将門記(一)





14、 人食ひ文(ひとくいぶみ)




「元慶の乱」終結から17年が過ぎた、
寛平8年(西暦896年)。

2月。
かつて「陸奥の虎」と恐れられた藤原梶長は、
鎮守府のある胆沢(いさわ)城の近く、現在の
岩手県水沢あたりの邸で、死の時を待っている。
「元慶の乱」では、2度も無様な敗北を喫し、
すべての名誉を失った。
恥をしのんで余生を過ごし、ようやく慈悲深い
お迎えが来ようという、その時。

阿弥陀如来ではなく、「座敷わらし」が、
枕元に座っていた。
「このまま死んでもいいの? 
それじゃ、あんまりに惨めじゃない?」
病床で、動かないはずの梶長の体が、起き上がった。
「久遠の民」の、新メンバーの誕生である。


3月、比叡山。
「相応さま! 大変です! あの男が… 
尊意が帰ってきました!!」
ラグビー選手のような体躯の、「叡山のゴリさん」こと
相応法師が、大急ぎで食堂(じきどう)に駆けつけて
みると… 髭ぼうぼうの青年が、飯をかっこんでいる。
「おぬし… 生きておったのか」

17年前、天狗と化した真済に拉致された少年僧。
それが今、こんなにたくましくワイルドな男となって、
相応を見返している。
「相応さま、ご心配をおかけしました… 
尊意、この通り生きております。
愛宕山の天狗のもとで修行を積み、
2代目を襲名しました(笑)」

「バカものッ! 老師さま(円珍)が遷化(せんげ)なさった
というのに、どこをほっつきあるいていたのだ!! 
飯を食ったら出ていけ!!」
かつて、真済の怨霊を調伏した相応… 
その報復に、天から逆落としを食らった相応…
あの魔物の弟子とは、なんとも不愉快な奴だ…

だが相応の意に反して、座主(ざす)は
尊意の受け入れを認めた。
「法性坊(ほうしょうぼう)」という僧坊が、
新たな修行の場となる。
菅原道真との宿命の対決まで、あと23年。


6月27日、帝の最愛の妃である胤子(たねこ)の御殿にて。
御簾(みす)の中で座っていた胤子は、折りたたんだ
文(ふみ)が、足元に落ちているのを見つけた。
何かしら… 一体誰が、こんなところに?
広げてみると…

白い紙の中央に、「藤原胤子」と大きく書かれていた。
その周りを、小さな「鬼」という文字が、無数に取り囲んでいる。
「何… これ!?」
しかも… その「鬼」という文字たちは、
小刻みに動いている!!
「ヒイイイイィィィッ」

「鬼」たちが「藤原胤子」の文字に群がって… 
食っている!!
胤子は、気を失った。
そのまま正気に戻らず、3日後の6月30日、没する。
胤子は山科の小野陵に葬られ、母を亡くした
12才の敦仁親王は、温子の養子となる。


「本院」の邸に、時平は、伯母の尚侍
(しょうじ)・淑子(よしこ)を呼び出した。
「尚侍どの、単刀直入に尋ねる。敦仁親王の母君…」
「東宮(とうぐう=皇太子)の母は、温子です」
それ以上は聞けなかった。
だが、時平は確信した。

胤子殺害を仕組んだのは、この伯母だ… 
どんな手を使ったのかは、わからないが…
これ以上、この御所に暗殺者が跋扈(ばっこ)する
のを捨ててはおけぬ。
何か対策を講じなければ…

自室に戻り、念持仏に手を合わせる淑子は、
「人食い文」のことを思い出していた。
根黒衆大僧正が自ら筆を取り、念をこめた、
恐るべき呪殺の文。
あの文を、御簾の内に仕込んだのも、
回収して焼却処分したのも、淑子だった。
恐ろしい… いつかきっと、私も報いを受けるにちがいない…
鉄の意志を持つ氷の女・淑子が、ブルブルと震えていた。


8月25日は、かつての左大臣・源融(みなもと
の とおる)の一周忌である。
嵯峨野に彼が所有していた「栖霞観(せいかかん)」という別荘
があり、この年、そこを寺に改め、棲霞寺(せいかじ)と号す。
後の「清涼寺(せいりょうじ)」である。
(おや、公式サイトがありませんね…)

融は生前から、自身をモデルにした阿弥陀三尊像の
造立を進めており、未完のまま没したのだが、
息子たちが引き継いで完成させ、本尊として安置した。
この阿弥陀三尊も国宝なんですが、清涼寺といえば、
なんといっても現在の本尊、木目の肌がすがすがしい、
釈迦如来立像(国宝)が名高いですよね。

ですが、この釈迦如来のお顔… 
どうしても小泉首相に見えてしまう…
見たことない人は、画像を探してみてね!
清涼寺といえば、森嘉(もりか)という行列のできる
豆腐屋さんが、近くにありますな。
川端康成の「古都」や、「美味しんぼ」にも
登場しますが、食べたことないですな。


皇太后・藤原高子は、夫である清和上皇の崩御の後、
自らの別荘を改築した東光寺の座主(ざす)・善祐と、
遅咲きの恋にのめりこんでいた。
世間で噂になっても、開き直ったかのように、
不倫の関係を続けた。
そしてついに、この9月22日、善祐は伊豆に配流、高子は
皇太后を廃され、スキャンダラスな恋は破局を迎える。


実りの秋の収穫が、ぎっしり詰まった山崎長者の
倉の上空に、今年もUFOが…
都の片すみでは、外道人 安梅と旅芸人の
女との間に、長男が誕生。(後の安仁)
家族をもつことは掟破りであり、バレたらタダではすまない。
下野(しもつけ)の国では、磐次(ばんじ)と
磐三郎(ばんさぶろう)の兄弟が誕生。



年が明け、寛平9年(西暦897年)。

かつて父である清和帝から、「子供なんて、どうでもいいよ」
と言われながら誕生した貞純(さだずみ)親王も25才となり、
一子をもうけた。
父親の愛情を知らずに育ったので、
自身も子に対する情は薄い。
「子供のことは任せたぞ。私は仕事があるのでな」

父に見捨てられたこの子は、母の愛情に浸り、
臆病な器量の小さい男に育ってしまう。
元服後、経基(つねもと)と名乗り、さらに後、
「源(みなもと)」姓を賜って臣籍に下る。
有名な清和源氏の初代、「ルーツ・オブ・サムライ」
源経基の誕生であった。


6月、時平は大納言に、道真は権大納言に叙任。
7月3日、敦仁親王が元服すると同時に、
父の宇多天皇が譲位。
自分は隠居して、影から敦仁を傀儡として操る… 
かねてよりの、宇多帝の計画であった。
7月13日、敦仁親王が即位、
第60代・醍醐(だいご)天皇となる。
7月26日、若い新天皇の養母
である温子が、皇太夫人に。

山崎長者の倉の上空に、今年もUFOが…
時平は、根黒衆が御所内で活動しにくくなるように、
新たに「滝口武者(たきぐち の むしゃ)」という
宮廷警備隊を設置。
譲位した宇多上皇は、現在の日本写真印刷鰍フ敷地、
朱雀院(すざくいん)に移る。
温子と伊勢は、その斜め向かいの東五条院へ。

廃位され、「民間人」に戻った藤原高子は、
すでに父も兄もなく、家もない。
仕方がないので、親戚の家をタライ回しにされていたが、
とうとう姪にあたる温子が、東五条院に引き取ることに。
「温子、世話になりますよ」
「(-_-#)お願いですから、この家では
大人しくしてくださいね…」

温子の側に控える、ただ者でなさそうな美女が目に止まる。
「お前が… 噂の伊勢ですか。
後で、歌の添削でもしておくれ。
恋人と無理やり引き裂かれて、恨みたっぷりの
歌でも詠もうと思うので…」
伊勢は目をワクワク輝かせるが、
温子が断固として、割って入る。
「だから! これ以上世間を騒がせるのは、
おやめくださいまし><」


10月27日、陸奥守(むつ の かみ)を務めた
藤原佐世(すけよ)が、都へ帰還する途上で病死… 
さて、何をした人でしょうか?
天神記(二)「阿衡(あこう)事件」に登場しました。

「阿衡(あこう)という役職は、位は高いけど
実権のない、名誉職みたいなもんですよ。
つまりこの文書は、関白さまにもう隠居
しろってことだと思いますよ」
こういう告げ口を基経にして、阿衡事件を
引き起こした張本人だ。

佐世は死の間際、最後まで恨みをこぼしていたという。
「俺は関白の依頼通りに、阿衡の紛を引き起こした
というのに… 関白が亡くなられたら、とたんに俺を
邪魔者扱いして、陸奥なんかに飛ばしやがって…」

その枕元に、不思議な幼女が立っていた。
「このまま死んでもいいの?」
ニッコリと微笑む。



寛平10年(西暦898年)、
第60代・醍醐(だいご)天皇の御世。

4月26日、「昌泰(しょうたい)」に改元。
比叡山の相応、「千日回峰行(せんにち
かいほうぎょう)」を始める。



(´-ω-`)平高望、上総介(かずさ の すけ)に任命され、
「フロンティア」ともいうべき広大な関東平野へ、
一家を引きつれ移住。
今年26才になる三男の良将(よしまさ)が、
いちばん興奮していた。
「この広い大地を… 我らで取り放題というわけですか?」

10才年上の長男・国香(くにか)は、
でっぷり太った和やかな男。
冗談好きで、いつも周囲を笑わせるが、
何を考えているのかわからない一面も。
「それはどうやろなー。わしらの先輩の「平(たいら)さん」
とか、「源(みなもと)さん」とか、もうだいぶ前から
住まわってらっしゃるゆう話やで」

31才の次男・良兼(よしかね)は、この歳にして
額のハゲ上がった、眉の太い小男。
見かけは冴えないが、兄弟で一番の切れ者だ。
「良将、お前は軽率だからな。先に住んでる
一族と、もめごとを起こさぬようにしろよ」
坂東行きに最後まで反対し、今もこの土地を
好ましく思っていない良兼であった。

「あいあい。もう都じゃないんだしさ、
堅苦しいこと言わないでくれよ、兄さん」
タレ目の、ちょっと頼りない感じの良将は、もっとも
坂東の地になじんで、最終的には兄弟の中で、
領土経営にもっとも成功する。
彼が生母の実家で誕生した時、邸の前に
「狂女おしら」が立って、念を送っていた。
そのため、彼の子となる将門と、おしらの
産んだ天国が、運命の糸で結ばれてしまう…


上総国府は、現在の千葉県市原市の海岸近くらしい。
平高望の邸を、さっそく表敬に訪れた来客があった… 
が、実にものものしい雰囲気。
10人ほどの武者を護衛に引き連れ現れたのは、
常陸(ひたち=茨城県)筑波山麓に広大な領地を
有する、源護(みなもと の まもる)という男。

まだ40にも届かぬ歳だが、顔には深く皺が刻まれ、
髭は濃く、肌は褐色に焼けている。
実は、かつての左大臣・源融(みなもと の とおる)の
孫(もしくは親族)だそうで、20代までは都で、
貴族の暮らしをしていたという。
だが今や往時の面影はなく、坂東の大地が
刻んだ年輪が、その顔を形造っていた。
日本人というより、メキシコ人牧場主のような風格だ。

供をする武者も皆いちように精悍で、土の匂いがする男たち。
その中で最年少のハイティーンの若者は、
護の長男・扶(たすく)である。
都を知らぬ、坂東生まれの浅黒い肌の野生児で、
長い髪を後ろに束ねていた。
父親に逆らう者は1秒以内に斬り殺す、
と言わんばかりの殺気を放っている。

「ヘイ兄弟! まずは坂東へようこそ。俺たち、都に
居場所のない者たちには、希望の大地さ… 
酒をもってきた。まずは飲んでくれ… ところで、な」
朝廷から派遣された国司に対し、
えらくフランクな態度の護である。
「俺たちは今、隣人と土地のことで、ちっとばかり揉めて
るんだ…あいつらも平(たいら)っていう一族でな。
あんたらとは親類なのかもしれんが、まあとにかく、口を挟ま
ないでほしい。余計なことに、首をつっこまない方がいい」

長男・扶から弓を受け取ると、その弦を
ビヨオオオォォンと鳴らし、
「聞いたかい? 坂東では、これが「言葉」なんだ… 
弓は議論しない、ただ射るのみ。
長生きしたかったら、覚えておくことだ… 
なーに、そんなにビビることはない。
俺たちはもう友達さ… そうだ扶(たすく)、
お前の腕前を見せてやれ」

一同は、庭に出た。
護は、寛平大宝(かんぴょうたいほう)という直径19mm
ほどのコインを取り出し、宙に高く投げた。
それを扶(たすく)の放った矢が見事に射抜くのだが、
こんな曲芸を見せなくとも、平高望一家はじゅうぶんに
怯えていたし、源護に逆らうつもりもなかった。



都では、夏の終わり頃、温子が朱雀院に引っ越し、
「女郎花合(おみなえしあわせ)」を主催。
平仮名はこのころ、貴族の女性の間に
爆発的に広まりつつあった。
山崎長者の倉には、今年も米をもらいにUFOが現れる。



また年が明け、昌泰2年(西暦899年)となった。

正月、宇多上皇がわざわざ、菅原道真の邸まで御幸。
50才を迎えた道真の正室・宣来子(のぶきこ)を、
従五位下に叙す。
まったくもって異例のことで、宣来子は
涙を流し、ひれ伏した。

この話を聞いた時平は、内心穏やかではない。
「上皇は、そこまで道真のことを…」
2月14日、藤原時平(29才)は左大臣に、
菅原道真(55才)は右大臣に就任。


5月、伊勢の生んだ行明親王が早世。
7月、現在の京都府、丹後由良の長者の家に、
跡取り息子が生まれた。
その邪気のない笑顔からは将来、「山椒大夫
(さんしょうだゆう)」と呼ばれる大悪人に
なろうとは、想像すらできない。

実りの秋、山崎長者の倉の上空に、今年もUFOが現れ、
10月24日、宇多上皇は仁和寺で出家、「法皇」を称す。