将門記(一)





17、 死界文書(しかいもんじょ)




甲賀の国、卍谷(まんじだに)…
伊賀との国境近く、深い山の中、決して
常人の目に触れぬ隠れ里。
後世、あまたの恐るべき忍者を生み出す
この地に、根黒衆の訓練センターがある。
安梅の拉致された息子たち、太郎と次郎もここにいた。

兄の太郎は、鏡に向かって「お前は誰だ?」と
繰り返す6週間の後、自我が崩壊。
半年かけて新たな自我をプログラミング、
今は過酷な基礎訓練を受けている。
いく日も山の中を裸で走り回り、食事や
小便も走りながら済ます。
池に放りこまれ、尻の穴で呼吸したり、
手足を縛られた状態で泳ぎ回ったり。

頭からすっぽり法衣をかぶり、両眼だけが
異様に光る根黒寺の大僧正が、しばらく
太郎を観察した後、部下に指示を出す。
「あの子は呼吸の力が強そうだ… そこを伸ばしてやれ」

根黒寺の最高責任者であり、根黒衆
首領・魔風大師の直属の配下。
藤原胤子の命を奪った「人食い文」も、彼がしたためたもの。
「大師さまから指令があってな… 
私は、しばらく旅に出る。留守を頼むぞ」
副官である権僧正に後を託し、彼が向かった先は…



下総の国、佐倉…
武家屋敷がいくつか残る町並みと、長嶋茂雄の
出身校・県立佐倉高校で有名だ。
その佐倉市の将門町にある、俘囚(ふしゅう=朝廷に
従う先住民)を監視するための館、そこが平高望の
三男・良将(よしまさ)の根拠地である。

4年前、この地に移ると、さっそく嫁をもらった。
相馬郡(そうまごおり=千葉県我孫子市、茨城県
取手市など)の豪族、県犬養春枝(あがたの
いぬかい の はるえ)の娘である。
翌年には長男をもうけたが、夭折。
2人目の男の子も、病弱で将来が不安。

「まあ、いわゆるひとつの子作りですか」
おおらかな良将は気にかけず、今日もせっせと妻を抱く。
この広い大地を治めるには、子供が多いほどいい…
この夜、全長0.06mmの精子がひとつ、
巨大な惑星のような卵子に到達した。

受精… 卵子の細胞膜と融合するため、精子が使用する
タンパク質を日本人研究者が「イズモ」と命名したそうな。
(出雲大社が、縁結びのご利益があることに
ちなんで… だそうだ)
まさしく、この日受精した細胞は、出雲に幽閉
された魂の、器となるべき運命にあった。



京の都…
10月20日、三好清行が執筆した円珍の伝記が完成。
タイトルは、「天台宗延暦寺座主円珍伝」
(又は「智証大師伝」)。
オカルト研究家の清行は、この時代最強の超能力者
である円珍を崇拝し、いつか伝記を書きたいと
願っていたが、ようやく実現したわけだ。



出羽の国…
季節はすっかり冬となり、円仁は小国川沿いの
温泉に浸かり、体を休めていた。
昔、東北を巡った際に発見した、川べりに
こんこんと湧き出す温泉…
現在の最上温泉郷、赤倉温泉である。
公式サイト 
http://www.wt-mogami.com/aka-spa/html/top.html
(源泉かけ流しだそうです。いいですね!)

「円珍伝」のことは、この奥地にいても、情報が伝わっている。
正直、おもしろくない気分であった。
(私の法力は、やはりあの男には勝てないのだろうか…)

「ようやく見つけましたぞ、慈覚大師… 
ほう、ここの湯をご存知でしたか」
姿を現したのは平安のアジテーター、
「五黄土星」こと弓削部虎麻呂。
「我々も、ごいっしょさせていただけますかな?」
さらに、泣きそうな顔の妖僧、「三碧木星」こと玄ム(げんぼう)。

もう1人… 幼い顔に似合わぬ神秘の瞳が、
円仁の心を見透かす。
「へえー… 円珍さんのことが、そんなに気になるんだ…」
「四緑木星」こと、「元祖・座敷わらし」の槐(えんじゅ)。

玄ムは法衣を脱ぐと、湯船に入ってきた。
「正直、あなたのことがわからなくなりました… 
いつまで、こんなことを続けるおつもりかな? 
我々の仲間になる気など、さらさらない?」
「フ… これが、私の「神遊び」ですよ。
蝦夷の地に、天台の法灯を広げるのが…」

槐はじっと円仁を見つめ、
「心を空にしたか… そう簡単には、読ませてくれないね」
玄ムは、困った顔をして
「しかし、それでは… あなたに生を与えた意味がない… 
正直、私たちと遊んでくださらぬのなら、
あなたが生きている必要はないのです」

円仁は、苦笑した。
「私に言わせれば、あなた方の方こそ、
生きている必要がない…
民を惑わし苦しめ、世を乱すために生きる
魑魅魍魎(ちみもうりょう)など…」
「なんとおっしゃいましたかな?」

振り向いた時、円仁の形相は変わっていた。
顔がドス黒くむくんで、元の顔の1.5倍くらいに膨れている…
「うぜえんだよ、お前ら… 
とっとと地獄に落ちやがれッ!!」
両手を叩く。
単なる手拍子などではない、何かが
破裂したような、すさまじいラップ音…

「!!ッ」
「なんだッ ここは!?」
「頭が… 頭が破裂する!!」
周囲の光景は、一瞬にして変わり果てた。

「等活(とうかつ)地獄・鉄磑所(てつがいしょ)!!!」
「久遠の民」の3人は、地下1万キロの
地獄第1層、等活地獄にいた。
まず虎麻呂が鬼に捕まり、巨大な鉄の臼に
かけられ、肉と骨がすり潰され…
「うぎゃああああああああああーーーーッッッッ」
「虎麻呂!!」

あまりの恐怖と苦痛に、虎麻呂は人間に戻った。
消しゴムのカスのような、灰となって散っていく。
「おのれ円仁!! 地獄に落ちるは貴様よ!! 
いでよ、巨腕・巌猊(がんげい)!!」
地獄の天井を突き破り、巨大な腕が伸びてきた。
「むう!?」

直径5mの拳がハンマーのように振り下ろされ、鉄の臼を砕く。
大蛇のように、鬼たちを次々に捕まえては、握り潰していく。
「どうだ円仁!! 貴様の法力より、私の方が上だ!!」
勝ち誇る玄ム、だが、その時…

湯船から飛び出した大男… 
円仁のボディガード、手長足長。
鍛え抜かれた破城槌のような長い脚が、
玄ムの後頭部に蹴りを叩きこむ。
グワッシャアアア
まったく油断していた玄ムの、頭骨と脳が粉砕され… 
湯船に沈んだ死体は、細かいカスとなって、溶けていく。

1人残された槐(えんじゅ)は、背を向け、逃げ出す。
「追え、手長!! 奴は童(わらべ)の姿をした魔物!!」
だが… 手長足長の前に立ちはだかるのは…
メタボな腹を突き出した、でっぷり太った法師。

「やれやれ… 結局、ワシが助けてやらねば
ならぬとは… 九星とやら、使えぬのう」
「どけ。邪魔をするなら、お前も蹴り殺すが」
「まあ待て… お前に見せるものがある」
メタボな法師は、ふところから巻物を取り出し、それを開いた。
「死界文書(しかいもんじょ)!!!」

手長足長の眼前に広げられた巻物には… 
一面に、無数の「死」という文字が書かれている… 
ひとつひとつ、大きさも筆跡も異なるが、いずれも
赤黒い墨でくっきりと、のたうち回るような凄絶な
苦しみをみなぎらせ、記されていた。

「う… うおおおおおおーッ」
手長足長は、小指を噛みちぎると、したたる血で
巻物に新たな「死」の1字を書き加える。
「良い筆運びだ… これが、お前の死に様」
法師は満足げに、巻物をスルスルと巻き取る。

「手長!!」
ふんどし一丁の円仁が追いついた時… 
手長足長は、大地に長々と倒れていた。
すでに、息はない。
「死界文書を目にした者は、必ず死ぬ。これが第一の掟」

声の主を見て、円仁の顔色が変わった。
「あなたは… まさか… 
あなたが、こんなところで何を!?」
「言うな、円仁。今のワシは、根黒寺大僧正… 
だが、おぬしこそ… 死んだはずが
生きている、いわば化物ではないか?」

「グフウッ!!」
円仁が血を吐いた。
後ろから、手長足長の手刀が、胸を貫いている。
「お、お許しください… 老師…」
涙を流し詫びる、手長足長。

「死界文書によって死せる者、わずかな一瞬だけ蘇生する…
そして、そばにいる人間に死をもたらす… 
これが第二の掟。いわば、冥府への旅の道連れを作るわけだ」
円仁、手長足長、ともに崩れ折れる。
「そして、第三の掟… 死界文書によって死せる者の
無念と苦しみ、この巻物に宿る…
それによって死界文書の魔力は、さらに強力となる」

円仁の遺体を、哀れみの目で見下ろす大僧正。
「お互い、長く生きすぎた… 
先に行って、涅槃で待つがいい」
果たして、根黒寺大僧正とは何者か、
円仁とはどういう関係なのか。
それが明かされるのは、もう少し先のこと。

法力のなせる業だろうか、円仁の遺体はなぜか、
灰と化すことはなかった。
弟子たちによって山寺(立石寺)へと運ばれ、
霊窟に安置される。



大和の国、唐笠山(からかさやま)… 
古代に、出雲の鉄の民が移り住んだ土地。
28才になる天国(意宇魔)は、禍々しい磁力に
吸い寄せられるように、この地へと来た。
「よう… 待ってたぜwww」
「あなたは…」

天国、スサノオと出会う。



また年が明け、延喜3年(西暦903年)。

ようやく重い腰を上げ、その魂は「幽宮(かくりのみや)」
の外に出た。
『月の都』の城門を出て、「沼」のほとりへと向かう。
「もう1度生きてみれば… かつて愛した者たちと
めぐり会えるかもしれないな…」

2つに分裂した魂の片方であるが、
1つの魂として十分に機能している。
もう片方とは、出会うかもしれないし、
出会わないかもしれない。
「沼」に入ってからの先の運命は、生まれて
みないと、決して知ることはできない。

かつて、「大国主(おおくにぬし)」と呼ばれた
偉大な魂の半分は、足を沼の水に浸した…



この年、佐倉の館で、平良将の三男・鬼王丸が生まれた。
元服後は「将門(まさかど)」と名乗る。
通称は、相馬小次郎(そうま の こじろう)。




将門記(一) 完