俵藤太物語





7、 猿丸(さるまる)




翌、延喜16年(西暦916年)。

「出てこい、妖麻呂(あやかしまろ)! 
姿を見せぬなら、役所ごと焼き払うぞ!!」
子分を引き連れ、ついに上野国府(前橋)に
殴りこみをかける藤太。
その背後には、百姓一揆のごとく、怒り狂った農民の群れが。

「上野介さまは、国内を巡察中である! お前は何者か?」
対応の役人の襟首をつかみ、ブン投げる藤太。
「藤原秀郷… 人は俵藤太と呼ぶぜ」
国庁の役所に、一斉に乱入。
「家捜ししろ! どこかに隠れてるはずだ!!」
「うおおおおーッ」


だが、上野介が見つからないばかりか、この騒動が
朝廷の知るところとなってしまった。
8月12日、藤太及びその配下17名に対し、
伊豆への流刑が宣告される。
このような事態を心配して、利仁は警告したわけだが…
「けっ… 配流だとよ、笑わせるぜ」

だが、藤太はこの通達を無視、佐野に居すわり続けた。
無視できるだけの軍事力が、今の藤太にはあった。
刑の執行のため到着した役人たちも、集結した3000人近い
無頼の男たちを前に、すごすごと引き返すしかない…

だが藤太も、これ以上反抗的な態度を見せれば、朝廷も
討伐軍を送るだろうし、気にくわないが、しばらくの間
おとなしくしているしかないと、承知していた。
「上野介の野郎… 必ずしっぽを捕まえてやる…」


一方、国司の館では。
黒い頭巾に顔を包んだ上野介・妖麻呂が杯を手に、
不気味な笑い声を上げる。
「ククク… 藤太め、これで懲りたろう…」
「しかし刑を拒むとは、肝の太い御仁ですな」

酌をしているのは、異様に眼光の鋭い小男。
「お頭の旧敵でなければ、我が軍に加えたいところであります」
「英五郎… 奴と私では、しょせん水と油、
龍と虎。相容れるものではないよ…」
上野介は、頭巾を取った。

髪の毛も髭も、眉もまつ毛もない、異様に
白い顔、血走った赤い目。
肌を無数のヒビが走り、細かいウロコのような
六角形の模様を形作っている。
盗賊の首領・百足。
かつて、三上山で藤太に殺されたはずの怪物…
「俵藤太はもう1度、私の前に立ちはだかるだろう」

「利仁を殺ったように… 刺客を送りますか?」
この小男は百足の第1の部下、その名を、
当前田英五郎(あたりまえだ の えいごろう)。
いろいろな方面にコネのある、実に有能な男だ。
三上山で重傷を負った百足を運び出し、さる有力武士の
家にかくまい、さる高僧に依頼して、加持祈祷によって
百足を復活させ、さらに、さる貴族のコネで百足を
上野介に仕立て上げた。

「いや… 奴とは戦場で決着をつけてやる… 
敗北の屈辱を味あわせてな。それより、赤城山
(あかぎやま)の要塞化計画は進んでいるか?」
「とどこおりなく… 上野介さまに追い立てられた
百姓どもが、いくらでも集まってきますので…」

「よし、赤城山一帯を無法地帯と化した後は、
隣国下野の二荒山に侵攻。最終的には、
上野・下野両国を「ケヌ国」として独立させる…
坂東の地に、この百足さまの王国が誕生するのだ…」
壮大な野望に酔いしれる魔人・百足であった。



そうして3年が過ぎ、延喜19年(西暦919年)。

上野介の圧政により土地を追われる農民は増え続け、
その多くは無頼の徒となった。
彼らの集結する場所が群馬県・赤城山、
「百足大将軍」の旗のもと。
この「百足組」ともいうべき平安のヤクザ組織は、日に日に
勢力を増し、赤城山周辺は半ば無法地帯と化したばかりか、
さらに国境を越え、下野・中禅寺湖エリアまで侵食し始めた。

中禅寺湖と隣接するのが、聖地・二荒山(ふたらさん)。
後に二荒(ふたら)→二荒(にこう)→日光(にっこう)と
名が変わるが、世界遺産となる寺社建築群が
建てられるのは、ずっと先、江戸時代のこと。

日光観光協会公式サイト 
http://www.nikko-jp.org/index.shtml

建築としては現在まで残っていないが、この時代すでに
天台宗の山岳寺院が二荒山のあちこちに点在、
修行場となっていた。
修行僧たちは、ヤクザ者たちの進出を懸念、下野国司に
訴えるが、百足の勢力を恐れ、取り合ってくれない。
彼らが頼れるのは、もはや俵藤太だけだった。


「百足の奴、どうして生きていやがるのか… それは知らぬが、
ついに下野に進出してきやがった… この俺の縄張りによ」
藤太の目に、闘志の炎が宿った。
「ケリをつけてやる」

だが、磐次・磐三郎の兄弟は、暗い顔だ。
「あれで生きてるなんて、百足はやっぱり人じゃねえ、魔物だ…」
「手下の数も、前よりずっと多い。それに「赤城山五将軍」
なんて呼ばれる、とんでもなく強え5人の無法者が
そばに仕えてるって話だ」

「磐次! 磐三郎! お前ら、ビビッてんのか?」
「そうじゃねえよ、大将… だが、明らかに
今回は、俺たちに分が悪い」
「俺たちにも、頼りになる助っ人が必要だ」
「助っ人だと?」

「大将、噂に聞いた話だが… 出羽の国に
小野猿丸(おの の さるまる)っていう、スゴ腕の
猟師がいるらしい。その男なら、あるいは…
百足の唯一の弱点を、射抜けるかもしれねえ」
「百足の弱点だと!?」

磐次・磐三郎は、百足打倒の秘策について打ち明けた。
「よし、じゃあ任せたぜ、お前ら兄弟に。
必ず、その猿丸を引っ張ってこいよ」
「承知しました!」
「待っててくださいよ、大将!」



現在でいう秋田県鹿角町、十和田湖のほとり。
昨年の十和田火山大噴火により、周辺は
死の世界と化してしまっている。
復興に向け、村人に混じって黙々と働く男を、
兄弟は訪ねあてた。
頬に傷跡のある、鋭い、暗い目をした男。

「助っ人だと? バカをいえ、この村が今どんな状況か、
見てわからんのか?無法者どもの喧嘩につき合ってる
暇など、あるものか」
「そ、そこをなんとか、お願いします!」
「このままでは、二荒山が百足の手に落ちてしまう!」
「俺には、関係のないことだ」

小野猿丸、数奇な運命のもとに生まれた男。
幼少時に死河山根黒寺に拾われ、「根黒衆(ネグロス)」
として過酷な訓練を受ける。
その後、学者の都良香(みやこ の よしか)に同行し
富士山に登頂。
さらに羅城門の上に立って、良香と漢詩を合作。
(天神記(二)「都良香」参照)
火善坊を倒し、怨霊と化した菅原道真を大和まで導く。
(天神記(三)「魔神の群れ」参照)
百人一首に採られる「奥山に」の歌を残し、根黒衆を引退。
(天神記(一)「花咲か爺」参照)
出羽に隠棲して猟師となった後、十和田火山の大爆発に遭遇。
十和田湖で争う巨大生物を目撃したのが、昨年のこと。
(天神記(四)「謎の巨大生物」「戻り橋」参照)
なんか、すごい経歴ですね。

「猿丸さん、聞いてくれ。百足の率いる山賊軍団によって、
民百姓が苦しめられている。藤太将軍は、その百足を
倒して平和を取り戻そうとしている、素晴らしいお方だ」
猿丸は振り向きもせず、働き続ける。
「貴族くずれの武士など、どうせろくな人間ではあるまい。
それに、その山賊とやらは、食っていけなくなった
百姓たちではないのか?」

返す言葉もない兄弟、しかし兄の磐次には、奥の手があった。
「義で動かぬなら、金でどうだ。藤太さんは、たっぷりと
報酬を弾んでくださるぞ。その金で糧食を購って、
村人たちを救うことができよう」
立ち去ろうとした猿丸の、足が止まった。

根黒衆から足を洗って以来、まっとうな暮らしを
してきたと、自負している。
だが、過去は消せない… 
再び、暗殺者の猿丸に戻る時が来たのか。
家も畑も溶岩の下に埋まってしまった、
気の毒な村人たちを助けるために…
猿丸の動揺を見て、弟の磐三郎も進み出る。

「金だけで不足なら、俺たち兄弟の命もやる! 
この戦いが終わったら、俺たちは、あんたにつき従う。
この村の復興も手伝おう」
磐三郎の純粋な瞳を、じっと見つめる猿丸。
「よし… 行こう。ただし、俺の放つ矢は、ただ一撃だ。
一撃でじゅうぶんだろう」



英五郎をともなって、上野介・妖麻呂こと百足が赤城山に
到着したのは、満月が煌々と照らす夜半のこと… 
全軍に、出撃命令が下った。
「赤城山五将軍」と呼ばれる、最強の5人のもと、
各部隊が集結。
「いいか、お前ら! 相手があの俵藤太だからって、
ビビるこたあねえ」

五将軍の筆頭は、百足第1の部下・当前田英五郎。
「藤太のことを目障りに思っている、坂東の武士団も多いんだ…
こっそり手を回して、助っ人を頼んでおいたからな」
さすがの手回しの良さ、コネの多さである。

「赤城の山も、今宵(こよい)限りじゃけんのう… 
かわいい子分のコンナラとも、別れ別れの門出じゃァないの。
のう、英ちゃんよう」
安芸(あき=広島県)の国言葉丸出しのこの男、赤城山
五将軍の1人、名を比呂定国(ひろ の さだくに)という。
狂犬のような匂いを放ち、俳優で言えば、
若い頃の菅原文太に似ているだろうか。

その隣りに、野獣のような巨漢の姿が。
「俵藤太… 今度こそ、お前の心臓をブチ抜いてくれる!」
かつて藤太に一撃で吹き飛ばされた、
復讐に燃える力士・雷竜。
彼もまた生き残り、五将軍の1人となっていた。
「今の俺は、昔の俺とちがう… 必殺の「馬殺し」… 
見せてやるぜ…」

さらにもう1人、瓢箪(ひょうたん)から酒を
浴びるように飲んでいる、武士くずれの男。
「飲ませてくれるんなら、俺はどこへでも行くぞ」
アルコール中毒なのだろう、その手がかすかに震えている。
五将軍の1人、平手神酒(ひらて の みき)。
手さえ震えなければ、弓も剣も達人だが…

そして、五将軍最後の1人… 何も語らない、寡黙な男。
虚無的な眼差しの、長い楊枝(ようじ)をくわえた無法者…
ヒョオオオオオ… と、木枯しが吹くような音がしたかと思うと、
男はフッと、楊枝を吹き飛ばした。

「おおッ」
手下たちが驚いたのは、木の根元で小さい蛇が、
楊枝で串刺しになってるのを見た時。
「確か、二荒山の守り神は蛇だったよな…」
「蛇を仕留めた! こいつは、縁起がいいぜ!」

そんなメンバーを見回して、百足は満足げに微笑んだ。
「我が軍の勝利、動かざる山の如し…」
百足軍、ついに出陣。
目指すは、下野の国・中禅寺湖。