将門記(一)





15、 道真左遷




昌泰3年(西暦900年)、いよいよ9世紀最後の年である。

3月12日、藤原高藤(たかふじ)が63才で没した。
…誰でしたっけ?(・_・)
あ、あの無断外泊して、外出禁止になった方ですね…
宇多上皇が最も愛した胤子の父であり、
醍醐帝の母方の祖父。

4年前に娘が謎の死を遂げ、がっくりしていたことでしょう。
突如危篤に陥り、大急ぎで帝が「内大臣」へと
昇進させた後、亡くなったそうだ。
死後、「正一位・太政大臣」が贈られた。

4月1日、皇太后・班子(なかこ)女王が68才で没。
亡き夫の光孝上皇(宇多上皇の父、醍醐帝の祖父)も、
自ら厨房に立って料理する庶民的な帝であったが、
班子女王も夫の即位までは、毎日市場に出てお買い物
をするような、普通の奥さまだったらしいですよ。

5月23日には、「染殿后(そめどののきさい)」こと
明子が72才で没。
文徳帝の妃、清和帝の母。
こちらはまったく普通ではなく、真済(しんぜい)の
怨霊にストーカーされました。
(天神記(一)「染殿后」「契り」参照)

藤原忠平の長男が誕生、「牛養(うしかい)」と名づけられる。
後の実頼(さねより)である。



都からほど近い牧草地、「右近の馬場」にて。
華麗な手綱さばきで栗毛の駿馬を乗りこなす、
15才の少年がいた。
いかにも気の強そうな、プライドの高さがにじみ出る顔つき。
(´-ω-`)平高望の側室の子、良文(よしふみ)。
幼い頃から武芸を好み、弓と馬にかけては、
天才の名をほしいままにしている。

にも関わらず… 正室の子ではないという理由だけで、
坂東には連れていってもらえず。
武術の聖地・鹿島神宮を擁し、武士たちが自由に駆けめぐる
荒々しい坂東の地は、良文にとって憧れだったのだが…
父と兄たちに置き去りにされた悔しさを、
今は鍛錬で晴らすしかない。

「しょせん都の貴族にすぎぬ兄者たちが、
荒っぽい坂東で生きていけるものか…
この私を置いていったことを、後悔するがいい!」
人馬一体、流星となって、ダートを駆け抜ける。
「見ろ! 坂東武者とて、この速さにはついてこれまい!」

だが… 突如飛び出した白馬の巨体が横に並ぶ。
「なッ…」
「イヤッホオオー!!」
それを駆る男もやはりでかい。
赤いスカーフを首に巻いた、ド派手な装束…

たちまち後塵を拝した良文、白馬の後ろ脚が
蹴り上げる泥を浴びる。
「おのれッ この天才・良文の面体に
泥を浴びせるとは…!!」
次のコーナーで、良文は華麗なテクニックを見せた。
超最小半径コーナリングで、たちまち逆転する。

が、最後の直線に入った時… 
白馬の大男は、上体をグン!と反らした…
背中がほとんど、馬の背につくくらいに。
とたんに、ギュオオオンと加速する白馬、
まるでターボを全開したようだ。
「この俺が負けるとは… なんだ、あの乗り方は一体…」
さすがの良文も、あぜんとするほかない。

「少年! いい腕だ」
白い歯を見せニッカリ笑う大男は、
馬から降りて、握手を求めてきた。
平安の傾奇者(かぶきもの)、藤原利仁(としひと)、21才。
来世では前田慶次郎に転生する予定だ。
作者が覚えていればね。

負けん気の強い目で相手をにらみながら、
その手を握り返す良文。
「そうか、空気抵抗を減らしたから… 
一気に加速したのか」
「頭の回転が速えじゃねえか」
「待てよ、これは… 合戦の時、的となる
面積を減らすことにも…」
天才・良文、敗北しても、ただでは起き上がってこない。

「私はかねがね、馬上の武者というものは、
実に狙いやすい的と思っていました。
高い位置にあって、上半身をまるまる、
さらしているのですから」
「ん? まあ、そうだな」
「しかし、先ほどの体勢なら… あの構えから
弓を射ることができれば…」
良文の発想を聞いて、利仁も思わず感心した。
(こいつはただの、巧いだけの男じゃねえな… 
将来、手強い奴になりそうだ)



そのころ、熊野に詣でた宇治出身の流れ巫女・沙織は、
通りががりに見かけた、真砂集落の庄司(しょうじ
=荘園の管理者)を務める男に、ハートがビビッと来た。
(あの人の奥さんになりたい…)

だが、男には妻がいた。
こうなれば、やるべきことは1つ… 呪い殺すしかない。
宇治に戻ってから、「橋姫神社」にて、必死の願をかける。



7月、宇多法皇が吉野の金峯山寺に御行。
プロレスラーのような強力僧・聖宝が出迎え、接待する。

8月16日、菅原道真は「菅家集(祖父・清公(きよもと)の
詩文集)」、「菅相公集(父・是善(これよし)の詩文集)」、
「菅家文章(道真自身の詩文集)」を帝に献上。

さらに9月10日には、清涼殿での菊見の宴席で、
「秋思(しゅうし)」というタイトルの詩を吟じて、
醍醐帝の心をジーン… とさせる。
(天神記(三)「破滅へのカウントダウン」参照)

思えばこの年、大好きだった「おじいさま(高藤)」と
「おばあさま(班子女王)」を続けて失い、今また道真から
「私はめっきり老い、帝の御恩に
報いるには時間が足りません」
という歌を贈られ、若い帝はすっかり
寂しい気持ちになってしまったのだろう。

この直後、時平は道真の排除を決意。
あれほど忌み嫌っていた根黒衆に対し、仕事を依頼する。
時平に対し、根黒衆を使ってみてはどうか… 
と、そそのかしたのは淑子である。

作者も「破滅へのカウントダウン」を読み直して
「あれ?」と思ったのだが、淑子は道真に対し、
ともに宇多法皇を支える「同士」のような
気持ちでいたのではなかったか。

時平と道真の政治に対する考え方は、ほとんど
一致しており、単に人間的に反りが合わず、
対立関係になっているにすぎない。
「時平がいれば、道真は不要」と、
淑子は見切ったのかもしれない。
むしろ、「道真がいると、時平がダメになる…」

道真の左遷後、醍醐帝と時平がピッタリ
息の合った政治を行っているところを見ると、
「道真はいらない」という淑子の考えは、
正解だったと言えるかも。
だが、時平の弟・忠平(21)は、兄と伯母の怪しい動きを
察知して、文章博士の三善清行を呼びつけた。
ちなみに忠平、この年、長男(後の実頼)が生まれている。

「公は確か、道真の親友であったな?」
「(゚o゚)は? 私が?」
親分肌の忠平は、兄とちがい、道真が嫌いではなかった。
「それとなく、危険が迫ってると警告してやるがいい。
できれば、政治から身を引いた方が」

清行は、ライバルである道真を助けてやるべきかどうか、
数日間、思い悩んだ。
で、結局… 10月11日に道真を訪ね、
引退を勧告するわけですが。
この時の清行の真意はいかなるものであったか、
諸説あります。
それによって清行は「いい奴」か、「摂関家の手先」なのか、
評価が決まるのですが。

作者は「いい奴」説を取って、「破滅への
カウントダウン」を書きました。
だって清行、いい奴に決まってるよ!
しかし、せっかくの警告は、思いっきり無視され…



年が明け、昌泰4年(西暦901年)、
10世紀の始まりである。

1月7日、加茂川の堤の掘っ立て小屋で、
かぼそい産声があがった。
「よしよし… おや、こいつチンチンついてるぞ! 
泣き声が女々しいから、てっきり女の子かと… 
それじゃあ次郎だな!」
外道人の安梅は掟を破り、拾った盲(めしい)の
女との愛を、ここで育んでいた。
2人目の赤ん坊(後の安珍)を抱き上げ、相好を崩す。

「おい、太郎! タライの水を入れ替えてきてくれ」
6才になる長男(後の安仁)が、
タライをかついで川べりへ出ると…
堤の上に、高級な女ものの車が止まっている。
「どこの奥方か知らないが… こんなところに
止めやがって。男と密会か?」

えらくマセた口をきく太郎だが、その読みは鋭かった。
まもなく、さらにりっぱな作りの、皇室専用の車が到着…
中から降りてきた青年は、女ものの車に乗り移り…
これは宇多上皇の第3皇子、今年16才の
斎世(ときよ)親王と、菅原道真の養女・苅屋
(かりや)との、秘められた逢瀬である。

パパラッチが放っておかないような大スキャンダルで
あったが、太郎の目は、斎世親王の車を御す、女の
ような顔立ちの、牛追の若者に釘付けとなった。
菅原家に仕える白太夫の三男、桜丸であるが…
「あの顔は…」

ひと月ほど前だろうか。
太郎は川原の草むらで、真新しい死体を発見した。
女のような、きれいな顔をした若者…
父に報告すると、厳しい顔で一言、「関わるな」と言われた。
あの時の死体が、今まさに眼前で動いている…

「父ちゃん! 死んだ人間が生きてる!」
話を聞いた安梅の顔は、安仁がゾッとするほど険しかった。
「根黒衆(ネグロス)だ… 太郎、このことは忘れろ! 
2度と思い出すな!!」
何だろう、根黒衆って… 恐ろしい響き… 
太郎の魂を戦慄させる響きだった。
その直後、赤子を産み落としたばかりの太郎の母は、
危篤状態に陥る。


太郎が目撃したのは、桜丸に変身した
根黒衆の「無顔」であった。
時平の依頼を受け、菅原道真を破滅させる
工作に従事していたのだ。
苅屋の密会が発火点となり、破局の幕は上がった。


1月25日、道真に大宰府へ左遷の通達。
翌日26日には、平安京周辺の主要な関所が封鎖。
27日から、菅原一門の粛清が始まる。
道真の長男・高視も土佐に流されることになった。
(他3人の息子も流刑)
28日、吉田神社の前で、「車引(くるまびき)の段」の
題材となった乱闘事件。
29日、桜丸が自害(偽装)。
30日、松王丸は自分の息子(小太郎)を犠牲にして、
道真の孫・雅視を助ける。


その夜… 産褥熱で亡くなった妻に代わり、
安梅が赤子をあやしていると。
「こんなことではないかと思ったが…」
上司の骨阿闍梨(ほねあじゃり)が、小屋に現れた。
「頼む… 見逃してくれ! 俺が死んだら、子供たちは…」
「その子らは、根黒衆が育てる」

骨の手下たちが、赤子を奪い取り、
暴れて抵抗する太郎をも拉致。
リンチを受け、ボロボロになりながらも、
安梅は手下たちを追跡。
だが、ついに八篠ヶ池のあたりで見失ってしまう。
「太郎ォーッ 次郎やーい…」


2月1日、菅原道真が大宰府に発つ。
東風(こち)吹かば 匂いおこせよ 梅の花
主(あるじ)なしとて 春な忘れそ
一行が、八篠ヶ池まで来ると… 
池のほとりで、わが子を失くしたらしい男が、
声を枯らして泣き叫んでいる。

「事情はわからぬが、気の毒に… 
これ、役人。ちょうど昼時だし、ここで休憩にしよう」
一行は停止、道真は落ちていた木切れを拾い、
手早く2つの像を彫った。
「これを子供と思い… 子供の無事と健康を祈るがいい」
長岡天満宮の創始である。


2月2日、道明寺に立ち寄り、国宝の「菅公遺品」を託す。
翌朝、道真の命を狙う無顔を、太岐口獣心が仕留める。
孫の雅視が、太岐口家の養子になる話がまとまった。
道真は難波津から瀬戸内海へ船出し、
獣心は雅視を連れ、都へと戻る。

その途上の山中で…
「む…?」
獣心は、馬を止めた。
「どうしたの、おじさん?」

「殺気だ… 山賊どもがいるな」
「えええーっ」
雅視は、獣心のたくましい背中にすがりつく。
「ハハッ。山賊といっても、ガキどもだ。
それと、これからは父と呼んでくれ」

雅視にはまったく見えなかったが、獣心の目は、森に潜む
悪党どもの存在を的確に見抜いているようだった。
「お前らに告ぐ! 俺は今、大事な跡取り息子を
連れ帰るところだッ! この子に傷ひとつつける
ことは許さん! ガキといえども、たたっ斬るぞ!」

この脅しが効いたのか、山賊どもは姿を
見せないまま、2人は無事に森を抜けた。
「ち… あの野郎、本気だったぜ…」
森に潜む、山賊のリーダーらしき少年は、鼻の頭をかく。
生まれて初めて、心底恐ろしいと思う相手に出会った… 
まだ体が震えている。
「まあいいや。次の獲物を狙おう」

1時間ほど待つと、またしても旅人が通りかかった。
馬に乗った武士のようだが、
身なりがえらく派手でゴージャス。
「お、いいぞ。金持ちそうだ… 
ひとつ、痛い目に合わせてやるか」
仲間を率いて、不敵な目の少年が、
武士の前に立ちふさがった。

赤いスカーフを首に巻いたド派手な武士は、
櫛で丹念に髪をなでつけ…
「男なら、カツアゲなんてケチなマネするんじゃねェぜ… 
もっとデカいことやりな、少年」
これが、藤原利仁(としひと)と俵藤太の出会いである。