両親は、それが変わり果てた辰子にちがいない…
と、主張した。
例の不老不死の仙水を飲みすぎて、竜に変化したのだと…
たとえ怪物に変身しても、娘に生きていてほしい
と願う親の心に、村人は涙した。
現在、田沢湖のほとりには、彫刻家・舟越保武(ふなこし
やすたけ)作の金色の辰子像が立っている。
人気の秘湯、乳頭温泉郷からも近いよ。
田沢湖観光協会 公式サイト http://www.tazawako.org/
乳頭温泉郷 公式サイト http://www.nyuto-onsenkyo.com/
時に、巨大な竜が2匹、目撃されることもあった。
1匹は辰子として、もう1匹は…
十和田湖に住んでいた竜、八郎太郎が
八郎潟に引っ越した後…
(天神記(四)「戻り橋」参照)
辰子に恋慕して、さらにもう1回引っ越して、
この田沢湖に移ってきたのだ…
と、地元では言い伝えられている。
翌、天慶4年(西暦941年)。
将門の妻・辰子は、田沢湖まで足を伸ばし、日本で最も
深いという、その鏡のような水面を見つめていた。
(子供の頃から、自分が竜になる夢を何度も見たけど…
この湖にいるという竜が、私の分身なのだろうか…)
その時、村からの使いが駆けつけ、
「奥方さま! 大変です、ただちにお戻りください!
お嬢さまが… 楓さまが、高熱を…」
「なん… ですって?」
愛する夫を失い、さらに今、愛娘まで…
そんなことはさせない、運命に抗ってやる…!!
唇をキッと噛みしめる、辰子であった。