将門記(一)





10、 摩多羅(マタラ)神




寛平4年(西暦892年)。

藤原摂関家の秘密を知った時平には、
精神的重圧がのしかかっていた。
いかにして「御盾」となるか、いかなる方法で
最高権力者の地位につくか…
だが、そんな時平の苦悩を知らぬ宇多天皇は、
時平をうとましく思い、道真ばかりを重用する。

そんなストレスの掃け口を、時平は女に求めた。
弟・仲平に捨てられた歌人・伊勢が、
奈良の実家に引きこもってるという。
時平は情熱的な文を送り、さらに奈良まで
押しかけて、伊勢と一夜をともにした。
(硬いな… 才女というものは、なんとも体が硬い…)
1度寝れば十分、と時平は感じた。



5月1日、宇多天皇は時平、道真らを集め、
「日本三代実録」編纂の勅を下した。
これは、清和帝、陽成帝、光孝帝の三代、
30年間を記録した歴史書。
「日本書紀」から始まる日本国正史シリーズ第6弾。

編纂作業の実質的な中心となった道真、
その脳裏を、ある人物の記憶がよぎった。
正史シリーズ第5弾にあたる、「日本文徳天皇実録」。
その編纂スタッフだった漢学者・都良香…
「あの男、今どうしてるんだろう? 
生きてるのか、死んでるのか…」

元慶3年(西暦879年)、位階(いかい=官吏のランキング)
で道真に抜かれてしまった良香は、年甲斐もなく怒り狂い、
「認めない! 断じて認められないよ、こんなこと!」
抗議の意味で職を辞し、山にこもって、
それっきり行方不明になってしまった。
(天神記(二)「都良香」参照)

実は… 都の人間は知る由もないが、良香は今、
陸奥の山深くに隠された邸にいた。
「久遠の民」本陣で、「一白水星」こと蘇民将来によって、
新たなる「神」としての人格が、催眠療法によって
プログラミングされている最中だった。
死水尼が都で見つけた、新たな「九星」候補者とは、彼のこと。

失踪から13年、「久遠の長命」の秘術を施し始めてから
10年になるが、いまだに新しい人格は安定していない…
この術は、時間がかかるのだ。
良香が「久遠の民」の新メンバーとして加わる日は、
もう少し先だろう。

ちなみに、「日本文徳天皇実録」の編纂には、
道真の亡き父・是善(これよし)も参加。
道真自身も、父にかわって序文を執筆している。



5月10日には、道真が編纂を進めていた
「類聚国史(るいじゅうこくし)」が完成。
正史シリーズでは、いろんな内容がゴチャ混ぜに、
年代順に書かれていたが、それを「天皇」「神社」「仏教」
「災害」「刑法」といったように、18個のテーマに整理分類、
編集し直したものが、今回の「類聚国史」だ。

さ、それじゃ語呂合わせ、いきましょうか。
「役に(892)立つのか? 類聚国史(るいじゅうこくし)」
892年、「類聚国史」完成

しかし、その直後… 道真の漢詩の師匠であり、
妻・宣来子(のぶきこ)の父、漢詩人の島田忠臣
(しまだ の ただおみ)が帰らぬ人となった。



夏の真っ盛り、下野(しもつけ)国の大掾(だいじょう)、
藤原村雄は任期を終え、一族の本拠地である田原郷
(京都府宇治田原町あたり)へと帰還した。
異常にたくましく、ケンカ早い3才の息子、
秀郷(ひでさと)を連れて…
後に平将門を倒す男、俵藤太(たわら の とうた)である。

実りの秋、山崎長者のもとに、またしても
托鉢のUFOが現れた。
「今年も米をよろしく、長者どの」
「はいはい、さ、どうぞ。足りない時は、また来なされ」

秋も深まったころ、現在確認されている歌合せの中でも、
2番目に古いといわれる寛平御時后宮歌合(かんぴょう
の おんとき きさい の みや うたあわせ)が開かれ、
女流歌人・伊勢、完全復活。



鳥海山(ちょうかいさん)は、出羽(でわ)の国を羽前
(山形県)と羽後(秋田県)とに分ける標高2236mの
活火山、山容は秀麗で出羽富士と呼ばれる。
その溶岩が日本海に流れ出して固まったあたりを
三崎山といい、今、1人の老僧に率いられた
修行僧の一団が、それを眼前にしていた。

「この三崎山の海岸沿いの断崖に、
わずかだが足場がある…
それを拡張し、馬は無理でも、せめて人1人でも
通れる道を作れば、羽前と羽後の交通は格段に
楽になるだろう… さあ、雪が降り始める前に、
少しでも崖を削ろうよ」

ノミや木槌といった道具類を用意してあるものの、
老僧の言葉に、修行僧たちは気の進まない様子だ。
「しかし大師さま… 作業の労苦はいとわぬつもりですが、
この三崎山には、恐ろしい鬼が棲むと聞いております」

「ほう… 鬼、とな」
「手長足長(てながあしなが)という名で」
腕は天まで届き、足は山をひとまたぎ、という巨大な怪物。
何人もの武士が、この鬼を退治せんと三崎山に
入りこんだが、帰ってきた者はいない。

その時、不気味な鳥の声が響きわたる… 
うやーうやーと、鳴いているようだ。
「聞こえましたか!? 今、うや、と… 
この山の鳥が「うや」と鳴くのは、手長足長が現在、
この山に潜んでいるという合図だそうですよ!」
ちなみに、いない時は「むや」と鳴くそうで、
この「むや」の時を見計らって、旅人は
三崎山を越えるという。
このことから、後に関所が作られると、「有耶無耶
(うやむや)の関」と呼ばれるように。

「いるのなら、都合がいい。会って、工事の邪魔を
せぬよう、言って聞かせる」
「大師さま!! そんなムチャ…」
しかし修行僧たちは、老僧の穏やかな目に
宿る神秘的な輝きを見て、
(この方なら… 円仁さまなら、きっとなんとかしてくれる!)
そんな確信を抱いたのであった。

慈覚大師・円仁… 彼は、28年前の貞観6年(西暦864年)
1月14日、比叡山で入滅したことになっている。
が、遺体は見つからず、華芳峰という峰で、
円仁の草鞋のみ発見された。
(天神記(一)「応天門炎上」参照)


あの時…
病に冒された体で僧坊を抜け出した円仁は、
山中をフラフラとさまよっていた。
薄れゆく意識の中で、4〜5人の若い僧に担架に
乗せられ、運ばれていくのを感じる。
(この時、片方の草鞋が脱げたようだ)
「ちがう… この者たちは、叡山の僧ではない…
いったい、何者…」

円仁を拉致したのは、三碧木星(さんぺきもくせい)こと、
玄ム(げんぼう)僧正の弟子たち。
玄ムのアジトで、円仁は「久遠の民」への誘いに乗った。
なぜなら、この世への執着が、どうしても
断ち切れなかったから…

12年後の貞観18年(西暦876年)、円仁の
新しい人格は、ようやく安定した。
一白水星(いっぱくすいせい)こと、蘇民将来
(そみんしょうらい)より、九星のメンバーに
なるよう要請されたが、
「今しばらく、時間をもらえまいか。やりたいことがあるのだ」

座敷わらし・槐(えんじゅ)が、邪悪な笑みを
浮かべ、円仁の顔をのぞきこむ。
「円仁さん… 約束を反故にするなら、
強制的に灰にしちゃうよ?」
その時。
「まあ待て、お前らwww そいつは俺の
オモチャだぜ、勝手なことすんなwww」

九星が、いっせいにその男にひれ伏した。
縄文杉のような筋肉の2mの体躯、伸び放題の髪と髭…
スサノオである。
だが、円仁はその声を聞いて、体に戦慄が走った。
「あ… あなたさまは… あの時の… 
摩多羅(マタラ)神!!!」


それは承和14年(西暦847年)のこと。
唐より帰国する商船の乗客となっていた円仁は、
虚空から語りかける、深くて低い、下卑ていて高貴な、
野獣のような神のような、不思議な声を聞いた。
「纐纈城(こうけつじょう)で助けてやったのは、俺だからwww
比叡山に戻ったら、俺を礼拝するお堂でも作れやカス」

「あ、あなたは、どういう神なのですか…?
唐土の神ですか?」
ライバルの円珍と、同じような質問をしている。
「まあ、好きに考えろ。じゃあ、またな」
「マタラ? 今、マタラとおっしゃったのですか?」

帰国後の仁寿元年(西暦851年)、円仁は比叡山に
常行三昧堂(じょうぎょうざんまいどう)という修行道場を
建立、本尊の阿弥陀如来像の後ろの戸の奥に、真の
ご本尊として、異国の魔神・摩多羅神を祀った。
スサノオは、円珍には「新羅明神」として、
円仁には「摩多羅神」として、顕現したわけだ。
その他にも、「荒ぶる神」「疫病神」「牛頭天王」「武塔神」
など、いろいろな称号をもつ。


さて、「久遠の民」の本陣で、スサノオはゴロリと横になると、
「お前らには時間なんて、いくらでもあるだろwww 
20年くらい、好きにさせてやれ」
「摩多羅神さま… ありがとうございます!!」
円仁は、床に頭をこすりつけた。


円仁が邪悪な秘法にたよってでも寿命を延ばし、
成し遂げたかったこと…
それは、東国の先住民や移民たちに
仏法を広めること。
円仁自身が下野(栃木県)の出身でもあり、
少年時代より、そんな夢を温めていた。

30年以上前になるが、円仁は東北一円を
旅してまわったことがある。
その際、松尾芭蕉の句で有名な、山形の
立石寺(りっしゃくじ、通称「山寺」宏一)を創建。
そこへ、弟子入りを希望する東北在住の僧たちが
集まってきて、円仁の教えを乞う。
ひと夏だけの短い講義であったが、この時の生徒たちが
東国各地に散って、次々と天台宗の寺院を創建したのだ。

東北・関東地方にやたら多い、「円仁が創建した」
という寺院のうち、有名なものでは、

宮城県、日本三景の1つ・松島に臨む
瑞巌寺(ずいがんじ、現在は禅宗)。
青森県、イタコで有名な恐山の菩提寺(ぼだいじ)。
岩手県、金色堂で知られる平泉の中尊寺(ちゅうそんじ)、
同じく平泉の毛越寺(もうつうじ)。
埼玉県、川越の喜多院 (きたいん)には、
「春日局の化粧の間」が、江戸城より移築された。
東京都、目黒不動=瀧泉寺(りゅうせんじ)は、
落語「目黒のさんま」の舞台だ。

などが挙げられるが、作者が行ったことあるの喜多院だけ

「久遠の時を生きる」体となって甦った円仁は、
こうした寺々を訪ねて回り、弟子たちに
さらなる教えを施すとともに、
「私の名を開山(かいざん=創立者)として使ってよい」
という認可を与えたのである。

このように、当時は辺境であった関東や東北に、仏道の
種をまいて回った円仁は、さらに旅行者や修行者の便宜を
図るため、難所であった山形・秋田間の通行ルートを開拓
すべく、弟子たちを引き連れ、三崎山に挑んだのである。


「ほう… わざわざ食われに来たか、お前たち」
異様な男が、一行の前に立ちはだかった。
「で、出たあーッ 手長足長!!」
確かに長い手足… ヒョロリと伸びた、
2m30cmはあろうという体。
黒ずんだ肌に幽鬼のような顔、まぎれもない怪人だが…

円仁は苦笑を浮かべ、
「山をひとまたぎ、ではなかったのか…? 
恐ろしい面相をしていても、しょせんは人だ」
その瞬間、怪人は風のように動いた。
10m以上離れていたはずだが、一瞬で距離が詰まり、
矢のように飛んできた右の拳が、岩を砕く… 
円仁の顔の、すぐ横。

瞬きする間もなく、怪人は元の位置に… 
10m以上離れた場所にいた。
弟子たちは、腰を抜かして震え上がる。
「だ、大師さま、お怪我は…」
「見たでしょう!? 腕が6間(けん)も伸びた…」

長い脚による、すばやい踏みこみ… 
全身のバネを生かした、長いリーチの右直突き…
並みの人間の目では、捉えることのできない動きだ。
接近戦なら、たとえ刀をもった武士でも、勝ち目はないだろう。
怪人は、勝ち誇った笑みを浮かべる。
「俺は生涯無敗、いかなる戦いにも負けたことがない」

ハッとする円仁、ある記憶が甦る…
怪人は両の拳を構え、低く腰を落とす。
「お前らは武士ではなく坊主のようだが、
俺はなぜか、昔から坊主が嫌いでな…
この拳で、お前ら全員の坊主頭をカチ割ってくれるわ… 
仏法滅ぶべし!!」

ガッッ