将門記(一)





9、 謎の飛行物体




寛平3年(西暦891年)、第59代・宇多(うだ)天皇の御世。

1月13日、関白・藤原基経、没す。
臨終間際の床に呼ばれたのは、2人の人間のみ。
1人は基経の腹違いの妹にしてブレーン、
尚侍(しょうじ)を務める藤原淑子(よしこ)。
尚侍とは、「天皇付きの秘書室長」とでもいうべき、
宮廷女官の最高位。

いま1人は、吉田神社の神人頭・太岐口獣心、今年38才。
失った右目を眼帯で覆い、苦みばしった
男臭さを発散している。
妹の恋夜からの連絡は、17年も前に途絶え、
今では死んだものと考える他ない。

「2人とも、時平をたのむ… 
あいつはまだ、何も知らない…」
その言葉を最後に、基経の意識は混濁。
遠くから、時平の怒鳴り声が響いてくる。
「なぜ長男のこの俺が、そばにいてはいかんのだ!? 
どけ、侍従!!」

「そろそろ退散しましょう、尚侍どの。
残された時間は、父子での別れに…」
「そうですね、獣心さま」
獣心を見る目に、親密さと信頼感が宿っている。
今年54才、宮廷の「お局さま」として君臨する
この怜悧な女は、生涯を独身で通してきたが、
男らしい獣心に対しては、秘かに好意を抱いていた。


邸の裏口で淑子は牛車に、獣心は徒歩で、
それぞれ別れる間際に、
「そう遠くないうちに、御盾(みたて)について、
あの子に伝えねば… その時は、なにとぞ
お願いいたしますよ、獣心さま」
「尚侍どのも、摂関家の取りまとめ、ご苦労が
多いでしょうが、何か困った時は拙者を」

藤原摂関家の恐るべき秘密について、時平がこの2人に
呼び出され、みっちりと聞かされるのは、もう間もなく。
(天神記(二)「獣心」「御盾」参照)



2月29日の任官で、菅原道真は
蔵人頭(くろうどのとう)となった。
これもまた、天皇の秘書長官のような役職。
道真は亡き関白・基経から信頼され、
宇多天皇にも目をかけられていた。
当然、基経の妹で、宇多帝の養母である
淑子からも、一目置かれている。

2人は、これからの政治体制について、
長時間話し合った。
「思えば、お上(かみ)と兄・基経とは、
あまり良い関係とはいえなかった…」
「阿衡(あこう)事件なんてのも、ありましたな…」
「2人の間に入って、私たちが苦労をしましたよね!」

宇多帝は、かつて臣下に下り、「源」の姓を賜って
源定省(みなもと の さだみ)と名乗っていた。
幼少の頃、未婚の淑子の養子となり、淑子と
基経の力によって皇族に復帰、天皇として
即位することができた。
そういう事情もあるので、基経はかなり、
宇多帝をナメてかかっていた節がある。

「これからは、関白など置かず、お上が直々に
政(まつりごと)を行います。それを私たち2人
に加え、時平と3人で支えていきましょう」
ちなみに、宇多帝の子孫の源氏を「宇多源氏」と呼ぶ。
貴族的な姓の代名詞「綾小路さん」とか、
「佐々木さん」とかは、宇多源氏の系統。

それにしても、お互いの能力を認め合う、
良い関係だった道真と淑子が、あのような
おぞましいことになろうとは…
かたや、死体を寄せ集めて作った人造ボディに
生まれ変わり、超能力を操る魔神に…
もう一方は、その魔神に召喚され、
口から腐水を吐き出す死霊に…
人の運命とは、それ自体が魔物である。



道真のライバル(自称)、三善清行(みよし の きよつら)は
肥後介(ひごのすけ=熊本県副知事)に就任、さらに
男の子も授かって、おめでたが重なる。
「俺でなく母さんに似てよかった… 美男になるぞ、
こいつは。泣き声も、なんかいい声だ」

後に、声明(しょうみょう)という仏教音楽のパフォーマーとして
名声を博す、浄蔵(じょうぞう)の誕生であった。
父・清行の葬列に一条戻り橋で追いついて、
一時的に清行が蘇生する話も有名だ。
(天神記(四)「戻り橋」参照)


「おーい、清さん。おめでとう、誕生祝いのお酒だよ。
ところで、ちょっといいかな」
親友の陰陽師、弓削是雄(ゆげ の これお)に呼び
出された清行は、とんでもない話をもちかけられた。
正式な僧になるための試験に、毎年落第してる老僧を、
ズルして合格させる手伝いをしろという… 
(天神記(二)「時の砂」参照)



そのころ、華やかな宮廷の女たちの世界では、
ひと波乱起きていた。
「宮さま… 何かご存知でしたら、
教えていただきたいのですが」
宮中に仕える女房・伊勢の美しい瞳が、
主である皇后・温子の丸い童顔を、
恐いほどの真剣さで見つめている。

「下衆な者たちの噂にすぎないと思いますが… 
念のため、確かめさせていただく…」
「はい…><;」
覚悟を決めた温子の悲痛な表情で、
伊勢は聞かずとも真実を悟った。
「本当のことなのですね… 私がおつき合いしている、
あなたの弟である仲平さまが、他の女性を妻に
されたというのは… 本当だったんですね!!」

「ごめんなさい、伊勢!! 私もつい昨日知ったばかりで…
でもね、決して仲平の本意ではないみたい… 
時平兄さまが強引に話を進めたみたいな…」
伊勢に殺されそうな気がして、早口でまくし立てる温子。
「ん? …伊勢?」

あの強気な伊勢が、両手で顔を覆い、
マジ泣きしてるではないか。
初めて見る伊勢のこんな姿に、温子の気は動転した。
「わ、わたし… 時平兄さまに会ってきます!!」
いたたまれなくなって、とにかくこの場を
逃れたくて、温子は出ていった。

淑子と獣心から摂関家の秘密を聞いた時平は、
自分たち一族の将来を真剣に考えるようになり、
その結果、弟の仲平を、有力貴族の娘と
娶わせることとなった。
それはすなわち、弟に恋人である歌人・伊勢と、
手を切らせるということ。
伊勢を妻にしても、一族にとっては、
メリットが少ないと見たからだ。

温子は使者を送りまくったが、多忙な時平は捕まらない。
オロオロしながら戻ってくると、伊勢の姿が
見当たらないようだが…
「え!? 家出!? 奈良の実家へ帰った?」
この顛末は、天神記(二)「歌合」を見てね。



夏の蒸し暑い夜、陰陽師・弓削是雄は悪夢を見ていた。
黒い雲が太陽を覆い隠し、怪しい男の姿が、
闇に浮かび上がる。
「誰だ、お前は… ただごとでない霊気を放っているが…」
男が近づくにつれ、是雄の全身から熱が
奪い取られるのか、ひどい寒気がする。

「弓削是雄よ… お前は、これまでのインチキ陰陽師と
ちがい、真に異能の者… 大変危険であるゆえ、
今のうちに命を摘み取っておくぞ… 
後継者を育てられると、後々やっかいだからな… 
そうれ、死病をくれてやろう…」
男の手から放たれる黒いガス体が、
是雄の鼻や耳から入りこむ。

「ゴフッゴフッ 見えたぞ、お前の正体… お前は死霊… 
鳴神上人の一番弟子、黒雲坊…!!」
怪しい男は、憐れむような笑みを浮かべ、
「さすがだな… だが、わかったところで、もう遅い。
お前は、まもなく死ぬ。そして私は、今から30数年後、
摂津の芦屋(あしや)に転生する」


翌朝目覚めると、高熱があるにも関わらず、
体の震えが止まらない。
病魔調伏の儀式の仕度を整える最中、
是雄は倒れ、帰らぬ人となった。
葬儀にかけつけた陽成上皇の寵妃、「雲の絶間」こと
妙子は、弟弟子に当たる鬼丸少年を抱きしめ、
人目もはばからずワンワンと泣きじゃくった。



大和と河内の境に、信貴山(しぎさん)という山がある。
1人の若い僧が、木の根にしがみつきながら、
その斜面を登っていた。
「ここだ… この山こそ、俺の人生を捧げる場所…」
名を命蓮(みょうれん)というこの僧は、かつて白雲坊と称し、
唐渡りの邪悪な道士・鳴神上人のニ番弟子だった男。

今では改心し、ただひたすら大自然の懐で、
修行三昧の日々を願っている。
「妙子さま… お元気にしておられるだろうか…」
「雲の絶間姫」との短いロマンスも、
今となっては遠い思い出だ。

山頂に登りつめると、さっそく瞑想に入り、
そのまま7日が過ぎて…
ぱっちりと、目を開いた。
「山の霞だけでは、やはり体がもたぬ… 
誰ぞ、米を寄進してくれる者はいないだろうか」
そういえば、旅の途中で通った山崎の地… 
あそこに、立派な米倉が並んでいたっけ。
ようし、ここはひとつ…


山崎は、京都府と大阪府の境である。
後に、秀吉VS光秀の「山崎の戦い」の舞台となり、
もっと後には、日本最初のウイスキーが蒸留されるところ。
淀川沿いにズラッとならぶ米倉は、「山崎長者」と
呼ばれる大地主の倉だ。

「なんだ、あれは!?」
村人が、空を指さす。
それは金属製の円盤だった… 
ウインウインウインと回転しながら、南から北へ飛行している。
「こっちに来るぞ!」
たちまち、大パニックに。

謎の飛行物体は、山崎長者の邸の前に着陸した。
見れば、大きな鉄製の鉢である。
「うわっ なんか出た!」
突然、人間が出てきた… 
というより、立体映像が投射された。
鋭い眼光がただ者でない、修行僧らしき美青年。

「山崎の長者どの。私は大和の信貴山で修行する、
命蓮というしがない僧です。どうか、この鉢いっぱいの
米を寄進していただきたい。かわりに、あなたの家が
栄えるよう、毘沙門天(びしゃもんてん)に祈りますから」

長者は肝をつぶして、言われるがままに鉢に米を満たした。
すると、鉢は重力を無視して浮かび上がり、
ギュインギュインギュインと南へ飛び去る。
「あれは… 念力で鉢を飛ばしているのでしょうか…」

「これほどの法力をもつ坊さんなら、よほど偉い方に
ちがいない。まあ、このくらいの米ならいいでしょう。
喜んで差し出しましすよ」
この時は、そう思った長者だが…



10月29日、おにぎり頭の名僧・円珍が、
78才で生涯を終える。

その3日後には、出雲の国で、先代の天国が病没。
若干17才の意宇魔は家を継ぎ、家業に精を出すが、
こんな田舎で刀の注文がそうあるわけもなく、生活の
ためには農具の製造・修理もこなさないとならない。

「ちがう… 俺のやりたいことは、こんなことじゃない… 
いや、鍛冶仕事は好きだ。けど… 俺の作りたいのは
何か、もっとこう…」
ただ1つの目に暗い情念を燃やすが、自分の
作りたい物が、明確なイメージにならない。
それがハッキリする時、日本の逢魔ヶ時(おうまがどき)は
始まるのだが…