将門記(二)





14、 鬼は外




寛平元年、秋。

武蔵の国… というと、現在の埼玉県
プラス東京都(隅田川より西)。
兎でも通れないほど、ギュッと密集した
草の海が一面に広がる大草原。
この古代の武蔵野の面影は、現在でも八王子市の
多摩美術大学付近で見ることができるが、
いずれは開発され消えゆく運命だろう。

この草のジャングルに潜んで、辟邪の3人は
とある秘術を行っていた。
かつて、乾闥婆がGOD珍宝の前世の記憶を甦らせ、神虫が
その体内に潜りこんで、記憶を盗み見たことがある。
今、神虫は深い眠りについて、夢を見ていた。

夢は乾闥婆によって誘導され… 
GOD珍宝の前世の記憶が、再現される。
「…あきらめろ! 疫病神なんかになっても、
いいことなんか1つもない!」

悪夢にうなされるように、身悶える神虫。
GODがスサノオに殺される寸前の恐ろしい記憶が
夢となって、神虫の脳に再生されているのだ。

鍾馗は神虫の額に手を当て、精神を集中している。
「乾闥婆、もう1度たのむ…」
神虫の見ている悪夢が、薄く
ぼんやりと鍾馗にも見えていた…

まるでテープを巻き戻すように、乾闥婆は
催眠術によって神虫の夢を操る。
おかげで神虫は、10回以上も極限の
恐怖を追体験することとなった。

「もう、これ以上は… 神虫の精神が崩壊するぞ!」
「もう1度だけ… もう少しで経文が読めるんだ!」
神虫は冷や汗でグッショリと濡れ、苦しげに身をよじる。
カッと、目を見開く鍾馗。
「読めた… スサノオの命の経文、見切った!!」


「奴は天刑星の脳を食った… ということは、
我らの術に関して、天刑星と同じ程度には
知識があるということ… つまり、俺の
魔眼の弱点も知っていると考えるべき」

「命の経文を読み取るのに、ほんの数秒だが… 
時がいる、という点か… だが、これでもう奴と
出会っても、読み取る必要はないわけだ」
「まさか、1度も会ったことがないのに、すでに
経文を読まれているとは… 思うまいよ…」

その時である… 焦げ臭い匂いが漂ってきたのは。
「む… 火をつけたか…」
「ここ数日、俺たちの後をつけ回してたネズミだな… 
スサノオの手下か?」
今や熱気と煙が、取り囲むように迫ってくる。

「だが草むらで火責めとは、正しい戦術… 
見通しがきかなければ、魔眼も使えない。
神虫の蟲(=腸内細菌)も、炎に焼かれる。
この俺も声を張り上げれば、煙を吸う」
鍾馗と乾闥婆は、顔を見合わせ、ニヤリとした。
「絶体絶命… というところかな」


「この炎の中では、いかなる道士と
いえども生きてはおりますまい」
初老の男が、ひざまづいて報告する。
「ご苦労、火善坊(かぜんぼう)… もう下がってよいぞ」
答えるのは、ドクロのような面相の
骨阿闍梨(ほねあじゃり)…

背後の男に振り返って、
「これでよろしいでしょうかな、大僧正猊下?」
メタボな腹の大僧正が、焼けて灰になっていく
大草原を、険しい目で見つめていた。


やがて小雨が降って、草原の火事は鎮火した。
薄く煙が漂い… 一面柔らかい灰となった
草原を、2つの人影が並んで歩いていく。
ザッザッザッ…

(近づいてくる… もう少しだ…)
(この歩幅… 歩き方… まちがいなく、牛頭の
前世で見たスサノオにちがいない…)
(ん? もう1つ足音が… この歩幅は… 女か?)

辟邪の3人は地中に潜んで、火を逃れていた。
今、スサノオが3人の死体を確認
するため、歩き回っている…
魔眼の射程距離まで、あと少し…

ポリポリポリ…
(なんだ、この音は… 豆でも食ってるのか?
余裕こきやがって…)

実際スサノオは革袋に入れた炒り豆を、
ポリポリつまみながら歩いていた。
横には、美しい女が連れ添っている…
装束を灰で汚さないためか、すそを両手でもって歩く。
「スサノオさま、もう少しゆっくり歩いてくださいまし…」

(油断している… ゆるみきっている!)
(女連れで、おやつ食いながら、無用心に歩き回るとは…)
(炎に巻かれて、焼け死んだと… 
心から、信じきっておるな…)
ついに足音は、射程内に入った。

ガバアアァッ
と灰の中から、辟邪の3人は飛び出した。
眼前には、縄文杉のように節くれだった筋肉の巨漢、
憎きスサノオの姿が…
まさに、この瞬間のため苦労して海を渡り、
仲間を失ってまで、旅を続けた3人であった。

「スサノオ… 滅ぶべしッッ!!!」

だが… スサノオに向けるべき鍾馗の魔眼は… 
放射線を発射する赤い瞳に切り替える前に、
通常モードの黒い瞳のまま… 
となりの女に、釘付けになってしまった。
鍾馗だけでなく、3人全ての目が…

両手で、装束のすそを大きくかかげている… 
白い腹から下が、むき出しになっていた。
すこやかに伸びる美しい両脚のつけ根、
すなわち股間には…
ビキイイインと屹立したりっぱな魔羅が、
天を指しているではないか!

「オッタッタチンコミーレ!!!」
まさしく、美女の股間のおったったちんこに、
3人の目は吸い寄せられてしまった!

スサノオは、ひとつかみの豆を
スナップをきかせ、投げつけた。
それはショットガンで撃った散弾のごとく… 
鍾馗の頭部を、蜂の巣状に粉砕。
放射線を放つ眼球も、脳も… 粉々になって吹き飛ぶ。

「うおおおおおおおおおおッ 鍾馗いいいィッ!!」

次なる標的は、乾闥婆…
弾丸となって飛んでくる豆は、肺を打ち抜き、穴を開け…
うねる不協和音を発声することはおろか、
呼吸すらままならない状態に。
血を吐いて、のたうちまわる。

神虫は、とっさに尻をスサノオに向け、
恐怖の細菌ガス噴射の体勢。
しかし、電光の如くつっこんでくるスサノオの
右拳が、その尻の穴にめりこんだ。
「アッーーーーーー!!」

肛門をふさがれ、行き場を失ったガスに
より神虫の腹は膨れ上がり…
破裂した… 血と内臓を飛び散らせて。

全ては、ほんの一瞬のできごとだった。
「やれやれ、やっと片付いたな」
凄惨な殺戮を目の当たりにして、
道子は青ざめていたが、
「珍宝先生… 仇は取りましたよ…」

乾闥婆だけ、かろうじて生きていたが…
「さてと、どうするか… けっこう楽しめたし、
お礼に1人くらい助けてやるかwww
目と喉は潰しておくが、耳だけは残しといてやる…
音楽が聴けるようになwwww」
生きた屍となって、乾闥婆は放置された。



翌、寛平2年(西暦890年)。

春、菅原道真は任期を終え、讃岐より帰京。
帰ってみると、新しい家族が増えている…
四男の淳茂(あつしげ)が、生まれた
ばかりの男の子を抱いていた。

( ´゚ё゚`)←こんな顔をした赤ん坊を
しげしげと眺め、道真は、
「ちょっとブサイクじゃね?」
「お父さん! あなたの孫ですよ!」

この赤子、後の淳祐(しゅんにゅう)である。
ブサイクからキリッと変身したり、
(天神記(三)「好色」参照)
弘法大師の遺体から匂いが移ったり、
(天神記(四)「弘法大師」参照)
大津市の石山寺を再興したりして、
立派な高僧となる人物。


4月の「賀茂祭」の頃から、伊勢は仲平と交際を始める。

仲平の姉・温子は、女子を出産。
後に伊勢を母のように慕う、均子(きんし、
又はまさこ)内親王である。

「雲の絶間」妙子も、陽成上皇の第1皇子
となる元良(もとよし)親王を出産。

5月16日には、「阿衡(あこう)事件」で
責任を追及された、橘広相が没する。



日本のどこかで…
星の刺青をしたカカセオが、占いの結果を報告していた。
「何度やっても、同じ卦が出ます… 
つまり、あの4人はもう… 地上に存在しない」

報告を受けた相手は、かすかな笑みをもらす。
「カカセオよ… あのような者たちにスサノオが
討てると、本気で思っていたのか?」
夜空に輝く満月を見上げ、その優美な
後ろ姿は、憂いを帯びていた。

「星の巡り合せがよければ、あるいは、と… 
なにぶん、私たちが直接手を下すことは
避けねばなりませんから… 穢れた鬼神を
討つ者は、自らも穢れてしまう」

「討ちたい… 私がこの手で直々に… 
姉さまを悩ませた、あの無法者を」

「それはなりませぬよ、月の御子… 
この国の帝の紋章が、日月紋であるかぎり…
あなたはこの国の、もう1人の帝… 
裏の帝なのですから…」



陰陽師・弓削是雄は、大和の
唐笠山を、お忍びで訪ねていた。
ここは偉大なる霊能力者・役行者の故郷で、
今も特異な能力をもった者が多く住む
という噂を、以前より聞いている。

(おや? あの子は…)
行く手に、5才か6才くらいの男の子が、
かしこまって座っているではないか…

「私を都へ連れて行ってくださる方ですね? 
仕度を整え、父母に別れを告げ、ここで
お待ちしておりました。鬼丸と申します。
よろしくお願いいたします。」

(ほう…?)
是雄は興味深々で馬から降りると、
初対面の少年を眺めた。

深い海のような、不思議な色をたたえた瞳…
だが、あくまでも無表情で、子供らしさがない。
是雄は何も言わず、鬼丸少年を
抱きかかえ、馬に乗せた。
今回の旅の目的も日程も、誰にも話していない。

跡取りに恵まれず、後継者問題に悩んでいた是雄は、
思いもかけずとてつもない才能を発掘したのである。
「1年前に、今日この日のことを夢に見たのです」
「そうか、では私が何を言うか、わかるな?」
「陰陽師となって、都を魔物から守れ… 
それでよろしいですね、先生?」

後の陰陽師・賀茂忠行(かも の ただゆき)… 
安倍晴明の師となる人物。


この年、下野(しもつけ)の国府(栃木市)で、
俵藤太こと藤原秀郷が誕生。

出雲では、意宇魔は「天国」の名を襲名。

12月14日、基経は病のため太政大臣を辞し、
関白のみ続けることに。

そして… 12年の月日が流れた。