俵藤太物語





3、 鋼鉄のディフェンス




三上山は滋賀県野洲(やす)市にあり、
最寄り駅はJR琵琶湖線野洲駅。
対岸の堅田の里からもよく見え、今では
恐怖のシンボル、「ムカデ山」と呼ばれる。

山頂の砦に向かって上ってくる男を、見張りが呼び止めた。
「ヘーイ、そこのボンクラ。止まらねえと脳天ブチ抜くぞ」
つがえた矢を、まっすぐに向ける。
だが男は、まったくひるんだ様子がない。

「気が向いたら来いっつーから、来たまでだ。
さっさと取り次ぎな、下っぱ」
小枝を口にくわえ、鋭い眼光で睨みを
きかす藤太に、見張りはたじろぐ。
「誰だ、てめえ…」
「俺のツラに見覚えがないとは、お前、新入りだな?」

藤太の烏帽子(えぼし)に矢が突き立ち、
勢いで10mほど飛ばされる。
「口のきき方に気をつけろ、ボンクラ野郎」
藤太が烏帽子を拾おうとすると、第2の矢が命中。
烏帽子はクルクル回転して、さらに10mフッ飛ぶ。

見張りは、どうだ見たかと言わんばかりに、ニヤニヤしている。
藤太は、しばらく見張りをじっと見つめていたが、
やがて背を向け、烏帽子のところまで歩いていく。
が、烏帽子に手を伸ばすと、第3の矢が…

さらに遠くへ飛んでいく烏帽子、それを拾いに
いく藤太は、砦からどんどん遠ざかることに。
見張りは、クックックと笑い声を上げる。
砂にまみれ3本の矢が突き立つ烏帽子を、拾い上げる藤太。
第4の矢も飛んでくるが、30m以上の距離が
あるので、さすがに外れる。

3本をまとめて引き抜く藤太、
「……」
フンッと渾身の力をこめて振り下ろすと、風圧だけで
3本の矢がバキッと折れてしまった。
これには、見張りも目を見張る。
「な、なんて野郎だ…」

今度は烏帽子でなく、藤太の頭に狙いをつけ、
弓を引く… その時。
砦の門が開き、かつて藤太をスカウトした男と、
2m近い大男が立っていた。
「よさねえか! あいつは田原藤太、俺たちの仲間だ」
「勝手なマネする… お頭、許さない…」

弓を下ろした見張りに、野獣のような大男が、
すさまじい張り手を食らわす。
30mも宙を飛んで藤太の足元に転がった時、
見張りはすでに死体となっていた。
よく見ると、張り手を食らった胸が陥没して、
背中から心臓が飛び出しかけている。

このころ、食いっぱぐれた相撲取りが、
盗賊に加わることが多かったという。
大男もまちがいなく元力士だろうが、
想像を絶するパワーだ。

「こいつは非礼の詫びだ。さあ、入ってくんな、兄弟」
スカウトマンは藤太を砦の中に引き入れた。
首領の百足と、面接することに。


百足もまた、身長1m90pの巨漢である。
髪の毛だけでなく、眉もまつ毛もヒゲも、まったくない。
どういうわけか上半身裸なので、胸毛も腋毛も
同様に生えていないのが確認できる。
異様に白い肌、血走った赤い目。
よく見ると全身を無数のヒビのような筋が走り、細かい
ウロコのような六角形の模様を形作っている。

まさに、吐き気を催すような不気味な怪物。
それにしても、なぜ… 「百足」と呼ばれるのだろう?
今、砦の中庭で、ネットリした視線で藤太を見ている。

「なかなか腕っぷしの強そうな男だね… 
雷竜(らいりゅう)と手合わせしてみるか?」
取り囲んでいた山賊どもが、ウオーッと歓声を上げるが、
「お頭… 相手が雷竜ってのは、腕試しにしちゃあ、
ちとキツすぎますぜ…」
スカウトマンは、オロオロしている。

「俺は一向に構わねえよ」
ドスンという地響きとともに、先ほどの
野獣のような大男が進み出る。
「雷竜ッ! 雷竜ッ! 雷竜ッ!」
湧き上がる雷竜コールに、得意満面の笑みを浮かべる大男。

藤太も装束を脱いで、フンドシ一丁となる。
フンッ! と気合を入れると、股間がグッと
引っこむのを、百足は見逃さなかった。
「ほう… 睾丸を腹の中に収納したか… 相撲取りなら
当然の戦仕度(いくさじたく)だが、まがりなりにも
藤原家の子弟のくせして、この技ができるとは…」

力士は、取り組みの際に大事な睾丸を潰さないよう、下腹に
睾丸を引っこめておくという特殊技能を身につけている。
これは力士に限らず、藤太のようなケンカに明け暮れる
男にとっても、急所を蹴られてもダメージが少ないので、
便利な技であった。

向かい合う、藤太と雷竜。
すさまじい勢いで、両者は突っこんでいく…

後に百足一味は散り散りになり、スカウトマンは紀州
(和歌山県)へと流れるのだが、その時、新たな仲間と
なった百合彦という男(安珍と清姫「根黒衆」参照)に対し、
「いや〜、あの時の勝負は、死ぬまで忘れられねえ…」
と語ることが、しばしばあったという。

「相撲には足技がない… そんなふうに
思っていた時代が、俺にもあったがよ…
相撲ってのは、大地を蹴る格闘技なんだよね〜」

ダッシュの突進力+大地を蹴る脚力+張り手をくり出す腕力。
それに加えて、相手の突進に対してカウンターを
取る力が加わり、爆弾が炸裂したかのような
衝撃音とともに、雷竜は吹き飛んだ。
2mを超える巨体が空高く舞い上がり… 
砦を囲む丸太の柵をブチ破る。

「見事だ… 雷竜じゃ、相手にならんだろうと思っていたよ」
声もなく立ちつくす手下どもを尻目に、百足は拍手を送る。
「相撲の方は、自慢するほどじゃねえよ。
俺の自慢は… 弓かな」
藤太の視線の先には、百足が部下に持たせた
3mの重藤(しげどう)の大弓が。
「いい弓だな」

「君なら、この弓も引けそうだ」
かたわらの部下に振り返り、
「その弓を貸してやれ。矢は3本…」
「何を撃つ? 鳥でもいいか?」
槍のようなゴツい矢をつがえ、キリキリと弦を引き絞る藤太。

「鳥? いやいや」
百足は、薄気味悪い笑みを浮かべる。
「この山頂から、ふもとを狙ってもらおう… 
ふもとに隠れている、君の手下を」
その言葉が終わらないうちに、藤太は反転、
百足に向けて矢を放った。
手下どもが声を上げる間もない、一瞬のこと。

ガキーン!!
と、金属的な衝撃音とともに、矢が弾き飛ばされた。
「!?」
藤太は目を疑った。

今、眼前にいる百足は… 全身を黒光りする
鎧(よろい)に覆われているではないか。
いや、それは鎧ではない… 
鋼鉄にしか見えないが、まぎれもなく百足の皮膚だった。
やがてそれは赤みを増していき、スーッと白い肌に戻った。
いっせいに藤太に弓を向ける手下どもを、手で制して
「あと2本ある… 存分に撃ってみるがいい」

藤太は久しぶりに、イヤな汗をかいていた。
本来なら、首領である百足を射殺した後、混乱に乗じて脱出。
2箇所ある登山口で待ち伏せている配下と合流、
山を下りてくるザコどもを片っ端から撃ち殺す
&斬り殺すという計画だった。

浅井の話によると、百足という強力なカリスマに
統率されてはいるものの、出身地もまちまちな
山賊どもは、決して一枚岩ではないらしい。
百足さえ始末すれば、たちまち仲間割れして殺し合う… 
と、思われたが。

第2矢が首に命中する寸前、またしても百足は鋼鉄と化した。
弾かれた矢は回転しながら飛んでいき、
取り囲んだ山賊の1人に突き立つ。
凄絶な悲鳴も聞こえないかのように、百足は冷笑を浮かべ、
「喉か… 狙いどころはよかったが、あいにく
普通の鎧とちがって、死角はないよ」

なぜ「百足」なのか、今ならわかる。
ヌラリと細長い体が黒光りするその姿は、
まさしく金属質の光を放つ百足そのもの。
「これは血なんだよ… 皮膚に血が流れこむと、
一瞬にして鋼鉄と化す。何かが私の体に害を
加えようとすると、自動的に変化するんだ。
もちろん言うまでもないが、その大弓で射った矢を
通さないくらいだから、君の拳で殴りつけても、
指の骨が折れるだけだよ」

「ちくしょう…」
藤太は生まれて初めて出会う怪物を前に、
湧き上がる敗北感を必死に押さえた。
残りの矢は1本…
これを弾かれたとたん、周りの山賊どもはいっせいに矢を放ち、
藤太をハリネズミにするだろう。


百足は幼名を「鉄丸(くろがねまる)」といい、
京の都の獄中で生まれた。
母親は「今昔物語集」にも記録が残る、有名な女盗賊。
父親は不明である。

母が獄死した後、闇の稼業である外道人の
元締に育てられ、やがて悪の道へ走る。
殺しも盗みも平然とやってのける冷酷な怪物へと
成長した彼は、ある日、自分を遥かにしのぐ怪物、
「鳴神(なるがみ)上人」と出会った。

筋骨たくましい2m近い体に、爬虫類のような頭。
その額からは、1本の鹿角が生えている。
「鉄丸よ… お前に力を与えよう… 
その力をもって、この世に恐怖をもたらすがいい」

10年、鳴神のもとで修行した。
その結果、身につけた「鉄甲護身」の術…
それと引き替えに、体毛をすべて失い、ヒビの
入った醜い肌となってしまった。
(ヒビのように見えるのは、血液の通り道)

今や不死身の魔人となった百足は、近畿一円の
悪の世界を牛耳る帝王として君臨。
朝廷ですら百足を恐れて、正面きって
討伐軍を送りこめないでいる。
そんな化物を相手に、わずかな手勢だけを
連れて挑んだ藤太は、無謀としか言えまい。


「さあ、どうした… 最後の矢をつがえろ。
みごと、この鋼鉄の体を射抜いてみるがいい」
女に情をかけたのが、命取りとなったか…
藤太は、覚悟を固めた。
どうせ、もとより明日をも知れないこの命、
この三上山を死に場所と決めた!

グンッ! と、弦を引く藤太。
「さらばだぜ! 野郎ども!」
これは、ふもとで待機している子分たちへの
別れの言葉だった。