ぷりぷり将門記





8、 死界の門




武蔵(むさし)の国とは、東京都の隅田川より西側、
それに埼玉県を加えた地域である。
埼玉に際立った個性がない理由として、昔は
東京と一体だった… という点があるだろう。
承平8年(西暦938年)2月、武蔵国庁に、
新たなトップが赴任してきた。

「権守(ごんのかみ)」として興世王(おきよおう)、
名前からして皇族であろうが、詳細は不明。
「権(ごん)」とは「仮の」という意味で、正式な「守(かみ)」
が決まるまでの、「仮の国庁長官」ということだ。

「介(すけ)=次官」として、六孫王(りくそんおう)の名で
知られた武人、源経基(みなもと の つねもと)。
初めて踏む荒々しい坂東に地に、その神経は、かなり
ピリピリしている… 怯えている、と言ってもいい。

「落ち着きなさい、六孫くん。夢の新天地に着いたのだよ」
皇族とはとても思えない、興世王という人物に、
経基は心底、嫌悪を感じていた。
悪どい、図太い、金に汚い… そして醜い。
とにかく一筋縄でいかない、アクの強い男だ。

「国司になるということはね、ひと財産作れる、ということ
ですよ… 大きな声では言えませんがね、賄賂(わいろ)。
これがガッポガッポ入ってくる。正式な国司が決まるまで、
2人で協力して、大儲けしようじゃないですか」

これまでの道中で、いかに大金を稼ぐか、それをどう
使うか、そんな話ばかりしていた興世王。
嫌悪感を抱きつつも、経基もだんだん洗脳されてきた。
せっかくの機会だし、こいつと組むのもいいか…

ただ1つ、気がかりなのは… 最近、坂東を
騒がせている男… 平将門の存在。
懇意にしていた貞盛から聞いたが、あの少年
将門が成長し、今や悪の限りを尽くす無法者
となったそうではないか。

かつて将門が訴えられた時、貞盛の求めに応じて、
厳しく処罰するよう、朝廷に働きかけたこともある。
「まあ、あいつが住んでいるのは常陸や下総、
ここ武蔵までは現れないだろうが… 
もし現れたら、俺が成敗せねばなるまい」


さて、赴任して早々に興世王は、検注(けんちゅう=
土地の調査)を行うと言い出した。
これによって年貢をどれだけ収めるか決まるため、
少しでも田畑の面積を少なく見積もってもらおうと、
地主たちは国司に賄賂を贈るのが通例だ。

賄賂目当てが丸出しのこの施策に、真っ向から
異議を唱える人物が現れた。
足立郡(あだち の こおり)の郡司、武蔵武芝
(むさし の たけしば)という、気骨のある男。

「検注は、正式な国司さまが赴任されてから行うのが、
これまでの慣例。あなたは権守ではありませんか」
これには、興世王も激怒して、
「無礼であるぞ! 貴様の財産を没収する!」

その没収する役目を割りふられたのが、
武人である経基。
兵を率いて武芝の館を襲撃、家財道具から
調度品、高価な衣類などを略奪した。

都では貴公子であった経基の、盗賊のような蛮行。
だが今の経基は、欲に取りつかれた獣となっていた。
武芝はやむなく、家族とともに近隣の山野に避難する。



武蔵の国が騒然としていた頃、石井営所では
辰子が無事、男子を出産。
束の間の平和に、将門もゆったり体を休める。


その宿敵・貞盛は、叔父・良兼を見限ろうとしていた。
間者を使った謀略に失敗して以来、すっかり戦意喪失、
今では終日仏間にこもって、読経する日々の良兼。
その領地は、次々に将門に奪い返されていく。
領地を失っていくにつれ、国府からの追求も厳しくなる。

「もはや、叔父の兵力を頼って鬼王を倒すのは無理…
朝廷の力を借りるほかない…」
都での出世を棒に振り、このような田舎で戦に
明け暮れる日々には、もうウンザリだ。

「俺は何ひとつ、法を犯したことはない… それなのに、
罪人として追捕の官符が下されてしまったのだ…
こんなバカなことがあるか! 今すぐ都に帰って
釈明しよう… そして鬼王の非道を訴えるのだ」


「貞盛が東山道(後の中山道)を通って、上洛を試みる」
という情報が、将門の耳に入った。
「まずいな… あることないこと捏造して、
この将門を、朝廷に訴えるつもりだろう… 
行かせてはならん、阻止せねば」

100余騎を率いて、ただちに出動する。
2月29日のことであった。


茨城県から栃木県、群馬県と抜けて、ついに長野県、
すなわち信濃(しなの)の国へ入る貞盛。
国分寺付近で、
「後方より、接近する軍勢があります!」
「ちっ… やはり来たか…」

このまま逃げても、背後から矢を受けるだけだ。
やむなく、千曲川(ちくまがわ)の川辺に陣を敷く。
(我が天命、ここに尽きたかもしれぬ…)
今戦っても、将門に勝つ策はない。

「夜叉王ッ 今日こそ決着をつけるぞ!!」
飛び来る矢を太刀で薙ぎ払い、
真っ直ぐ突っこんでくる将門。
貞盛も太刀を抜き、激しく火花を散らし、受け止める。
「うっ 俺の太刀を受けきった…?」

見れば貞盛も、かすかに反った
「日本刀」を手にしている。
「そうか、勝ち戦の時に奪ったか…」
「確かに、いい刀だ… 折れず、曲がらず、よく切れる」
「フッ あいにくだが、お前のは… 戦の備えを急ぐため、
天国の弟子に量産させた、完成度の低い刀…」

甲高い金属音を響かせ、何度も太刀を打ち合わせる2人。
「俺の小烏丸とでは、比べ物にならんぞ!」
将門の言葉通り、貞盛の太刀には亀裂が走った。
「な… これでは太刀打ちが…」
「太刀打ちできない」という言葉の、語源である。

「夜叉王! その首もらった!!」
貞盛が死の瀬戸際に立った時… 
突如、将門軍の背後に、謎の軍勢が出現、
攻撃を仕掛けてきた。

「う!?」
将門軍の文屋好立(ふんや の よしたて)という
有能な兵が、矢を受けて落馬する。
(ただし命は助かる。)

命拾いした貞盛は、ハッと思い当たる。
(これは… 信濃国庁の兵だ! 不審な軍勢が
侵入して戦を始めたので、取締りに来たのだ…)

将門軍も反撃開始、信濃側の他田真樹(おさだ
の まき)という兵が、顔面を射抜かれて死亡。

(今だッ)
この混乱をついて貞盛は、馬の頭をめぐらせ、逃亡。
一気に山まで駆け抜ける。

俊足をもって知られる貞盛の、
グレーの愛馬、隼(はやぶさ)。
だが、その後を執拗に追ってくる騎馬があった。
もちろん、将門と愛馬・昴(すばる)だ。
「絶対に… 行かせはしない!!」

疾走する馬上で弓を構え、必殺の一矢を放つ将門。
その矢から、わずかに逃げ切った貞盛…
が、荷袋を結んだ縄に矢が当たり、長旅に
必要な路銀や旅道具が散乱した。

平地ではスピードのある隼が差をつけたが、山道に
入ると、悪路に強い昴が、ぐんぐん追い上げてくる。
貞盛は、こういう場合に備えて訓練しておいた、
必殺のテクニックを使う時… と、覚悟を決めた。

鐙(あぶみ)から足を外すと、鞍の上で180度回って、
後ろ向きの体勢になる… 後ろを向いたまま馬を操り、
矢を番える… 見ると将門も、矢を番えている…
鐙に全体重をかけ直立した将門を見て、貞盛は舌を巻く。

(そうか、鐙の上に立つことによって、膝で上下の揺れを
吸収するのか… 上半身はまったく揺れていない…
狙いが定まり、命中精度が上がるということ… つまり)
俺が射抜かれる確率が高いということ!

貞盛の放った矢はかすかに外れ、将門の矢は
「ぐわっ」
貞盛の肩を貫く。

その時、将門の左足が急に痛んで、体勢を崩す…
「うぐッ」
と、張り出した枝に顔面を直撃、
「ーーーッ!」
落馬して、失神。

一方の貞盛は、隼が足を踏み外し、
「わあああああああああっ」
馬もろとも谷底へ転落…


しばらくして将門が意識を取り戻すと…
信濃国庁の役人らに、包囲されていた。
姓名を名乗り、追捕の命が出ている貞盛を追ってきた、と
説明するが、かなり被害を受けた国庁側は、怒り心頭だ。

「夜叉王は… 貞盛はどうした?」
「谷底に、灰毛の馬が落ちて死んどるぞ」
見ると、確かに哀れな隼の姿が… だが、
「貞盛の死骸がない… 山に逃げこんだな…」

山狩りの許可は国庁からもらえず、将門は
空しく引き上げるほかなかった。


矢傷を負った貞盛は、山中をさまよっていた。
飢え、乾き、寒さに震え、どうにか若い
炭焼きの夫婦に救助される…
不幸なことに、炭焼きの妻は、身ごもっていた。

24時間後、貞盛は小屋から出てきた。
傷もすっかり癒え、食事もじゅうぶん摂り、体も休め…
小屋には若い夫婦の死体が転がる。

さらに峠越えの馬子を殺して馬を奪い、都を目指す。
強運に恵まれ、どうにか上洛を果たした貞盛は、
将門の数々の悪行?を、大げさに書き連ねた
告訴状を、役所に届け出る。

将門の運命は、狂い始めた。



5月22日、元号が「天慶(てんぎょう)」に改まり、
これ以降は天慶元年となる。


夏が来た。
貞盛が上洛に成功したという情報はつかんで
いたが、その後、訴えがどうなったか…
「夜叉王自身が追捕される立場だというのに、
よくもしゃあしゃあと上洛したものだ…」

「あの人も相当、悪運が強いものね… それに弁も立つ。
きっと、ご自分の罪状など、うやむやにしてしまうでしょう」
「そんな如才のなさが、俺にもあれば…」
辰子に文面を考えてもらい、太政大臣の忠平に書状は
送ったが… 書状だけで、大丈夫だろうか。

「ところで辰子、何かそわそわしてるようだが」
「え? ええ… 実は、月のものが来なくて…」
「もう2人目が? それはめでたい」
「今度はなんとなく、女の子かなって気がする」
「はははっ お前によく似た娘だろうな… 鬼のような」
「鬼ですって!?」



夏の盛りの頃、天国が倒れた。
坂東に将門を訪ねてきて以来、日本刀の
製造と、その技術を弟子たちへ伝授する
ことに明け暮れてきたが…
休む間もないハードワークの日々が祟り、
ついに体を壊してしまったのだ。

手厚く看護をするよう将門から厳命を受けた従者たちを
振り切り、天国は意識が戻るとすぐに、仕事場に戻った。
ついに将門自ら鍛冶小屋に乗りこんで、
天国に言い渡さねばならなくなった。

「天国、暇を取れ。でないと、お前が死んでしまう」
「お館さま… もう、この天国の刀は必要ないと?」
「そうではない。だが、弟子たちも育ってきたし…
お前には、言葉では言い表せないほど感謝してるよ」

腰に吊るした、小烏丸にそっと手を触れ、
「この刀があればこそ、俺たちは勝利できた…
単なる兵(つわもの)ではない、『武士』になれたんだ…
だが、俺のことはもうよい。これからは自分を大切にしろ」

「そうでございますか… そこまでおっしゃっていた
だけるなら、お暇をいただき、残りの人生を… 
かねてより望んでいたことを成すため、
使いたいと存じます」
「ほう、何をするのだ?」

独眼の刀鍛冶は、その陰気な顔に苦笑を浮かべ、
「この天国のすることといったら、刀造りしかありますまい」
「なんだ… それでは、暇を取る意味がないではないか」
「いや、これまでは… 戦の備えをしなければ
ならず、できるだけ早く仕上げることを、
質よりも量を、優先しておりまして」

「む、そうか… 時間を存分にかけて、傑作を
ひと振り、ものしたいと、そういうことかな?」
「まさに。この天国の名を後世に残す名品を、命がけで
ものにしたい… そしてみごと完成の暁には…
お館さま、あなたに受け取っていただきたいのです」

「天国… 我が友よ…」
涙を流し将門は、異形の刀鍛冶を抱きしめたのだった。

そして翌日より天国は、小屋に引きこもり、食事を
運ぶ弟子以外、誰とも会わなくなった。


11月朔日(ついたち)、天国は死んだ。
最後は、粥(かゆ)も喉を通らぬほど、
衰弱していたという。
実父を亡くした時以上の衝撃に将門は揺らぐが、
気を取り直し、できる限りの手厚い葬儀をした。

形見が、将門に残されていた。
「なんと、これは… 霊気が匂い立つような…」
この世の物と思えぬ、妖しいまでの刀身の美。
究極の日本刀を、天国は遺したのだ。

「黄泉比良坂(よもつひらさか)… 
と、いう名でございます。」
最期を看取った弟子が、刀の名を告げる。

「確かに、冥界の入口というにふさわしい… 
この刃紋など、死の世界に広がる、
広大な砂丘のようじゃ…」

「ぜひ満月の晩、月光の下でご鑑賞くださるようにと… 
それが師匠の、最後の言葉でした」
「おう、それはいいな。さぞや凄絶であろう…」
次の満月の晩は、必ず… そう、心に決めた。


15日、満月の夜。
将門は庭で1人、「黄泉比良坂」を抜き払う。
「これはすごい… この世のものではない、まさに霊刀…」
改めて鑑賞すると、その妖気、尋常ではない。





月を反射させると、幽玄なる氷の煌きは両眼を刺し、
背筋が凍るような冷たいまぶしさに思わず息を飲む、
その時…
刀身の表面に、ごく小さい… 
小さな疵(きず)を見つける。
「おや? せっかくの名刀に、このような…」

いや、よく見ると、かすかに蠢いているので、
疵ではないような…
「虫か?」
が、懐紙でぬぐっても、それは取れなかった。

しかも… 先ほどより、大きくなっているような…
確かに、今は米粒ほどになっている!
「なんだ一体、この黒いのは?」

刀身に描かれた、「刃紋」という一幅の絵。
永遠の夜の下、銀の砂が押しよせる、死界の砂丘といった
趣の景色の中… こちらに向かって歩いてくる者がある…
それは、刀身が月を反射して映し出す、
異次元世界の映像であった!

将門は、目を離すことができなかった。
妙な歩き方… 何者なんだ、こいつは!?
やがて、はっきりと識別できるほどの大きさになる。
それは… 1本足だった・・・ そして、1つ目…
「お前、まさか… 天国か!?」





黄泉比良坂、それは死の世界の入口、
この世と、あの世の境目。
将門は、自分が「砂丘」に立っているような気がした。
目の前には、天国… というより、
天目一箇神(あめのまひとつのかみ)、そのものが…

「将門よ… 我とひとつになれ…」
天目一箇神とは、出雲の大ナムチの零落した姿である
という噂を、かつて耳にした…
遠のく意識の中で、将門の脳裏を、そんな考えが
よぎったのであった。



翌朝、庭で倒れている将門が発見された。
ただちに、辰子と桔梗が駆けつける。
「お館さま!」
「大丈夫、息はある…」

しばらくすると、意識が戻った。
まるで、生まれたばかりの赤子の
ように、周囲を見回す。

「あの… 左目はどうされましたか…」
どうやら、開かなくなったようだ。
「や… や… 病… 目の病…」
口調も、たどたどしい。

「立てますか?」
「手を… 貸して…」
郎党の肩を借り、どうにか立ち上がる将門、しかし…
「左足が動かないのですか? また例の傷が…」

しばらく静養したが結局、左目と左足は、
永久に機能を失ってしまったらしい。
「な、なんというお姿に…」
表情も今までとは、まるでちがう…
ドス黒い陰気な影が漂っていた。



将門が片輪者になってしまった、という噂は
たちまち広まり、営所は不安に包まれた。
これから大丈夫なんだろうか?
もし戦になった時、お館さまは戦えるのか…

辰子は近隣の医者や祈祷師を、かたっぱしから呼んだが、
将門はその連中を追い返した。
そして、主だった家臣らを庭に集めると… 
暗い地底から吹き上げる冷風のような声で
「俺が戦で役立たないかどうか… 将平、弓を構えろ」
自分に向かって矢を放て、と命じる。

「な… 兄さん、そんな真似できるか!」
「心配せずとも、矢で俺を殺すことはできぬ… やれ!」
ただならぬ迫力に押され、ついに将平は矢を番えた。
「やめて…」
さすがの辰子も、正視できない瞬間。

放たれた矢は、しかし、カキーンと金属的な
音とともに、弾き飛ばされた。
「あれ? 今…」
「確かに、肩のあたりに当たったはず…」

「次だ。今度は、顔面を狙え」
何がどうなっているのか、わけのわからぬまま、
将平は次の矢を放つ…
額で軽く、弾き返された。

「見たか? 一瞬、お館さまの皮膚が黒くなった…」
「ああ、まるで鉄のように…」
ざわめきの広がる中、将門は宣言する。
「これぞ鉄甲護身の術。もはや、戦で死ぬことはない」

片輪者どころか、将門は不死身と化した…
営所は一転、異様な興奮に包まれる。
もはや、我が軍が負けることはないだろう…
今や、俺たちは坂東最強の軍団なのだ…

ただ、辰子は複雑な思いで、桔梗は悲しげな目で、
変わり果てた夫の姿を見守っていた。



将門は、弟たちを呼ぶと、
「武蔵の国が、大変なことになっているようだな…
俺が行って、丸く収めてやろうと思う」
興世王VS武蔵武芝の争いは、すでに全面戦争の
様相を呈し、その噂は関東諸国に伝わっていた。

「一体どうしたんです、いきなり! 他所(よそ)のもめごと
に首を突っこんでいる場合じゃないでしょう」
「これ以上長引けば、領民が苦しむことになる…
坂東の秩序を乱すことは、この将門が許さん」

「まるで、坂東の王にでもなったような言葉ですね…
謙虚だった以前の兄さんとは、まるでちがう…
あなたは本当に、兄さんなのですか? それとも…」
「それとも何だ、将頼? 将門の姿を
した別の人間だとでも?」

将頼は、自分の考えが正気でないと知りつつも、
「天国… あなたの姿は、死んだ刀工の天国に似ている… 
いや、ちがうな… あの寡黙で堅実だった天国とはちがう…
兄さんと天国が消え、まったく知らない第3の男が、ここに
現れた… そうとしか言いようがない」

異形と化した兄は、弟の顔をじっと見つめ、
「これこそが、俺の真の姿… 大国主の転生である
平将門の、本当の姿なのだ!!」