将門記(二)





13、 穢(けが)れ




仁和4年(西暦888年)、第59代・宇多天皇の御世。

正月、睦月(伊勢)は、温子の女房として出仕。

同じ頃、帝の臣下時代よりの妻、「無断外泊
&一夜のロマンス」の落し子、藤原胤子が
正式に「更衣」の地位を授かる。

2月4日、「四条流庖丁道」を成立させた
日本料理の神・藤原山蔭が没。
京都に吉田神社を創建した、スポンサーでもあった。



越後の国(新潟県)の山奥の村で、
辟邪チーム3人は病を清めていた。

鍾馗の魔眼がウイルスのDNAを破壊、
神虫の腸内細菌が病人を体内から治療し、
乾闥婆の奏でる音色が、人々の心を癒す。
「天刑星の醸造した黒酢がないと… 
完全には病を止めることはできんな…」

それでも村人たちは、たいそう3人に感謝していた。
拝むばかりに感謝はしているのだが… 
微妙な態度を取る時もあった。
その態度は何を意味するのか…

それがはっきりするのは、飢えた狼の
ような群盗どもが、村を襲った時。
「我らの逗留している村を襲うとは…」
「運のない盗賊どもよ」
「そうら、くらえ!」

恐怖の魔眼が、うねる不協和音の津波が、
細菌兵器を含んだ屁が、たちまちに皆殺し…
累々たる盗賊の死体が、村の片すみに積み上げられた。

「さあ、これでもう安心だ」
「皆さん、仕事に戻ってください」
「坊や、もう大丈夫だぞ」

子供の頭をなでようとした、鍾馗の手を… スッとよける。
不気味な怪物でも見るような目で、
子供は鍾馗を、じっと見ている。
親が飛び出してきて、子供をかばった。

「道士さま! 盗賊どもを退治してくださって、ありがとう
ごぜえます! だが、うちの子に触れないでくだせえ… 
その穢(けが)れた手で触れられたら…」

「穢れた? 今、ケガレと言ったのか?」
鍾馗の目の色が、変わった。
「貴様ら… この俺をケガレ呼ばわりするのかッ!!」
「やめろ鍾馗! 落ち着け!!」

村はたちまち、地獄と化した。
近くの原発で放射能漏れ事故でもあったかのように、
被爆した無残な死体が転がる。

「鍾馗! やめてくれえええッ」
「そいつらはただの村人だ! 貧しい農民だ!」
「うおおおおおおおおおおおおおおおおッッッ」
血の涙を流し、鍾馗が慟哭する。

かろうじて息のある長老が、震える指で鍾馗をさし、
「お前は鬼じゃ… 出ていけ!! 
鬼どもは外へ出ろッ!! 鬼は外ッ!!」

やりきれない怒りと悲しみに唇を噛み締め、
乾闥婆と神虫は、泣きじゃくる鍾馗を
引きずって、村を後にした。


鍾馗が狂うのにも、理由があった。
日本に渡来して、5年以上が過ぎ… 
辟邪のメンバーは思いもかけず、
ショッキングな事実を知ったのだ。

中国には、「大儺(だいな)」という古い行事がある。
1年の終わりに、疫病神を家から祓う儀式なのだが…
「方相氏(ほうそうし)」という4つの目をもった
恐ろしい神の仮面をかぶり、矛(ほこ)やら
弓をやら武器をもって、ドラを鳴らして威嚇し、
病を司る鬼どもを追い出すのである。

4つの目… そう、
「方相氏の正体は、この鍾馗の血族… 
我ら一族のもつ、2つずつの黒い瞳と赤い瞳…
それが4つの目となって伝わった。我ら一族は
遥か古代より、鬼を祓うのが役目」
ちなみに鳥取県境港には、水木しげるデザインの
方相氏の像がある。

近代医学のなかった時代、菌やウイルスが引き起こす
流行病は、人間にとってまったくもって原因不明、
未知の恐怖だったにちがいない。
そこで、姿の見えない「病魔」「疫鬼」「疫病神」
が存在する… と、想像した。

姿も見せず、わけもわからずに命を奪っていく、
こうした鬼どもへの怒り・恐怖はやがて、一部の
人間の遺伝子に変化をもたらし、鍾馗たち
特殊能力をもった超人を生み出す。

だが、こうした能力をもった人間はごくわずかで、
広大な中国大陸全土はカバーできない。
そこで鍾馗や方相氏の仮面をかぶり、
特殊能力者になったつもりで、姿の見えない鬼を
祓うパフォーマンスを演じる。

もちろん、パフォーマンスで菌やウイルスが死ぬわけがない。
だが人々はこの演技を見て、実際に鬼が追い払われる
ような錯覚を感じ、安堵した。

この「大儺」の儀式が日本にも伝わり、当初は
できるかぎり中国の真似をして行われたようだ。
(記録に残る最古の例は、慶雲3年=西暦706年)

しかし、いつしか… 
例によって、日本人向けに魔改造されていった。
まず名前が、「大儺」から「追儺(ついな)」、
もしくは「鬼やらい」へと変わる。

そして、方相氏のポジションが大きく変化した。
疫鬼を追い払う役目であった方相氏が、「疫鬼と直接に
接する穢れた存在」と見なされるようになり… 
ついには方相氏自身が、追い払われる鬼となってしまった!

「何が追儺だ! 俺たちが… 我が先祖たちが、
どんな思いで鬼どもと戦ってきたか…
人々を苦しみから救いたい、その思いに
一生を捧げてきたのに…」

ちょうど、この頃である… 方相氏が悪役と
なる追儺が、日本に広まっていったのは。
そして、さらに時代が下って、我らの
知る「節分」となるのですが。

「鬼は外!」と追い払われる鬼の正体が、
実は鬼から人々を守る戦士だったとは…

ちょっと話がそれますが、これと似たような
生理現象がある… 「膿(うみ)」です。
怪我して化膿したり、オデキができたり
すると出る、ジュクジュクした膿。
「膿はいいなあ。膿大好き」なんて人は、いないでしょう。
膿は汚らしい、出し切って捨てたい「穢れた」ものです。

しかし膿の正体は、白血球の死体…
体内に侵入した菌と戦い、敵を道連れに死んで
いった白血球(&菌)の死体なのです。
あなたの体を守るため、けなげに死んで
いった小さな戦士たちなんですよ。
こんど膿が出たら、深く黙祷してから拭き取りたいものです。

「なあ、乾闥婆… 俺たちはなんのために、
この国に渡ってきたんだろうな…」
仲間を失い、穢れた存在に貶められ、自分らの
存在意義にすら確信がもてなくなってきた。

「天刑星… 天刑星の仇を討たずに、
国へ帰れると思うのか?」
そうだ… それがあった… 
少なくとも、復讐を果たすその日までは…



4月、帝は源融をリーダーとして、学者たちに
「阿衡」という言葉の意味を調査させる。
6月、帝は無念の思いで、先の文書を取り消し、
橘広相を役職から罷免。
改めて、藤原基経を関白とする宣命を下す。

8月17日、仁和寺(にんなじ)の創建。

9月15日、絵師・巨勢金岡(こせ の かなおか)が
御所にて、 仁明天皇期以降に出た優れた
漢詩人たちの肖像を、障子絵に描く。

10月、伊勢の「宮さま」である温子、帝の更衣として入内。

10月15日、菅原道真の働きかけにより、
橘広相の罪はどうにか許された。

11月、温子は更衣から女御(にょうご)に昇格、
胤子より地位が上になる。



大晦日、温子と伊勢は、宮中の「追儺」を見物していた。

大舎人(おおとねり)という帝の側に仕える護衛・
雑務役の中から、大柄な者が「方相氏」に
選ばれ、4つ目の恐ろしい面をつける。
これを貴族たちが、桃の弓と葦の矢を
射って追いかけまわす。
もちろん本当に当てるわけではないが、体ギリギリ
をかすめる時もあり、なかなか危険。

「大変ですね、方相氏の人…」
伊勢は自身も身長があるので、背が高いというだけで
損な役回りを押しつけられた大舎人が、気の毒でならない。
「大変とは? あれは悪い鬼であろう?
矢を当ててしまえばいいのに」

「宮さま、そのお年で、少し物知らずではありませんか…」
いい年してサンタクロースを信じているファンシー乙女を
見るような目で、伊勢は温子を見る。
「(><;)物知らずはお前です! 
あれに触ると穢れてしまうのですよ?」

伊勢のそばに控えていた侍従
(八重)は、遠い目をして
「不思議なものですねえ… 私が小さいころは、
方相氏が弓矢をもって、見えない鬼を
追い払っていたもんですけど…」
「ああ、私も父からそんな話を聞いたことが… 
でもやっぱり、鬼の姿が見えないと、盛り上がりに欠け
るんじゃない? それに、あの方相氏はどう見ても鬼…」

後世、豆を投げるようになるのは、
矢を射るかわりだったんですね。



翌、仁和5年(西暦889年)。

春が来ても、温子には懐妊の兆候が見られない。
やむなく4月2日、胤子の産んだ敦仁
(あつひと)親王が立太子される。
「藤原摂関家の血を引く皇太子を産むこと」が、温子の
使命だったので、さぞ落ちこんでるかと思いきや…

「まあ、私にもいずれ、そのうち… のんびりいきますよ」
嫌われていると思った帝から最近かわい
がられるようになって、機嫌の良い温子。
「宮さま、余裕ですね」
反対に伊勢の心には、焦りが… 
まだ、恋を知らなかったから。

だが、ある日… 姉の温子を訪ねてきた仲平
(15才)を見て、初めて異性を意識する。
おっとりした、育ちのいい金持ちのボンボン…
(年下の男の子って、ちょっといいかも…)
そんな時、プレイボーイの平中にナンパされてしまうのだった。


4月27日、「寛平(かんぴょう)」に改元。

5月13日、皇族の高望王は「平(たいら)」
の姓を賜り、臣籍に降下。
やがて関東に移住し、子孫が武士団を形成することに。
平高望(たいら の たかもち)、将門の祖父である。

この頃、源融は宇治に別荘を造営。
世界遺産・宇治平等院の前身である。


藤原高子も岡崎に別荘をもっていて、数年前
真言宗の寺(東光寺)に改装した。
この境内に「東天王社」という鎮守社があって、
牛頭天王を祀っていたそうな。
(吉備真備が創建した、廣峯神社より勧請したもの)
この東天王社が、現在の岡崎神社らしい。
(公式サイトなし)

この辺りは、野兎が多い。
兎は岡崎神社のシンボルにもなっていて、
兎の像や絵馬、兎おみくじなどを見かける。

高子も大の兎好きで、
「昔、ここの別荘で過ごしていた時… 手なぐさみに、
ウサギのぬいぐるみを作って、姪っ子にあげたの… 
今の帝の女御さま… 温子よ」

激しい愛の儀式の後… 男の肌を愛おしそうに
撫でながら、高子はつぶやく。
不倫の相手は10才以上も年下、東光寺の
座主(ざす)・善祐(ぜんにゅう)。

幼い頃からの思い出の地であるこの岡崎は、
今は禁断の愛の現場となっていた。
やがて、兄の関白・基経の知るところとなり、
激しく責められるのだが…
あくまでもゴーイング・マイ・ウェイを貫き通す高子であった。