ぷりぷり将門記





11、 勝矢(かつや)




幽鬼のごとき7騎の人馬が、血のような
落日に真っ赤に染まる、葦の生い茂る
水辺の原野を進んでいく。
7人とも、同じ姿をしていた。
7人とも、復讐に燃える将門だった。

葦の茂みには、選び抜かれた弓の名手が潜んでおり、
合図とともに、一斉に射かける。
3人の将門が落馬し、1人は矢を弾き返した。
金属的な残響の中、

「あそこに伏兵がおるぞ! 狩り出せ!!」
将門の背後の大軍が、いっせいに群がってくる。
選ばれた勇敢な射手たちは、無残な
最期を遂げるしかなかった。

少し離れた草むらで、この光景を目に焼きつけ、
コソコソと脱出する貞盛の姿があった。
(7人の将門… そして本物は、まちがいなく
肉体が鋼鉄と化して、矢を弾いた…)

あの将門と自分が、かつてライバルだったとは、
今となっては信じられない…
あの化物を、どうやって倒せというのだ…
あまりにもみじめな、貞盛の逃亡。
最後に残った手持ちの優秀な兵も今、失った。
もう将門に対抗するすべはない…


将門は相模の国(=神奈川県)をも手中に収め、
その後、貞盛の足取りを求めて、1月中旬、ここ
常陸の涸沼(ひぬま)に進軍してきたのである。
付近には、貞盛の所有する平戸館があるからだ。
(現在の水戸市平戸町、吉田神社のあたり)

探索の結果、多治経明の部隊が、館から
逃げ出した2人の女を捕獲。
源扶の妻、そして貞盛の妻であった。
貞盛は、この妻を置き去りにして、逃げたのだ。

2人は獣欲を剥き出しにした兵たちに引き回され、
全ての衣類を引き剥がされ豊満な肉体を露にされ、
そのうえで荒々しく犯され、虚ろな目で、
汚い体液にまみれ、放り出された。

報告を受け、将門が駆けつける。
憎き敵の、愛しい妻をボロ雑巾のようにしてやった…
微笑もうとしたが、できない。
(これが武士か… 誇り高き戦士の所業か…)

天国に飲みこまれて消えたはずの、本物の
将門の魂が、戦に巻きこまれた悲運の
女たちのために、涙を流していたのだ。
(こんな… こんなはずではなかった…)

「着物を与えて、本貫地に帰してやれ」
馬の頭をめぐらし、ただひたすらに下総へ
帰ることを望む将門であった。



1月下旬、貞盛は藤原秀郷と会見した。
できることなら、関わりたくない男…
秀郷からは、将門と同じ匂いがしていたからだ。
朝廷に反感を持つ、武芸しかない坂東男…

だが、もう秀郷だけなのだ。
将門を倒せる可能性が、わずかでもあるのは…
ちょうどいいタイミングで、秀郷も将門追討の宣旨を
受けているし、ぜひとも協力してもらわねば…

貞盛は、まず将門の現在の状況を詳細に報告した。
「肉体が鋼鉄と化したと… まさか…」
「何か心当たりがあるようですね?」
「うむ、まあな… 以前、同じ術を使う奴を相手にした」

秀郷は目を細めて、熾烈な過去の
戦いを思い出していた。
「近江(おうみ)の国で、百足(むかで)という賊を
征伐したことがあってな… 手強い奴だったよ」

「ほう… 鉄甲護身の使い手を、どのように?」
思わず身を乗り出す貞盛。
「目だ… 目は鋼鉄化できない」
「なるほど… うーむ、だが目を射抜くとなると、
相当の技量がいる… それに…」
「そうか、そのための影武者か…」
秀郷も、同じ点に気がついた。

「目を射抜くなら、7人の将門を一斉に
射抜くしかない、ということです。
もし一の矢で射抜いたのが偽者だったら…
その確率は6/7ですが…
本物はそれを見て、目を防御するか、
あるいは逃げるかもしれない」

ピンポイントで目を射抜くほどの名手を、
7人もそろえるのは不可能…
という結論に行き着いた。

「ま、いくら将門だって、1000年の
寿命があるわけでなし…
俺たちと同じ、短い一生を送る人間に過ぎない。
奴1人が世にのさばっていい道理はない。
必ずや、仕留める方法だってあるだろうぜ…
少し考えさせてくれや」
「頼みますよ… あなただけが頼りです」



さて、どうしたものか…
妙案の浮かばない秀郷は、彼としては
珍しく、神頼みしたい気分になった。
下総まで足を伸ばし、武人からの崇敬が篤い
亀ヶ島の香取神社に参篭することに。
現在の、東京都江東区亀戸である。

一昼夜、社殿に籠もった翌朝… 
表参道を歩いていると、木立の中に、女の姿があった。
「あの… 藤原秀郷さまでしょうか… わたくし」
女は市女笠を取って、顔をさらした。

「将門の側に仕える、桔梗(ききょう)と申します。
ありていに言えば… 妾(めかけ)です」
その美しい顔を見て、藤太は珍しく声が上ずった。
「お、お前さん…」

細面の凛とした、知的で気品のある顔立ち。
右目だけが深い湖のような群青色を
たたえるオッド・アイ。
「浅井!! 竹生島の浅井姫ではないか!? 
いや、浅井はとうに死んだはず…」

ああ、やはり… と、桔梗は呟いた。
彼女もまた、男臭い秀郷の姿に、理由の
わからぬ懐かしさを感じていたのだ。
「やはり、前世で私は、あなたにお会いしている…
失礼ですが、浅井姫とはどのような方で?」


近江の国、琵琶湖に浮かぶ聖なる島、
竹生島(ちくぶしま)。
浅井は、竹生島神社に仕える巫女だった。

ある日、琵琶湖の水運を取り仕切る堅田(かたた)
集落の首長の跡取で、猿夜叉(さるやしゃ)という
若者と恋に落ち、結ばれる。

だが… 凶悪な盗賊・百足一味が、堅田を狙っていた。
愛する夫と子供を守るため、浅井は勇者・秀郷を
探し出し、百足退治を依頼するのであった。

「あなたの百足退治の武勇伝、耳にしたことがあります」
「見事、百足を退治したんだが… しばらくして、
浅井は亡くなった。まだ若かったのにな…」
2人は、田舎道を歩きながら、語り合っていた。

「そうですか… では、私のしようとしていることは、
前世の私が、あなたから受けたご恩を返す、
という意味もあるのですね… 今から私は、
あなたに将門の弱点を教えようと思います」
「ほう?」
「どうか… 我が主、将門を討っていただきたいのです!」

この女、どこまで本気だろうか…?
「弱点か… まず、目だな」
桔梗の目に、哀れむような色が浮かぶ。
「将門は対策を講じておりますよ… 
影武者も、その1つ」
「ふむ」

「そもそも、目を射抜くなどという奇跡が再現できる
としても、瞼を閉じてしまえば、そこまでです。
目とちがい、瞼はまちがいなく鉄と化しております。
それに、今の将門には目が1つしかないのですよ!
あなたも、目を狙うのは難しいと思えばこそ、ここまで
来て参篭し、神の助けを求めておられるのでは?」

全て、お見通しのようだ。
「では目の他に、弱点があるというのか? 
鋼鉄に変化(へんげ)しない部位が?」
「あります。将門は私の前で、鉄甲護身の術を
見せてくれました。この術があれば、決して戦で
死ぬことはないと、自慢しながら… その時です」

桔梗は、見たという。
全身が黒い鉄と化した将門の、右のこめかみの辺り、
そこだけ薄い茶色で、人肌のままのようだった… 
その部分の面積は、500円玉くらい。

「将門はもともと、右のこめかみがグリグリ
動くクセがありました。そのせいでしょうか、
鋼鉄化が不完全なのです…」

「こめかみか…!!」
秀郷は、うめいた。
小さいターゲットだ… しかし、目と
比べれば4倍以上のサイズがある。
その上、相手はそこが弱点だという認識がない。

それに、本物の将門には、
「こめかみがグリグリと動くクセ」
があるのだ。
この情報は、影武者の中から本物を選別
するのに、このうえない助けとなるだろう。
まさに桔梗と会えたのは、神のお引き会わせ、
参篭した甲斐はじゅうぶんあった。

「礼を言うぜ、桔梗さん。だが、なぜ… 
将門を討ちたいのだ?」
群青色のオッド・アイから、涙がひとすじ、頬を伝う。
「今の将門は… 私の知っている
「お館さま」では、ありません…
別の人間に、体を乗っ取られてしまったのです!!」



現在の住所で言うと茨城県取手市岡、ここに将門が
桔梗のために建てた館、「旭御殿」がある。
秀郷に寝返りながらも、なお、将門への未練を断ち切れ
ない桔梗は、愚かにも、ここへ戻ってきたのだが…
意外な人物が、彼女を待ち受けていた。

「桔梗… あんた、秀郷と会っていたそうじゃないか」
辰子の目には、今まで桔梗が見たことも
ないような、冷たい光が宿っていた。
「き、北の方さま… 私は、そのような者は…」

平手で、頬を張り飛ばされた。
「秀郷に何を話した? なぜ… お館さまを裏切った?」
辰子は、従者から刀を受け取ると、鞘を抜き払う。

「お館さまじゃない!! あれは天国です!! 
辰子さま、目を覚まして…」
これが、最後の言葉だった。

胸に突き立った刃を、信じられ
ない思いで見つめる桔梗。
正妻と妾、という関係ながら、実の
姉妹のように仲が良かった2人…
だが待っていたのは、悲劇的な運命だった。

崩れ折れる桔梗を見下ろす、辰子の
気丈な瞳から、涙があふれた。
「丁重に葬ってあげなさい」
遺体に背を向け、歩き去る。



1月30日、朝廷は藤原純友を懐柔するため、
従五位下を授けることに決定。



現在の暦でいうと、もう春である。
いくら探索しても、宿敵・貞盛の姿はなく、
しばらくは戦もなかったので、石井営所
には、束の間の平和が訪れていた。
兵の数もやけに少なく、1000人
ほどしか残っていない。

この頃の兵士たちは、ほとんどが農民である。
農作業が忙しくなる時期を迎え、将門は彼らに
休暇を与え、一時帰宅をさせていたのだ。

この情報をキャッチした秀郷は、今こそ勝機ありと見て、
4000の兵を集め、戦仕度を整える。
「将門は今、油断している… 坂東に己にかなう者なし、
と驕り高ぶっていやがる… やるなら今だ」

秀郷側の動きが、今度は将門の耳に入った。
現在、将門の兵力は少ないものの、兵力の差が
開きすぎる前に先制攻撃をかけるべきと判断。

「辰子、これを鹿島神宮に奉納し、戦勝の祈願を頼む」
辰子が渡されたのは、例の「黄泉比良坂」だった。
「お任せください… お館さま、ご武運を!」
あの術がある限り、あの方が少なくとも
戦場で死ぬことはない…
そう安心していた… はずだったが、
なぜかいやな悪寒が体を走る。

2月1日、1000騎を率いて、将門出陣。


副将軍・藤原玄茂(はるもち)率いる先遣隊が、
秀郷軍の影を探して、原野を駆け回る。
玄茂は、将門のもとに逃げこんだ玄明(はるあき)と
同じ一族の人間と思われるが、新参者にも関わらず
副将軍に任命されるとは、よほど優秀な武将で、
将門からの信頼も厚かったのだろう。

秀郷の砦がある唐沢山の近く、三毳山(みかもやま)
という小高いの頂に登り、北方を見渡すと…
「見えた… 秀郷の軍勢だ!!」
その数、ざっと4000.。
「新皇さまに報告するぞ!」

この時、1人の武将が進み出た。
猪のようなすさまじい面相、筋肉の塊のような巨漢。
「フッ 報告するまでもない。今ここで片づけてやる…
この新皇七魔将の1人… 
多治経明(たじひ の つねあきら)がな!!」

「七魔将」とは、将門配下の最強の7人であり、
天国が作った中でも最高レベルの日本刀、
「七魔刀」を腰に佩くことを許された者たちだ。

「経明… あまり無茶をするな。こちらは手勢が少ない」
冷静に判断を下す玄茂、しかし、
「副将どの… たとえ少数といえど、こちらは一騎当千」
もう1人、妖気を放つ不気味な武将が並び立つ。

「同じく七魔将が1人、坂上遂高(さかのうえ の
かつたか)! 俺と経明がおれば、藤原秀郷など
赤子の手をひねるも同然よ… ククク…」
「貴様ら…」

こうなっては、言うことを聞く連中ではない。
経明と遂高は、手勢を率いて、流星のように山を
駆け下ると、秀郷軍の前に飛び出した。
霊気に光る「魔刀」を抜きはなち、
「秀郷、勝負だ! 我ら七魔将が相手をしてやるぞ!!」

今までの敵なら、日本刀を振りかざし、少人数で突っこんで
くる将門軍の兵に、心の底から震え上がったものだった。
だが、今日は… いつもとちがう。

見ると秀郷は軍勢の先頭に立ち、見たこともないほど
大きな弓を引き絞っていた… 一瞬のできごと。
前後に並んで疾走していた経明と遂高は、
焼き鳥のように、1本の矢に刺し貫かれた。
それは矢というよりも、槍に近いサイズ…

「敵はあの山だ! 包囲しろッ」
秀郷軍が一気に迫り、玄茂は顔面蒼白に。
「バカな… 化物か…」
もはや、散り散りになって逃げ惑うしかない、
新皇軍先遣隊であった。

「これが藤原秀郷… 伝説の勇者、俵藤太か…」
随行していた貞盛は、感銘を受けた。
これほど強い武人は、今まで見たことがない…
この男なら、不死身と化した将門も、倒せるかも…


敗走する新皇軍を追撃し、常陸の国へ。
「う… 将門の本隊ですよ、秀郷どの!」
「油断するな、貞盛…」

そこは、川口村という集落。
現在の茨城県結城郡八千代町水口といわれる。
将門の正妻・君の御前が娘とともに
殺された飯沼からも、ほど近い。

7人の将門が不気味な雄叫びを上げ、
本隊を率いて進撃してくると、さすがの
強者揃いの秀郷軍も浮き足立つ。

「将門には構うな! 手下の兵のみを相手にしろ!」
檄を飛ばし、秀郷自ら先陣を切って突っこむ。
「こちらには俵藤太がいる、決して負けはない!
敵に背を向けることはならぬぞ!」
貞盛もまた気勢を上げ、秀郷に続く。

ただでさえ少ない上に、先遣隊が壊滅してさらに
兵力が乏しくなった新皇軍は、4000の敵を相手に
持ちこたえることができなくなった。
そのうえ、七魔将の残り5人も、
秀郷に討ち取られてしまった。

「俵藤太… 朝廷側につくとは、見損なった…」
将門と秀郷は、30mの距離をおいて対峙する。
「俺がお前のような化物の下につくと、本気で思ってたのか?
それこそ、見損なうな、だぜ…」

秀郷の不敵な視線が、異形の将門を射抜く。
「それよりどうするよ、新皇の大将?
お前の負け戦だぜ?」
「フッ 負け戦だと…? 俺さえ生きていれば、
兵はいくらでも補充できる」

7人の将門は同時に、馬を反転させ、背を向ける。
「今日はいったん引き上げるか…
貞盛よ… お前の命、もう少し預けておく…」

秀郷は深追いを禁じ、退散していく
将門の軍勢をただ見送った。
「くっ 秀郷どの… 将門には何もできないのですか…」
「いや、奴はもう死んだ」
「え?」

秀郷もまた馬を返し、野営地へと向かう。
「こめかみが… 動いたんだよ」
桔梗がもたらした情報を、自分の
目で確認した秀郷であった。



2月3日、藤原純友に従五位下を授ける
位記をもって、使者が都を出立する。
(使者の到着後、純友はこれを受けるが、
叛乱はそのまま継続)

5日、純友率いる海賊船団が、淡路島の
武器庫を襲撃、強奪。
これと呼応するかのように、都の各所で
謎の連続放火事件が発生。


騒然とした空気に包まれる都に、海賊討伐に向かった
小野好古より、衝撃の知らせがもたらされた。
「純友が船団を率いて、都を目指し出撃せり!!」
瀬戸内海は大阪湾から淀川を通して、
京の都とつながっている。

「ついに都へと攻めこむか… 純友!!」
摂政・忠平は、市街戦突入の覚悟を固める。
宮城の各門に、兵を配備。
都のある山城の国の、淀川からの入口にあたる
山崎にも、警備の兵を派遣する。

だが市内には、純友とつながるゲリラ部隊が
潜伏しているのは間違いない…
このゲリラが都を内部から攪乱すれば、
「この平安京は陥落する… かもしれぬ…」

都は、パニックに包まれた。
住民の中には荷物をまとめ、脱出を計る者もいる。
このままでは、政治・経済が混乱をきたし、
首都としての機能が停止してしまう…
という最中の25日。
東国より、使者が駈け戻った。

「おおおおお… ついに将門を討ったか!!」
朝廷は一転、歓喜に沸き立った。
藤原秀郷の放った、必殺の一矢…
これが将門を射抜き、不死身の怪物もついに斃れたという。
(この矢は「勝矢(かつや)」と呼ばれ、
後に亀戸香取神社に奉納される。)

「将門… バカな男だ…」
ほんの束の間、忠平は感傷に浸ることを自分に許した。
が、ただちに現実に戻ると、
「よし、これで兵力を瀬戸内に集中できる…
もう1人の逆賊も、討ち果たすぞ」

都の雰囲気は、劇的に変わった。
残る純友を倒すべく、朝廷側の反撃が始まる。