俵藤太物語





4、 三井(みい)の晩鐘(ばんしょう)




その時…
藤太の額に、ポツリと雨粒があたった。
気がつかなかったが、いつのまにか空がどんよりと曇っている。
「末期(まつご)の水か…」
頬を伝ってきた水滴をペロリとなめ、グウウーンと
大弓の弦を引きしぼる。

と… 何かが気になって、藤太の手が止まった。
目の前に立つ百足は、再び白い肌に戻っている。
矢が当たる直前、一瞬にして鋼鉄へと変化するのだろう。

だが今、雨はふつうに百足の体に当たっている。
なぜ? 矢に対しては鋼鉄となるのに、
雨に対しては変化が起きないのか?
いや、それは当然だろう。
雨に降られたり、水浴びするたびに鉄の体に
なっていては、不自由でしょうがない。

全身が鉄と化している間は、ほとんど体を動かせない
にちがいない… と、藤太は考える。
それに皮膚があんな風になってしまうと、毛穴も
ふさがるだろうし、汗も出ないだろう。
すると熱が体内にたまって、長時間そんな
状態だと、ブッ倒れてしまう。
やはり鋼鉄化するのは、身の危険が迫った
非常事態のみでなければならない。

その証拠に、百足は矢を弾くと鋼鉄化を解いて、
いちいち通常の姿に戻る。
ずっと鋼鉄化したままではいられないのだ…
だから雨なんかで、いちいち反応してられないのだ…
水に対しては反応しないよう、何か工夫がしてあるのだ…

「ってことはよ…」
藤太はいったん弓を下げ、矢じりにペッと唾を吐きかける。
再び、すさまじいパワーで弦を引くと、
「南無八幡大菩薩(なむはちまんだいぼさつ)!!」
めったに神仏を頼らない藤太が、八幡神の加護を祈った。

百足は藤太の考えに気づいたらしく、顔色が変わった。
「お前ら! あいつを」
撃て! と、手下に命じたかったのだろうが、
その開いた口の中を、ゴツい矢が貫いた。
山賊たちは、何が起きたのかわからず、凍りつく。

百足自身、唾で濡らした矢に対して、体が
反応するかどうか、答を知らなかった。
9割がた大丈夫と思うが… 
しかし試したことがないので、確信がもてない。
念のため、ここは部下に命じて射殺すべき…
だが口を開いた瞬間を、藤太は見逃さなかった。
「濡らした矢」などという曖昧な可能性に頼らず、
この必殺のチャンスをものにしたのだ。

百足は全身を黒光りする鉄と化したまま… 唯一の穴である
「開いた口」を射抜かれ、血を吐いて絶命した。
次の瞬間… 藤太の左右を囲んだ山賊たちに、
次々と矢が突き立つ。
「うおッ」「ガッ」「だ、だれだ!」
「百足は死んだ!」「次の頭は、この俺だ!」

その混乱をついて、藤太は脱出、一気にふもとまで駆け下りる。
「藤太さん!」「無事でしたか!」
隠れていた子分たちが、出迎える。

「む?」
「気をつけて、藤太さん! 木の陰に誰かいる!」
「百足の一味か?」
「待て、野郎ども」

藤太は、山道を振り返り
「俺の脱出を助けてくれたのは、お前らか。
悪いようにはしないから、出てこい」
姿を現した2人の男は、髭も体毛も濃いクリッとした目の、
都人とは明らかに異なる民族。
「俘囚(ふしゅう)か…」

2人は下野(しもつけ)の国(=栃木県)出身、先住民の
兄弟で、磐次(ばんじ)と磐三郎(ばんさぶろう)と名乗った。
郷里でも山賊をしていたが、ある時、
旅の僧を襲い、逆に打ち負かされた。
僧の正体は、東国で拠点となる地を探していた百足。
2人は弓の腕前、敏捷さ、山中でのサバイバル技術を
買われ、一味にスカウトされた。
(断れば死あるのみで、選択の余地なし)

元から山賊とはいえ、百足一味の非道な振る舞いには
ついていけず、抜け出すチャンスをうかがっていたという。
そこに藤太が現れ、みごとに百足を仕留めてくれたので、
手下どもを狙撃して仲間割れを誘発、藤太の脱出を
サポートしたのだ。

「俺たちも、藤太さんの子分にしてくれませんか?」
「あの百足を倒すなんて、あんたはすごい男だよ!」
「おう、好きにしろ」
こうして、磐次・磐三郎の兄弟も加わった藤太軍団は、
残党狩りに乗りこむ。

山頂の砦は、炎上していた。
統制を失った山賊どもは、お互いに殺し合い、
すでに半数以下になっていた。
そこへ藤太軍団の殴りこみ、磐次・磐三郎のゲリラ攻撃…
百足一味が散り散りに敗走するのは、時間の問題だった。

「百足の野郎も、最後まで黙って矢を受けていれば、
俺の方が死体になってたのによ…」
だが… 百足の死体はなかった。
消えていたのである。



後日、竹生島からの使者が、藤太の邸を訪れ、
「浅井姫より、このたびのお礼の品々でございます… 
どうぞ、お収めくださいますよう」
リストアップすると、以下のようになる。

1、赤銅の大鐘(国指定重要文化財)
「鐘なんかもらってもな… 仕方ねえから、寺にでも寄進するか」
50年ほど前、唐から帰った円珍が再興した園城寺(三井寺)
という寺があり、ここに寄進。(天神記(一)「白梅殿」参照)

後に三井寺は、比叡山延暦寺と「仁義なき戦い」を繰り広げるが、
比叡山最強の僧兵・武蔵坊弁慶が、この鐘を強奪したそうな。
しかし比叡山でついてみると、「去(い)のう、去のう」
(=帰りたい)と鳴るではないか。
腹を立てた弁慶は、この鐘を谷底へ投げ捨てた。
その時の傷が今も残るこの鐘は、またの名を
「弁慶の引摺鐘(ひきずりがね)」という。

園城寺(三井寺) 公式サイト
http://www.shiga-miidera.or.jp/

2、避来矢(ひらいし)の鎧(国指定重要文化財)
「お、これはいいな」
鎧を気に入った藤太は、以後愛用。
現在も、栃木県佐野市の唐沢山神社に伝わっている。

3、大量の米俵
「俵藤太」と呼ばれるきっかけに。

4、その他
大量の絹布、赤銅の鍋、太刀など

このように大量のお礼が届いたのだが、浅井本人は
2度と藤太と会うことはなかった。
少しがっかりの藤太だが、考えてみれば無理もないか…
神に仕える巫女の身でありながら、自らの体をもって
「殺しの手付金」としたのだから。
今ごろ、激しい自己嫌悪に陥っているのだろう…
しかし、全ては堅田の民を救うため… 
愛する夫と子供のため…



翌、延喜12年(西暦912年)。

藤太は、浅井の悲しい消息を知ることになった。
たまたま三井寺の近くを通りかかった夕暮れ、
美しく響いてきた鐘の音に、
「こいつは俺が寄進した鐘かな? 
なかなかオツな音色じゃねえか」

しかし、寺で聞いてみると、
「いえ、藤太さま。これは今年に入って寄進された
新しい方の鐘で。堅田の元締めの跡取息子の、
猿夜叉さまからでございます」
「浅井の亭主だった奴か… 浅井を追い出した
罪滅ぼしのつもりかな」

惚れた女を幸せにできなかった猿夜叉に対し、
藤太は蔑みを感じていた。
しかも、その女が体をはって、お前らを
助けてくれたってのによ…
「あの家の事情をご存知のようですな、藤太さま。
ならばお話しますが、実は…」


百足一味から解放された喜びも束の間、堅田の
元締めの家に、新たな暗雲が漂ってきた。
「なに? 国司さまが、あの玉を… 差し出せと?」
「玉」と呼んでいるが、霊力の宿った浅井の眼球のことである。
これをおしゃぶり代わりに吸っているおかげで、
息子は病気もせず、すくすく育っていた。

決して言いふらしたわけではないのだが、いつしか
「病を封じる不思議な玉」は評判となり、ついには
国司の耳にも届いてしまったらしい。
国司の意向に逆らえるはずもなく、猿夜叉の父が
玉を取り上げ、国府に献上した。

玉がなくなると、さっそく息子は病気がちになり、困った猿夜叉は
思いあまって竹生島まで舟を出し、浅井に相談した。
話を聞いた浅井は、ためらいもせず残った左目を
えぐり出すと、かつての夫に託す。
「お… お前… なんてことを!」

血をぬぐいながら、浅井は寂しげに笑う。
「これでもう、坊やの元気な姿を見ることも、かないませんね…
あなた、お願いがあるの」
「なんだ? なんでも言ってくれ」
「鐘を1つ造って、三井寺に寄進してください。そして坊やが
元気なら毎日、日の沈む頃、鐘をついてください… 
その鐘の音を聞いて、私は坊やの無事を確認できますから…」


「ほお… じゃ、さっき鐘をついてたのは…」
「猿夜叉さまご自身で…」
藤太は、認めないわけにはいかなかった。
あの美しい鐘の音は、光を失った浅井への、
猿夜叉からの愛のメッセージだったのだ…


なお現在、「三井の晩鐘」として三井寺に伝わっている鐘は、
桃山時代に鋳造された2代目である。(初代は行方不明)

三井寺の近く、眺めもいい長等公園の一角に、
長等創作展示館(三橋節子美術館)という施設が
あって、三井寺に参詣の折は、ぜひ寄っていきたい。
女流画家の三橋節子は、病に冒されて右腕を失い、
35才の時、幼い子供2人を残して他界した。

「三井寺の晩鐘」と題された作品は、亡くなる2年前のもので、
母の眼球を吸う幼子を描いている。
まさしく、浅井姫の心境だったのだろう。


全盲となった浅井が、その後どうなったか、
見た者はだれもいない。
残された子供は、猿夜叉の後を継いで堅田の元締めとなった。