ぷりぷり将門記





2、 兵(つわもの)




その4年後、延長(えんちょう)元年(西暦923年)。
21才の青年・将門は、郷里である
坂東(関東地方)へと帰ってきた。

都では失敗の多かった将門だが、主人である
右大臣・忠平は、彼の人間性をよく見極め、
重要な役職を与えたのである。

「お前のような根っからの野性人は、都では
活躍すべき場があるまい。
だが、坂東のような辺境の地においては、
お前こそ必要とされる人材であろう」
と、「相馬御厨の下司(げし)」に任命した。

「御厨(みくりや)」とは、皇室や有力神社の所有する領地。
下総(しもふさ)の国、相馬郡(そうまごおり=現在の千葉・
茨城県境エリア)にあるのが、相馬御厨(そうまみくりや)。
守谷(茨城県守谷市)はその中心地で、将門が幼少期を
過ごした館がある。

「兄さん、お帰り!」
「とうとう、都を追い出されたか」
将門を迎えるのは、弟の将頼(まさより)、将平(まさひら)。

「ん…? お前は… 昴(スバル)? いや、昴にして
は若い… そうか、昴の子か! 二代目昴か!」
弟との再会よりも、彼らの連れてきた馬に興奮する兄。

栗毛の昴は、サイズが大きいわけでなく、スピードも
俊足というほどではないが、がっしりした4本の脚が、
どんな悪路も踏み分けていく。
特に急な坂の登攀に強く、岩場や急流も楽々と越えた。
二代目も、その逞しい脚から察するに、
親の能力を受け継いでいるのだろう。

「ようし、久しぶりに坂東の大地を駆け回るか」
鞍もつけていない二代目昴に、颯爽とまたがる将門。
野生の若い馬に、裸馬のまま乗って
調教するのは、将門の特技だった。

両足で馬の腹を締めたり緩めたりするだけで、
たくみに馬を操り、大草原を駆け抜けていく。
ここは、本州で最も広大な平原が広がる関東平野。
そして、内燃機関が発明される以前、人間にスピード感を
与えてくれる唯一の乗り物は、馬だった。

「この空の広さ、この流れる風の速さはどうだ…
都の淀んだ空気で腐った心と体が、
生き返っていくようだ…」



将門の祖父は、皇族の高望王(たかもちおう)。
桓武(かんむ)天皇の孫(あるいは曾孫)で、
51才の時、主に財政上の都合により皇室から
外され、「平」という姓を賜って臣下となった。
さらに60才になって、「上総介(かずさ の すけ)」に
任命され、一族を引き連れ、坂東へと下る。
上総介とは、上総(かずさ=千葉県中部)の国の、副長官。

平高望とその子供たちは、初めて
見る大平原に魅せられた。
都より遥かに野蛮な、己の身は己で
守らねばならない、厳しい世界。

だが高望一家も、弓や馬術には自信のある武人揃いだ。
だからこそ、この危険なワイルドイーストにあえて乗りこみ、
開拓者となって、己の夢を託すことにしたのだ。

長男の国香(くにか)は、後に
夜叉王丸こと貞盛の父となる。
冷徹な次男・良兼(よしかね)は、
将門の婚約者・辰子の父に。
そして三男の良将(よしまさ)こそが、将門の父。

上記の3人は、いずれも高望の正室の子だが、
都に残してきた側室の子供も、たくさんいた。
将門と貞盛の喧嘩を止めた良正も、その1人。
彼もいずれ、坂東へ出てくることになるが…

将門は千葉県佐倉市で、土地の豪族・県犬養春枝
(あがたのいぬかい の はるえ)の娘を母に生まれた。
母の郷里の相馬郡で、何不自由なく育てられたという。



2人の弟にも手伝わせ、御厨の管理人としての
仕事をこなしながら、将門はかねてから
構想していた計画を、実行に移した。
それは、父・良将の配下にある兵(つわもの)たち… 
やがては、将門が頭領の座を引き継ぎ、率いる
であろう兵たちを、組織的に訓練し、最強の
騎馬軍団に仕立て上げるという、壮大な夢。

まず、父の所有する葛飾郡小金ヶ原( 千葉県流山市)の
牧(まき=牧場)に、大量の野馬を集めた。
「何が始まるんです?」
興味津々の兵たちに、号令する将門。
「よーし、お前たち! 今から牧に突入!
野馬を捕らえて、鞍をつけろ!」

100頭以上もの、気性の荒い野生馬の
群れの中に、20騎の騎馬武者が乱入、
もうもうたる土煙を上げ、獲物を追い回す。

このスペクタクルな軍事訓練は、後に相馬郡の
大半を領することになる将門の叔父・平良文
(たいら の よしふみ)が受け継ぎ、その子孫が
治める相馬藩の正式な行事となった。

相馬藩が福島県に移った後も絶えることなく連綿と続けられ、
明治維新で廃藩となった後も、重要無形民俗文化財
「相馬の野馬追(のまおい)」として、現在まで伝わる。

毎年7月23〜25日、福島県浜通り地区にて、甲冑姿の
騎馬武者が走り回る、荒々しい祭りだ。
武者役の人は役になりきっているので、馬の前を勝手に
横切ると、「無礼者!」と怒られるらしいよ。

だが今、この壮観を前に、将門の脳裏を
ふと横切る不快な記憶があった。
「あんたは必ず、俺たちの仲間になって、この国を
ひっくり返すと… そういう宿命なんだ…」
比叡山で出会ったあの男の、忌まわしい言葉。

今やってることは、まさに謀反を起こすための
訓練そのものではないか。
「いや、ちがう! これは謀反人や盗賊どもを征伐し、
国を守るための訓練… この俺が大乱を起こす
元凶となるなど、断じてない!」



ある日、将門を訪ねてきた女人があった。
「鬼王さま。いつまで待っても、あなたが訪ねてきて
くださらないので、こちらから来ましたよ」
「お、おう、辰子(たつこ)か… 久しぶりだな」

5年ぶりに出会う婚約者を前に、将門はたじろいだ。
「うわっ でか…」
思わず口をついて出てしまったその言葉に、
辰子の額に青筋が浮かび上がる。

「坂東は空気も食べ物も美味しいので、
育ちに育ってそまいました」
身長170センチ、ほとんど将門と並ぶほど。
この時代では、大女呼ばわりされても仕方ないが、
しなやかでスレンダーな肢体は、
ごつい印象をまったく与えない。
長い黒髪、鼻筋の通ったモデルの
ような顔立ち、大きめの唇。

「でも、きれいになったな…」
将門が照れながら正直に認めると、
辰子はニッコリした。
叔父の良兼の娘、つまり将門の従妹(いとこ)である。

「ま、ともかく上がれよ」
「お邪魔いたします。さ、桔梗(ききょう)も、おいで」
つき従っていた侍女に、声をかける。


客を館に上げ、菓子や果物などを出し、もてなす将門。
「あら、お酒の方が良かったのに」
(これだから坂東の女は…)

将門の目はどうしても、辰子の後ろに控える
侍女の方に、ちらちら行ってしまう。
「ああ、彼女? 3年くらい前かな? うちに来たのは…
王宿(千葉県佐原市)佐野の庄司さんとこの娘で、
桔梗っていう。私の世話をしてもらってます」
「その子、目が… どうかしたのか?」

桔梗は、恥ずかしそうに顔を伏せた。
将門の視線をさえぎるようにして、辰子は
「気づいた? 目の色がチンバなの… 
私はきれいだと思うけど」
「ふーん、珍しいな。もっとよく見せてくれないか?」
「こら、見世物じゃない! 私の大事な妹分なんだから」

桔梗を背中でかばい、辰子は切り出した。
「そんなことより… 私たち、許婚
(いいなずけ)だったよね?」
ほら、来た… 将門は、覚悟を固めた。

もちろん、辰子のことを忘れたわけでも、
嫌いなわけでもない。
だが、正室(本妻)は都の女がいい… 辰子は2号…
なんて虫のいいことを考えていた将門であった。

結局、都ではダメダメで、女に相手にされなかったし、
坂東に戻った今、都の女を妻にできる確率はゼロだ。
そうなると、辰子が繰り上がって正室になってしまうが…
このズケズケものを言う、サバサバした女が正室
というのは、どうしても避けたいところだった。

「もう少し、待ってくれないか… もっと立身出世してから、
お前を妻に迎えたいと思っている」
「御厨の下司で終わるつもりはないんだ?」
「当たり前だ」

「それを聞いて、安心した。都では夜叉王がバリバリ出世
してるっていうし… 鬼王さまが、田舎に引きこもって
終わる程度の男だったら、こちらから断るつもりでした。
これでも、言い寄ってくる男は多いんだよね」

「夜叉王丸か… このままいくと、
いずれ都で要職につくだろうな」
「そうするとあなた、彼にアゴでこき使われる
立場になりますよ? それでもいいの? 
子供の頃からずっと、夜叉王と張り合ってたでしょ?
夜叉王にだけは、負けたくないのでしょう?」
「それはまあ、そうだ」

夜叉王丸(貞盛)が都で偉くなって、権力の座につき…
そして自分は地方の御厨の管理人…
このような状況になった時、自分はどうするだろうか。
答は… 謀反である。
貞盛が仕切る中央政府と決別し、反乱を起こすしかない。

「いかん! それだけは断じて…」
「そうだよね、いかんよね」
「俺も夜叉王に負けないくらい、偉くならなければ…」
「で、いつ、都に戻るの?」
「え? 戻る?」

せっかく帰ってきたのに… 愛する坂東の地と、
またしても別れねばならないのか!
「でも、ここにいたら偉くなれないでしょ? 私、待ってるから。
あと10年くらいは待ちますから。愛してます、鬼王さま」


2人の女が館を辞し、牛車に乗りこむ時…
桔梗が振り返った瞬間を、将門は見逃さなかった。
細面で凛とした、気品のある顔立ち。
その瞳は右目だけ、深い湖のような群青色。
日本では非常に珍しい、オッド・アイである。

その不思議な瞳が、将門の心に焼きついた。
ファム・ファタール(運命の女)…
彼をいずれ破滅へと導く、運命のオッドアイであった。



2年後の延長3年(西暦925年)、御厨の
管理業務も軌道に乗り、下司の仕事を
2人の弟に委ね、将門は再び京に上った。
左大臣に出世した藤原忠平に、祝いの品として
20頭もの駿馬を送り届ける… という名目で。
(これは、辰子の入れ知恵である。)

駿河(するが)の国(静岡県東部)で、都から
下ってきた一行と、ばったり出会った。
「む… 伯父貴ではないか?」
「よう、鬼王、久しぶり! 俺もついに都落ちだよ」

ヤクザっぽい風体の、将門の叔父・良正。
都ではとうとう芽が出なかったので、新天地の坂東で
一旗上げようと、仲間たちを引き連れ、下ってきたのだ。

「お前も、あきらめずに再挑戦か。まあ、無駄と思うがな」
そびえる富士を仰ぎ見ながら、叔父は東に、甥は西に。
彼らもまた、いずれ戦うべき宿命の2人であった。



都では、左大臣となった忠平が、暖かく迎えてくれた。
「しょうがない奴だな。坂東にこそ、お前の
生きる道があるだろうと帰したのだが… 
まあ、いい。好きなだけいろ」
親分肌の忠平は、都の貴族と毛色のちがう
無骨な将門を、かわいく思っていたのだ。

「やあ、鬼王兄さん。何か困ったことが
あったら、相談してくれよ」
ライバルと思い、敵視していた貞盛…
だが愛想のいい笑顔で、将門と再会した。
向こうは、出世レースからいったん脱落した
従兄弟など、眼中にないのかもしれない。

武人なのに物腰柔らかく、知的で社交的な貞盛は、
今や六孫王(源経基)に次ぐ人気と人望があり、
将来は軍事方面の重職に就くのはまちがいなし、
との評判。

「ぐぬぬ… 今に見てろよ、夜叉王…」
歯噛みをする将門だが、軍事作戦には
天賦の才があっても、複雑な貴族社会で
勝ち組になる策は、何も思い浮かばない。

1週間で、坂東へ帰りたくなった。
だが、夜叉王にだけは… 
貞盛にだけは、負けたくない。

子供の頃から頭の切れた貞盛は、大人たちを
喜ばす術を知っていた。
いつも将門が孤立するように仕向け、
自分が美味しい所をいただく。
そんな従兄弟に対し、仲間意識など
感じたことはなかった。
宿敵… いつか雌雄を決すべき、敵なのだ。

馬術、弓術、剣術、相撲、蹴鞠(けまり)、すべて互角。
ただ軍事戦略だけは、将門が上。
(だから碁も将門が強い)
それ以外の頭を使うことは、
おしなべて貞盛に分がある。
総合的に見て、五分五分の能力を
もった2人と言えるだろう。

宿命のライバル・貞盛… だが、そのライバルと
勝負する機会は与えられず、将門はただただ
無為な日々を重ねるだけだった。
悪い友達とつき合うようになり、遊女の家に出入りする
癖がついて、酒に溺れるようになり、歳月が流れる…



都に戻って、5年が過ぎた。
ある時、野原に大麻が自生しているのを
見かけ、ふと遠い記憶が甦った。
葉を1枚引き抜くと、丸めて火をつけ、ふかしてみる。

「謀反か…」

今の人生を一発逆転する手段は、
それしかないかもしれない。
いやいや、謀反を起こすような状況に追い
こまれないため、都に舞い戻ってきたと
いうのに、それでは本末転倒ではないか。

「俺って… ダメな人間だなあ…」
5年たっても、将門は公式には
「相馬御厨の下司」のままだった。

「将門さま、こちらにいらっしゃいましたか! 探しましたよ」
「ん? あんたは… 天国(あまくに)のところの…」

刀鍛冶・天国の弟子が、息を切らせつつ、伝言を伝える。
「親方は明日、都を引き払って、大和に帰ります…
その前に、ぜひお会いしたいと」

大和の唐笠山(からかさやま)のふもとに、出雲系の
鍛冶師が集まる集落があり、天国はそこの出身だと
いう話を、以前聞いた気がする。
「なんと… それはぜひ、挨拶をしないとな」


川原の小屋に到着、中に入ると、将門を
ぎょっとさせる光景があった。
「お… お前…」
「天国でございます。初めて、この姿をお目にさらします」
目の前に、刀鍛冶が立っていた。

年齢は40代か50代、いやもっと上に見える。
左目がない… 暗い空洞になっている。
右目はあるが、左目以上に暗い光をたたえていた。
両手は、ふつうにあるが… 1本足だった。
左足が、もものつけ根から切断されている。

片目片足の刀鍛冶、天国。
「その姿は、まるで… アラハバキさまではないか…」
「東国では、そう言いよりますな。出雲では、
天目一箇神(あめのまひとつのかみ)というのが
それに当たります。鍛冶の神です」

「お前は… 鍛冶の神の化身なのか?」
「そうだったら、うれしいですな。ま、ともかく…
今まで、長いことお世話になりました。
最近、都も物価が高くなるし、注文は減るしで、
食べていくのも難しくなりましてな…」

その姿から受けたインパクトの割には、えらく現実的な
理由で都からの撤退を決めた天国である。
将門も、これまでの礼を言い、しばらく
語り合ってから、小屋を出た。

「いつか2人で話した、「夢の刀」ですが… 
私は、あきらめたわけではありません。いつか必ず、
完成品を持参して、あなたのもとを訪ねます… 
あなたも決して、夢をあきらめないで」

別れ際の天国の言葉を噛み締めながら、
将門は川べりに立ちつくす。
沈みゆく夕陽が、あたりを赤く染めていた。
俺の夢って、何だったんだろう…
夜叉王に勝つとか、そんな小さな
ことではなかったはずだ…



いろいろと物思いにふけっているうちに秋となり、
故郷から、1通の手紙が届いた。
「父が… 亡くなったと…!?」

将門の父・良将は、常陸(ひたち)の国(茨城県)に
勝楽寺という寺を建立した後、脳卒中で倒れ、
その寺に葬られたという。
まるで極楽浄土に旅立つための功徳(くどく)を積んで、
安堵したかのように、用意しておいた墓に入ったのだ。

左大臣・忠平に事情を話し、休暇をもらい、
大急ぎで旅立つ。

「鬼王兄さん、聞いたよ。これは、俺からの気持ちだ。
路銀の足しにしてくれ。俺は帰るわけには
いかないから…」
「おお、すまぬ。夜叉王」
旅立ち際に、貞盛から香典を受け取ると、
(こいつ、いい奴だな… 俺はこいつを、
誤解してかもしれん…)
なんて、気持ちも湧いてくる。

ところが、郷里へと急ぐ道すがら、将門は3度も、
盗賊の襲撃を受けることとなった。
いずれも撃退したが、2人の従者と馬を殺され、
足止めを食らい、帰還は大幅に遅れた。

ようやく相馬郡の守谷の館に着いたのは、
年の暮れも近い頃。
「兄さん! 今まで何をしてたんだ!」
「こんな時に、どこで道草を食ってたんだよ!」
弟の将頼・将平が、くやし涙をにじませ、迎え出る。

「こっちだって、命からがら帰ってきたんだぜ…
それにまあ、急いだからって、親父の
死に目に間に合うわけでもなし」
「何を悠長なことを!」
「叔父さんたちが… 父さんの領地を勝手に…」

殴られたように、将門はよろめいた。
叔父の国香(貞盛の父)と良兼(辰子の父)で、
良将の遺した広大な領地を、勝手に
分割してしまったというのだ。
「兄さんが、いつまでも帰ってこないから…」
「これ以上は、待っていられないって…」

実はこの時代、「長男が父の遺産を相続する」
というルールは、確立されていないそうだ。
弟の遺産を、兄たちで分配しても、それほど
非道なことをしたとは言えないらしい。
しかし将門は、納得いかなかった。

それに死の直前まで、父は元気だったという。
2人の叔父は、父の領土開拓の
手腕を羨んでいたというし…

「大きな声では言えないが、絶対におかしい」
「毒でも盛られたんじゃないかと思うんだ」
「お前たち、めったなことを言うな… 
ともかく、石田へ行ってくる」


常陸の国・石田に、平国香の居館がある。
館の周囲は、日に焼けた屈強な騎馬武者たちに
守られていて、将門が近づくと、不審者を扱うように
厳しく尋問した。
「俺は親族だ! 国香叔父さんに会わせろ!」

館に通されると、国香と良兼、それに
良正までが顔を揃えている。
「やっと、帰ってきおったか… 遅いで、鬼王」
平高望の長子・国香(くにか)は、
でっぷり太った和やかな男。
3人で酒を飲みながら、話しこんでいる最中だった。

「お前の帰りを、いつまでも待っておれんからな…
ワシらで勝手にさせてもろたで。
ああ、言いたいことはわかる。せやけどな、
田畑は収穫の時が来とるし、馬たちが
冬を越す準備もせなあかんやろ。
いつまでも、主がおらん状態にはしておけん…
領民が飢えてしまう」

怒りをあらわに、反論しようとする
将門を制したのは、次男・良兼。
額のハゲ上がった、眉の太い小男だが、
兄弟で一番の切れ者と評判。

「お前は都で、官人として生きていくんだろ… 
ならば、領地はさほど必要あるまい。
まあ、お前の分も、ちゃんと残してやっては
いるけどな。それに、辰子の婿になれば… 
いずれ俺の領地は、お前のものだ」

将門の顔は、怒りのあまりドス黒くなっていた。
「信じたくはないが… まさかとは思うが… 
辰子が俺を焚きつけて都へと追いやり、夜叉王が
無法者を雇って、俺の帰還を妨害…
その間にハゲタカどもが獲物を漁る… 
なんて筋書きか?」

「このクソガキ、なんちゅう言い草や! 
子供の頃から、お前は心の捻じ曲がった、
いやらしい餓鬼やったわいッ!」
「ハゲタカとは何だっ ハゲは取り消せ!」

顔を真っ赤にしてわめく2人を抑え、良正が割って入る。
このヤクザっぽい叔父は、水守(みもり)と
いう土地を分けてもらい、すっかり国香に
尻尾を振る犬となっていた。

「なあ、鬼王… 年長者に、その態度は
失礼だろ? 謝りな!」
将門の拳が、良正を張り倒すと、
たちまち乱闘騒ぎとなった。

色黒の武者たちが乱入し、将門を取り押さえる。
「親父の領土を返せッ この盗人どもがあああーッ」
麻袋に詰められた将門は、人間サンドバッグと
なって、さんざん殴られ蹴られたあげく、
守谷の館の前に捨てられた。

時に延長8年(西暦930年)、第61代・朱雀(すざく)天皇
の御世のことである。