将門記(二)





5、 最強の四人




貞観19年(西暦877年)、
第57代・陽成天皇の御世。

1月3日、貞明親王、即位の儀。
生母・藤原高子は、皇太夫人
(こうたいぶにん)の位に昇る。

その高子に仕える新しい女房が、
あいさつに参上した。
「たったったっ 妙子と申します… 
噛みました、すみません」

「おや、おなごでしたか… ここに来る足音が
シャカシャカと男らしかったので…」
御簾が上がり、高子の好奇心
いっぱいの瞳が妙子を見下ろす。
「どのような娘なのでしょう?」
「こっ こんなのでございます…」
「顔をお上げ」

妙子、この年15才。
美少女ではないが、タレ目の愛嬌ある顔つきで、
十二単を窮屈そうにまとっている。
それもそのはず、出仕するまでは、兄たちと
いっしょに馬を乗り回したり、弓の鍛錬をしたり、
とにかく元気いっぱいに育てられたのだから。

「ほんとうのことをいうと、男勝りの娘と聞いて、
お前に興味をもったのですよ。
さて、1つ尋ねますが、もし私が… 
そう、庭のあのあたりから弓で狙われたら…
お前は私を、どのように守ってくれますか?」
高子が扇で指し示すほうをチラッと見て、妙子は跳躍した。

「トリャッ」
十二単のまま倒立前転、高子の
御簾の前に着地、盾となる。
「まことに畏れ多いことでございますが… 
非常事態につき…」

この若い女房が見せた前代未聞の
アクションに、他の女房たちは唖然…
妙子も今さらながら、とんでもないこと
しでかしたかも… と、冷や汗が。

しかし妙子は、後ろから高子に、
ふわっと抱きしめられた。
「もう… 女の子は、もっと優雅に、ね」
宮廷での息苦しい生活に倦んでいた高子が、
まさに求めていた型破りなキャラ。
気に入った… 惚れたわ、この娘に!

うなじまで真っ赤になって、かしこまって
いる妙子をじっと見つめ、
「日なたの匂い… お日さまの匂いがする… 
そうだ、お前の呼び名は…」
高子は縁側に降り立ち、まぶしそうに空を見上げる。
「雲の絶間(くものたえま)…」



4月9日、昨年焼失した大極殿の再建が始まり、
4月16日、「元慶(がんぎょう)」に改元。
4月24日、文徳天皇の皇女・珍子(ちんし)内親王が没した。
「珍子」とは、珍しいお名前… 
決して「ちんこ」ではありません…


5月、都良香の供をして、富士山にアタックした
猿丸少年は、ついに山頂に立つ。
1786年のモンブラン登頂まで、これが
人類の到達した最高地点かもなー。

都に帰還して後、「富士山記」を発表した良香は、
時の人となり、彼の漢詩も再評価され、
「菅原道真以上」との評判が立った。


6月25日、昨年漂着した渤海使は、帰国の途に着いた。
「渤海使は12年に1度」という年期ルール違反
だったので、都に入ることは許されず。
それでも出雲の国司や商人と貿易を行い、
じゅうぶん利益を上げての帰国だった。
船上には例の、星の刺青をした人物の姿が…


学者の橘広相(たちばな の ひろみ)
の家に、男の子が生まれた。
広相は後に「阿衡(あこう)事件」で失脚、
道真の操る死霊となる、悲惨な運命の人。

生まれた子は、後の公頼(きみより)、
藤原純友の軍勢と戦うことになる。
父とちがい、名声を得て領地も得て、
成功した人生を送るようだ。


紫式部のひいおじいさん、藤原兼輔(かねすけ)
も、この年の生まれ。

通称「堤中納言(つつみちゅうなごん)」、百人一首に
みかの原 分きて流るる 泉川 
いつ見きとてか 恋しかるらむ

という歌が採られている。


10月18日、菅原道真、文章博士に任じられる。
羅城門の鬼と合作したという良香の
詩を批判、良香はカンカンに怒る。



元慶2年(西暦878年)となった。

3月、出羽国において先住民が蜂起。
「元慶の乱」の始まりである。
5月には藤原保則が叛乱鎮圧を命じられ、
6月には小野春風も出羽へと発つ。

彼らの「ソフト戦略」が功を奏し、先住民の
投降が相次いだのが8月終わりごろ。
9月には関東で大地震が発生するも、
東北の情勢は沈静化に向かう。



そのころ、海の向こうの渤海では。
「お前さんかい… ワシらに会うために、
わざわざ海を渡ってきなすったのは」

「我らの居場所をピタリと当てるとは… 
星の動きを読む力に、長けておるようだな」

「あんたの国も、よほど疫病に苦しんでおら
れるようじゃ。助けに行ってやりたいが…」

「ご覧の通り、我らは老いぼれた… 大陸の東の果て、
この渤海にたどり着くのも、死ぬ思いで… 
とてもとても、海の彼方の倭国(わこく)までは…」

4人の老人が固まって、うずくまっている。
「何せ、150年も生きましたからな… 
死期が迫っておるのよ」
「だが、心配はご無用… 辟邪(へきじゃ)の
役目は、我ら4人の息子が受け継ぐ」
「息子たちが、我らのような力をもっているかって?
もちろん、我らの力は遺伝する… それを使い
こなすには、修練が必要ではあるが」

リーダー格の老人が、立ち上がった。
「せがれたちは、いずれも30代の若者… 
ホッホッ、そう、100才を越えてからの子よ…
すでに、「表の技」は習得しておる。あとは、
「裏の技」をどこまでモノにしたか…
これからちょうど、試験を行うところなのだが… 
同道されるかな?」

「ぜひとも」
「星の刺青」をもつ男(もしくは女)は、
老人たちに従って岩山へと入っていく。
「表の技」、つまり病を癒す技については、
すでにコッソリと見ていた。
疫病の蔓延する村で…


「鍾馗(しょうき)」の目が光ると、疫病は
死に絶え、大気は清浄になった。

大甕を背負った「天刑星(てんけいせい)」は、甕(かめ)の
中身=手作りの酢を家々に散布、消毒する。
さらに、村に保管してある酒にも酢を混ぜ、
発酵させ、健康に良い黒酢を醸造。

「栴檀乾闥婆(せんだんけんだつば)」の、一弦の
楽器で奏でる妙なる調べが、病人たちの
心を和ませ、病んだ肉体をもリフレッシュ。

面白いのは「神虫(じんちゅう)」で、体内で
飼っている「蟲(むし)」を重病人に飲ませると、
内部から治療してくれるらしい。
猿回し芸人のように、得体の知れない
「蟲」を自在に操っていた。

(4人とも、大した道士だ… しかし、病人を
癒すのは、あくまでも表の顔…
疫病をはじめ、あらゆる災いを滅ぼす「裏の技」、
つまり大殺戮の技こそ…)
彼ら、「辟邪四神」の真骨頂なのだ。


「ここで試験を行う… せがれどもが、我らを
継ぐにふさわしいかどうか、試すのだ…」
生命の片鱗すら見られない、岩と砂だけの
不毛の大地に、4人の男たちは待っていた。

「まずは… 天刑星!! 前へッ!!」
青々した坊主頭の、荒々しい大男が進み出る。

1人の老人が、その前に立った。
男の父、つまり先代の天刑星であるが… 
手を伸ばし、息子のたくましい胸に
触れたとたん… くたっと崩れ折れた。
まるで軟体動物にでもなったかのように、
グニャグニャの塊になっている。

「星」は、目を疑った。
これまでに見聞きした、いかなる魔術、
妖術、法力、神通力ともちがう…
(生気を抜かれた…? 生命の火が、
一瞬で消されたような…)
彼は知る由もないが、天刑星の能力の
キーワードは、「化学変化」。

「次!! 栴檀乾闥婆!!」
髪の長い、女のようにたおやかな
美青年が、一弦の琴を奏でる。
対するは、やはり彼の父、先代・栴檀乾闥婆。

「星」のところまで、かすかでは
あるが不快な音色が響いてくる。
至近距離で聴くと、拷問に等しいだろう。
父親は、血を吐いて倒れた。
この能力のキーワードは、「ストレス」。

「つづいて神虫!!」
背の低いモッサリした醜い男が、
父に向かって、いきなり屁をひる。

ただのガスではない… 目に見えない
微小の「蟲」を、大量に含んだ生物兵器だ。
父親は嘔吐し、下痢便を漏らし、
悶え苦しみ死んでいった。
キーワードは、「腸内細菌」。

「最後はお前だ、鍾馗」
老人側はもはや、リーダーしか残っていない。

彼の息子は、目だけはギョロッと大きいが、
パッとしない地味な若旦那。
ただひたすら大きい目をクワッとひんむいて、
老いた父を凝視している。

やがて、全身がプルプルと震え… 白目をむいた。
いや、黒目が裏返ると同時に… 
もう1つの、赤い瞳が現れた!

父親は、全身の皮膚が真っ赤に焼け爛れ、倒れる… 
皮膚がズルッとむけ、赤い肉が露出し… 
血が止まらない。

被爆… であった。
全身の細胞の「DNA」が、破壊されたのだ。
その凄惨な光景に、「星」は息を飲む。
(これは… たとえスサノオでも、防ぎようがない!!)

父親たちの命を食らい、凄惨な「卒業試験」を終えた
4人は、やがて「星」とともに、日本へ旅立つ。
極東の島に巣食う、スサノオという
大疫病神を滅殺するために…



元慶3年(西暦879年)となった。

2月25日、都良香が山にこもったまま行方不明に。
「一白水星」こと蘇民将来によって、
「久遠の民」にスカウトされる。

5月8日、清和上皇が出家。
山中にこもり、過酷な断食修行を行う。

学者の藤原佐世(すけよ)が、若い帝の侍読
(じとう=天皇の家庭教師)に抜擢される。
後に、「阿衡(あこう)という職は、実権のない
名誉職みたいなもんですよー」と基経に告げ口、
「阿衡事件(阿衡の紛議)」を引き起こす人物だ。
そういえば、この人も座敷童にスカウトされて
「久遠の民」メンバーとなるんだっけ。


「おや… 私の負けですね。今まで碁では
負けたことなかったのに…」
高子は碁石を片付けながら、残念そうに肩をすくめる。
「仕方がない… タエ、約束どおり願いを1つ、
なんでも聞いてあげますよ」
「\(^o^)/ヤター」

妙子が高子のもとへ出仕してから、2年半が過ぎていた。
今では実の母子… 姉妹以上の間柄だ。
「実は、こういう時のために… 
今まで碁は、わざと負けてたんですよ」
チロッと舌を出す妙子。

「むっ こいつ… なかなか戦略家ですね」
実は高子も、同じようなことを考えていて、
双六では3回に2回は負けるようにしている。
いつの日か、今日のリベンジを… 
今度は私の願いをきいてもらうために…
「で、何が望みなのです?」

なんと、妙子の望みは… 陰陽師への弟子入り。
「お願いします! 週1日だけ、先生の
ところへ通わせてください…」
実は先だって妙子の父が急病となり、看病のため
宿下がりした妙子は、治療にやってきた陰陽師の
弓削是雄と知り合ったのである。

「すごく、いい方なんですよ。
私、昔から陰陽道に興味があって」
「へえ、おもしろそうね」
妙子のやりたいということに、高子は決して反対しない。
だから今回も、無理に「賭け碁」をしなくとも、
高子は許してくれたにちがいないが…

こうして、陰陽道を習得することになった「雲の絶間」は、
後の「鳴神事件」で大活躍することに。
(天神記(二)「鳴神」「雲の絶間」「雷神不動」参照)

「ところで宮さま。もし、お勝ちになって
いたら、私にどんなお望みを?」
「ん? もし私が勝っていたらね…」
ふだんの人形のような、冷たい眼差しとは
まったくちがう、優しい瞳が妙子をじっと見て、

「タエがずっと、死ぬまで… 
私のそばにいてくれますようにって」

「宮… さま…」
うるっときた妙子は、高子の胸にすがりついていた。
その願いは、確かに聞き届けられたのだろう。
後に高子が没すると、後を追うように
妙子も世を去るのだから…
(天神記(四)「謎の巨大生物」参照)