俵藤太物語





9、 香取参篭(かとりさんろう)




物語とは関係ありませんが、\(^o^)/WBC日本2連覇
おめでとう。

百足一味を壊滅させた藤太の武名は、都にまで轟き…
しかるべき地位を授けて表彰すべきという藤太支持派と、
百足との戦いは単なる私闘であり、朝廷のあずかり
知らぬことと主張するアンチ藤太派が対立。
結局、そのまま藤太の手柄はウヤムヤになってしまい…

戦いから8年も過ぎた延長5年(西暦927年)になってようやく、
下野国押領使(おうりょうし)という官職が授けられる。
「押領使」とは、地方警察の長官といったところ。

俵藤太こと藤原秀郷、38才にしてようやく得た官職であるが、
「けっ 何を今さら…」
朝廷への強い不信感は、ぬぐえない。
とりあえず、この年ようやく完成した佐野の城砦に、
朝廷からの使者を迎え入れ、ねんごろにもてなし、
ありがたく役職を拝命する素振りをした。

強固な城砦と、藤太を慕って集結した荒くれ者の大軍団を
目にして、プルプル震えながら帰還する、哀れな使者。
この朝廷さえ無視できないほど膨れ上がった軍事力こそ、
今ごろになって官職を与えられた理由である。


だが決して、藤太は朝廷の飼い犬になったわけではなかった。
若い衆を引き連れて、国府(栃木)の大道を馬で闊歩する。
気に入らなければ、国司でさえ怒鳴りつけ威嚇し、
果ては投げ飛ばす。
対立する武士団があれば、自ら先頭に立って
殴りこみをかけ、徹底的に叩き潰す。

こういった目に余る乱行はついに朝廷の看破できぬ
ところとなり、押領使に任命してたった2年しかたたない
延長7年(西暦929年)、下野及び周辺国の国司に対し、
「藤原秀郷追討」の命が下された。

「藤太を討て、と言われても… ねえ…」
困り果てたのは、国司たちである。
とても、まともに戦って勝てる相手ではないばかりか、
関東の民衆からは絶大な人気を誇っている藤太と
敵対すれば、反乱も起きかねない。

藤太は大胆にも、国司たちを佐野の城砦に招き、歓待した。
「都の連中に、坂東のことはわからんのですよ。
我らが、つまらぬ争いをする必要はない。
適当に捕物をしたふりをして、先方が満足するような
報告書だけ送っておくことだ。若いのを何人か差し出すから、
牢につないで手柄を立てたことにするといい」

「そうしていただけると助かりますよ、藤太さん」
藤太は今や、関東に君臨する巨大ヤクザ組織のボス、
関東の首領(ドン)の地位にあった。
その貫禄の前には、役人など子猫のようなものだ。
「さあさ、皆さん。どうぞ、飲んでください」
「坂東は、藤太さんあっての坂東ですからな」
「藤太親分、万歳!」

こうして、藤太追討の件もウヤムヤになっていき… 
10年の歳月が流れた。



天慶(てんぎょう)2年(西暦939年)、
第61代・朱雀(すざく)天皇の御世。

相馬郡(そうまごおり)というと、現在の千葉県と茨城県に
またがったエリアで、ギリギリ東京への通勤圏である。
取手や我孫子あたりが代表的な市だろうか。
この時代は、ある男の支配する王国となっている。
相馬小次郎、またの名を平将門(たいら の まさかど)。

12月、50才の俵藤太は、相馬郡にある城砦
(=将門の本拠地)の門をくぐった。
この場所は、現在も正確にはわかっていない。
茨城県守谷市の守谷小学校のあたりと考えられていたが、
最近の研究では否定されているそうな。

関東の首領(ドン)・俵藤太が、わざわざ足を運ぶ相手、
将門とは何者か。
詳しくは次章の「将門記」に書きますが、かいつまんでいうと

関東に移住した(´-ω-`)平高望の孫。
大牧場のボンボンだが、京の都で都会生活を
満喫している時に父親が他界。
親戚たちが、父の残した土地を勝手に奪ってしまった。
土地を取り戻すため戦い始めた将門、しかしいつのまにか、
武蔵(むさし)国府を襲撃する事態に発展、朝廷に対し
叛旗をひるがえす形となってしまった。

頭に乗ったのか、開き直ったのか、将門は
「新皇(しんのう)=新しい天皇」を自称。
関東を己の支配する領土として、独立を宣言。
日本史上最初の、朝廷に対する武士の反乱として、
試験にも出てしまうのであった。

将門の、この狂気とも思える強気な行動は、
裏付けがないわけでもない。
先住民の騎馬戦術を採用した彼の軍団は強く、
切れ味の鋭い反り返った刀、すなわち
「日本刀」という新兵器も装備していた。
このうえ、関東の首領(ドン)・俵藤太を味方につければ、
恐いものなしである…

藤太は、将門と会うのは今回が初めてではなかったし、
以前より彼に同情的であった。
悪どい親族どもを次々に打ち破っていくさまは痛快だったし、
新皇を宣言するほどのスケールのデカさには、
男惚れする思いだ。

「実にも、誠に大剛の勇士なる上、猛勢をなびけ従えり、
この人に同心し、日本国を半分づつ管領せばや」
将門と手を組んで、日本の国を半分ずつ
支配してやろうじゃねえか…
朝廷に対し強い反感をもつ藤太は、そこまで考えていた。

まさしくその時、将門から招待状が届いたのである。
「手を組みましょう。おもてなしをしたいので、
ぜひ、いらしてください」
会心の笑みを浮かべ、相馬へと向かう藤太。
「何かデカいことをしたい」という少年のころからの
思いが、ついに現実となる時が来た…


関東の大ボス・藤太と、関東の天皇・将門が
ガッチリとタッグを組む… はずだったが。
久しぶりに会う将門を前に、藤太は目を疑った。
「あんた… どうした、その姿は!?」
「よく来たな、俵の大将… 実は怪我と病を、
いちどきに味わってるんだ」

左目は眼病で開かなくなり、左足も萎えてきかなくなっていた。
それだけではない、残された右目から放つ狂気の光、
幽鬼のような表情、異様なオーラ。
化物としか思えなかった。
食事の時も、飯をボロボロとこぼし、そのあさましい姿は
まるで何者かに体を乗っ取られたかのようだ。

(ダメだ、これでは… この国の支配者には、
とてもなれまい… おぞましすぎる…)
藤太は、将門を見限った。
「で、どうよ、大将… 書状に書いておいた、例の件」
将門の問いに、藤太は明確な態度を示さず、
翌日には佐野へ引き上げた。

帰りの道中、藤太の口数は少なく、
ひとつの決意が固まりつつあった。
「あれは化物… 退治しなけりゃなるめえ… 
そして、それができるのは…」
新たなる強敵との戦いが、迫りつつあるのを感じた。


藤太は朝廷に使者を送り、将門の化物じみた様子を伝えた。
と同時に、将門を倒せるのは自分しかいないとアピール。
「将門は倒す… しかし、その見返りはキッチリたのみましたよ。
百足を退治した時のように、ウヤムヤはご勘弁を」

まもなく朝廷は、藤太を下野掾(しもつけ の じょう=下野国庁
三等官)に任命、将門追討の宣旨(せんじ)を下した。



年は明け、天慶3年(西暦940年)。

1月下旬、藤太は平貞盛(たいら の さだもり)と同盟を結んだ。
貞盛は、将門の父の領土を奪った親族の1人で、
将門から見れば仇敵である。
貞盛にとっても、将門は父・国香を殺した仇であり、
妻も将門の兵士に陵辱されていた。
藤太と面会した貞盛の顔は、青ざめていた。
「あれはもう、我々の知っている将門ではない… 魔神ですよ…」


つい先ごろ、貞盛は将門軍の襲撃を受けたのだが…
事前に情報をつかんでいた貞盛側は、弓兵を
潜ませ、将門を狙撃しようと企てた。
「なッ… なんだ、あれはッ!?」
弓兵部隊は、信じられない光景を目撃。

片足で軍馬にまたがる、片目の将門… 
その姿の将門が、7人いたのだ!
「影武者かッ!!」
「かまわん!! 全員、撃ち殺してしまえ!!」
物陰から、一斉に矢が放たれた。

次々と射抜かれて、落馬する将門たち。
だが、その中の1人は… 鎧で覆われていない
首すじに、確かに命中したのに…
矢が弾かれてしまった。
その瞬間、将門の体が鋼鉄のように黒光りしたような…

「あそこに伏兵どもがおるな。蹴散らせ」
将門を仕留めそこなった狙撃兵たちは、
反撃を食らい、たちまち全滅。
貞盛軍はたまらず敗走、逃げ遅れた貞盛の妻は、
敵兵に陵辱され…


「将門の体が… 鋼鉄と化したと!?」
この話を聞いて、藤太は凍りついた。
肉体を鋼鉄化する、百足の使った妖術… 
同じ術を、将門も習得したのか?
まさか百足が、またもや生き延びて、将門と組んでいるのでは…

「もし百足と同じ術なら… 目が弱点だ。目は鋼鉄化できない」
だが近距離ならともかく、遠くからピンポイントで目を射抜くなど、
猿丸のような達人でなければ、かなわぬ芸当… 
いや、たとえ猿丸がいても、
「そうか、そのための影武者か…」

「目を射抜くなら、7人の将門を一斉に射抜かないと… 
ニセ者の目が射抜かれたのを見れば、本物は目を
防御するか、逃げるかするでしょう」
「猿丸本人さえ、生きてるかどうかわからんのに、
猿丸を7人そろえるなど、とうてい無理な話… 
弓で弱点を狙うのは、不可能ってことか」

藤太は、頭をかかえた。
いったい、どういう運命なのか… 
どうして俺は、鋼鉄化する敵と何度も戦うハメになるのか…
まるで韓国と何度も戦う日本チームのように、
藤太はウンザリしていた。

「将門は、この術に絶対の自信があるようで、気を
ゆるめています。兵士たちの多くに休暇を与え、
故郷に帰してしまったので、今、奴のもとには
1000人くらいしか残ってないはず…」
春になると兵士たちが復帰してくるので、
討つなら今が絶好のチャンスなのだが…



なんとしても、将門の術を破る方法を見つけなければ。
(性に合わねえが… 神頼みしか思いつかねえ…)
藤太は下総の国まで足を伸ばし、亀ヶ島の香取神社に参篭した。
現在の、東京都江東区亀戸である。

香取神社 公式サイト http://www.katorijinja.or.jp/

神にすがるとは、よほど精神的に追いつめられていたようだ。
香取神社は、武神である経津主神(ふつぬし の かみ)を
祀っているが、本家である千葉県佐原の香取神宮ではなく、
亀戸の分社までわざわざ訪ねてくるということは、よほど
亀戸香取の霊威の評判が高かったのだろう。

実は、この亀戸香取神社には、恐るべき秘密が
隠されていたんですよ。
それは…

おっと、もうページがないや。
恐るべき秘密の発表は、次回に続きます。
うわー、どんな秘密だろう、ワクワク