将門記(二)
11、 廣峯(ひろみね)の戦い
吉備真備は、屈強な5人の弟子を
引き連れ、廣峯山を目指していた。
いつまでもコソコソ隠れていても、
仕方がないと思ったからだ。
辟邪の神に会い、災いをもたらすため
牛頭天王を日本に勧請したのではない、
ということを、きちんと説明したかった。
むしろ、災いを取り除くためなのだ…
現在、牛頭天王の名を継いでいるスサノオの神も、
人間がへりくだって畏れ崇めれば、必ずや、
人間から災厄を遠ざけてくださるにちがいない…
災いを司る神だからこそ、災いを封じこめることもできる。
そう信じて、スサノオにつき従っている真備であった。
それに辟邪の四神のうち鍾馗(しょうき)に
ついては、唐に留学中、聞いたことがある。
(かの玄宗帝を、疫病から救った神ではなかったか…?)
唐の第6代皇帝・玄宗(げんそう)といえば、
世界3大美女の1人、楊貴妃(ようきひ)
とのラブロマンスが有名。
ある時、マラリアに感染した玄宗は、
高熱にうなされ悪夢を見たという。
小さな鬼が玄宗の寝所のまわりを始め、
宮殿内のいたるところを走り回り、
飛び回り、悪さをしているのだが…
(ああ、こいつらが疫病の正体…
こいつらを、なんとかしなければ…)
その時である。
何もない空間から、突如その男は出現した。
ギョロッとした目が異様な、狂気の
こもった恐ろしい顔つき。
(な、なんじゃこいつは… 疫病神どもの親玉か!?)
「いえいえ皇帝陛下。私は終南県より都に上った、
しがない学者で、鍾馗と申します。
昔、科挙(官吏登用試験)に落ちまして…
それを恥じ、自害したのでございます。
ですが、そんな私を時の皇帝(=初代皇帝、
高祖帝・李淵)は手厚く葬ってくださった。
そのご恩に報いるため、今上の
皇帝をお助けに参った次第で」
鍾馗と名乗る亡霊は、部屋中の小鬼どもを見回すと、
「疫病神どもが… この破邪の
魔眼で焼き払ってくれる!!」
目玉がぐりん!と回転、黒目が隠れ、赤目が現れ…
「おお!」
玄宗は、我が目を疑った…
小鬼どもが、不思議な文字の
書かれた経文へと変化し…
その経文が青い炎に焼き尽くされ、
灰となっていくではないか!
その後、鍾馗は宮殿内をくまなく回り、小鬼(=マラリア
原虫、及びそれを媒介する蚊)を焼き払っていった…
と、ここまでが夢である。(現実かもしれない)
目覚めた玄宗は、すっかり
熱が引いてることに気づいた。
「鍾馗…」
感動した玄宗は、宮廷画家の呉道玄を
呼び寄せ、鍾馗の肖像画を描かせた。
これを写した絵が市中に出回り、疫病除けに
効果があるということで、大変な評判に。
ついには、屋根瓦まで鍾馗の姿にデザインして、
病や災いが家に入りこまぬよう願う者まで現れた。
これが日本にも伝わり、いわゆる
「鬼瓦(おにがわら)」となる。
「私も唐で学んだ学者、鍾馗どのなら、
きっとわかってくださるはず」
という思いが、真備にはあったのだが…
廣峯神社は、現在の姫路市内にある。
世界遺産の姫路城、「ラストサムライ」ロケ地にもなった
書写山円教寺に次ぐ、姫路第3の見所だ。
「なんだ、この匂いは…」
それは「酢」であった…
山を登るほどに、ツーンと鼻を突く。
「真備さま、あれを!」
「なんという有様…」
「これは一体…」
廣峯神社の社殿は無残に破壊され、廃墟となっていた。
周囲には、神職と思われる者たちの死体が累々と…
すでに白骨と化している。
「むごい… むごすぎる… もはや、和解など無用…
かくなるうえは、たとえ神々であろうとも、
我が秘術によって冥府へと落とすまで!!」
真備の瞳が、怒りに燃え上がる。
「なんだ、あれは!?」
「化物!?」
弟子たちが指さす方、崩れ落ちた木材の下で、
それは蠢(うごめ)いていた。
ヌラヌラと光る粘液に覆われた、
太い触手をくねらせる軟体動物…
「タコ!?」
「タコなのか?」
「でかいぞ!」
「大ダコだッ」
山の上でタコとは、なんと面妖な…
だが、その2m以上あるタコは、突然立ち上がった。
「お前たちを待っていた… 我が名は天刑星…
悪鬼を食らう者なり!!」
それは人間… 恐ろしく柔軟な肉体をもつ大男。
青々した坊主頭に凶悪な面相、ノコギリの
ようにギザギザした歯を見せ、ニッカリ笑う。
「おのれ、化物!」
5人の弟子は、鉄の杖をふり上げ、
いっせいに打ちかかる。
だが、軟体動物のような肉体に、
打撃はまっだく効果がなかった。
それどころか、その太い触手のような両手両脚、
そして胴体を使い、5人を同時に締め上げる…
いや、締め上げる必要すらなかった。
巻きつかれたとたん、5人はぐったりと、
生命のない肉の塊と化していたからだ。
「これは… いかなる術なのか… 触れただけで、
魂魄(こんぱく)が消し飛ぶとは…」
陰陽道を日本にもたらした大学者
真備ですら、戦慄する未知の妖術。
その秘密は先祖代々、特製の酢を飲み続ける
ことで身につけた、天刑星の特異体質にある…
人体には多くの酢酸が含まれており、体内の
化学変化に重要な役割を果たしている。
天刑星の体内で醸造された特殊な酢酸は、
主に汗となって、全身をヌメヌメさせる。
このヌメヌメに触れてしまった者は…
体内の酢酸を含む化学物質が構造変化をきたし、
その結果、酵素が不活性化してしまい…
酸素や糖分からエネルギーを取り出す
作業が、全細胞でストップする。
体内で絶えず行われている化学変化こそ、
まさに生命の炎。
その作業を担当している酵素が、一切機能
しなくなるということ、つまり化学変化が
ストップするということは… 死。
生命の炎が、消えるということなのだ。
さらに、おぞましい光景が待っていた。
ぐったりして動かない5人の体に、ノコギリの
ような歯で噛みつき、食らい始める天刑星。
吐き気を催すような凄惨な光景を前に、
ただ凍りつくしかない真備。
恍惚の表情を浮かべ、めいっぱい
頬張りながら、天刑星は語る。
「悪鬼どもは、俺たち4人の大切な食料でな…
貧しい民を無償で救ってやれるのも、
こいつらを食って生きてるからなんだよ…
俺ら4人が普通の食料を食っちまうと、それだけ
貧しい民の食い物が減ることになる…
もっとも、俺なんかは悪鬼を食うのが楽しみで、
そのついでに、民を助けてやってるようなもんだがな」
それ悪鬼ちゃう、人間や!
心の中でツッコミながら、真備は8枚の札を取り出した。
八王子の霊を召喚するため、スサノオより授かった札…
(悪鬼とは、貴様の方だ… 必ずや、調伏してくれる…)
「あ、食事が終わったら、お前にはスサノオの居場所を
吐いてもらうから。しばらく、そこで待っておれ」
だがすでに真備は、8枚の札を
遊戯王のように並べ終わっていた。
「召喚、八王子!! 水曜星・歳刑神!!
木曜星・太歳神!! 金曜星・歳殺神!!
金曜星・大将軍!! 土曜星・歳破神!!
土曜星・太陰神!! 計斗星・豹尾神!!
羅候星・黄幡神… うおッ」
天刑星が、小さな壺を投げつけ… 地に割れる。
ブチまけられた中身は、超強酸性の酢…
すさまじい刺激臭が、周囲に立ちこめた。
「うげえええッ ゲホッゲホッ」
涙と鼻水が止まらず、むせ返る真備…
まさに催涙弾である。
精神を集中できなければ、いくら札を並べても、
八王子の霊など呼び出せるものではない。
(もはや、これまで… 牛頭天王よ、
我が魂は天へと還りまする…)
覚悟を固めた真備の体は、灰となって、風に散った。
これには、天刑星の方が驚いた。
「な、なんだ? 奴は人間ではなかったのか?」
腕を組んで、考えこむ。
「死に至るほど、強い酢ではなかった…
ということは自害? 困ったぞ、
せっかくの手がかりが…
スサノオの居どころが聞き出せなくなった」
「まあ、ここにいるんだけどねwww」
振り向くと、横には… 縄文杉のような
筋肉の、乞食のような大男。
「おま…」
天刑星が口を開く前に、スサノオは右腕を伸ばし…
ヌラヌラした胸に触れていた。
(愚かな… 自分から触れてくるとは…)
勝利の確信が天刑星の脳をかすめた、その時。
ボトッ
スサノオの右腕の、肘から先が落ちた…
すっぱりと、切断されたように。
(え…???)
戸惑う天刑星。
一体、何が起きたのか… 不思議なことに
血は1滴も流れていない。
見ると、切断面には薄い半透明の
膜が張ってあるようだ…
切断された腕は、ぐったりと生気を失っている…
が、かすかにピクピク動いているところを見ると、
完全には死んでないらしい。
「なるほど… それから… その次は…」
スサノオは1人で、ブツブツつぶやいている…
いや、落ちた腕と会話をしている!
混乱した天刑星の頭脳に、1つの答が浮かんできた。
俺の秘術で死んだ腕から… 俺の術の
秘密を聞き出そうとしている!!
このままではまずいと感じた天刑星は、
両腕両脚を広げて襲いかかる。
「貴様が疫病神スサノオか!!
ここで貴様を食ろうてやるわッ!!」
「あ、こっちももう済んだわ」
落ちた右腕を拾うスサノオ、何事もなかった
かのように、切断面をつなぎ合わせる。
ここで、プレイバック。
スサノオの右腕が、天刑星の胸に触れた瞬間…
「化学変化」が肘まで伝播する前に、
右腕は自分の意思で落ちた…
もちろん、肘から上の肉体を救うため。
落ちた右腕は、これまでの被害者と
同じように、酵素が不活性化していた。
しかしスサノオの細胞は、酸素なしで3時間、水分なし
で3ヶ月、養分なしで3年は生き続けることができる。
酵素が不活性化してエネルギーを生産でき
なくなっても、まだ死んではいなかった。
右腕は、自分にどのような異常が発生した
のかを解析し、その結果を本体に送信。
肘から上の本体は、その解析結果を
もとに、全身の体質を変化させる。
すなわち、天刑星の「汗」がもたらす化学変化を、
一切受けつけない体質に化学変化したのだ…
要するに、天刑星に触れても
OKな体質になった、ということ。
切断された右腕をジョイントすると、新しい体質の
化学物質が右腕にも流れこみ、全身が
「アンチ化学変化ボディ」として、完成。
その右腕の拳を握りしめ、襲いかかる
天刑星の頭蓋を粉砕する。
「辟邪四神の一角… 崩れたな」
右手には、プリプリした天刑星の
脳味噌が、しっかり握られていた。
「いただきます!」
悪鬼を食らう天刑星、ついに己が食われる日が来たのだ。
こうして、天刑星の脳に蓄積されていた情報は
全て、スサノオのものになると同時に、スサノオは
牛頭天王だけでなく、天刑星とも習合したのである。
「見える、見えるぜ… 残り
3人の姿が… 奴らの技も…」
勝利を確信し、悪魔的な笑みを浮かべるスサノオ。