将門記(一)
13、 元慶(がんぎょう)の乱
それは元慶(がんぎょう)2年(西暦878年)のこと。
秋田県と山形県の境を成す鳥海山山頂では、
国府から派遣された神官により、ただならぬ
雰囲気の祈祷が捧げられていた。
7年前の4月に大噴火、多数の死者を出した山である。
噴火は「穢れ(けがれ)」を嫌う山の神からの警告、
不吉な前兆と考えられた。
この地方で死の穢れを撒き散らす最大の要因といえば、
先住民による蜂起、それがもたらす戦乱である。
朝廷は、山頂に「大物忌神(おおものいみ の かみ)」
を祀り、厚く敬うことによって、鳥海山の怒りを鎮め、
叛乱の起きないことを祈った。
「だが、それは無理なこと…」
叛乱を、裏で組織している者がいるのだから。
五黄土星・弓削部虎麻呂は、集まった5人の
部族長たちを前に、ニヤリとした。
何人かは、色白で鼻が高く、西洋人のような風貌をしている。
東北地方では時おり、こういう人が生まれてくるそうだ。
「さてと… この度の戦、必ずや我らの勝ち戦となろう。
各人、私の指揮に従ってほしい」
3年前の下総の叛乱は、今回のための予行演習だった。
あの時のデータをもとに、朝廷軍について
徹底的に研究してある。
「朝廷の犬ども… 叩き潰してやるぞ」
もともとは、不当な収奪を受ける先住民たちに
同情し、義憤から叛乱を扇動する「アジテーター」
となった虎麻呂である。
だが、戦い続けるために「久遠の民」となり、いつしか
将棋でも打つ感覚で、叛乱ゲームを楽しむようになっていた。
先住民の命を、単なるゲームの駒としか見ていない…
そのことに気づいた、妻であり同士でもあった
小広(こひろ)は、灰となって散った。
(俺は決して、人間に情を移したりしない…
灰になんか、なってたまるか…
俺は「久遠の民」、俺は神なのだ…
「神遊び」を楽しむだけよ)
作戦開始の時は来た。
3月、現在の秋田市、秋田城。
出羽の国の最前線で、先住民のテリトリーと
対峙する軍事拠点だ。
なんと、水洗トイレの設備があったそうな。
もちろん人力で水を流すのだが、今そのトイレから
出てきたのは、城の責任者である「秋田城介
(あきたじょう の すけ)」の職を務める、
良岑近(よしみね の ちかし)。
「近(ちかし)」というだけあって、トイレが近い。
飢饉で苦しんでいる先住民たちに、過酷な税を課す、
絵に描いたような「悪代官」。
「お? なんか煙いな…」
放火された城は、またたく間に炎に包まれた。
警備の兵たちは混乱、先住民の精鋭部隊の急襲に、
なすすべもない。
城内にある国府も炎上、国司の藤原興世(おきよ)は、
良岑近とともに脱出した。
「全ては、城介の長年の苛政に対する、蝦夷(えみし
=先住民)どもの積年の怨恨が招いたもの。
城介の良岑近には、何とぞ厳しい処分を」
命からがら都へ逃げ戻った興世は、
すべての責任を近になすりつけた。
摂政の藤原基経は側近たちを集め、蝦夷を
制圧できる武人はおらぬか、と問うた。
「陸奥国で大掾(だいじょう)を務めます藤原梶長(かじなが)
という者、「陸奥の虎」と呼ばれる剛の者であります。
これに出羽の武闘派3人衆をつければ…」
らんらんたる眼光、豪快な髭、「陸奥の虎」こと
藤原梶長は、まさに豪傑であった。
急きょ、「押領使(おうりょうし=地域密着の武装警察
指揮官)」に任命された彼のもと、陸奥出身の精強な
騎兵が1000騎、歩兵が2000人集結。
さらに、「出羽の三軍神」と呼ばれる3人の武将が、
出羽兵2000を率いて合流。
出羽権介(でわごんのすけ)・藤原宗行(むねゆき)、
恐るべき智謀の男。
出羽権掾(でわごんのじょう)・文室有房(ふんや の ありふさ)、
残忍無比、冷徹な戦闘のプロ、「死神」と呼ばれる。
同じく権掾・小野春泉(はるみづ)、童顔で笑顔も
さわやかだが、怒ると鬼と化す危険な男。
「これだけの軍団を前に、蝦夷どもに何ができようか…
よし、出陣!!」
だが… 虎麻呂の組織した叛乱軍は、恐ろしく手強かった。
5月に入り、雄物川付近を進軍する部隊に、先住民が奇襲。
たちまち、地獄と化した。
「死神」こと文室有房は、胸に矢を受け、瀕死の重傷。
危険な男・小野春泉は、死体の山に紛れて、
死んだフリをするのが精一杯。
智謀の男・藤原宗行は、なんの活躍もないまま、
首を取られた。
行方不明となった指揮官の梶長は…
5日間、飲まず食わずで原野をさまよい、
敵がすっかり引き上げた後、コソコソと
山道を歩いて、陸奥へと逃げ戻った。
もう誰も、この男を「陸奥の虎」とは呼ばなくなった。
そのころ都では、左中弁・藤原保則(やすのり、54才)が
出羽権守(でわごんのかみ)に任じられ、東北へと旅立つ。
彼は軍人ではなく、備中・備前の国司として、
善政を敷いた実績を買われての登用。
だが6月、保則が出羽の国府に到着する前に、
またしても秋田城が襲撃される。
名誉挽回を期して、城の守備にあたっていた梶長だが…
「久遠の時」を生きる虎麻呂の知略は、人間を超えていた。
またしても惨敗を喫し、陸奥へと逃げ帰る梶長、
これ以後、歴史からも姿を消す。
城は叛乱軍に占拠され、貯えておいた甲冑や馬、
米など全て、先住民の手に渡った。
7月、ようやく藤原保則が陸奥国府のある
多賀城(宮城県)に入った。
出羽国府が乗っ取られたので、とりあえず
ここが朝廷軍の集結地点となっている。
その後を追って、保則が推挙して「鎮守府将軍」の任についた、
親友の小野春風(はるかぜ)が到着。
「この年になって、長旅はきついな、保則」
その名の通り、春の風のようにさわやかな、初老の紳士。
「久遠の民」のメンバーだった小野篁とは、従兄の関係だ。
他にも、最初の秋田城襲撃から脱出した出羽守・藤原興世の
息子で武人の滋実(しげざね)、どうにか命を拾った「死神」こと
文室有房… といったメンバーが、保則を囲んだ。
戦火はますます拡大しており、秋田城周辺は
ほとんど、叛乱軍に奪われてしまった。
「たのむ、残った軍勢を私に任せてほしい…
このままでは、死にきれぬ」
盟友であった藤原宗行は戦死、小野春泉は
戦意喪失の廃人と化し…
それでもなお、戦いを挑もうとする有房の意志は
立派だが、保則は却下。
「あなた方ほどの武人でも歯が立たぬ相手、
力押しでは無理だな」
「では、奴らの要求を飲むと申されるか?」
それは、秋田城が陥落する少し前のこと。
先住民の部族長3名が交渉のため、やって来た。
「雄物川より北の地域を、我らの領土として、
朝廷より独立させてほしい」
もちろん、交渉は決裂…
その結果、力ずくで秋田の地を奪われることになった。
春風は会議の前に、ここ多賀城で
休養している、弟の春泉に会った。
あの凶暴な弟が、まるで子猫のように
ブルブル震えている…
蝦夷というのは敵に回すと恐ろしい相手だぞ、
と何度も忠告したのだが…
藤原保則の立案した、ソフト作戦が開始された。
まず、陸奥の国府から備蓄米を借り受け、
秋田周辺の先住民にバラまく。
「お米をあげるよー 好きなだけあげるよー
はいはい並んで並んで」
「叛乱の罪は一切問わないよ(^o^)ノ
だから、お城を返してね」
小野春風は若い頃、先住民のテリトリーで暮らした
ことがあり、彼らの言葉に通じていた。
(日本語とはちがう言語らしい)
そのコミュニケーション能力を生かして、
先住民たちに柔らかく優しく、呼びかけて回る。
まだ傷の癒えない文室有房は、藤原滋実とたった2騎で
先住民の本陣に乗りこみ、和平交渉に当たった。
「ある程度の土地を蝦夷に与えるのは、
やむをえないだろう」
と保則は見ていたが、どこまで相手の譲歩を
引き出せるか、ギリギリの交渉だ。
保則の和平キャンペーン作戦が功を奏し、
8月に入ると、先住民の投降が相次いだ。
秋田の城も返還され、出羽の国に平和が戻ってきた。
だが、叛乱の影の指導者・虎麻呂はおもしろくない。
「このままでは、絶対に済まぬぞ。油断したところを、
寝首をかかれる。それが奴らの… 朝廷のやり方だ」
しかし民衆の間には、これ以上の戦乱を
望まぬ空気が広がっている。
それに交渉によって、ある程度の
土地を「独立」させることができた。
「虎麻呂さま… 申し訳ないが、そろそろ退き時だ」
リーダー格のワシネゴの言葉に、
他の4人の部族長もうなずく。
「そうか、なら好きにしろ。達者でな」
虎麻呂には、1つの確信があった。
朝廷は必ずや、奪われた土地を取り返し、叛乱の首謀者を
捕らえようと、新たな戦を起こすにちがいない。
その時、裏切られたと知った先住民たちの怒りは、
激しく燃え上がるだろう…
その時はもう1度、叛乱ゲームを楽しむ時だ…
翌、元慶3年(西暦879年)、1月。
虎麻呂のにらんだ通り、朝廷は保則に対し、討伐軍を起こし、
領地の奪還を図るよう通達してきた。
「絶対にいけません! 今のような寛大な統治を
続けることが大事です。わずかな領地にこだわって
戦を選べば、泥沼にはまりますぞ」
保則の必死の説得に、朝廷も動かされ、今回の乱のために
動員された軍隊も、引き上げることとなった。
「ただ、首謀者だけはこのままにしておけぬ。
必ず捕らえよ。いいな、保則」
保則は、5人の部族長を呼び出し、相談した。
「困った… 私は、お前たちを罪人として捕らえ
たくはない… そこで提案だが、お前たち
隠居して、山奥に隠れてはくれまいか?」
この心使いに、部族長たちは涙を流した。
「わかりました。ですが、それではあなたの顔が
立ちますまい… どうでしょう?
若いこの3人(秋田城に交渉に行った3人)は山に隠れさせ、
年寄りの私たち2人の首を、首謀者として都に送っては?」
最長老のノワーグの言葉に、保則も
流れる涙を抑えられなかった。
こうして記録にもある通り2名の蝦夷、ノワーグとワシネゴの
首が、叛乱首謀者の首として差し出された。
3人の若い部族長、ゴワー、イネガー、ナーグは
男鹿(おが)半島に身を隠す。
その知らせを聞いた虎麻呂は、舌打ちをして、
「藤原保則… してやられたわい…」
後に三善清行は、この功績を称え、「藤原保則伝」を執筆。
ちなみに怨霊と化した菅原道真が、清涼殿に雷を落とした時、
犠牲となった藤原清貫は、保則の長男である。
男鹿半島の山中に身を隠した、鼻が高く西洋人
のような風貌の3人の部族長は、時々里に下りて、
食料や酒を補給した。
その際、里人から怪しまれないよう、
大声で名を名乗ったという。
「ナーグ!」「ゴワー!」「イネガー!」
(・_・)このオチ、ダメかな? ヽ(^o^)ダメダヨ!!