将門記(一)
12、 風花(かざはな)
対馬沖に待機する、海賊船団の旗艦からは、
異様な匂いが漂っていた。
新羅の兵士たちが愛飲するトンスルという酒が
その匂いの元である。
これは「ウンコ酒」とも呼ばれ、焼酎を竹筒に入れ、
汲み取り便所の大便の中につけておいて、
ウンコ成分を十分に染みこませたもの。
大便を肥料や飼料ではなく、直接人間の口に
入れる食品として利用する文化は、非常に
ユニークで、韓国独自のものだ。
他にもホンオフェという、エイを大便につけこんで
発酵させた食品や、乾燥させた便を解熱剤として
使う「野人乾」などがある。
ウンコの力は、ウコンの力よりすごいかもしれない。
船上では、連日のように宴が開かれていた。
ウンコ酒をくみかわし、病身舞(ピョンシンチュム)という
身体障害者の物真似踊りをして浮かれ騒ぐ兵士たち、
その中心にいる人物は、船団の指揮官・ニダー将軍。
24年前の海賊の指揮官、ホンタク将軍の息子である。
「<丶`∀´>ウェーハッハッハッハ、今ごろチョッパリども、
泣き叫んで我が軍に許しを乞うているにちがいないニダ!
対馬はウリナラの領土ニダ! ホルホルホルホル」
だが暗号が漏れているとは知らず、偽の通信に
釣られて襲撃を仕掛けたため、17日、佐須浦に
上陸を試みた部隊は、猛烈な抵抗と落し穴トラップ
のため、302名の死者を出し、撤退。
さらに19日には200人、30日には
20人が討ち取られ、敗走。
「<丶TAT>アイゴー! 我が軍は大打撃を受けたニダ!
謝罪と賠償を(以下略」
その時… 島の方から吹いてくる風に乗って、
巨大な凧が、こちらへ流れてくる…
凧には、馬と人間がぶら下がっているではないか!
「なんだ、あれはーッ」
凧を切り離し、甲板に着地した獣心&雷玉弐号は、
縦横無尽に駆け回り、新羅兵を切り捨て、蹴り上げ、
油をまき、火を放ち、大暴れ。
「<丶`∀´>たった1人で乗りこんでくるとは、
おこがましいですねサササササササ」
などと、あざけり笑っていたニダー将軍も、たちまち涙目に。
「坊や… たくましくなったね」
獣心の動きが止まった…
かつて右目を奪った、あの女が。
まったく年を取らず、まったく同じ美しさで、
船室から姿を現した。
「あの時以来、老いてはおらぬとは…
妖怪の類であったか!」
「<;`A´>アイゴー! ウリの愛人、
今出てきたら危ないニダ!」
「うるさいよ」
駆けよる将軍を、軽く蹴り飛ばして転がすと、
女はニッと微笑んだ。
「私の計画を、2度も潰してくれるとは…
よくもやってくれたな、こいつ」
「今度こそ、俺といっしょに大宰府に来てもらうぞ。
お前と組織の正体、洗いざらい話してもらおう」
「そうだね… 坊やといっしょに行けたら
どんなにいいだろう… でもね、無理」
「無理でも連れてゆく」
女の笑みが、寂しげな、哀しげなものに変わった。
「私の時の砂は、ここまでだから…」
「どういうことだ」
「坊やに本気で惚れてしまったから…
人間らしい感情をもってしまったら…」
少しずつ、女の体は灰になっていく。
獣心の顔に、狼狽が浮かんだ。
「おい…」
「消えるしかない…」
風に舞う雪のように、女は消えた。
「全ての謎を、もっていっちまった… 名前も… 素性も…」
憎き敵でもあり、初めての女でもあった…
だが、船は炎に包まれており、感傷に浸っている暇はない。
将軍を捕虜にして、獣心は脱出した。
対馬に連行されたニダー将軍の供述によると、
「<丶TAT>ウリナラ(我が国)は今、政情が不安で
人民が辛苦をなめ、倉も空っぽで財政は逼迫、
やむをえず王の命令によって、海賊をしたニダ…
許してチョッパリ」
とのことであった。
10月6日、大宰府は新羅の海賊船団の撤退を報告。
獣心と好古は、都に帰還。
少し戻って、獣心が海賊と戦ってる9月30日には、
菅原道真が、遣唐使の廃止を進言。
これが承認される。(海賊が横行しているのも、
廃止の理由の1つかもしれない)
実りの秋の収穫が、ぎっしり詰まった山崎長者の
倉の上空に、今年もUFOが現れた。
「今年もよろ」
「ほーい」
10月下旬、伊勢は帝から、初めてのお召しを受ける。
伊勢の仕える主人・温子は、帝の「妻」であるから、
とうぜん気まずいことになる。
さらに年末には、伊勢の妊娠が発覚。
年が明け、寛平7年(西暦895年)。
御所で出産することは許されないので、奈良の
実家に宿下がりした伊勢は、温子に対して、
申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
それでも、しだいに大きくなる下腹部に、
母となる喜びは隠せない。
3月、賀茂川の川原を、鋭い眼光の男が歩いていた。
坊主頭だが、坊主ではない… 安梅(あんばい)、48才。
外道人(げどうにん)という、金で殺しを請け負う稼業の男。
「ん? なんだい、ありゃあ…」
堤の上を、顔立ちも装束も異国的な、見慣れぬ男たちが
50人ほど、役人に率いられ、行進している。
「ああ、そうか… あれが俘囚(ふしゅう=朝廷に従う
先住民)ってやつかい… 新羅の侵攻に備えて、
博多津の警護につくんだろうな」
1人の女が、俘囚の群れに向かって手を合わせ、
祈りを捧げている。
「あんた、何してるんだい? あの毛ムクジャラたちを
拝むと、何かご利益があるの?」
興味をもった安梅は、声をかけてみた。
顔を上げる女は、目を閉じたまま… 盲目らしかった。
が、うりざね顔のハッとするほど美しい女だ。
「あの方たちの無事を、お祈りしておりました…
遠く北の陸奥(むつ)から、はるか南の筑紫まで、
ご苦労なことですよ… 家族も仕事も放り出して、
危険な役目につかなければならないのですから…
どんな思いでおられるのか、考えると胸が張り裂けそうです」
女は盲目の旅芸人らしかったが、これほど心の
優しい女を、安梅は見たことがなかった。
愛しい気持ちを押さえることができず、
やがて2人は夫婦の契りをかわす。
だがそれは、外道人の掟に反する行いだった。
仲間に知られれば、どんな制裁が待っているか…
山崎上空にUFOが現れる実りの9月、
伊勢は男の子を出産。
「死ぬかと思った… でも、かわいい…」
後に、行明(ゆきあきら)と名づけられる皇子である。
9月27日、懲りない新羅の海賊は、
今度は壱岐(いき)を襲撃。
対馬と長崎県の間に浮かぶ島だ。
10月、伊勢母子は御所に戻るが、赤ちゃんは
取り上げられ、養育係のもとへ。
いっしょにいられたのは、ほんのわずかの間だけ…
しかし、温子との絆は復活した。
(天神記(二)「空蝉の
」参照)
「許しておくれ、伊勢。なにかと妬んだりして…
考えてみると、男子を産んだといっても、自分の手で
育てることはおろか、会うことすらままならず…
かわいそうなこと…」
しかも身分の低い伊勢が母親では、この皇子の
将来も、あまり期待できない。
「まあ、伊勢の面倒は、一生私が見てあげるから。
気を落とさぬことです」
「いいんですよ… 家にこもって、子育てするなんて、
私の性分には合わない。やっぱり、私にはお勤めが1番…
宮さまの面倒は、一生私が見てあげますよ」
「(>_<;)この態度のデカさは相変わらずですね… ったく」
もう7年のつき合いになる、親友同士の2人であった。
10月26日、菅原道真は権中納言に昇進。
さらに長女が宇多帝の女御として入内、
めでたいことが続く。
「まったくもって順風満帆の人生ですな、菅大臣」
話しかけてきたのは、若い頃いっしょに遊んだ
紀長谷雄(き の はせお)。
この年51才、大学頭その他の職を兼任している。
「昔のように遊ぶ時間がなくて寂しいことだな、大学頭どの」
長谷雄は、2人の息子を連れていた。
兄の淑望(よしもち)は優秀な好青年で、後に「古今和歌集」の
真名序(漢文の序文)を執筆。(天神記(三)「古今集」参照)
弟の淑人(よしと)は、まだローティーンのトローッとした少年だ。
「あのー、菅大臣。質問があるんですけどー」
「なんだね?」
「お友だちの好古(よしふる)君がね、1人で
大宰府に行ってきたんですけどー」
「おー。そういえば、そんな事件あったね」
「伊予の国でね、背中に馬みたいなタテガミの生えた
赤ちゃんを見たっていうの。そんな人間、この世に
いるのかな? 信じられないや」
道真の目が、強い興味に輝いた。
「ほおー、背中にタテガミ! それはきっと、
「龍の相」だな。将来きっと、大物になる」
淑人少年は、空想してみる…
龍の如き運命をもった子供…
いつか、僕も会ってみたい。
その夢は将来、実現するのだが…
「そういえば菅大臣、金岡卿が和泉(いずみ)で
亡くなったそうで…」
「ああ、聞いたよ…」
日本画の太祖・巨勢金岡(こせ の かなおか)は、
道真・長谷雄と親交があった。
(天神記(一)「金岡」参照)
この年に没した有名人は、金岡だけではない。
「8月25日には、左大臣が… 最後まで、不死の
秘薬の研究をしていたそうだが」
左大臣とは、「(∵)そう…」の顔文字でおなじみ、
源融(みなもと の とおる)。
「噂によると… 遺体がなかったそうですよ」
「なに?」
「棺の中は、空だったそうです…」
「……」
「まさか、本当に不死の身となったのでは…」
「くだらぬ噂だ… そんなこと、ありえないよ」
「ま、それはさておき… 6月20日、中納言を
務めた藤原諸葛(もろくず)の爺さまが」
「70才の大往生らしいな…」
諸葛を覚えている人は、よほどのマニアだが、陽成帝を
廃位した後の会議で、藤原基経が時康親王(光孝天皇)
を後継に指名した際、
「非常の時だ。摂政どのに従わない者は斬る!」
と、一同にガンを飛ばした男です。
(天神記(二)「無顔」参照)
「それから4月21日、「元慶(がんぎょう)の乱」の功労者、
藤原保則(やすのり)卿。
比叡山にこもって、念仏を唱えながら最後の時を迎えたらしい」
「かっこいい死に方だなあ…
本当にりっぱな方でしたね、保則卿は」
「あの乱から、もう17年か…」
道真は、遠い目をした。