将門記(二)





18、 神器(じんぎ)




延喜6年(西暦906年)。

年も明け、ひと月ほど過ぎたころ…
わずかな従者を引き連れ、南へと下る者たちがあった。
大宰小弐(だざい の しょうに)に任官され、
九州を目指す藤原良範の一行だ。

大きなヘマをしらわけでもないのに、
地方に飛ばされる小役人の顔は暗い。
出世の道は、閉ざされたも同然… 

今年14才になる三男が、良範に同行している。
養子となって4年… 
元服し、純友(すみとも)と名を
変えたのは、つい先日のこと。

「よいのか、純友? 果たして、いつ
都へ帰れるかもわからんぞ…」
「広く世の中を見て、見聞を広めたいのでございます」

如才なく答えるが、心の奥には
失望感がジリジリと広がっている。
この父のもとで栄達するため、伊予の
田舎から出てきたというのに…
伊予よりもさらに遠い、大宰府に飛ばされて
しまうとは、なんという使えない父…

だが、決して俺はあきらめないぞ…
大宰府で、俺の未来につながる
何かを、きっとつかんでみせる…


長旅の末、大宰府に到着。
さっそく政務につく良範、だが上司の大宰大弐
(だざい の だいに)、小野葛絃(おの の くずお)
はウルサ型で、イヤな奴だった。
良範はストレスがたまり、愚痴が多くなっていく。



そのころ、都では。
土佐に配流されていた道真の長男、
菅原高視(たかみ)が呼び戻され、
大学頭(だいがくのかみ)に復職。
最近人々の口にのぼるようになった、「道真の
怨霊」を鎮めるための処置であったが…


5月28日、尚侍の藤原淑子が脳出血で倒れる。
宮廷の影の実力者として、権勢を
ふるった女官の長であった。

静かに肉体を離れ、冥い道をひとりトボトボと、
幽かな明りに向かって歩く淑子…
と、前方をさえぎる、巨大な黒い影が現れた。

(何者です… その姿… なんと恐ろしい…)
(尚侍どの、お久しぶり… 
よくぞ、私を見捨てて下さいましたな… 
あなたを同志と思っておりましたのに… よくも、よくも…
このまま『月の都』になど、いかせはせぬ…)

(あなたは… 菅…)
(後ろを見なさい… あなたたちに殺された、
源益(みなもと の すすむ)がおりますよ…)

振り向くと、忘れもしないあの少年が… 
陽成帝の遊び仲間であった少年が、
水死体の姿のまま、両腕を伸ばし… 
淑子の首を締め上げた。
(ぎえええええええええええええぇぇぇぇっ)


地獄に落ちた者が、もう1人。
あまりにも不真面目な態度で写経を
していた歌人・藤原敏行…
詳しくは天神記(三)「法華経」を参照していただくとして、
とりあえず敏行は、いったん蘇生するんだよね。



プロレスラーのようにごつい山法師が指揮をとり、
吉野の地に次々と堂宇を整えていく。
真言宗の名僧・聖宝であった。
さらに吉野の南、山上ヶ岳を経由して熊野本宮
に至る、険しい山道と修行場を整備。
今日では、すべてユネスコ世界遺産である。
この年、聖宝は真言宗の最高位、東寺の長者
「正僧正」の位を贈られる。


熊野にとって記念すべきこの年…
後に地元民にとっては忌まわしい
記憶となる「清姫」こと清音が誕生。



大宰府では。
少年・藤原純友が、大宰府政庁の南にある
ボロボロの館を探検していた。
ここは、かつて菅原道真の宿舎であり、
その永眠した場所でもある。

今は無住、道真が赴任してきた時と同様、
陰気な雑草と菌類の楽園となっている。
「ひでーな、こりゃ… 菅大臣は
こんなところで最期を…」

気の毒で涙があふれそうだが、そんな安い
同情を圧するほど、異様に重々しい霊気が
一面に立ちこめていて、背筋がゾクゾクする。
「出るな、こりゃ…」
いわゆる心霊スポット、それも最強クラスの。

通りゃんせ 通りゃんせ
ここは冥府の細道じゃ 地獄の亡者の細道じゃ


どこからともなく、童子の唄う声が…
「ひ…」
純友の眼前に、黒い影が立っていた。
その左右に、幼い男の子と女の子が、
不気味な唄を口ずさみながら…

ちっと通して下しゃんせ
御用のないもの 通しゃせぬ


「我が僕となれ…」
黒い影が、手を伸ばしてきた時… 
少年は漏らし、意識は遠のいた。
道真と純友、これが最初の出会いである。



延喜7年(西暦907年)。

昨年、地獄に落ちてバラバラにされかかった
藤原敏行だが、この年、本当に病死する。
さらに紀友則、宮道列子、そして温子まで… 
鬼籍に入ってしまう。

4月18日、唐が滅亡。

琵琶湖のほとりで大蛇を助けた若者・猿夜叉は、
神秘的な美女・浅井と夫婦になる。
(俵藤太物語「百足」参照)

10月2日、宇多上皇、熊野へと行幸。
お供をした伊勢は、八重と再会することに。
温子の残した均子(まさこ)内親王と、
中務卿・敦慶親王のロマンスも始まる。
(天神記(三)「別れ、めぐり会い」参照)




遥かなる神代の昔、名前すら知れぬ南太平洋の島で…
煌煌と照らす月光の下、波の音を
聞きながら、2人は歩いていた。

「何? すると、大陸へと渡るのではないのか?」
「大陸ではございません。大陸の東、
弓状に連なる島々がございます。
そこが、我らの目指す最終目的地」

「島か… てっきり日の御子を、
大陸にお連れするのかと…」
月読(つくよみ)は、不満そうな顔をした。
「島といっても、ここよりはるかに大きいですよ」
「人は住んでいるのか?」

「統一された国はございません。小さな部族に
分かれ、人々はどうにか生きております」
「どうにか、とは? 食べるものも生えて
こないような、不毛の土地なのか?」

「いえ、そうではありませんが…」
カカセオは目を伏せ、しばらく迷ってから、
言いにくい話を切り出した。

「土地の大部分は山地であり… 
山には恐ろしい神々と、魑魅魍魎(ちみもうりょう)
どもが棲んでいます… 
1年中どこかしらの山が火を吹いており、
焼けた岩と灰を撒き散らし…
大地は頻繁に揺れ、時に地が割れるほどの大揺れとなり、
山津波と海からの津波が、村や畑を押し流す…
そして毎年、夏から秋にかけて大風が吹き荒れ、
地上のあらゆるものを吹き飛ばしてしまう… 
大風の時期でなくとも、雨が続けばたちまち
川が氾濫し、すべてを飲みこむ濁流となる… 
鬱蒼とした巨木の森が、ほとんど全土を覆っているので、
津波や洪水に流される人間の営みなど、もともと
わずかなものでしかないのですけどね…」

月読は唖然として、
「まるで、地獄の流刑地ではないか!!」
「そのため大陸からの移住も、ごくわずかな
ものしかなく、人口も増えません」
「なぜだ、カカセオ!? なぜ、そのような
過酷な土地に民を引き連れ、日の御子が
お移りにならねばならなないのだ?」

「月の御子… あなたは今、神器の
『勾玉(まがたま)』をおもちですね?」
「あ? ああ、いつも首にかけている」
「姉上さま、アマテラスさまは太陽の象徴である『鏡』を…
そして第3の神器である『剣』が、その島々にあるはず…」
「それが目的なのか? それなら遠征隊を送って、
剣を探せばいいだけのこと」

「いえ、剣だけではない… 第4の… 
最も重要な神器がある」
カカセオは目を閉じ、最も重要な秘密を語った。
「大陸の東に弓状に連なる列島… 
それ自体が、巨大な神器なのです」
「な… 島が… 神器だと!?」

「大地が揺れるのは、巨大な
竜脈が地下を走っているため。
周囲の海が激しく荒れるのは、
竜王の宮殿が海底にあるため。
山は火を吐き、川は竜となり… 
草木や石ころにいたるまで魂が宿り、
言葉を話すというほど、全土が巨大な
神霊力に覆われているのです…
その力も今は、無駄に垂れ流されているだけ… 
しかし、『玉』と『鏡』と『鏡』、この三種の神器を
もつ者が降り立ち、統治をすれば…
そこに、『常世(とこよ)の国』が出現するでしょう」

「そうか… 三種の神器は、いわば鍵なのだな… 
その島が秘める、巨大な神霊力の扉を開く…」
月読の涼やかな目が、興奮に輝く。

「そして… 三種の神器をもって、
その島を統べる者は…
日の御子の血統を受け継ぐ、天孫(あめみま)
でなければならない」


2人とも、まさか海に流した乱暴者のスサノオが、
彼らの到着より早く日本史上最初の大きな国
=出雲を作り上げていようとは…
そして、その国を奪い取ることにより、スサノオと
2千数百年に及ぶ確執が生じようとは…
さすがに知りえなかったのである。




将門記(二) 完