将門記(二)





16、 久米寺弾正(くめでら だんじょう)




延喜4年(西暦904年)。

3月、宇多法皇は仁和寺(にんなじ)に移って、
門跡(もんぜき=住職)に就任。
これからは仏の道に生きるしか、しようがない…

影のフィクサーとなって、息子の醍醐帝を裏から
操ろうという腹づもりであったが、みごとに息子に
裏切られ、道真を左遷されてしまった。

醍醐帝は左大臣・時平と息もピッタリで、
良い政治を行っているようだ。
財政緊縮の折、贅沢禁止を徹底するため、
時平がわざと派手な装束で出仕、
帝がそれを叱りつけ、時平が謹慎… 
なんて芝居を打ったこともある。

「我が子も… この国も… 
私の手を離れ、巣立っていった…」
背の低い「御室桜」が花を開くころには、
道真の記憶も遠いものになりつつあった。


この頃、道真の孫の淳祐(15)、
ブサイクからキリッとした顔に。
(天神記(三)「好色」参照)



この年60才になる歌人・紀友則(き の とものり)は、
友人らを招いて、自宅の庭で一杯やりながら、
散りゆく桜を愛でていた。

客の中には、従兄の紀貫之(き の つらゆき)や
女流歌人の伊勢、「六歌仙」の1人である
文屋康秀(ふんや の やすひで)の孫で、
やはり歌人の豊秀(とよひで)などがいる。
(ちなみに「六歌仙」は、この翌年、
紀貫之によって選定される。)

この宴は、友則の「大内記」
就任の祝いも兼ねていた。
大内記は内記というセクションの長だが、
実はこの時代、内記は仕事の少ない
「窓際」のようなポジションだったらしい。

「仕事が少なければ、それだけ歌を
作る時間が取れるじゃない」
身もフタもないことを伊勢から言われ、
友則も微妙な気持ちである。

「出世は出世ですよ! 
さあ、大内記どの! 1杯どうぞ」
友則の杯に酒を注ぐのは、隣に住む若い武人… 
今年25才の藤原利仁。
真っ赤なスカーフに派手な装束、「贅沢禁止令」を
真っ向から無視する「平安の傾き者(かぶきもの)」。

昨年までは時平の邸の警備をしており、
有名な「芋粥(いもがゆ)事件」を通して、
実家の裕福ぶりも知れ渡っていた。
今日の宴の酒や料理も、利仁が用意してくれたものだ。
今年からは、「弾正(だんじょう)」という警察兼
検察のような役所に配属されている。


配属されて早々、この男らしい騒ぎを起こしていた。
馬にまたがり颯爽(さっそう)と、都の
近郊をパトロールしていた時のこと。

賀茂川のほとりにさしかかると、若い娘たちが
洗濯にいそしんでるところに出くわした。
川べりに屈みこんで洗濯する娘たちの、
装束の裾がめくれて…
「おっ 生足(ナマアシ)…」

ついつい見とれて身を乗り出し、
落馬してしまったのである。
「うわー、なんてスケベなお役人だろう!」
それを見ていた洗濯娘たちは、大笑い。
「まるで久米仙人だね!」

「久米(くめ)仙人」は「亀仙人」と語感が
似てるが、そんな感じのスケベ仙人。
奈良県橿原(かしはら)市の久米寺を
創建したと伝えられる。
雲に乗って空を飛んでいたところ、下界で
洗濯する娘の生足に見とれ、地上に落ちて
しまったという、しょうもない人物だ。

この話が都に広まると、利仁は「久米弾正」
あるいは「久米寺弾正」と呼ばれるようになり、
本人もそれを面白がった。


「なんと下劣な…」
女流歌人の伊勢は、こういう
類の男には嫌悪を感じる。
が、「時平の邸を警護していた」と聞いて、

「左大臣は、その… 私のことを何か、
申されておりましたでしょうか?」
一夜かぎりで捨てられた身とはいえ、やはり
時平のことが、どこか気になっていた。

利仁も、時平の邸で「侍従」こと八重と親しくなり、
伊勢のことも聞いている。

「ああ、もし俺が摂関家の人間でなかったら、
自由な身の上であったなら… あのような女と
一生を添い遂げたかったものを… 
と、お嘆きになることしばしば」

本当をいうと、時平の口から伊勢の
ことなど聞いたことはない。
だが、高貴の女性に対しても
如才のない「傾き者」であった。

「そうですか…」
ほっとしたような、切ないようなため息をつく伊勢。
「嘘くさいですけど、騙されておきましょう」

それを見ていた文屋豊秀は、感心して
(あの武人、なかなかやる… 女のことで
困ったら、あの男に相談してみよう)

桜の花びらが舞い落ちる中、一同は
まったりと酒を飲み、語らう。
紀友則が、
久方の ひかりのどけき 春の日に 
しづ心なく 花の散るらむ

と詠んだのは、この時… かどうかは知らない。



この年は空梅雨で、雨の降らない日が続く。
そんな中、穏子の産んだ保明(やすあきら)
親王が、2才で立太子。


3年前、大宰府に向かう途上の道真を接待した、
周防(すおう)国府の酒垂山(さかたりやま)に、
国司の命で、道真を祀る社が建立された。

昨年、ちょうど道真が没した頃、上空に
不思議な雲が現れたという酒垂山に…

北野や大宰府に先がけ、最も早い創建の天満宮である。
防府(ほうふ)天満宮 公式サイト 
http://www.hofutenmangu.or.jp/



日照りが、続いていた。
困り果てた朝廷は、有力な社寺に
雨乞いの祈祷をさせるが、効果がない。

そんなある日… とある高僧が、
時平の邸の門を叩いた。
「昨夜の霊夢に、竜神のお告げがありました!」
 
出羽の乱を鎮めた功労者・小野春風
(おの の はるかぜ)の家に伝わる家宝…
小野小町、直筆の和歌が記された短冊。

ことわりや ひのもとなれば てりもせめ
さりとてはまた あめがしたとは


それを護摩壇(ごまだん)に投じて祈願すれば、
竜神の心にかない、必ずや雨は降るであろう…


ワラにもすがる思いで、朝廷は
春風の邸に使者を送ったが…
「ただちに献上いたします」
という返答はあったものの、一向に短冊は届かない。

「さては春風、家宝が惜しくなったか? 
日照りで民が困窮しているというのに」
「事と次第によっては、春風を処罰することになるぞ」

だが、その頃… 春風の邸は
大パニックになっていたのだ。
「ない… 短冊がない!!」


同じ頃、歌人の文屋豊秀は、利仁の家を訪問していた。
「やあ、弾正さん。花見の宴の時以来だね」
「これは豊秀どの。 さ、どうぞ… 
何か、お困りのことでも?」

照れ笑いを浮かべ豊秀は、
「実は、ご相談が… 私の妻に
なる女性のことなんですが…」

婚約者の女性が、ここ最近、会ってくれないという。
病気になって部屋に引きこもり、誰とも
顔を合わせたくないと言っているのだ。

「なんの病かと聞くと、とにかく珍しい病気だと… 
これはやっぱり、アレかな?
私と別れたくて、そんな口実を…」

「ふううむ… そういうことなら、この利仁がひとっ走り、
その女性の様子を見てきましょう。もしも万が一にも、
あなたが嫌われたということなら、スッパリあきらめなさいよ。
で、どこにお住まいの方で?」
「小野春風さま、ご息女… 錦(にしき)の前」


部屋の奥で、娘はシクシクと泣いていた。
「豊秀さま… お会いしたい…」
だが、このような忌まわしい奇病を患っていては、
婚約は解消するしかない…

「姫さま」
几帳の外で、低くドスの効いた声が呼びかける。

「もしも、この病のせいで姫さまが… 
一生、夫ももたずにお過ごしになるなら…
その時は、この八剣(やつるぎ)が、夫となりましょうぞ。
ご主人さまも最悪の場合、それしかあるまいと…」

この八剣という男、子供の頃よりこの邸に仕え、
今では従者のリーダー格だ。

春風の娘・錦(にしき)は戦慄した。
あの恐ろしい男と、夫婦になるなんて… 
死んだ方がマシ!

「姫さま… こう申してはナンですがねえ… 
ふだんの姫さまは、天女のように美しい。
ですが、症状が現れた時の… 
あの、おぞましい姿ときたら…
それを承知で、お嬢さまの夫になろうなんて男は、
まあ仏さまみたいなもんでね」

あまりに遠慮のない、むごい言葉に、
錦は突っ伏して声もなく泣いた。

その時、である。
「ごめん!」
派手な装束の武人が、ズカズカと上がりこんできた。

「手前は弾正台より派遣されたる、藤原利仁と申す者!
いつまでも小町の短冊を献上せなんだは、
一体どういうわけか? 
直接、春風どのに問い質しに参った」

突然の乱入者に八剣はうろたえ、
とりあえず平伏すると、
「主人はただ今、外出しております… 
ここは姫さまの寝所ですので、ご遠慮を」

「ご息女の… ははあ、さては
ここに短冊を隠しておるな」
ガバッと、几帳を取り除ける。
錦はあぜんとしたまま、美しい
泣き顔を利仁にさらした。

「や、これは姫さま… 無礼の段、ご容赦を。
はて、ご病気とうかがいましたが…
拝見したところ、床にも臥せって
おられず、お元気そうだが」

恥ずかしそうに顔を伏せる錦を、しげしげと眺め、
「すると、やはり、心変わりされましたか… 
豊秀どの、いい男だと思うがなあ…」

「ちがいます! 今でも豊秀さまを
お慕いしているのです!」
キッと顔を上げ、利仁を見返す錦… 
その頬を涙が伝う。
「ですが、私はもう… まともな体ではないのです…」

八剣は、錦と利仁の間に割って入ると、
「お前さん、よく見れば… 巷で評判の
久米寺弾正じゃァねえか!?
短冊を口実に、姫の寝所をのぞきにきたんだろう!!
このスケベ野郎… たとえ弾正台の役人だろうと、
姫に無礼を働く者は、たたっ斬るぞ!!」

凶悪な眼光を全開で、利仁に
ガンを飛ばしまくる八剣。
「それにな、姫の病は… 1日に
1回か2回くらいしか現われねえ。
ふだんはまったく正常なんだよ」

「ふーん、そのようだな… そいじゃ、ま、
春風どのを待たせてもらおうか」


実は春風、女流歌人・伊勢のもとへ出かけていた。
邸の蔵という蔵を調べても、短冊は
見つからず… ついに、
「伊勢どのに事情を話して、短冊を書いていただく
しか手はない! あの方は、小町独特の
変体仮名を習得しておられると聞く」

なにぶん、かなりの老齢であり、今回の騒動で
春風は相当の心労を受けている。
「どうかお願いです、伊勢どの! 
小野家をお救いください…」

「元慶の乱」の英雄が、女流歌人に土下座していた。
「ご事情はわかりますが… もしバレたら… 
それに私の短冊で、雨降るわけないしなあ…」

土下座の姿勢のまま、春風はコロンと転がった。
「春風さま!? 誰か、医者をーッ」
勇者の、なんともみじめな… 最期であった。
伊勢は泣きながら、短冊の偽造に取りかかる。


一方、春風の邸では…
「どうぞ、こちらの離れでお待ちください」
秀太郎という名の若い従者が、利仁を案内する。
と…

「やらないか?」
利仁の手がスーッと、秀太郎の尻を撫でた。
「ギャーッ 弾正さま、そっちのシュミも
あるんですか!? 私はないです!!」
泣きベソをかいて、走り去っていく。

「(´・ω・`)… 読者の皆さま、面目次第もござりませぬ」
離れで待っていると、今度は侍女が酒を運んできた。
巻絹(まきぎぬ)という名の、色香漂う熟女である。
「やらない?」
やはり、尻を撫でてしまう。

ピシッと、その手をはたいて、利仁をにらみつける。
「見境のない方ですね!」
プリプリ怒って、巻絹は出ていった。
「(´・ω・`)… 1日に2回もふられちゃった…」

その時…
絹を切り裂くような、娘の悲鳴が響き渡る。
「おッ!?」


錦の部屋の前で、秀太郎と巻絹がオロオロしていた。
「姫さま! お気を確かに… 
ああ、また… あの症状が…」
「なんと恐ろしい…」
2人とも病が移るのが恐ろしく、部屋に入れない。

「どうした!? 病気が出たのか!?」
2人を押しのけ、ズカズカと上がりこむ利仁は、
信じ難い光景を目の当たりにした。
「な… なんてこった…」
さすがの「傾き者」も、一歩引いてしまう。

娘が、へたりこんで泣いていた。
その長い髪が… 重力を無視するかのように
黒い針の集合体となって、ピーンと天井に
向かい、直立していたのである。
「髪の毛の逆立つ奇病…」

どうする、久米寺弾正?