ぷりぷり将門記





7、 我が妻




あれほどの強さを誇った将門の兵たちも、
戦意喪失、散り散りに逃げまどう。
「よっしゃあ! 前進するぞ、お前ら!
将門の領地は、全て焼き尽くす!」

生涯で初めての、勝ち戦に酔いしれる良正。
あの生意気な甥っ子の鬼王に、やっと
ガツンと1発、食らわせてやったぜ…
調子に乗って深追いし、常羽御厩(いくは の みまや)
という牧(まき=牧場)まで焼き払ってしまう。

実はこの牧、将門の領地ではない。
相馬御厨と同じく、朝廷から将門が管理を
任されている、官営の牧場なのだ。
後でこれを知った良兼は大激怒するが、後の祭り…



将門と重臣たち、妻子らは石井営所まで逃げのびた。
「おのれ、良兼えええええッ」
敵に背を向けるという判断ミスが、ここまで
悲惨な結果につながってしまうとは…

こんな時も、支えてくれるのは辰子だった。
「ここまで無抵抗に一方的に攻撃されたのですから、
誰が見ても、相手に非があるのは歴然…
反撃に出ても、誰もお館さまを責めることはできない。
さあ、父・良兼を討ちに参りましょう」

「辰子… 兵たちは、俺についてきてくれるだろうか」
泣きじゃくる夫の頭を、強く抱きしめ、
「もちろんですよ… 今度は、私もともに出陣します」

「何ッ お前も戦場へ行くというのか?」
「父が、一族の祖の霊像を掲げ、あなたを動揺させた
のなら… 今度は、私の姿が父を動揺させるでしょう」


妻に励まされた将門は、急ピッチで軍を立て直す。
兵を2倍に増強、武具をじゅうぶん揃え、8月17日、出陣。
将門に寄り添うように、細身の甲冑に
身を包んだ辰子の姿があった。
現在の筑波サーキットからほど近い、大方郷の堀津渡
(ほつつ の わたし)に、陣を敷く。

そして… 良兼率いる大軍が現れた。
「正直、鬼王がこれほど早々と復活するとは、
計算外だったな… だが、依然として兵力は
こちらが有利… 数で圧倒するしかない」

「決して、接近戦を挑んではなりません… 
奴ら、太刀を使わせたら、無類の強さです」
いつの間にか、参謀格に収まってる貞盛が助言する。
「おい、貞盛、あれ… 鬼王の後ろに乗ってるのは…」

その時、辰子が兜を脱いで、長い髪をなびかせたのだ。
「お父さま! これ以上の非道はやめて、兵を引きなさい!
あなたたちは朝廷の御厩を焼き払った罪人なのですよ!」

そのりりしい姿は、味方の士気を鼓舞し、敵には
動揺を与え… 特に良兼は、冷静さを失い、
「あのバカ娘… 一体、どこまでバカなんだ!!」

将門軍に、勝機が訪れた一瞬であった… 
が、天は良兼サイドに味方した。
その時、突然… いや、以前より
ズキズキ疼いてはいたが…
将門の左足に激痛が走った。
「うがああああっ」

かつて、貞盛より受けた傷… 毒によるものか、雑菌でも
入ったのか、将門の左足は徐々に冒されていたのだ。
それが精神的ストレスが最高潮に達した今、マグマが
噴き出すように、痛みが爆発したのだろう。

「お館さま!?」
「たつ… こ…」
ついに耐え切れず、落馬する将門。
今度は、こちらの陣営に動揺が走る番だった。

それを見てすかさず、貞盛は
「今だッ 一斉射開始ーーーーッ」
躊躇している良兼に替わり、号令を発する。
「ま、待てっ 娘には当てるな! 娘を奪還するんだ!」

将門軍は、ろくに反撃もしないうち、総崩れとなった。
「将頼さま! お館さまを頼みます!」
義理の弟に夫を託し、辰子は1人、馬の背に戻る。
幼い頃より、父にお転婆振りを叱られながらも、
兄たちといっしょに習った乗馬…

今、その腕前を見せる時が来たのだ。
辰子はたった一騎、飛び交う矢をかいくぐり、
敵陣に突っこんでいく。
「お父さま! その首、頂戴いたします!」

「辰子ッ いいかげんにしろ!」
その前に立ちはだかるのは、良兼の2人の息子、
公雅(きんまさ)と公連(きんつら)。
妹の振り回す刀を叩き落し、押さえつける。

「兄さま方、離してくださいっ」
「あきらめろ!」
「俺たちと上総に帰るんだッ」


再び、将門は敗れた。
辰子は連れ去られ、配下の兵たちは離散し、
百姓たちの家は焼かれた。

「広河の江(ひろかわ の え)に逃げるんだ!
あそこなら入り江が複雑に入り組んで、いくら
でも身を隠すことができる」

現在の八千代町平塚から芦ヶ谷にかけて、
広大な飯沼(=広河の江)が広がっていた。
将門は、そこに浮かぶいくつかの小舟に、妻や妾、子供
たちを分散して隠すと、自らも沼地の奥に消えた。


正妻・君の御前の身に、悲劇が起きたのは、この時。
彼女と生まれたばかりの菊姫、侍女の3人が
隠れた小舟は、不用意に岸に近づいて、
良兼の兵に見つかってしまった。
ただちに捕らえられ、良兼のもとへ連行される。

「将門の居場所を知ってるな? 言えば、助ける」
だが、御前は口を固く閉ざしたまま。
「仕方ない、斬れ。そうすれば…」
良兼はニヤリとして、背後に目をやる。
そこには、辰子の監禁されている番小屋があった。
「娘が晴れて、正妻となる」

御前は、幼い娘を固く抱きしめ、両手を合わせる。
刀が、振り下ろされた。
小屋の窓から、それを目にした辰子は狂乱し、
「刀を貸しなさい! 私も死にます!」

「フン。お前は正妻となった上で将門と離縁し、
別の男に嫁ぐことになる… 貞盛だ」
父の言葉は、辰子を奈落に突き落とした。
気丈な彼女も、さすがに崩れ折れ、涙に頬を濡らす。

後に、御前と菊姫を憐れに思い、
村人が塚を作ったという。
さらに地名も、悲劇の女性にちなんで「女」と名づけた。
これが現在の三和町恩名(おんな)である。


8月20日、良兼は兵を引き上げ、
辰子を連れて上総へと帰る。



どうにか石井営所に帰り着いた将門は、肉体は
生きていても、魂は死んだも同然だった。
唯一の救いは、嫡子(良門)が、母(君の御前)ではなく
父・将門とともにいたため、助かったことだろう。

「敗れましたか… 私の刀も、役に立たなかったようで」
刀鍛冶の天国は、熱した鉄で傷口を焼くという、
荒っぽい方法で、将門の左足を治療する。
その熱さ、痛みに泣き叫びながら、
(痛みを感じる… 俺はまだ、生きてるのか…)

桔梗も無事に戻っていて、辰子の身を案じ
ながらも、将門を献身的に介護する。
その愛情によって、将門の体調は
どうにか、持ち直した。



一方、上総国府に近い良兼の邸では。
軟禁状態にある辰子の様子を、
2人の兄が気遣っていた。
あれほど気丈で、男のようにサバサバしていた妹が、
毎日、涙に沈んで暮らしている…

「もう見てられないよ、兄貴… なんて痛々しい姿だ」
公連の悲痛な顔に、公雅もうなづいて、
「今日も飯を、ほとんど残してたようだし…
このままだと、死んでしまうだろうな」

ちなみにこの公雅、後に荒れ果てていた浅草の
浅草寺(せんそうじ)を再建する人物。
初代の五重塔や、雷門を寄進したそうだ。


心配のあまり、兄たちは妹を逃がすことにした。
9月10日、公連がわざわざ石井の
近くまで、辰子を送り届ける。

「お館さまああああっ」
「たちゅこおおおおおっ」

今や正妻となった辰子を抱きしめると、パワーが
もりもりと湧いてくる… 闘志が戻ってきた。
俺はやっぱり、この女がいないとダメなんだな…

「さっそくですが、お館さま。平良兼に復讐する、
良い機会がございます…」
涙も乾いていないのに、いきなり参謀の顔になる。

「兄たちが話しているのを聞きました。近々、良兼は…
羽鳥に住む愛人のもとへ、通うそうです」
「そうか、ようし… 今までの借り、全て返してくれる!」



筑波山の北に広がる、良兼の本拠地・羽鳥。
10月9日、盟友の平真樹にも援軍を出してもらい、
将門は1800人以上の兵力をもって、ここに進撃。
手当たり次第、家々を焼き払った。
「なんとしても、我が妻と子の仇・良兼を探し出せ!」

だが良兼は間一髪脱出、羽鳥の東、
湯袋峠に隠れていた。
「鬼王が、ここまで復活するとは… まさか、辰子が…」

将門軍は良兼を求めて山狩りを始めたようで、
地を揺るがすような進軍の響きや怒声が、
ここまで響いてくる。
「見つかれば、まちがいなく命はない…」

恐怖に萎縮する良兼の髪は、ただでさえ薄いのに、
この時、真っ白になってしまった。
将門の膨れ上がった怒りの炎が、ここまで
届くようで、体がどうしようもなく震える。
「ちくしょう… ちくしょう…」

だが、とうとう憎き敵を見つけ出すことは
できず、将門の軍は、空しく撤退した。



一命を取りとめた良兼は、貞盛、良正と軍議を開く。

「なぜ、あそこまで将門を追いこんでおき
ながら、とどめを刺さなかったのです… 
叔父上は、詰めが甘すぎる」
貞盛は、イライラしていた。

「そ、それは… あまり早急に将門を討っても、
娘が自害でもしたらイカンと… 
あそこまで打撃を与えれば、殺すのは、いつでも
できるかと… まあ、それはともかく」
追いつめられた表情で良兼は、

「かくなる上は、間者(かんじゃ=スパイ)を
仕立てようと思う… 武人の名誉に
こだわってる場合ではないからな…」
「手段は選ばないというわけですか」
「実はすでに1人、うってつけの奴を見つけてある」



11月5日、関東諸国の国司に、
「常羽御厩を焼き払った犯人である平良兼、
平貞盛らを捕らえるべく、将門に協力せよ」
という官符が下された。

「8月6日の負け戦の後、使者を立てて、朝廷に告訴状を
送っておいたのです… ようやく認められましたね」
将門は、機転のきく妻を抱きしめ、
「これでもう、なんの遠慮もいらない。公然と叔父どもを
討つことができる… よくやった、辰子」

将門を縛っていた呪縛…
「己が罪人に… 謀反人になってしまうかもしれない」
という恐怖から、ようやく解放されたのだ。
今や、国家の財産に被害を
与えた罪人は、叔父たちだ。

だが… 諸国の国司たちは、今や坂東の
最大級の実力者となった平一族の
威を恐れ、動こうとはしなかった。
将門は、坂東において、ほとんど
味方のいないことを知る。

唯一の盟友・真樹でさえ、すっかり
老いたうえに、娘を亡くしたショック
から、心身ともに弱っていた。



将門に仕える従者に、俘囚の血を引く丈部子春丸
(はせつかべ の こはるまる)という男がいた。
この妻が、今は良兼の領地である石田に住んでいて、
子春丸は、しげしげと通っていたのだが…

ある夜、待ち伏せしていた兵に拉致され、
良兼の居館まで連行された。
絹や高価な衣類、米俵を積まれて、
「俺に郎党になれば、全て、くれてやる。
馬も与えて、騎馬兵にしてやるぞ」

良兼の悪魔の囁きに、ニンマリする子春丸。
将門のことは、尊敬はしていた…
が、しょせん将門にしろ良兼にしろ、先祖代々の
土地を奪った侵略者の子孫である点は同じ…
忠誠を尽くす義理はない、条件のいい方につくだけだ。


数日後、子春丸が石井営所の見張り番を務める夜。
秘かに良兼の手下を連れこみ、
あちこちを案内して回った。
武器庫や厩舎、将門の館、出入り口の
場所と警備状況…
全てを確認して、手下は引き上げていった。


この情報をもとに、貞盛が見取り図を作成し、
良兼と綿密に奇襲作戦を練り上げる。
武器庫と厩舎に火をつけ、馬を全て放し、
兵が揃う前に将門の首を取って、
士気を下げ、降伏に追いこむ…

「奇襲部隊は、良正に指揮させる。
奴にも仕事をさせないと」
「この戦で将門を討たないと、まずいことになりますよ…
国司たちが我らを見限って、奴につくかもしれない」
「そうだな… 今度こそ、間違いなくケリをつけるぞ」

しばらくして、子春丸からの新しい情報が入った。
年末が近づくと、将門はいったん
兵たちを実家に帰す…
営所の警備は手薄になり、襲撃の
絶好の好機である…
「よし、決戦は12月だ… 準備にかかれ」



12月14日、陽も傾いた頃。
最強の80名から成る精鋭部隊は、良正に率いられ、
石井営所を目指して出発した。
いずれも一騎当千の剛の者で、弓を射れば
百発百中、馬を駆れば迅雷の如し…

「敵の兵力は10余名ほどらしい… 万が一にも負けは
ないだろうが、将門を逃がさないよう、要注意だ」
生意気な甥っ子の首を、今日こそ取ってやる…
良正は、舌なめずりをする。
陽はとうに沈んで、闇が一面垂れこめていた。

と、前方に… その甥っ子が、
待ち構えているではないか。
もちろん戦仕度をして、背後に10余名の騎馬兵を従え…
「どっどっどっどっ… どーしてッ!?」

良正の、どもる暇もあらばこそ…
将門の放つ矢は、良正の隣に控える歴戦の
勇者・多治良利(たじ の よしとし)の喉元を、
まっすぐに貫く。

奇襲部隊が、奇襲されたのであった。
良正軍が矢をつがえる前に、5人が射られ…
指揮官である良正が真っ先に、
馬をめぐらせ、逃げに入った。

「え…」
動揺してる間に、さらに7人。
部隊が良正に続いて逃亡を
始めた時には、さらに10人。
「退けえええええっ 撤退いいいいっ」

追いすがる将門軍に、さらに8人が射殺され、
累々たる死体を残し、ひたすら逃げる。
いつの間にか、良正がしんがりになっていた。
他の兵たちは、いずれも彼より
早い馬を駆っているので…

「ごらああああっ 将を1人ぼっちに
して先に行くなあっっ」
「俺がついてるから心配するな、伯父御よ」
振り返ると、隣に並んで将門がいた。
右手には、妖しく月光を反射する小烏丸…

知らぬ間に雲が晴れて、月が出ていたのだな…
妙なことに死の瞬間、良正の脳裏に浮かんだのは、
そんなどうでもいい考えだった。


雉が鷹に追われるように、奇襲部隊が良兼の本拠地に
逃げ帰った時、44名の兵を失っていた。
この惨状に言葉もなく、立ち尽くす良兼。
「良正… 良正はどうした…」

良正の馬も、確かにいた。
が、その背に乗せた武者には… 首が無かった。
「ひいいいイイイイッ」

良兼の白髪は全て抜け、一瞬にして
ミイラのような老人と化す… 
良兼は、完全に終わった。


父の性格を知り尽くした辰子は、必ず間者を
使うと読んで、秘かに網を張っていた。
兵や使用人の中で、父の領地まで妻問いをしている
者をピックアップ、重点的に監視をしていたところ、
子春丸の行動が不審なことに気がついたのだ。

あえて泳がせておいて、敵に情報を流させる。
そして極秘裏に、奇襲に備えて警備を強化。
営所に通じる道にも監視を置き、進軍してくる部隊を
見つけ次第、報告が入る態勢を敷いておいた。

「辰子… またしても、お前に助けられたな…」
「わずか10余名で多勢の敵を破ったのは、
お館さまの才覚と強さ… 
それがあればこそ、私の策が成功した」

「もしかして俺たち、無敵の2人組かもな…
お前が男だったら、良かったのに」
夫に抱きしめられながらも、最後の言葉は、辰子の胸に
微妙な感情の波を起こし、思わず涙が頬を伝う。

「本当に、そうでございますね… ふふっ」
悲しいのに、なぜか笑いがこみ上げてくるのであった。



翌、承平8年(西暦938年)の1月3日に、
子春丸は処刑された。