俵藤太物語





5、 芋粥(いもがゆ)




『黄泉比良坂(よもつひらさか)』を越え、『根の国』に
入ったのは、いつだったろうか…?
どれくらい歩いたか、その魂は今、『根の国』の首都とも
いうべき、『月の都=イツキ』にたどり着いた。

『根の国』というと、地下っぽいイメージがある。
『黄泉(よみ)の国』ともいうが、黄泉という漢語も
「地下の泉」を意味する。
それがどうして、天にある月とつながっているのか?

いや… 月もまた、明け方になれば傾き、地に沈んでいく。
月もまた、『根の国』に隠れるのだ。
ならば、死後の魂が『月の都』にいても、不思議はないだろう。

『月の都』でどのくらい待ったかわからないが、
再び旅立つ時は来た。
「よっこら… どーれ、また暴れてくるか」
傲岸不遜な笑みを浮かべ、その魂は『池』に入っていく。
「どうせ今度もまた、血の匂いの消えることのない一生だろうよ」



寛平2年(西暦890年)、第59代・宇多天皇の御世。

かつて、「ケヌ国」と呼ばれた地域があった。
後に「毛野(けの)」と漢字が当てられ、さらに
「上毛野(かみつけの)」と「下毛野(しもつけの)」に分裂。

「上毛野(かみつけの)」は「こうずけの」と読み方が変わって、
「上野(こうずけ)」と略され、さらに「上州」と略される。
(「上毛(こうずけ)」の方が、自然な略し方だと思うけど…)
「下毛野(しもつけの)」は「下野(しもつけ)」と略され、
「野州」となる。
(「下毛(しもつけ)」で「下州」の方が自然だろ…)

旧国名って、ほんとに難しいよね。
大まかに言って、「上野(こうずけ)」=群馬県、
「下野(しもつけ)」=栃木県なのだが、
必ずしも現代の県とは、ピッタリとは一致しない。

さて、その「下野(しもつけ)」の国府は、現在の栃木市にある。
(国庁跡に建物などが復元されているようだ)
栃木市というと、運河沿いに古い倉などが残って、
風情ある小京都として紹介されますが…
作者も行ったことありますが、まあ正直、ちとショボイですかね…

近くには、奈良の東大寺、大宰府の観世音寺とともに、
日本で最初に「戒壇(かいだん)」が設けられた
3大寺院の1つ、下野薬師寺がある。(現在は廃寺)
「戒壇」とは、あなたを正式な僧侶に任命しますよー
という儀式を行う施設で、東日本に住む僧侶候補生
たちは、ここで戒を授かったわけだ。
皇室を乗っ取ろうとした怪僧・弓削道鏡(ゆげ の どうきょう)が
左遷され、生涯を終えた場所でもある。

そんな東国の重要都市・栃木で、大掾(だいじょう)の
地位にある藤原村雄はこの年、長男をもうけた。
「大掾」とは、国司の中で「守(かみ)=長官」
「介(すけ)=次官」に次ぐナンバー3。
生まれた時から体も大きく、力も強いこの子こそ、
後の藤原秀郷、俵藤太である。


3才のころ、任期を終えた父とともに、一族の
本拠地である田原郷に移る。
藤原氏とはいえ、都から離れた山深い田舎の田原郷での
暮らしは、藤太をワイルドでたくましい少年に成長させた。
母方の血統には、先住民の血が混ざっていたかもしれない。
その血を受け継いだ藤太は、弓や乗馬に天性の才があった。

12才になるころには、地域一体の悪ガキたちを
束ねるリーダーとなっていた。
ある日、一人旅の若者を恐喝し、金を巻き上げようと
企むが、逆にブチのめされる。
生涯「兄貴」と呼んで慕うことになる、
藤原利仁(としひと)との出会いだった。

利仁、この年22才。
一見、金持ちのドラ息子に見える。
赤いスカーフを首に巻き、櫛で丹念になでつけた髪。
持ち物全てが、ゴージャスで派手。

だがケンカの強さ、弓や剣の腕前は、紛れもなく天才。
「男なら、カツアゲなんてケチなマネするんじゃねェぜ… 
もっとデカいことやりな、少年」
叩きのめした藤太を見下ろす目は、優しかった。
その日から、藤太は利仁の子分となった。

「デカいことやろうぜ」が口癖の利仁が、そのスケールのデカさを
まざまざと見せつけたのが、有名な「芋粥事件」の時。



延喜2年(西暦902年)、第60代・醍醐天皇の御世。

正月もひと段落したころ、藤太は利仁に呼び出され、
三井寺まで出かけた。
利仁が休憩している僧坊まで案内されると、
中から大きな声が聞こえてくる。
「一体どこまで行くのです? あなたが「風呂にでも行きましょう」
と誘うから、気軽についてきてみれば、賀茂川を渡って、
山科(やましな)も過ぎて、逢坂(おうさか)の関所も越えて、
とうとう三井寺まで来てしまった」

利仁の豪快な笑い声が聞こえる。
「まだまだ、こんなモンではありませんよ」
「ここまでだって気が狂いそうなほど遠かったのに、
まだ先があるなんて!」
「まあ、そう言わず、私の妻の家がある敦賀(つるが)まで
おつき合いください」
「敦賀! 越前の敦賀!?」

藤太が庭から声をかけると、
「おゥ、藤太。来たか」
利仁が出てきて、藤太を庭の隅に連れていき、
「これからひとっ走り、敦賀まで使いを頼むぜ」
藤太の迷惑顔にもかまわず、細かい指示を与える。

このころ、利仁は左大臣・藤原時平の邸を警備する
仕事についていたが、いっしょにいる男は職場の
先輩で、「五位」の位にある下級貴族。
「左大臣の邸で正月の宴があってな、終わった後、
ごちそうの残り物を俺たちで片づけていたわけだ… 
その時、五位さんがな…」

(回想)
残った芋粥をすすりながら、
「はぁー、芋粥 (゚д゚)ウマー」
このころはまだジャガイモもサツマイモもないから、
おそらくヤマイモの粥だろう。
「一度でいいから、芋粥 を飽きるほど食ってみたいなあ…」

それを聞きつけた利仁、
「おや? 五位さんは、芋粥 を飽きるほど
食ったことはないんで?」
「飽きるほどはないなあ… 米も芋も、けっこう高いからね」
「そーすか。じゃあ今度、私がごちそうしますから、
心ゆくまで食ってください」
「わーほんと? うれしいなあ」
(回想終わり)

「五位さんは長年まじめに勤めて、皆から尊敬されてるし、
俺にも親切にしてくれたから。ぜひとも、飽きるほどの
芋粥 をごちそうしてあげたいんだよ」
「それで、風呂いこうって誘って、都から敦賀まで…」
藤太は、頭が痛くなってきた。

「銭湯行こうぜ」って誘われて、京都から福井県の敦賀まで
連れていかれたら、たまったものではないだろう。
しかし、兄貴の命令に逆らうことはできない。
まだ13才の藤太少年は、夜通し馬を飛ばして、敦賀へ急行。

一方の利仁と五位は、三井寺で一泊、翌朝早くに出発。
琵琶湖畔の高島まで来ると、前方から30騎ほどの
騎馬武者たちが現れた。
2頭のりっぱな鞍をのせた空馬を引いている。
「お、来た来た… 藤太め、思ったより早く着いたようだな」

五位が目を丸くして見ていると、
「私んちの家来たちですよ。さ、あっちのいい馬に
乗り換えましょう。敦賀まで、もう一息です」
「う、うむ…」


敦賀に着いてみると…
利仁の妻の家というのは土地の大豪族で、
その邸の巨大さに、五位はビビッた。
ここでようやく風呂に入れてもらい、筵(むしろ)を何枚も
重ねた上に座って、酒や山海の珍味でもてなされる。

利仁の舅(しゅうと)が、あいさつに来る。
「やあ、婿殿。あんたの舎弟だっていう男の子が
飛びこんで来て、やれ宴の仕度をしろだの
上等な馬を連れて迎えにいけだの、やいのやいの
言うんで、あわてましたよ」
「フフッ まだまだ、こんなモンじゃないですよ。
宴の本番は明日だ。今ごろ藤太の奴、
飛び回って準備してるだろうな」


その夜、五位は綿のたっぷり入った着物を3枚も着せてもらい、
さらに厚さが15pもあるフカフカの布団にくるまって寝た。
「うわー こんな豪華な布団で寝るのは初めてだよ…」
加えてマッサージのサービス付き。

按摩(あんま)さんに足をもんでもらっていると、
庭の方から、ドサドサと何か大量に運びこんで
いるような音がする。
「明日の宴の準備ですよ」
(いったい、何をやらかす気だ…)
そんなことを思いながら、あまりの気持ち良さに、
いつしか眠りに落ちた。


翌朝。
庭に敷かれた筵の上に、りっぱなヤマイモが
邸の屋根よりも高く積まれている。
さらに、ズラッと列を作った利仁の家来の者たちが、
次々とイモを運んでくるではないか。
大きな釜を6つ、火にくべて、桶に汲んできた
きれいな水を、じゃかじゃか流しこむ。
「なんだ? 風呂でも沸かすのか?」
何が始まったのか、五位には理解できない。

大量に積まれた米俵からタライに米をあけ、井戸水で洗米する。
「よーし! ダシ汁を入れて米を煮ろ! イモ係は皮をむけ!」
数100人はいるであろう使用人たち、
それを仕切っているのは藤太である。

イモが次々と釜にブチこまれ、グツグツ煮立っていくのを見て、
ようやく五位は、これが芋粥パーティーであると理解した。
「なんかもう… 見てるだけでおなかいっぱい…」
うえっぷ… 
庭には芋粥の匂いが立ちこめており、見たことも
ないほど大量の芋粥を前に、五位の胃は、すでに
一切受けつけなくなっていた。

「さあ五位さん。好きなだけ食ってください」
利仁の差し出すドンブリ特盛りの芋粥から
目をそらす五位、すでに涙目。
「もう… 飽きました…(>_<;)」
それを聞いて、利仁は大笑い。

芋粥は、使用人や利仁の配下の武士たち、それに
もちろん藤太も加わり、皆できれいに平らげた。
「客人のおかげで、芋粥の馳走にあずかれましたわい」
皆、大喜びである。


しばらく邸に滞在した後、五位は綿入りの着物、自分が
使用した豪華布団、その他いろいろの土産をもらい、
土産を運ぶための馬までもらって無事、京の都に帰還した。
利仁の気前の良さ、スケールのでかさには
舌を巻くばかりである。

「それにしても、左大臣の邸を警護する一介の武者風情が、
地元に帰ればこれほどの財力・権力を有するというのか…
都の貴族でも、暮らしていくのがやっとという家も多いのに…
これからの時代、都よりも地方、貴族よりも武士の方に
未来があるのかも…」

藤原利仁… 
斎藤さん、加藤さん、堀さん、林さん、牧野さん、遠山さん、
河合さんなどのご先祖さまである。