ぷりぷり将門記





12、 首塚




それは、2月13日の明け方だった。
数日前に鹿島より戻っていた辰子の寝所に、
将門が突然 、現れたのだ。
異形の姿となって以来、絶えてなかったことである。

「ど、どうしたのです、お館さま?」
「聞いてくれ、辰子… まもなく、俺は消えてしまう…
その前に、俺の最後の頼みを聞いてくれ」
息苦しそうな様子の将門。

「最後って… 何を弱気になってるんです?」
「出羽の国に、遠い親類がいると言っていたな?」
「ええ、まあ… 生保内(おぼない)という村に…」
「夜が明けたらすぐに、子供たちを連れて、そこへ逃げろ…
もちろん護衛はつける」
「な…」

この人は敗北を、死を覚悟している!
兵力差のある戦に、たった1回負けただけで…
つい先日まで、不死身の肉体を誇っていたのに…
「また弱気の虫が出たんですか? 私がそばにいて…」
「言われた通りにしろッ!!」

かすれた声の、悲痛な叫びが、辰子の胸を打った。
「どうして… 私たち、まだこれからなのに…」
涙が頬を伝う。
片輪になった夫の体を抱きしめ、こんなに痩せ
細っていたのか… と、改めて気づく。

「辰子… 今まで… ありがとう…」
朝の光が差すにつれ、辰子の夫である将門は消えていった。
そこには、異形に姿をした魔の武将だけが残っている。
「行け… お前にはもう用はない」
冷たく言い放ち、将門は出ていった。



この日、秀郷と貞盛の連合軍は、下総の「境」の地に到達。
「境」が現在のどこなのか、諸説あり…

将門も、残された400騎の兵を率いて、
「北山」の地に陣を張る。
この「北山」も、特定が難しいらしい。

そして翌14日、最後の合戦は始まった。


北からの強い風が吹き荒れている…
将門軍は、風上にいた。
矢が風に乗って、面白いように飛んでいく。
10倍近い敵を圧倒し、まさしく、かつての伝説…
「少数で多数の敵を粉砕する」将門伝説が、
再び現実になろうとしていた。

ただ、今までとちがう点もある…
矢戦が優位に進んでいるため、これまで奇跡の逆転を
もたらしてきた将門軍の魂とでも言うべき武器…
すなわち日本刀の出番が、まったくなかったということ。
矢を射るのが面白くて、誰もが刀の存在すら忘れていた。

しょせん、戦場で刀はサブウェポン…
これが、本来の戦の在り方と言えるだろう。
だが、将門軍の存在を特別なものにしていた魔力…
日本刀の魔力もまた、希薄になってしまっていた。

一方、秀郷・貞盛の陣営では…
「なんとかもちこたえろ! 風向きは、いずれ変わる!!」
次々と兵が倒されていく中、貞盛は必死に皆を鼓舞する。
彼らが放つ矢は、逆風に押され、まったく届かない。
敗色濃厚な情勢の中、逃げ出す兵も現れ…

「もうダメだあっ」
「やっぱり将門には勝てねえッ」
雪崩を打ったように次々と逃亡、ついに
その数は2900名を越える。
残った300名ほどの精強な兵が、歯を食いしばって耐える。


が… 午後から、風向きが変わった。
「む? 南風か… よし、いったん撤収だ!!」
あれほどのダメージを与えたのだ、貞盛ども、
容易には態勢を立て直すこともかなうまい。
その隙に、もっと兵をかき集めなければ…

影武者の中に紛れて自陣へと引き上げる将門… 
わきの茂みの中で…
全身にカモフラージュ用の木っ葉を貼りつけ、茂みと
一体化した藤太が、半弓(小型の弓)を引いていた。
弦の音、風を切る唸り。

将門の右こめかみに、矢が突き立つ… 
こめかみ以外の全身は、黒く鋼鉄化していた。
まるでロボットが倒れるような金属音を立て、落馬する将門。
影武者や側近たちが、パニックになって逃走するが、
将門の唇には、なぜか…
かすかな笑みが浮かんでいた。



将門の死によって、新皇軍は一気に崩れた。
残党狩りが始まる。

将門を煽って叛乱を起こさせた首謀者の1人、興世王は
2月19日、上総で討たれた。
興世王と争ったあげく、ともに将門の仲間となった
武蔵武芝は不明だが、やはり討たれたと思われる。

常陸国府の追及を逃れ、将門のもとに逃げて
きた男・藤原玄明… 彼は将門の死後、
常陸国府に最後の戦いを挑み、討たれる。

副将・藤原玄茂は相模に逃亡、追撃を受け、討たれる。

さらに、将門の弟たちも…
将頼は相模で討たれ、
将平は埼玉県秩父郡城峯山中で逃亡生活を送り、没した。
将武は3月7日に甲斐の国で殺され、
将為は陸奥まで逃げ延びて抵抗を続けたが、討たれたようだ。

辰子は長子・良門をはじめとする4人の男児と、
幼い楓(かえで)を連れ、落ちのびる。
忠臣・伊和員経が、護衛として同行した。


征東大将軍・藤原忠文が率いる朝廷の討伐軍が
到着した時には、すでにあらかた片付いていた。
忠文は、逃亡している残党に、自首をうながす官符を出すと、
投降する者たちがぞくぞくと現れた。
残りの者は山野をさまよい、野犬のように狩られて…
ここに、坂東に出現した独立王国は、瓦解したのである。



「将門が討たれたとな…?」
知らせを聞いた純友は、平静を装うのが難しかった。
「肉体を鋼鉄に変える術によって、不死身と
なったはずでは… これでは…」
話がちがう!

東国に朝廷側の主力となる兵力を引きつけておいて、
その隙に、淀川を上って都に攻めこむ…
という計画のはずだった。
つい先日の26日にも、配下の盗賊どもに、都への関門となる
淀川流域の山崎一帯を放火させたばかりだというのに…

「せめて、あと1月… もちこたえてくれてれば…」
やむをえず、淀川を遡るべく難波に集結した
水軍に、撤退命令を下す。
こうなっては、根城である瀬戸内の小島に引きこもり、
長期戦覚悟で、朝廷と渡り合うしかない…

この日以来、純友はいくら大麻を吸っても、
ハイな気分にならなくなった。
ひしひしと、破滅の予感が迫ってくる…



3月9日、将門討伐に功績のあった者たちの褒章があった。
まず、最大の功労者である藤原秀郷は、
その軍略を讃えられ、従四位下に叙す。
次に平貞盛は、長年に渡って将門と戦い、ついに
暴徒を一掃したその努力をねぎらい、正五位上に。

これといって何もしていない源経基には…
「大宰少弐(だざい の しょうに)」への任官、
あわせて、追捕使次官として瀬戸内へ赴き、
海賊制圧を補佐するよう、指令が下される。



将門の遺体はバラバラに切断され、そのうち
首だけが、4月25日、都へと届けられた。
5月、首は「東の市(ひがし の いち)」で
木にくくりつけられ、さらし者となった。
日本最初の「さらし首」だという。

「あの首を見ろ… 討ち取られて3月もたとうというのに、
まったく腐敗してねえ… まるで生きてるようだぜ…」
見物に集まってきた物好きな連中も、吐き気を催すような
冒涜的な怪異を前に、おし黙るしかなかった。

将門の遺体を辱める目的の「さらし首」であろうが、
まったくの逆効果、都人の将門に対する恐怖を
さらに煽るだけ。
それもそのはず、その表情は…
両眼をカッと見開き、牙を噛み締め、まるで明王の如き
憤怒の表情を浮かべていたのだ。
そもそも、右目は潰れていたのではなかったか…

やがて、不気味な噂が都に広まっていく。
夜な夜な、この首が吼えるというのだ…
「俺の体はどこだ… 首をつないで、もう一戦してやるぞ!」

そして、ある日… 
首は木の枝から、忽然と消え失せた。
何者かが持ち去った、と考えるのが合理的な
解釈であろう、が、巷には
「将門の首が、自分の体と再びひとつになろうと、
怨念の力で、坂東めざして飛んでいった」
という噂が広まり、名状しがたい超自然の怪異と
将門の怨念の底なしの深さに、都人の心は
氷のような恐怖に包まれたのである。



しばらくして、坂東を旅する妖しい2人連れがあった。
「この首で、だいぶ悪戯をしたものよ…
都へ運ぶ途中で盗み出し、防腐処理をほどこしたうえで
また戻し… クククク…」
「都では、首の後ろで地獄の狼のように吼えてみたり…
ほんとうに楽しかったですね」

包んであった布を開くと、将門の首を取り出す。
防腐の術を施してあるとはいえ、かなり
痛んできているのは否めない。
2人は大草原の中のとある高台に、その首を置いた。
地元民が、古代からの邪悪な力が宿る場所として
忌み嫌っている、黒い土の盛り上がった塚である。

「純友はまもなく、滅びるであろうな…
だが、将門は何度でも甦る。黄泉比良坂(よもつひらさか)が
あるかぎり… 何度でもな」
「そして、いつの日か朝廷を倒し… この国に出雲王国を
復活させることでしょう… 出雲のタタラで製鉄した、
玉鋼(たまはがね)より作られし太刀を腰に佩いた
者たちが支配する、出雲の王国が…」
「その者たちは、あるいは将門が名乗っていたように、
武士と称する者たちやもしれぬ…」

謎に満ちた2人連れは、大草原に吹き渡る、
むせび泣くような魔風とともに消え去った。
歴史の闇の中へと…


やがて、狐を追っていた地元の猟師が、首を発見する。
ただちに国府に通報、役人らが調査に乗り出し、
特徴を記した絵図を都に送って照会したところ、
確かに消えた将門の首であることが判明。

「さすがの将門も力尽きて、この武蔵上空を
飛行中に落下したとみえる…」
国司の判断により、首は都に戻さず、発見場所である
古代の黒い塚に、丁重に葬ることとなった。

この場所は、現在の千代田区大手町、パワースポットで
有名な「首塚」である。
高層ビル街にあるが、ご存知の通り、他の場所に
移そうとすると事故などが発生するので、移せない。

なお、飛行中に首から兜が落下した場所が、現在の
「兜神社」と伝わっていますが、さらし首が
兜をつけてるって変ですよね…
証券取引所のある、日本橋兜町である。

ちなみに、将門の胴体はどうなったかというと。
茨城県坂東市の延明院に「胴塚」があり、
ここに埋められているという。
近くには、将門を祀った国王神社もある。

将門の死後、その領地は同族である貞盛が相続するが、
その際、領民の一部は隅田川の河口地域へ移住。
首塚の場所に、将門を祀った明神社を建立した。
江戸時代になると、明神社は神田に移転、神田明神となる。

将門に縁のある地域の住民たちは今でも、成田山新勝寺
には参拝しないのはもちろんのこと、将門を裏切って
死にいたらしめた桔梗を恨み、決して桔梗の花は
植えないのだという。




ぷりぷり将門記 完