将門記(二)





10、 魔眼




「何だとー? 乾闥婆(けんだつば)、間違い
ないのか? こんな老人が…」
「たぶんね… 悪の匂いがプンプンする。
勘違いなら謝るが…」
首に巻いたバンダナを外して、
「とりあえず殺しておこう。悪党を逃すよりいいだろう」

キイイイィィィィェェエエエ工工工エエエェェィィィィイイイ

鼓膜を引き裂く、きしむような叫びが、その口
から弾ける… まさに、殺人超音波。
ちょうど、発砲スチロールのこすれる音を
ボリューム最大にしたような…
生理的不快感を与える周波数の、
ハラワタのよじれるような怪音声。
老人が耳を押さえて悶絶しただけでなく、
辟邪チームの他の3人までうずくまって
しまうほどの、絶対不快音のシャワー。

「け… けん…」
「いきなりやるなよ…」
「俺たちにも心の準備ってものが…」
「見ろ、老人が!! 消えてしまった…」

始めから、存在していなかったのだ。
「俺たちが話していた相手は、
実体ではなく幻… 本物は…」
後方の草むらで、ドサッと音がした。

見ると、先ほどの老人が倒れている。
どうやら、乾闥婆の叫びによって、
幻術を破られてしまったようだ。
「そこか! 聴くだけで死ねる乾闥婆の地獄の
不協和音で、いい夢見ろ! クソ野郎!!」

音の魔術師・乾闥婆。
疫病の流行地では一弦の琴をかき鳴らし、その
あまりに涼やかな音色に、柑橘類のさわやかな
芳香が漂ってくるように感じられるほどの名演奏で、
幾多の病人たちの心を浄化してきた。
精神的に癒されるだけでなく、
実際に体調が良くなるのである。

だが、いったん敵を前にした乾闥婆は、
殺戮に飢えた狂鬼と化す。
今もまた一弦琴を取り出すと、弦をしごく
ようにして不気味な音色を発し、同時に
驚異的な腹式発声によって、人間の耳で
感じ取るのさえ困難な超重低音を絞り出し、
共鳴しあった2つの音は、異次元の音の
津波の如く、うねるように押し寄せてきた。

広大な歌劇場でマイクなしで音声を響かせるオペラ歌手、
それ以上の肺活量を乾闥婆はもっているのだろう。
ンモオオオオオオオオオオという低い唸りが、
弦から発する異音と共鳴、相手の内臓、
特に胃に想像を絶するストレスを与える。

やがて、老人の胃にブツブツと穴が開き… 
ついには胃が破裂、血反吐を吐いて
死ぬことになるだろう。
だが、その時…

農家の子供と思われる、小さな娘が通りがかった。
「いやあああっ なに、この音!?」

はっ!? 乾闥婆は一瞬ためらい、音が止まった。
その隙をついて老人は風のように
動き、幼女を人質に取る。
「う… 卑劣な…!!」

「俺にまかせろ、乾闥婆」
かわりに進み出たのが、ギョロッと
した目の鍾馗(しょうき)である。
「奴の命の経文は… 覚えた!」

老人のDNAコードが脳内に登録された、
ということである。
全身が震え… 黒目が裏返り… 赤い瞳が現れた!
「目に見えぬ悪魔の業火で焼き払ってくれるわッ!!」

元々、自然界には微弱な天然の放射線が満ちている。
身近なところでは、ラドン温泉など。
鍾馗の赤目が放射する天然ガンマ線も、人体に
影響を与えない程度の非常に低レベルなもので、
同じようなガンマ線が雷雲から観測されることもある。

ただ、鍾馗の放射線が特殊なのは… 
事前に記憶してあるDNAコードに照射されると、
とたんに振動数が増幅し、致死量を超える
高レベルエネルギーと化すことだ。
つまり彼は、特定のDNAだけを破壊することができる。
疫病の流行地で、人間には害を与えず、特定の
ウイルスや菌だけを破壊できるのも、この特殊な
指向性をもった放射線を自在に操れるからだ。

DNAを読み取る「黒目」と、DNAを破壊する「赤目」。
この4つの瞳を使いこなすことで、鍾馗は
最強の殺戮能力をもった生物となる。
そして、今… 幼女には害を与えず、
老人だけを被爆させたのだ。
真っ赤に焼け爛れ、崩れ折れる老人…

「うわああああああん!!」
幼女は泣きながら、逃げ去っていく。
4人は、老人の死体を取り囲んだ。
全身、赤い肉が剥き出しになり、
止まらない血が池となっている。

「おや… コブがないな?」
老人の大きなコブは「経文」すなわちDNAが
異なるから、被爆せずに残ってるはずだが…
「そういえば… さっきの子供…」
神虫が胸騒ぎを覚えながら、
「頬が… ふくらんでいたような…」



この頃、約束を破られた鳴神が怒り狂い、
「宝貝(パオペエ)」によって日本中の雨を
ストップさせるという暴挙に出ていた。
これに「雲の絶間」こと妙子が挑んで打ち破る話は、
「天神記(二)」の前半にある通り。

魔風は、鳴神の本陣である岩尾山に現れた。
どこの誰かはわからぬか、品の良い白髪の
老人を見つけ、その体を乗っ取ったようだ。
先だって逃走用に使った幼女の体は、
かわいそうに、とうに腐った肉塊となっている。

「油断のならぬ連中が現れたものよ… 
1対1ならともかく、全員まとめて相手をすれば
あの方といえども分が悪い… 
ここはひとつ、こちらも兵隊をそろえておくか…」

魔物召喚対決の末、鳴神を倒し、
その生首だけを生きたまま保存する。

その後、岩尾山のアジトを詳しく調べてみると…
いくつかの「宝貝(パオペエ)」とともに、
大きな甕(かめ)を発見した。

「はて、飲み水でもなさそうだが… 
わざわざ、唐からもってきたのか?」
叩き割ってみると、中からは…

塩漬けにされた人間が。
それも、でっぷりと腹の突き出た巨漢… 
頭を丸めているので、僧侶らしい。

「おやおや… 一体、何者だろうな?」
死んではいない… だが、生きているともいえない。
面構えから見るに、生きていた頃は相当の
霊力の持ち主だったにちがいない。
「ついでだ… 鳴神といっしょに、
この御仁も面倒見てやろう」

鳴神は… 首から下に新しい屈強な肉体を
合成、意のままに動くロボットとする。
大甕から出てきたメタボ坊主は… 
蘇生させ、新しい記憶を与え、ちょうど空席となって
いた根黒寺の大僧正のポストにつかせた。
前任の大僧正は、30年も前に死んでいる。

この新しい大僧正こそ、「将門記(一)」で
「人食ひ文」「死界文書」といった恐ろしい
術を披露する人物なのだが…

鳴神が唐で道士をしていた頃、宿敵であった
仏教の高僧らしいが、果たして何者か?
「良い拾い物をした… これで2人、
使えそうな駒がそろったわい」

満足そうな魔風をよそに、スサノオは寝転がったまま、
「そんな奴ら、俺には必要ねえよ。
お前のオモチャにしろ」
「ご自分だけでカタをつける気ですかな?」
「あいつらは、牛頭天王であるこの俺と
遊びたいんだろ… 相手してやんよ」


この年、陽成帝は、遊び友達である源益
(みなもと の すすむ)を死なせてしまう
という前代未聞の大不祥事を起こす。
もはやこれ以上、天皇の地位に
とどまることはできなくなった。
(天神記(二)「無顔」参照)



やっとこさ元慶8年(西暦884年)。

2月4日、陽成帝は廃位となった。
翌5日、仁明帝の第三皇子・時康親王が、
55才という高齢で受禅。
2月23日、光孝天皇として即位する。
藤原基経を関白に指名、政務の一切を任せることに。



陸奥、「久遠の民」の本陣にて。
スサノオは、二黒土星(じこくどせい)こと
吉備真備(きび の まきび)を呼び出し、
辟邪四神について、注意を与えた。

「お前は牛頭信仰を日本にもたらした
張本人だからな、特に狙われやすい。
廣峯(ひろみね)には、もう行くな」

真備は絶句した。
「辟邪の神々が日本に… しかも、我らを
災いと見なして、つけ狙っていると…」
廣峯とは、姫路市にある牛頭信仰の
総本山、廣峯神社のこと。
「万が一に備えて、お前には八王子の札を預けておこう」

スサノオから8枚の御札を授かり、真備は感激。
「おお! ありがたい… しかし天王さま、
ご自身がお持ちにならずとも、よろしいので?」
「俺が札なんか使うかよ。八王子はまだ転生
しちゃいねえが、その札を使って奴らの霊を
呼び出し、力を貸してもらうことはできるだろう」



朝廷では、基経が独裁者となりつつあった。
万事、まず基経に諮問してからでないと、
天皇に奏上することはできなくなった。
基経は菅原道真を重用し、道真は
他の学者たちの妬みを買っていく。

この頃、光孝帝の子・源定省(みなもと の さだむ)が、
藤原胤子(いんし、たねこ)を妻に。
「さだむ」といってもフセインではなく、後の宇多天皇。
(この時は、まだ臣下)
胤子の生い立ちは(天神記(二)「入内」参照)。

この年、小野好古(おの の よしふる)生まれる。
後に、太岐口獣心にくっついて
対馬まで行ってしまう、あの少年。

出雲では、10才になった天国が、
初めて父を手伝い、鉄を打つ。
それは日本の魔の刻(とき)を告げる、槌の音だった。



年が明け、元慶9年(西暦885年)、
第58代・光孝天皇の御世。

1月18日、源定省と胤子の間に、
長男・維城(これざね)が生まれる。
後に敦仁(あつひと)と改名。(第60代・醍醐天皇)

温子の妹・穏子(おんし、やすこ)も、
この年の生まれ。(父は基経)
後に道真の祟りを恐れ、几帳の陰で
赤子を育てるという、あの人。

2月21日、仁和(にんな)に改元。
4月12日、肥後(熊本県)の天草に、
新羅からの使者を乗せた船が来航。
しかし、正規の文書を持っていないので追い返す。
新羅涙目プギャー

この頃、1人の仏具職人が都で小さな
工房を構え、製作を開始したという。
現在の(株)田中伊雅佛具店、創業1100年を
超える日本最古の企業の1つ。
公式サイト http://www.tanakaiga.com/
あまり一般人が買い物するような店ではありませんが、
商品の画像を見ていると、きれいで欲しくなりますね。

大和(奈良県)の唐笠山で、1人の男児が生まれる。
不思議な能力をもった、鬼丸少年… 
後の陰陽師・賀茂忠行(かも の ただゆき)だ。

彼の師匠にして育ての親となる弓削是雄は
この年、陰陽頭に任命された。

同じ頃、藤原山蔭、四条流庖丁道
(しじょうりゅうほうちょうどう)を創始。

そして…
吉備真備は、スサノオの忠告に逆らい… 
播磨(はりま)の、廣峯山を目指していた。