将門記(二)





3、 八岐大蛇(やまたのおろち)




8人組の敵か、そういえば… 
前にもいたな、そんなの…
人智を超えた凄惨な死闘の真っ最中にもかかわらず、
遠い日の記憶が、スサノオの脳裏をよぎる。

それは遥かなる神代の昔、まだ日本
という国のなかった頃の話。

出雲の国の浜辺に、若き日のスサノオは流れ着いた。
太陽に灼かれ、脱水症状を起こし、
焼けつくような飢餓に苦しんでいる。
「み… みじゅ…」


故郷では、手のつけられない暴れ者、
無法者、アウトロー、ワルだった。
心の奥底では、亡き母が恋しく、寂しかった。
母の面影の残る、美しい姉に甘えたかった。
ただ、それだけだったのに…

女王であり、巫女である姉は、
神聖不可侵な存在だった。
冷たい目で彼を見下す姉、彼を拒む
王宮の役人どもが、憎かった。
こんな小さな島の、ちっぽけな王国
なんか、俺がブチ壊してやる…

暴れに暴れまくって、その挙句… 
捕らえられ、海に流されることに。
実質的に、処刑といっていいだろう。
広大な太平洋に1人きり、食料も水もなく、
小さなカヌーで流されるのだから。

「今に見てろよ… 必ず仕返ししてやる…」
底板にはいつくばって、涙を流すスサノオ。
体は大きくても、まだ子供だった。

そんな子供にとって、この太平洋漂流は、過酷すぎる
イニシエーション(通過儀礼)だったといえるだろう。
まさに、地獄を見た40日間。

「母さま… ねえさま…」
幼い頃の、優しく、太陽のように
明るかった姉の笑顔が甦る。
いつからだろう、蔑みと敵意の宿る目で、
彼を見るようになったのは…

そう…
太陽の女神の化身、「アマテラス」などという称号を得、
神殿にこもるようになってから…
だが、姉よりもっと憎い存在があった。

あの薄気味の悪い兄…
肌が弱いということで、昼間は小屋に
こもったきり、外に出ない。
夜になると、青白い顔をして島内を
さまよい歩く、あの幽霊のような兄…


1度だけ、顔を拝んだことがある。
女のような顔だった。
兄だとばかり思っていたが、もしかしたら
「姉」なのかもしれない…

「この下衆(げす)が」
虫ケラを見るような目で、スサノオを見た。
「悪さもたいがいにしないと、この世から消し去るぞ」

「兄弟が初めて顔を合わせたってのに、
いきなりだな… え? アニキよお」
腕力なら島1番という自負が、スサノオにはある。
怪力無双のあのタヂカラヲにだって、負けはしない。
だが…

「私は本気だぞ、スサノオ」
月光を反射して氷のように光る兄の眼差しに、
スサノオの背を冷たいものが走った。
(なんだ… この俺がビビッてんのか…!?)
体が動かない。

「アマテラスを汚す者は、この世に存在してはならない」
幽霊のような兄からは、この世の者とは
思えない妖気が発散している。
それに、この兄といつもツルんでる、あの魔術士の存在…

遠い異国から流れ着いた、額に星のタトゥーのある魔術士。
一応「男」と認識されているが、これも女の
ような顔立ちの、エキゾチックな美青年。
兄に取り入って、何か企んでいるらしく、
いつも2人で行動をともにしていた。

「太陽」の化身であるアマテラスに対して、
この2人は「月」と「星」と呼ばれている。
はるか西の王国で仕込まれた「星」の魔術は、
たいそう強力だそうで、島の誰もが恐れていた。

ケンカなら決して負けないが、魔術のような
超自然の力が相手となると…
さすがの暴れん坊も、臆してしまう。
だが男として、引くに引けない。
「へえ… じゃ、そのアマテラスさまを犯してやろうか」


そして、ついに… スサノオのあまりの乱暴狼藉ぶりに、
姉のアマテラスは洞窟に引きこもってしまう。
ここにいたり、とうとう無法者は捕らえられ、
海流しの刑となったのだ。



漂着したのは、出雲大社の近く、現在
「くにびき海水浴場」と呼ばれるあたり。
ナメサという集落に住む一人暮らしの
女が、スサノオを拾い上げた。

集落は、浜辺からほど近い「神門水海(かんど の みずうみ)」
という汽水湖(海水と淡水の混ざった湖)のほとりで、女は湖に
浮かぶ「蛇島」で蛇を獲り、それを日々の糧にしていた。

集落の男たちが恐れて近づかない不気味な
女であったが、どういうわけか、スサノオを
親身になって面倒見る。

やがて体力を取り戻し、この国の言葉も
覚えてきたスサノオは、女を抱いた。
そして生まれた娘が、スセリである。

後にスサノオとともに根の国で暮らし、
大ナムチの正妻となる娘だ。
(安珍と清姫「プロローグ」参照)
彼女の生家が、後の「那売佐(なめさ)神社」だという。
「岩坪(いわつぼ)」と呼ばれる、スセリが産湯を
つかった跡も残っている。(眉唾ですが…)

さて、現在は「神西湖(じんざいこ)」と呼ばれる
この汽水湖で、ある日、スサノオが特産のシジミ
を獲っていると、箸が1本流れてきた。

「なんだ、これは… 何に使う道具だ?」
南の島で生まれ育ったスサノオは、箸を知らない。
箸は、大陸文化の存在を意味する。

この頃、神西湖には斐伊川(ひいかわ)が流れこんでいた。
(江戸時代の治水工事で、現在のような
宍道湖に流入する川筋となる。)
つまり斐伊川の上流に、大陸から渡った
者たちが住んでいる、ということ。
「どんな奴らだ… 見てみてえな」

「あんだ! 行がねえでくんろ! 
川上にはよ、あいづらが…」
ズーズー弁(出雲語=東北弁)丸出しで
男を引き止める女、しかし…

無謀にも単身、小舟をこいで、川を上るスサノオであった。
やがて、「天が淵」という淵を見下ろす
岩場に、砦が見えてきた。

出雲を支配する、悪名高き8人… その名を「オロチ」。

大陸から渡ってきたという以外、詳しい素性は
不明だが、義兄弟である8人の頭目が率いる
無法者の集団が、この地域を縄張りとしていた。


「俺を仲間に入れてくれ!」
スサノオは8人の頭目の前で、おどけた裸踊りを
舞って、すっかり気に入られた。
「おもしろい奴」
「腕っぷしも強そうだ」
「いいだろう、下っ端として使ってやる」

よく見ると、8人のうち1人は女(それも妖艶な美女)、
そして8人のうち7人までが美しい妻がいるようだ。
(件の美女にも妻がいる!)
「お前には… 仁王の世話をしてもらおうか」
「孝王」と呼ばれるリーダー格の男が、スサノオに命じる。

まだ妻をもたない、最年少の8人目のオロチ
「仁王」が、スサノオの主となる。
猫をかぶり忠実に仕えるが、その腹には、
傲岸不遜な野望が燃えていた。
「こいつらに代わって、俺がこの
集団の頭になってやる…!!」

だが、この8人はいずれも、武術の達人だったり、超怪力
だったり、頭が切れたり、一筋縄ではいかない強敵ばかり。
最年少の「仁王」ですら、圧倒的な
パワーとスピードで矛(ほこ)を操り、
(ダメだ… まともにやり合ったら、殺される…)
さすがの暴れ者も、勝てる気がしない。

どうやって… どうやって8人のオロチを
倒し、頭目の座を奪い取る?
好機を待つんだ…
そして、何も策の浮かばないまま、
下っ端のまま、半年が過ぎた。


とうとう、仁王も妻をめとる時が来た。
「めんどくせえなあ… 女なんか、いらねえのに」
「子孫を残し、次の世代のオロチを育てる
のも、我らの役目だぞ、仁王」
学者風の、知的な雰囲気の「礼王」が諭す。

「女ほど、かわいいものはないのにねえ」
女のくせに「妻」のいる「智王」が微笑むと、
ガッチリした筋肉男の「信王」もうなずき、
「ああ、まったくだ! どんな娘っ子が
嫁いでくるか、楽しみだな!」
「あの夫婦の末娘も、きっと美しく成長したろうて」
相撲取りのような巨漢の「悌王」が、鼻の下を伸ばす。

オロチ衆の7人の嫁は、いずれも鳥上山(とりかみやま、
現在の船通山)のふもとに住む、大陸の貴人の
末裔である、老夫婦の子供たちだった。
「おい、下っ端! 鳥上山まで行って、娘を受け取ってこい」
目の下に隈のある、陰気な「義王」が命じる。


美しい娘だった。
スサノオは、ひとめで恋に落ちた。
あいつらはには、渡したくない…
だが、どうすればいい?

老夫婦は、最後の娘まで奪われる日を
迎え、さめざめと泣いている。
よし… スサノオは、腹をくくった。

「オロチどもを殺してやる… その代わり、この
イナダ姫を俺がいただくが、よろしいか」
両親からすれば、別のヤクザ者に娘を奪われるだけの話だが、
オロチどもには、これまでの積み重なる恨みがある。

「お頼み申します…」
「よし。ところで、この匂いは… 酒か?」
「はい、娘が噛みました酒で」
この時代、酒といえば「口噛み酒」、乙女が米を
口に含んで噛み、唾液といっしょに甕に吐き出し、
それが発酵して酒となる。

「この姫の噛んだ酒なら、連中、争って呑むだろうぜ… 
大甕はちょうど8つか。じいさん、この家の従者を8人
借りるぜ。だが、その前にまず… 姫、こちらへ」

裏の茂みに娘を連れ出すと、裸に向き、荒々しく犯した。
両親は、娘の叫び声を聞きながら、
歯を食いしばって耐えるしかない…


天が淵を見下ろす砦で、祝宴が盛り上がっていた。
うつむいた美しい花嫁と、照れ臭そうな
仁王を囲み、酒をぐいぐい飲む。
スサノオは、いつもよりハイテンションな裸踊りを
披露し、乱痴気騒ぎに拍車をかける。

「今宵はずいぶんと飲んだな。どれ、小便を…」
「あ、俺も」
悌王と信王が席を立つと、
「俺もお供しますよ、アニキたち」
後に続くスサノオの目の奥が、ギラリと光る。

厠(かわや)で、用を足してる信王を後ろから刺し、
悌王の喉をかき切る、一瞬の早業。
生まれて初めての殺人、短刀を握る手が震えた。
「やはり裏切ったな… 礼王のにらんだ通りだった」
背後からの声に、スサノオは凍りつく。

すさまじい殺気を炎のようにまとう、最も危険な男、「忠王」。
スサノオをマークして、こっそりつけてきたらしい。
振り向きざまスサノオは、口から
ブオオオォッと、液体を吹きつける。
「っぐ!!」

それは万が一に備えて、口に含んでいた自分の小便…
強烈なアンモニアが、忠王の目をふさぐ、その刹那の
隙をついて、スサノオは突っこんだ。
体ごと短刀を、忠王の腹に叩きこむ。
「死ねやああッ 死んでまえええッ」

宴席では突然たいまつの火が消え、闇となった。
(この匂いは… 花嫁の…?)
かぐわしい香りがフッと漂ったか
と思うと、急所に刃が突き立つ。

以前からスサノオを怪しいと感じていた礼王、
差し向かいで飲んでいた義王と智王、早くも
酔いつぶれていた仁王が、たちまち死体となった。

花嫁を犯した時、彼女の体臭がスサノオにも移っていたのだ。
アルコールが入ってるうえに真っ暗闇、しかも女の
香りでカモフラージュしていては、さすがのオロチの
猛者たちも、家畜のように屠られるしかない。
だが最後の1人、オロチ首領格の孝王はちがった。

氷のような冷気を発する鉄製の剣を、
スサノオの首につきつける。
「きさま… よくも我が兄弟たちを!! 
この霊剣ムラクモの錆にしてくれるッ!!」
(しまった… こいつを真っ先に始末すべきだった!!)
スサノオ、万事休す… だが、その時。

「がふうッ!!」
孝王の背中に、仁王愛用の矛(ほこ)が突き立っていた。
震える、かぼそい腕が… 
花嫁の白い手が、その矛を握っている。
「イナダ姫…」

この血塗られた夜こそ、スサノオが登りつめる
長い階段の、第1段であった。



「そうか、そういうことか… お前ら、
あのオロチの転生だったか!!」
再びここはGODの居城、スサノオは悠久の時を経て
再会した敵を前に、嬉しさのあまり叫ぶ。
「俺はあの時以来、まだ1度も死んでないんだぜ!!」

スサノオを中心に発生した気流は、
しだいに巨大な渦潮となり…
周囲の八王子たちを、中心へと引き寄せる。
「あの夜は、俺の原点… そして今の俺は
生ける神… 荒ぶる神!!!」

引き寄せられた八王子たちは、チェーンソーの
ごとく振動するスサノオの体に接触、
次々とミンチになっていった。