将門記(二)





17、 毛抜(けぬき)




ゴクリ… と、息を飲む利仁。
「まあ… 思春期には、よくあること」
「ないですよ!」
秀太郎のツッコミを無視して、利仁はドッカと座りこむ。
至近距離からじっくりと、この怪現象を観察したかった。

「だが、これは一体… いかなる原因で… 
ウニの祟りか何かか…」
無意識のうちに愛用の銀の毛抜きを
取り出し、髭を抜いていた。
この時代、まだカミソリというものはなく、ピンセットの
ような毛抜きで、髭やムダ毛のケアをしていたらしい。

と… 抜いた髭が、異常な動きをした。
まるで矢のように、天井に向かって
飛んでいったのである。
(これは…)
天井を見上げる。

そんな時… 伊勢の邸より、使いの者が到着。

「ご主人さまが亡くなられたそうです!! 
心臓の発作で…」
それを耳にした錦は、
「お父さま…」
髪を逆立てたまま、失神してしまう。

「なんてこった… この家も、もうおしまいだ!!」
主人が亡くなり、ただ1人残された娘も、この奇病…
泣き崩れる秀太郎に向かって、利仁は冷静に、
「おい… 春風どのの槍をもってこい」

槍を受け取ると、
「フンッ!!!」
天井に向かい、フルパワーで打ちこむ。
「弾正さまッ 何を!?」

ブチ抜かれた天井板の裏から、
黒い影が転がり落ちる…
と同時に、錦の黒髪が真横に… 
黒い影に向かって、ピーンと伸びる!
錦の髪だけではない、今や巻絹も… 
秀太郎も、利仁も…
強力な静電気によって、髪が吸い寄せられていた。

巻絹と秀太郎が、黒い影を見て仰天する。
「八剣さま…!?」「一体、何を…」
両手に革手袋をはめた八剣が、琥珀の玉を… 
静電気の発生源を、撫で回している。
「もう少しというところで… 
とんだ邪魔が入ったものよ」

「なるほどね… それで姫の婚約を
破談させ、己が婿となり…
短冊を盗んだのも、おめえさんだな? 
いや、そもそも高僧を買収して、小町の短冊で
雨が降るなんて話をでっち上げたのも…
高齢の春風どのが心労で倒れれば、
後を継ぐのは、おめえさんてわけだ。
よくできたお家乗っ取り計画だぜ…」

小野家の従者たちが、剣を抜いて利仁を取り囲む。
八剣は、不敵な笑みを浮かべ、
「この家に仕えてる者たちは、秀太郎と巻絹を
除いて、全員買収済みなんだよ…
お前ら3人、ここであの世に送ってやるわ!」

「お、おのれ八剣… 許さんぞ!!」
武器をもっていない八剣に、秀太郎が
素手で殴りかかる… だが。
秀太郎の拳を八剣が受け止めた瞬間、
バチイィッと火花がスパーク。
白目をむいた秀太郎は、泡を吹いて倒れた。

「!?」
利仁が目を見開き、巻絹が悲鳴を上げる。
勝ち誇った八剣が、
「この手袋で、琥珀の玉をこするとな… 
雷電の力が、この身に蓄積されるのよ…
今の俺に触れる者は誰であろうと、
たちどころに心臓が止まる…
さあ、お前たち! この2人を斬ってしまえ!!」

「まあ、待て。その前に、筆と紙を借りるぜ」
利仁はまったくあわてず、姫の
文箱から筆記具を取り出す。
「ああ? 何言ってんの、お前? 
遺書でも書く気?」

サラサラと筆を走らせる利仁。
「かわりはござらぬか… 久米寺弾正、
息災でありまする… さ、できた。ほれ」

紙を投げてよこすと、静電気に引き
つけられ、琥珀の玉に吸いつく。
「なんじゃあ、これは!?」

「手紙じゃ。閻魔大王がもとへ届けてくれい。
今から、すぐに行け」
言いながら、剣を抜く利仁。

「閻魔が方へ、俺が手紙をやることは、
めったなことではやらぬ。
あんまりそのほうが志が殊勝じゃによって、
いいがたい無心をいうてやるのじゃ。
地獄へ行く路銀は、たんとはいらぬ。
たった六文あれば、つい行かれるほどに、
その手紙をもって、はよう地獄へ迎えに行け!」

「なめやがって… 死にやがれッ」

斬りかかる5人の従者を、たった
ひと太刀で、まとめて斬り払うと、
「そりゃっ」
銀の毛抜きを、八剣に放り投げる。
それを受けた瞬間、バチッと音がして、
体内の静電気が全て放電してしまった。

人は誰でも、多少の電気を帯びている。
ひどい人になると、触れただけで電子機器を
破壊したりもするそうだが、そこまでいかない
普通の人でも、例えばパソコンにメモリーを
追加する時など、マザーボードの配線に触れて
ショートさせてしまったりとか、ありますよね。
そういう作業をする時は、事前に金属に触れて、
体内の電気を逃がしておくとよい。

今の八剣も、せっかく琥珀をこすって貯えた
静電気が、すっかり逃げてしまった状態。
その上で、利仁の鉄拳が、八剣の顔面にメリこむ。
「巻絹どの! 姫をたのむぞ」
女たちが、血みどろの修羅場から逃れた後、
利仁は悪党の首をはねた。


外に出ると、ざあざあと大降りの雨。
濡れながら、邸を後にする利仁。
見送る女たちに、ニカッと微笑み、
「身にあまる大役、どうやらつとまりました」
巻絹は思わず、胸がキュッとなってしまう。

この時代、まだ日本刀は存在していない。
よって利仁の刀も、直刀であろう。
いわゆる剣術もないので、力まかせの喧嘩剣法。
まもなく、日本刀が誕生し…
体系的な剣術は、さらに後、室町時代を待たねばならない。



夏の日照りが嘘のように、さわやかな秋が来た。
藤原清貫が、「日本書紀・神代巻」の書写を完成させ…
湯の山温泉に「花咲か爺(はなさかじじい)」が出現し、
猿丸が根黒衆(ネグロス)を引退。
(天神記(一)「花咲か爺」参照)

この頃、和泉(いずみ)の国、信太(しのだ)の森…
人目を避け隠れるように暮らす、
異人たちの集団があった。
滅びゆく一族の、最後の1人になるかも
しれない女児がこの日、誕生。
「葛の葉(くずのは)」と命名される…



延喜5年(西暦905年)となった。

正月の宴で、藤原時平は大納言・国経の
美貌の妻を奪うという、荒業を見せた。
そのショックと怒りで国経は酒浸りなってしまう。
(天神記(三)「古今集」参照)
4月18日、醍醐帝は古今和歌集編纂の勅命を下す。


醍醐帝の第一皇子・克明(よしあきら)
親王が、今年3才となった。
(安倍晴明の親友キャラ・源博雅の父)
男児が3才になると、「袴着(はかまぎ)」
といって、袴をつけさせ祝う儀式がある。
宮中の関係者が招かれ、女流歌人・伊勢も、
主人である温子につき従って参列。

「宮さま、あの屏風… すてきですね」
豪華な屏風に、美しい筆遣いで古今の名歌を
つづった和紙を、コラージュしてある。

「あら、でも… 右側の下、やけに
空いてるけど… 貼り忘れ?」
「ほんとだ! きっと、糊が薄くて、
はがれちゃったんですよ…」

会場のスタッフもそれに気づいて、大騒ぎとなった。
式典はまもなく始まるというのに、
はがれた紙は見つからない…

「伊勢さま! とりあえず、なんか思いつく歌を、
この紙にお願いします!」
困りきったスタッフが、紙と筆をもってきた。
「ええーっ!? 私? そんな急に…」

「伊勢! なんとかしてあげなさい!」
今日の式典の主役・克明は、温子の
妹・穏子の産んだ子ではない。
そもそも醍醐帝自身、温子のライバル・胤子を
母として生まれたわけだが…
そんなことは気にもとめないくらい、
人間的に成長した温子であった。

「うーんんんん、それじゃ…」
散り散らず 聞かまほしきを ふるさとの 
花見て帰る 人も逢はなむ

(散ったか散ってないか、聞きたいのに…
故郷の花見をして帰ってくる人に、会えないかしら)
「ちょっと単純すぎますかね…?」

居合わせた人々は一様に感嘆し、声をなくした。
温子は誇らしげに、今の歌が
屏風に張られる様子を見ている。

帝が感謝のこもった眼差しを、温子と伊勢に向け、
「私の生母(=胤子)は、若くして世を去りましたが…
今ではあなた方が、私の母です」

胤子の死後、政略上の都合から帝の
養母になっていた温子であったが、
真の母として認められる日が来ようとは…

「胤子をどうやって陥れようか」なんて伊勢と
2人話していた、あの頃が恥ずかしく、
「おそれおおいことでございます」

ちなみに伊勢の詠んだこの歌、醍醐帝の皇女・恭子
内親王の屏風絵に添えた歌、という説もある。
この歌が収録された歌集の1つに、
「金玉集」というのがあるが…
「金玉集」…



坂東の地に暮らして7年…
平高望の一族は都の匂いを忘れ、
土臭い坂東の住人となりつつあった。
長男の国香(くにか)に、ようやく
跡取りの男児が生まれる。
「なんちゅう悪相や… こいつ、相当のワルになるで…」

父の国香があきれるほど、鋭い目つき、
険しい口元の赤ん坊。
弟・良将の三男・鬼王丸に
対抗して、夜叉王丸と命名。
成長後、将門の宿命のライバルとなる存在…
平貞盛(たいら の さだもり)の誕生であった。


同じ「平氏」でも、こちらは都の
プレイボーイの平さん、平中…
時平の邸の「侍従の君」にアタック、惨敗の末、
ついにウンコを奪い取って食うハメに。
(天神記(三)「平安スカトロ事件」参照)
熊野の真砂集落では、沙織が庄司清重の妻となった。


「毛抜事件」から、1年が過ぎ…
父の喪も明け、ショックからようやく立ち直った
錦姫は、豊秀と晴れて夫婦に。

「それはよかった。2人の間に子ができれば、
名家・小野家も安泰であろう」
「何もかも、あなたのおかげですよ、弾正さん」

からみついてくる侍女・巻絹の熟れた肉体を、
利仁のたくましい腕が抱きしめる。
「万事めでたし、めでたし」