将門記(一)
8、 意宇魔(おうま)
「男と契るなんて…」
考えただけでも、ゾッとする恋夜であった。
だが、選択の余地はない…
できるだけ、まともな男を探そう…
とはいっても、こんな田舎では、
素朴な農民しか見当たらない。
「おしらちゃんの子供なんだ、おしらちゃんに
ふさわしい子種でなくては…」
もっと大きな町へ行けば、立派な
身分の男もいるだろうけど…
24時間以内に八雲山頂まで移動することを考えると、
そう遠くまではいけない…
なんとか、この辺りで見つけたい…
と、鄙びた里に似合わぬ、気品ある知的な
顔立ちの男が目についた。
尾行してみると、熊野大社の旧社地である、
「宮内」という土地の住人らしかった。
「もし、あの家は…」
近所で聞きこんだところ、飛鳥時代よりこの地で
刀鍛冶を営む家の当主で、代々、「天国(あまくに)」
という名を襲名しているという。
「刀鍛冶か…」
出雲は古代より鉄の産地であり、製鉄文化の揺籃の地だ。
まして刀鍛冶は、下賎な職人とは一線を画す、
芸術家のような誇り高い職業。
おしらちゃんも、納得してくれるのではないだろうか…
「よし!」
その夜、恋夜は天国の家に侵入した。
家人を次々に杖で打ち、失神させる。
当主の天国を縛り上げ、鍛冶場に転がすと、
「あいすまぬが、子種を申し受ける」
伝授された性技を使いエレクチオンさせると、
天国を「犯した」。
事が済むと、あまりの快感に失神したままの天国を残し、
恋夜はフラフラと逃走。
目指すは、愛しい人の待つ八雲山頂、
須賀宮(すがのみや)!
(おしらちゃん… 今、子種をもっていくから…)
朽ち果てた社で待つおしらは、目を潤ませ、恋夜を迎える。
「お帰りなさい、あなた… 奇跡が起きたのね…」
「我が妻よ… 抱かせておくれ…」
2人の女の白い体が、情熱の炎の
命じるまま、妖しくからみあう。
蛞蝓も無事、おしらの体内に子種を吐き出した。
「そう… 由緒ある刀鍛冶なんだ…」
おしらは、子種の由来を聞いて、満足そうであった。
「子供が生まれたら、2人で育てよう…
家族の食べる分の米は、私がなんとかする」
恋夜は愛しい妻の肩を抱き寄せ、
頬と頬を優しく摺りあわせる。
一夜で何度、愛撫し契りあったであろうか…
若い2人の命の炎の噴火は、とりあえず一段落していた。
「ねえ、おしら… 何してるの? こっち向いてよ…」
寝返りをうって、恋夜の方に向き直った
おしらの手に、光るものが握られていた。
その刃が、恋夜の胸に深々と突き刺さる。
溢れ出す血と出刃包丁を、ぼうぜんと見つめる恋夜。
おしらは、優しげな笑みを浮かべ、
さらに深く、刃を押しこむ。
「私、天邪鬼だよ…? 子種を運んできてくれて
ありがとう。この首に賞金かかってるし、ヤバくて
里に下りられなかったんだよね…
この子は、私のものだから。
ここから先は、あんたについてきてほしくない、
私とこの子の旅路だから」
恋夜は、かすかに唇を動かし、
「後悔は… していない…」
太岐口恋夜、享年21才、出雲八雲山に散る。
5月10日、下総国(千葉県北部+東京都隅田川より東)で、
先住民の叛乱が起こる。
裏で糸を引くのは、「久遠の民」の五黄土星・虎麻呂。
まもなく鎮圧されたが、
「あくまでも今回は予行演習…
今に見てろよ、でかいのを1発かますからな」
今回の乱に際しての朝廷側の動きや兵力、
指揮系統から兵站ルートにいたるまで、
詳細なデータが虎麻呂のもとに集められ、
分析されていた。
「勝てる… 必勝の機運、我にあり…!」
夏の暑さも盛りをすぎたころ、今年22才の太岐口獣心は、
とある廃屋に足を踏み入れた。
「ここがあんたの隠れ家かい… やっと見つけたぜ、婆さん」
「気配を感じさせぬとは、修行したな。小僧…」
死水尼は、「久遠の民」九星の新たなメンバー候補を
スカウトするという任務を帯び、都に来ていた。
すでに1人は、以前に拾った死に損ないを確保してある…
もう1人は、まだ死んではいないが、非常に
興味を示していたあの男を…
「この邸はな、小僧… お前の右目と馬を盗んだ女が、
生まれ育ったところ」
懐古の情を顔いっぱいに浮かべ、荒れ果てた屋内を見回す。
「かつての… 中務大輔(なかつかさ の たいふ)の邸じゃ」
今でいう総務省事務次官みたいなもんでしょうか。
獣心の胸に、甘酸っぱい思い出とともに、
苦い痛みが甦る。
「中務大輔の娘が、なぜあんな真似をしているのだ?」
「それは、本人から聞いておくれ…
いずれ、あの世で会うた時にな」
骨で作った小さい笛を口にあてる老婆、獣心は剣を抜いた。
「待たれよ、おばば殿!!」
突如、飛びこんできた男は…
「父上!!」
「おや… 吉田神社の田島さま」
太岐口田島は、鋭い刃のようなオーラをまとい、
2人の間に立ちはだかる。
「長いこと姿を見なかったので、死んだものとばかり…
それにしても、おばば殿、新羅の海賊と通じて我が国の
主権を脅かすとは、外道人の領分を越えていよう」
父の言葉に、獣心の太い眉がピクリと動く。
「外道人? そうか、根黒寺の…」
「いやいやいや、外道人の元締はもう引退したし、
根黒寺とも手を切った。今は隠居の身…
残りの人生をな、好きなことをして遊び暮らしておる」
田島は、ゆっくりと剣を抜いて、
「どうも、いけない遊びをしているようだが…
そんなことのために、せがれの命をくれて
やるわけにはいかん…
これでも、大事な跡取り息子でな」
いっせいに、野犬の群れが襲いかかってきた。
今まで音も立てず、庭で待機していたようだが、人間の
耳には聞こえない犬笛の合図を受け、牙をむき、
ヨダレを流し、次々と太岐口父子に食らいつく。
2つの刃が宙を裂き、飛びかかる野犬どもを、
たちどころに肉片に変える。
廃屋の中は、獣と血の匂いで、いっぱいになった。
「ダメだ! いくら殺してもキリがない…
元を断たねば!!」
「獣心よ… お前に浮舟(うきふね)を
伝授する時が来たようだ」
「なんと…!! 鹿島の剣、最大の奥義
である、あの秘術を…」
「しかと、その目に焼きつけておけい!!」
その時、死水尼は、さらに小さい骨のかけらを
口にふくみ、息を吹く。
夜空から舞い降りた1羽の烏が、飛びこんでくると…
水平に矢のようなスピードで、田島の顔面に。
「ぐおッ」
「父上!!」
「鳥笛だッ!!」
くちばしで左目をえぐられ、うずくまる田島に、
血に飢えた野犬の群れが。
「獣心ッ 太岐口の家をたのんだぞッッ」
群がる犬どもを払いのけ、血まみれの田島の体は、
バッと宙に舞う。
「これが… 浮舟の剣!!」
田島は、空中を… 「歩いた」。
死水尼の頭上から、一撃のもと、剣を振り下ろし…
同時に、落下。
「父上!!」
「神通力で宙を歩くとは… 鹿島の神術、恐るべし…」
縦一文字に顔面を割られ、死水尼は鮮血に沈んだ。
犬も烏も、とたんに大人しくなって…
風が吹きこみ、灰と化した死水尼の体を舞い散らす。
獣心は父に応急手当を施すが、噛まれた傷から
細菌に感染、1月後に田島は死亡した。
『月の都』。
ここにまた、ひとつの魂があった。
しかし、他の魂とは状況がちがい… 閉じこめられている。
何かの力によって、暗い空間に封じこめられているのだ。
ここは、「幽宮(かくりのみや)」。
魂は、西を向いて座っている。
だが1000年を超える月日が流れ、封印の力は弱まった。
朽ち果てた宮の扉が、自然に開いた。
魂は、喜びに震えた… もう1度、生まれることができる。
地上に甦って、復讐をしよう。
自分を閉じこめた者たちに、地獄の苦しみを与えてやろう。
屈辱にのたうちまわり、滅び去るがいい。
やめるのだ、そんな必要はない。
今さら復讐など、空しいだけだ。
ここに残ろう、じっとしていよう。
いや、俺は…
魂は、2つに分裂してしまった。
荒魂(あらみたま)と、和魂(にぎみたま)。
「もう2度と、決して死なない」
荒魂は誓った。
すべての生命は、死ななければならない。
この絶対ルールを、かわす秘術がある。
この魂は、その秘術に心当たりがあった。
だからこそ、彼は地上において、「霊的な統治者」
として君臨し、あがめられていたのだ。
だからこそ、海を越えてきた侵略者たちは、
その権威を譲り渡すよう、要求してきたのだ。
しかも念入りに、彼の死後まで魂を拘束すべく、
この幽宮に封印して…
彼は、偉大なる霊の国の王。
だが、その彼でさえ、地上に生まれ変わったら、
今の記憶はすべて消え去る。
短い一生のあいだに、「秘術」にたどりつけるか、どうか。
それは、賭けてみるしかなかった。
再び、神在月が巡ってきた。
臨月を迎えたおしら… いや、天邪鬼は、
隠れ家の八雲山から数キロ先の、
天狗山にこもって、出産の時を待つ。
かつて熊野山と呼ばれ、熊野大社も現在地に
遷る前は、この地にあったという天狗山。
スサノオが黄泉の国へと降っていった入口が、
この山のどこかにあるらしい。
21世紀の現在も、不思議な磐座(いわくら
=古代祭祀跡)が残っている。
やがて、月明かりの下、元気な男の子を産み落とした。
体力を消耗しきった天邪鬼は、包丁で
へその緒を切り離すと、さらに…
赤ん坊の左目をえぐり、左脚を大腿部から切断した。
地獄のような苦痛に泣き叫ぶ我が子を見下ろし、
幸せそうな笑顔を浮かべる。
「これで… アラハバキさまと同じ姿…
お前は、アラハバキさまの化身…」
重傷を負った瀕死の赤子を背負い、山を下りる。
「お前の名は、おうま… 意宇郡(おうぐん)に
生まれた魔物だから、意宇魔(おうま)…」
意宇郡は、出雲の中心となる地方で、
国府や主要な神社が集まっている。
大ざっぱにいって現在の松江市&安来市あたり。
「大国主」は「意宇国主」の意味ともいわれ、
天狗山は意宇川の源流でもある。
ま、要するに出雲の代名詞ともいえる郡が、意宇郡なのです。
宮内の里まで、ふらふらになってたどり着くと、天国の
家の門前に、ボロ布に包んだ我が子をそっと置く。
失血で意識不明状態の赤子の指に、血で「おうま」と
書いた紙切れを、こよりにして結ぶと、恍惚とした
表情で、よろめきながら立ち去る。
翌朝、意宇川の岸辺に、天邪鬼の死体が浮かび上がった。
この知らせを受け、国府では1年ごしの
特別警戒態勢を、ようやく解いた。
「自殺なのか、事故なのか…
いずれにしろ、これでひと安心ですな」
「遺体は、痛々しいほどにやせ細っていたそうですよ…
ですが、顔は… 無上の幸福に浸っているような…
そんな顔だったそうです」
家の前に捨てられた、凄惨な姿の赤子を発見した
天国の驚きは、ただごとではない。
ただちにできる限りの治療を施し、どうにか
命だけは救ってやった。
「狸か狐か、あるいは大きな鼠かもしれんが、
目と足をかじられてしまったのだろう…
いや、待てよ。この切り口は、刃物によるものか?
一体だれが…」
かたわの捨て子を育てる気になったのは、
1つは、なんとなく顔立ちが自分に似ている…
(天国の子種から生まれたのだから、当然だが)
そしてもう1つは、鍛冶の神・天目一箇神(あめのま
ひとつのかみ)の化身かもしれぬ…
育てたら、何か良いことがあるかも…
そんな考えが、浮かんだから。
「なんだ、このこよりは… おうま? この子の名か…?」
天国より鍛冶師の技を仕込まれて育った「意宇魔」は、
まあ無理もないことではあるが、その姿ゆえに村人に
忌まわしい存在と目され、同時に1つ目1本足の
天目一箇神を思わせることから畏怖の念も集め、
暗い、人間嫌いの、青春を知らぬ若者に育った。
「俺は… いったいどんな運命のせいで、
こんな姿に生まれたのだ? 俺の名… 「おうま」とは、
どういう意味がこめられているのだ?」
ある日、神話にくわしい長老から、
「天目一箇神の正体は、零落した大国主」
という説を聞いた意宇魔は、深く考えこんだ。
「俺は天目一箇神の化身なのか…
ということは、零落した大国主の…」
大国主である大ナムチは、なぜ零落したのか、
「国譲り」の神話について調べるうち、
大和朝廷に対する敵意がムラムラと雲の
ように湧き上がり、大きくなっていった。
「おうまとは、意宇の魔にちがいない…
つまり俺は出雲の魔物となり、朝廷に復讐する…
そして出雲王国を復活させる…
そのために生まれてきたのだと…」
片目片足の「姿」、そして「名前」…
母が残したメッセージを解読し、自分の生きる道を見つけ
出したのは、意宇魔16才の寛平(かんぴょう)2年
(西暦890年)のことである。
この年、意宇魔は「天国」の名を襲名した。