ぷりぷり将門記
6、 宿敵、相まみえる
「お館さま… お伝えしなければ
ならないことがあります」
2人きりになると、辰子は思い
つめた表情で、切り出した。
「我が父・良兼が… 千人以上の軍勢を揃え、
下野(しもつけ)との国境付近に集結している
との情報が入りました」
「な… 良兼の叔父御まで出てきたというのか!
戦いは収まるどころか、拡大する
ばかりではないか…」
将門は、不安に押しつぶされそうになった。
「あれほど、俺たちの強さを見せつけたというのに…
なぜ、あきらめてくれないんだ…
このままでは…」
「私の父ですが」
辰子は消え入るような声で、しかし、きっぱりと
「あなたの前に立ちはだかるようなら、
かまわず… 倒してくださいませ」
「辰子、お前… いや、いくらなんでも叔父御は本気で
俺を殺そうなどとは… 一応、娘婿だしな…」
「父は、そんな甘くはない… 冷酷な人間ですよ?」
「とりあえず、その情報を確かめるのが先だ」
100騎ほど軽装備の兵を率いて、
将門は国境に向かう。
7月26日のことである。
源護の本拠地・下妻の北方、現在は
真岡鉄道が通る、五行川沿いの樋口
という土地に、良兼軍は集結していた。
軍装を解いて、休憩中である。
粥をすすりながら、良兼は甥っ子の
貞盛を問い詰めていた。
「おぬしが都から連れてきた従者の中に、
若い娘がいたようだが… 都の女でないと、
性欲の処理もできんのか?」
「あれは、私の子を孕んでおります」
「なに? それなりの身分の娘か?」
田舎の飯は、泥臭くて食えたものではないな…
そんなことを考えながら、貞盛は気のない返事をする。
「卑しい家の女ですよ。戦になるというので、万が一の
事態に備え… いえ、なんでもありません」
どうも何か隠している様子だが、それ以上追求する
暇はなかった… 見張りが、慌しく駆けてきて、
「将門の軍勢が、こちらをうかがっております!
その数、ざっと100!」
「なんと! もう、こちらの動きを察知したか! 待てよ、
100と言ったか? こちらは1000… 好機かッ」
「叔父さん、あわてないで… 奴の出方を見ましょう」
「貞盛! この期に及んで、貴様まだそのようなことを」
良兼は号令を発し、兵たちは昼食を食ったばかりの
腹をかかえ、大急ぎで戦の仕度に取りかかる。
圧倒的な兵力の差に誘惑され、冷徹な良兼
らしからぬ判断ミスを犯してしまっていた。
一方、将門サイドは。
遠くから良兼軍を観察、のんびり飯を食って
いる様子から、すぐには攻めてこないだろう、
戻って態勢を整えよう…
なんて考えていたら、敵に見つかってしまった。
「逃げても、逃げ切れまい… やるしかない!」
「しかし、お館さま… 今日は皆、軽装で
矢の数もじゅうぶんにない有様…
10倍近い敵を相手に、どうされます?」
重臣・伊和員経(いわ の かずつね)は、
決して恐れているわけではなく、単に
指揮官の戦略を尋ねたのである。
「速攻だ… 敵の戦仕度が整う前に突入する。
矢を極力控えて、太刀を…
天国の太刀を使い、斬りこむのだ」
将門を先頭に、迅雷の如く、100騎の兵は突入した。
驚いたのは、良兼サイドである。
「奴ら、気違いのように突っこんでくるぞ! 盾を置け!」
移動式バリケードである大きな木製の盾を
設置するが、かまわず突進する将門軍。
矢を想定して作られた盾を、将門愛用の太刀「小烏丸」は、
紙のように貫いて、敵兵を刺し殺す。
「行けえええ〜ッ 1人、10人の首を取れ!!」
なだれこむ精強な騎馬兵たちによって、
たちまち乱戦となる。
「あれが噂に聞く… 妖魔の太刀か!」
貞盛は、この戦いで初めて、日本刀を目にする。
ついに、将門とあいまみえる時が来た。
「夜叉王ッ お前、なぜこの場に…」
「鬼王… 和議を結ぶと言ったな。あれは嘘だ」
「貴様ーッ この卑怯者!!」
怒りの太刀を振り下ろす将門、それをかわし、
巧みに距離を置く貞盛。
俊足で知られる貞盛の愛馬、グレーの
毛並みが美しい「隼(はやぶさ)」…
その動きについていくのは、至難の技だ。
「この都で鍛えた名刀で、相手をしてやろう」
貞盛の太刀は、昔ながらの直刀だ。
両者、愛馬を駆って、真っ向から太刀を合わせる。
「!!」
折れたのは、貞盛の太刀… 胸から腹にかけて、
「小烏丸」の切っ先がかすめ、鮮血が噴き出す。
致命傷ではない… 殺すこともできたが、将門の
心には今なお、ためらいがあった。
宿命のライバルといっても、幼なじみである…
一方の貞盛は、あまりにも呆気なく敗北を喫したことに
肉体の傷以上の衝撃を受けていた。
「鬼王… 貴様…」
涼しげな貴公子は、今や血まみれの悪鬼と化していた。
その右足の草履の爪先から… 小さな刃が飛び出す。
油断して近づいてきた将門に、その草履で蹴りを見舞う。
「ぐわッ」
左腿をザックリと切られ、のけぞる将門を
尻目に、貞盛は逃走した。
都で仕込んでおいた非常用のギミックが、
辛くも命を救ったのである。
戦局は、良兼軍の敗色が濃厚となった。
鍛え抜かれた将門の騎兵+日本刀の組み合わせは、
戦闘準備の整っていない1000人の兵を、大混乱に
陥れ… 頼みの貞盛も、半死半生の状態。
「退けええええッ 下野国庁まで逃げろーッ」
下野は、おおよそ現在の栃木県。
国府は、栃木市田村町と推定される。
良兼軍の生き残りは、どうにかここへ
逃げこんで、庇護を求めた。
追ってきた将門軍は、国庁を包囲する形に
なってしまった… これは、まずい。
そこで将門は馬を降りて、役人と面会する。
「今ここに逃げこんだ者たちを、裏門を開いて、逃がして
やってくださらぬか… 我々も、これ以上は追いません。
身内のゴタゴタに巻きこんでしまい、申し訳ない」
良兼軍が立ち去った後も、将門は残って、
事情聴取を受ける。
その結果、良兼の側から仕掛けた戦という
ことが認められ、正式に記録にも残った。
終始、礼儀正しく対応した将門は、国庁の役人たちから
好印象をもたれ、後にそれが身を助けることになる。
応急処置は受けたものの、出血多量で半ば意識を
失いながら、かろうじて水守営所に帰り着いた貞盛。
手当てを受け、どうにか床につくと、都から
連れてきた、若い愛人を呼び寄せる。
「他の者は… 下がってくれ…」
「ご主人さま… おかわいそうに…」
涙ぐむ愛らしい娘の手を握り、貞盛はささやく。
「お腹のややはどうだ… 元気か…?」
「もちろんでございます! 必ず、元気な
世継ぎの子を産みますとも!」
「なあ… お前の子を、俺の後継ぎにすると…
俺は、そう言ったな?」
「は、はい」
「あれは嘘だ」
「えっ」
手にした短刀で、一瞬にして、女の喉を切り裂く。
血まみれの寝具の上に、かろうじて起き上がると、
まだ暖かい女の死骸に、かがみこむ貞盛。
「許してくれ… このような事態にそなえて、
お前を連れてきたのだ…」
短刀を巧みに使い、女の下腹部を切り裂く。
あふれる血と羊水の中から、まだ人間というより
マウスに近い、小さな胎児を取り出した。
それを、丸呑みにする。
「………ッ」
ドサッと寝具に倒れこみ、吐き気を抑える。
やがて貞盛は、血溜まりの中で、
安らかな寝息を立てていた…
翌朝… 目が覚めると、傷がすっかり
ふさがり、気力も充実している。
都で読んだ、怪しい大陸の魔道書…
その書物に、「最も効果的な傷の治療法」として
紹介されていたのが、「生きた胎児を飲みこむ」
という非情な手段。
「あきれたものだ… 本当に治った…」
たとえ書物に書かれていたとしても、このような非道の
行いを、なんのためらいもなく、やってのけるとは。
「この女には、むごいことをした… 気の毒に…
だが俺は、自分が生き残り、勝者となるためなら、
手段は選ばん… 鬼王め、この借りは必ず…」
一方、将門は… 鎌輪へと帰還すると、まず辰子に報告。
「叔父御を逃がしてあげたよ…
これで、あきらめてくれるといいが」
辰子は思わず、夫の胸に飛びこんだ。
「優しい方… でも、これが災いにならねばいいのですが。
父は、執念深い人です… きっと、あなたを…」
8月19日、都では…
かつて将門の主だった藤原忠平が、
太政(だじょう)大臣に就任。
坂東での平一族の争いについては、一応
耳に入っているが、放置と決めた。
が、9月7日に源護からの告訴状が届くと、
そうも言っていられなくなる。
「仕方ないな… 将門と真樹を召喚せよ」
坂東に使者を送り、訴えのあった2名を呼び出す。
10月17日に、2名は都に到着した。
「久しぶりだなあ… 大丈夫ですよ、真樹どの。
非は、向こうにあるんだ」
ズキズキ痛む左腿をさすりながら、将門は馬から降りた。
貞盛につけられた腿の傷は、一応治ったはずだが…
ドス黒い傷跡はいつまでも消えず、押すと痛む。
(あの刃には、何か毒が塗ってあったな…
夜叉王の奴、さわやかな顔して、
えげつない真似するぜ…)
検非違使(けびいし)での、取調べが始まった。
下野国庁から、「戦は良兼側が仕掛けた」という証言が
届いていたこともあり、将門の主張はほぼ認められた。
「兵を勝手に動かした以上、無罪というわけ
にはいかない… が、相手にも非があること。
罪は、ごく軽いといえる」
しばらく、京の都において謹慎… という処分が下った。
「太政大臣が口添えしてくれたおかげで、
この程度の処分で済んだらしいですね…
後で、お礼にうかがわないと」
牛車に揺られながら、隣りの将門に話しかけるのは、
夫の身を案じて、都までついてきてしまった辰子。
「忠平公には感謝している。だが、戦を仕掛けた
護や叔父たちが何の咎めも受けず、俺だけ
処罰だなんて、理不尽だよ…」
「相手側にも、都の有力者との手づるがあるのでしょう」
辰子は、心なしかウキウキしているようだ。
「まあ、いいじゃありませんか、お館さま。
しばらく休暇と思って、都見物でもしましょうよ」
そういえば辰子は、都は初めてだったな…
「仕方のないやつだ」
将門は辰子の肩を抱き寄せ、唇を吸う。
そういえば、この女にもだいぶ世話になった…
俺1人だったら、ここまで叔父たちと
張り合う覚悟があったかどうか…
2人だけの密室で、将門は妻を愛し始めた、その時…
覗き窓の外をよぎる影に、フッと反応した。
「!?」
細い隙間から、外に目をこらすと…
グレーの駿馬が、通り過ぎていくところ。
馬上の武人は、忘れもしない…
「夜叉王! あいつも都に… そうか、わかったぞ」
長年に渡る都勤めの間に築き上げたコネクションを
フルに使い、貞盛もまた自らの陣営の正当性を
認めさせるべく、運動していたのだ。
後で聞いたところだと、六孫王こと源経基をはじめとする
多くの有力貴族や皇族が、将門の投獄を要求したらしい。
太政大臣・忠平が守ってくれなかったら、
将門の破滅は確実だったのだ…
「俺は運に恵まれた男だな、辰子…
忠平公や天国、そしてお前のような人たちが
周りにいて、俺を助けてくれる…」
それにしても、憎き宿敵は貞盛!
「あいつには、かなりの深手を負わせたはずだが…
どうして元気に動き回っているのだろう?」
当面、郷里での争いを忘れて、辰子と
のんびり都見物でもするしかない…
東寺や清水寺といった名所を巡り、ある日、
御室(おむろ)の方まで足を伸ばしてみる。
ここには、宇多法皇の創建した仁和寺(にんなじ)があるの
だが、その門前を通りかかった時、なんとも美しい天界
の調べのような、声明(しょうみょう)が聞こえてきた。
「あら、まあ… なんという美声でしょう」
「声明」とは、いわばメロディーに乗せたお経。
将門は牛車を止め、掃き掃除をしていた
小坊主に、声の主を尋ねてみた。
「寛朝(かんちょう)さまですよ。お呼びしましょうか?」
辰子の目は輝いたが、将門は妻を押さえて、
「あ、いやいや… 御室の仁和寺といえば、皇室ゆかりの
格式高い寺… そこで修行される方に、坂東の田舎者が、
気軽に話しかけるわけにもいくまい…」
小坊主は笑って、
「確かに寛朝さんは、その格式の高さを鼻にかけ、
威張ったところのある人でね… そのくせ酒癖が
悪いんだから、笑っちゃいますよ。
こないだも怪しい店で酔っ払って、たむろしてた
無法者にからんで、殴られちゃいましてね…
顔面が腫れ上がって、死ぬ思いで帰ってきたんですよ」
「なんと。これほどの美声の持ち主が、そのような…」
小坊主は将門の顔を、しげしげと見て、
「あのー、失礼ですが… 今話題の、東国の方では?」
「え? 俺のこと、何か聞いてるのか?」
「やっぱり! 太政大臣のところの、将門さんですね!」
今度は小坊主の顔が、輝く番だった。
「すごい戦をされたそうじゃないですか! かっこいい
ですねえ! 想像しただけでワクワクしますよ」
こんな小坊主さえ耳にするほど、
将門の噂は広まっていた。
東国に広まった武士階級同士の戦いは、都人が
それまで知らなかった荒々しいロマンをともなって、
激しく興味をかき立てるテーマとなっていたのだ。
それは、やがて来る武士の時代の序曲のようなものだった。
年が明け、承平7年(西暦937年)。
1月4日、朱雀天皇、元服。
1月7日、これに伴い、恩赦の発表があった。
4月7日、将門も恩赦によって、謹慎を解かれる。
「さあ、帰るぞ! 坂東へ!」
だが、辰子の表情は暗かった。
「あの父が、このまま終わるとは思えない…」
「戦っても勝てず、訴えても通らない。
叔父さんも、あきらめるしかないさ」
いいかげん、あの連中も気づくだろう…
身内で争うことの愚かさを…
だが、復讐の怨念に凝り固まった者たちの
恐ろしさを、将門はまだ知らなかった。
久々に鎌輪の館に帰ってみると、正妻・君の御前が、
丸々太った女児を出産していた。
桔梗も男子を出産、さらに辰子も懐妊していることが判明。
主の帰還と重なる慶事に、館は明るい空気に包まれる。
一方、貞盛も都から戻り、良兼と合流。
良正も加わり、打倒・将門の秘策を練る。
「なんと… 舅どのが、ご危篤?」
全ての戦いの始まりである源護老人は、訴えが退け
られたことにショックを受け、寝こんでいたらしい。
そして今、その命の炎は消えようとしていた。
平一族の3人が見舞いに駆けつけると、見る影もなく
痩せ細った護が、寝床に横たわっている。
老人の後継ぎ息子たちは、全て将門に討たれて
いたので、その領地と財産は、3人の娘婿たち…
良兼、良正、そして亡き国香の代わりに
長子・貞盛が、相続することになるのだ。
「これで完全に、我が一族同士の
争いになってしまったな…」
良兼は、禿げ上がった額にシワを寄せ、
「だが武名を失った今、この恥辱をそそがねば…
坂東の男たちの頭領として、立つことはできまい…
そして俺は今回、娘も取り戻すつもりだ」
「よろしい… 私も、今あの男を討たねば、将来
我が一族の災いになると、そんな気がします。
では、我ら3人力を合わせるとして… 私に、策が」
貞盛の提案に、2人の叔父は聞き入った。
良正の本拠地である水守に、再び兵力が集結して
いるという情報が入り、緊張が高まってきた。
将門も、自ら武装した騎馬団の
先頭に立ち、領地内を巡回する。
実は将門の住む鎌輪と、良正の
水守は、かなり距離が近い。
そして8月6日。
「ふう…」
体が重い… と、感じる将門。
都からの長旅の疲れが、まだ
抜けきっていないのだ。
それでも兵を率いて、定例の巡察に出発。
小貝川の岸辺、「子飼の渡し」と呼ばれる
場所にさしかかった時…
待ち伏せていた大軍に囲まれた。
「何度敗れても、懲りずに向かってくるか… う!?」
いつもと、何かちがう。
敵は、大きな幕を2張、高々と掲げていた。
それぞれの幕には、プロの絵師によると思われる
かなり上手い肖像画が描かれている。
「あの絵は…」
「誰の絵です、お館さま」
部下の問いかけに、将門は言葉に詰まる。
その顔は、こころなし青ざめていた。
「1つは、我が祖父・高望王… もう1つは…」
歯ぎしりをする。
「俺の父… 平良将だ」
敵軍の先頭には、ヤクザな叔父の良正が。
「平一族の長・良兼より、この霊像を預かった!
そして一族の面汚し、無法者・将門を討つ!
矢を放てッ!!」
これでは、まるで俺が一族の反逆者ではないか…
もし、このまま戦に突入し、再び都に召喚されたら…
今度は果たして、俺の言い分は通るだろうか?
「ともに謀反を起こし、都を滅ぼそうぜ…」
少年時代の、あの声が甦ってきた。
「お館さま! 反撃の指示を!」
「いや、まずい… 今戦えば… こちらが罪人に
されてしまう… いったん引くんだ!」
「えええええーっ!?」
最悪の場面で、将門のヘタレな部分が出てしまった。
「戦うなッ! 後で朝廷に告訴状を送る!」
都での取調べを気にするあまり、戦えば
勝てる戦を、自ら捨ててしまった…
鎌輪に逃げ戻ってきた将門を見て、
兵たちはパニックに陥る。
これまで連戦連勝だった、戦いの神のごとき将門が…
そこへ、良正の軍が攻めこんで来る。
さらに後続の、良兼が率いる本体も合流。
かつて国香の領地が焼き払われたように、今度は将門の
開拓した鎌輪が炎に包まれ、灰となる番だった。
貞盛は、その光景に会心の笑みを浮かべ、
「俺の策が当たった… さあ、あとは将門を
追いつめ、首を取るとしよう!」