将門記(一)





7、 神在月(かみありづき)の巫女




貞観16年(西暦874年)となった。

ここは出雲の国府に近い、山代郷の長者の家。
「今年ももうじき、神在月(かみありづき)かあ〜 
お祭り、楽しみだなー」
ピチピチツヤツヤした肌の、長い黒髪が美しい少女。
その美しさゆえ、人の子宮からでなく、
みずみずしい瓜から生まれたと噂される、
その名も「瓜子(うりこ)姫」。
長者の一人娘で17才、特技は機織(はたおり)、
つき合ってる彼氏は3人。

出雲の国府は、現在の松江市大草町にある。
菅原道真の父・是善(これよし)もかつて、国司として
勤めていたそうで、「道真は出雲で生まれた」という
伝説も、地元にはあるらしいよ…
まあ「天神記」でも書いたとおり、菅原道真の
祖先が出雲系なのは事実だ。

現在の国司は、瓜子の評判を聞き、
「ぜひ側室に」と所望した。
正妻でないとはいえ、国司に嫁ぐ
ことになり、両親も大喜び。
華やかな世界にあこがれる瓜子は、
玉の輿を射止めた勝利感に酔いしれる。
「きっと、都にも連れてってくれるよね!」
神在月の祭りが終われば、いよいよ輿入れだ。

「さーて、今日は父さんも母さんも家にいないし…」
思いきり伸びをして、大あくび。
「あ、そうそう。彼氏に別れの手紙でも書いとくか」
「瓜子ちゃん…」
「え?」

庭に女が1人、立っている。
「瓜子ちゃん、私どうしたらいいのかな… 
瓜子ちゃんが、国司のお嫁になるなんて…」
見れば、少女のようにあどけない、春の日差し
のようなフワフワした娘だ。
「どちらさま? …あ、もしかして」
今、町で評判の、占いがよく当たるという
流れ者の巫女… だろうか?
確か… 「天探女(あまのさぐめ)」と名乗っている…

天使のような顔に、悲しげな笑みを浮かべ、
じっと瓜子を見つめている。
「瓜子ちゃん… 許さない。絶対にだ!」
その手には、包丁が握られて…
「朝廷に尻尾をふるメス犬がッ!!!」

一瞬の凶行だった。
探女は、瓜子を切り刻んだ後、死肉を調理し、
あつもの(シチュー)にした。
何も知らない両親が帰宅すると、衝立(ついたて)の
陰に身をかくし、瓜子の声色をまね、膳を差し出す。
「お父さま。お母さま。これを召し上がって」

両親が美味そうに、椀の中のものを
平らげたころ、庭から悲鳴が。
下女が庭の、柿の木のこずえを指さし、叫んでいる。
瓜子の生首が吊るされ、風に揺れていた…

探女は高笑いを上げ、邸から逃走。
「天邪鬼」の名を一気に高めた、猟奇殺人事件である。
神聖な神在月を前に、出雲は緊迫した空気に包まれた。
非常警戒網が敷かれ、辻々で検問が実施される。



「そこの男、待て。よそ者か? …こういう女を
見たら、すぐに知らせるのだ」
杖をついて、びっこを引いた若い武士は、
検問で人相書きを見せられた。
「天邪鬼か… なんてむごいことを…」
「殺人狂の異常者だ。捕らえたら賞金をやるぞ。死体でもいい」

武士の瞳には、異様なまでの執念の炎が宿っていた。
「承知した。この女は、必ず私が見つけ出す…」
塩竃で、生涯で最大級の恐怖を味わった恋夜
であったが、傷が癒えるにしたがい、優しく純粋な
おしらの笑顔が、脳裏から離れなくなった。
(あの娘は、魔物に憑りつかれてるにちがいない…
それで、あんな豹変を…)

その思いに動かされ、ついに出雲まで来てしまった…
だが。
おしらの魂を救うには、遅すぎたようだ… 
これほどの恐ろしい罪を犯してしまっては…
完全に魔物と化したおしらを、せめて、
この手で斬ってやろう…
それが、私にできる唯一のこと…


「さて、どこに潜んでいるか… 私には、
なんとなくわかるような気がする」
木の葉を隠すには森、巫女を隠すには神社だ。
傷ついた左脚を引きずり、恋夜は探索を始める。
それにしても、なんと神社の多い土地か!

まず、「冥界への入口がある」と言われる揖夜(いや)神社。
(島根県八束郡東出雲町)
有名なのに人の気配があまりなく、肝試ししたら怖そうな所。

続いて、日本で1番古い国宝の本殿がそびえる
古社・神魂(かもす)神社。
(島根県松江市大庭町)
日本の神社建築のルーツとも言われる。
出雲大社が創建されるまで、出雲国造家は
25代に渡って、ここで奉仕していたそうな。

次はスサノオが新婚生活を送ったという、
八重垣(やえがき)神社。(島根県松江市佐草町)
公式サイト http://www.shinbutsu.jp/45.html


「いない… まさかとは思うが…」
いよいよ祭りの始まった、杵築(きつき)大社
(現在の出雲大社)へも行ってみた。
(島根県出雲市大社町)
この時代の出雲大社は、高さ48メートルもある、
日本最大級の建築物である。
巨大な心柱にのった社殿を、人々はこう唄った。
「雲太(うんた)、和二(わに)、京三(きょうさん)」

雲太 雲(出雲)の大社が太(=1番)
和二 和(大和)の東大寺が2番
京三 京(京都)の御所、大極殿が3番

という意味だから、あの東大寺よりも、でかかったのである。
復元模型を見ると、けっこう不安定そうで、
ちょっとした風や地震でもグラグラしそう。
公式サイト http://www.izumooyashiro.or.jp/

疲れ果てた恋夜は、木の根元に座りこむと、
折りたたんだ和紙を取り出す。
広げると、中にはひとすじの髪の毛… 
あの夜、おしらが残した髪だった。
「おしら… 会いたいよ…」
頬を涙が伝う… 男のように育った恋夜だが、
こんな時は女に戻ってしまう。

「そうだ! 出雲の最も重要な聖地は
ここではなかった… たしか…」
ここまでの道々、出雲の歴史や神話について
勉強してきた恋夜であった。
「杵築大社は、大国主が国譲りの後に幽閉された社…
古代出雲王国の真の聖地は」

スサノオを祀る、熊野大社。(島根県八束郡八雲村)
公式サイト http://www.kumanotaisha.or.jp/
「熊野」というと、紀の国の「熊野」が有名だが、(「安珍と
清姫」など参照)出雲「熊野」と紀伊「熊野」の関係は、
歴史の闇に包まれ、ハッキリとしない。


意宇(おう)川の流れる岸辺、蛇山の
ふもとに、その社はあった。
霊感の強い人なら、ビリビリとエネルギーを
感じるパワースポットである。
(ちがう、ここでもない… でも近い! 
おしらの気配を感じる…)
ドクンドクンと脈打つような、異様な
霊気に導かれ、山道を行く。

蛇山の隣り、八雲山頂上に、朽ち果てた社があった。
「ここは…」
「オロチを退治したスサノオさまが、イナダ姫と
ともに住んだ宮殿の跡… 日本最初の宮、
「須賀宮(すがのみや)」ですよ…」
振り向くと、月明かりの下、おしらが立っていた。
優しい笑顔を浮かべて…

ここは、須我神社の旧社地である。(島根県雲南市大東町)
公式サイト http://www.shinbutsu.jp/47.html

「その足で、わざわざこの出雲まで… 
私に復讐するため? すごい執念ですね…」
その右手には、凶悪な光を放つ出刃包丁が。
「せっかく命だけは助けてあげたのに… 
ナメてんじゃァねえよ!!」
クワッと狂気を炸裂させて、突っこんできた。

「………」
何も言わず、影のように立っている恋夜に、
体ごとぶつかるおしら、しかし… 
まるで蜃気楼のように、突き抜けてしまう。
「ッ!?」

恋夜の体には、波紋が広がっている。
「鹿島神術・水月… 
水面(みなも)に映る月を斬るが如し」

振り返って無茶苦茶に包丁を振り回し、切り付けるおしら。
しかし全て、手ごたえなくスカスカと空振り。
「くうううッ!!」

その手首を恋夜がつかむと、おしらの
全身からクタッと力が抜けた。
「あう…」
落とした包丁を、遠くへ蹴り飛ばす恋夜、
たちまちおしらを組み伏せる。
「抵抗はやめろ。油断さえしなければ、
お前は私の敵ではない」

「ぐうう… くやしい…」
おしらは、ポロポロと涙を流した。
それをじっと見下ろしていた恋夜は、
おしらを優しく抱きしめる。
「お前を殺したくはない… たのむ、どうか… 
私の妻になると言っておくれ」

「はああ? 何言ってるんだい… あんた、女だろ?」
今度は恋夜がしゃがみこんで、涙を落とす番だった。
例の、和紙に包んだ髪の毛を取り出し、
愛しげに頬をよせる。
「そうだ、女だ… けれど、お前を
好きになってしまったんだ!」

おしらの目に、同情の色が浮かぶ。
「あんたがもし男だったら、見た目もいいし、
腕も立つし、理想の伴侶だろうけど…
でもあたしは、子供を生まなくちゃならないんだ! 
大ナムチさまを助ける子供を…」
「じゃあ、もし… 私が子供を作れる体になったら… 
妻になってくれる?」

おしらは、キョトンとして
「え? 何いってんの… あんた、男に
なるっていうの? どうやって?」
「わからない… とりあえず、熊野の
神さまにお願いしてみる」
「ああ、それなら… もしかして、ありえるかもね…」
なんといっても神々の集結する出雲の、
もっとも聖なる地に鎮座する神なのだから。

おしらは、立ち上がると
「わかった… では100日間、ここで待つとしよう。
それまでに男になってきたら、あんたの
お嫁さんになってあげる。いい?」
「ほんと? おしらちゃん、本当だよね!? 
絶対、男になってくるから!!」


こうして恋夜は熊野大社に参篭し、
ムチャな願いを祈り続けた。
もちろん性転換技術のない時代、いくら神さまでも
できないもんはできない。

だが年が明け、貞観17年(西暦875年)となって、
3日目の夜…
「かわいそうにねえ、坊や… じゃなくて、お嬢ちゃんかな…
もとはといえば、私のせいでこんな目に…」

妖艶な女が、消耗しきった恋夜を、優しく抱きしめる。
「だれ…?」
「あなた、そもそも私を追って、みちのく
くんだりまで行ったんでしょう?
あの馬には、気の毒なことをしたわ。
まさか、あんなことになるなんて…」

「ああ! 例の謎の女… 
私はもう、あなたには興味がない。今の私は…
おしらがつけた、左脚と心の傷で苦しんでいるのです…」
「私も、例の天邪鬼を監視するために来たんだけど… 
たまたま、あなたを見つけて、なんか
不憫になってきちゃって… 
せめてものお詫びに、願いをかなえてあげる」

「それは本当ですか!? 私を男にしてくれると!?」
「いえ、それは無理だけど、一時的に
子供の作れる体にしてあげるわ。
さ、着物を脱いで、横になって」
「あ、ちょっと…」

有無を言わさず、女は恋夜を犯した。
かつてない激しい快感とともに、何かが
下腹部に侵入してくる違和感と痛み。
「痛っ なんで… これって… あなた、男!?」
謎の女は、クスクス笑いながら説明した。

女の膣から恋夜の膣内へ、蛞蝓(なめくじ)が
移動を完了した、という。
「これからあなたは、適当な男を見つけて、契りなさい。
その男の子種を、蛞蝓が飲みこんで貯えておくから… 
すぐに、愛しい人のもとに駆けつけ、今度は蛞蝓を
男根のように使い、妻の体内に子種を吐き出させるのです…
蛞蝓を操る技を、今から伝授するわね」
 
こうして一晩、エロティックなレクチャーを
徹底的に受けた恋夜は、何かに取り付か
れたような顔で、里へ下りていった。
「これだけは覚えておいて… 
子種の寿命は、1日が限界。
男と契ってから24時間以内に目当ての女と
契らないと、妊娠はしないから」
というのが、講師からのラストメッセージであった。